三ツ矢歌子の死因や若い頃は?息子の逮捕やその後も調査

昭和の時代を彩った大スターの一人である三ツ矢歌子さん。若い頃からありあまる美貌と高身長を思わせる抜群のスタイルで絶大な人気を誇っていました。それでは、夫である小野田嘉幹さんとの関係や息子の逮捕の噂、出演経歴や死因など三ツ矢歌子さんの噂の真相に迫っていきます!

三ツ矢歌子の死因や若い頃は?息子の逮捕やその後も調査のイメージ

目次

  1. 1三ツ矢歌子のプロフィール
  2. 2三ツ矢歌子の死因について
  3. 3三ツ矢歌子の若い頃からの経歴
  4. 4三ツ矢歌子の息子の逮捕やその後は?
  5. 5三ツ矢歌子の若い頃の美貌【画像】
  6. 6三ツ矢歌子の死因は間質性肺炎で永遠に語り継がれる大女優

三ツ矢歌子のプロフィール

・愛称:歌子ちゃん
・本名:小野田宇汰子(旧姓 三矢)
・生年月日:1936年8月1日
・年齢:享年67歳(2004年3月24日没)
・出身地:大阪府大阪市東区
・血液型:A型
・身長:???
・活動内容:女優
・所属グループ:???
・事務所:元新東宝
・家族構成:夫(小野田嘉幹)、息子2人(長男 三ツ矢真之、次男)

三ツ矢歌子の経歴

大阪府大阪市で生まれた三ツ矢歌子さん。幼い頃から芸能界で活躍したいと思っていたわけではなく、当時はごく普通の学生生活を送っていたそうです。しかし、学生時代の女友達が三ツ矢歌子さんに内緒で、「新東宝」の新人募集に応募してしまったことで転機が訪れます。

女友達が内緒で応募してしまったオーディションで見事に合格を勝ち取り、新東宝の「第4期スカーレット」として入社を果たすことになるのです。新東宝に入社した三ツ矢歌子さんは、持って生まれた可愛らしさと妖艶なイメージで瞬く間に人気を博し、新東宝の看板女優として長く活躍されました。

しかし、その後は所属していた新東宝が倒産してしまったこともあり、徐々にテレビドラマの世界へと活躍の場を移すようになります。当時、昼の時間帯に放送されていたドラマに出演し、高視聴率を叩き出すなどテレビドラマでも欠かせない名女優となっていきました。

プライベートでも映画監督として名高い「小野田嘉幹」さんと結婚し、順風満帆な生活を送っていましたが、2004年に67歳の若さで亡くなられてしまいます。デビュー以来、多くの作品に出演し、観ている者を魅了し続けた三ツ矢歌子さんは、昭和を彩った大スターの一人であると言えるでしょう。

三ツ矢歌子の身長は非公表

昭和の時代を彩った大スターの一人と言われる三ツ矢歌子さん。その可愛らしさと妖艶な雰囲気は、当時の芸能界で絶大な人気を誇っていました。スラっとした体型から三ツ矢歌子さんの身長がどのくらいなのか気になったという人も多いでしょう。

実は三ツ矢歌子さんは身長を公表していません。多くの女優は身長くらいは公表しているものですが、どういうわけか三ツ矢歌子さんは公表していないのです。出演されている映画で他の俳優さんの身長から推測するしかないのですが、おそらく三ツ矢歌子さんの身長は160cmくらいではないかと推測されます。

身長不明も若い頃から美貌あふれる存在感

身長については非公表だった三ツ矢歌子さんですが、そのスラっとした体型もさることながら、あふれ出る美貌の虜になったという人も多いことでしょう。その美貌は年齢を重ねて培われたものではなく、若い頃から抜きんでたものがありました。

三ツ矢歌子さんが映画デビューしたのはわずか19歳の時だったのですが、その頃から整った顔立ちとスラっとしたスタイルで、男性だけではなく女性からも絶大な人気を誇っていたことは言うまでもありません。

三ツ矢歌子の美貌はあの人に似てる?

若い頃から整った顔立ちとスラっとしたスタイルで絶大な人気を誇っていた三ツ矢歌子さん。女優をはじめ有名人になると、どうしても出てきてしまうのが「誰に似てるか?」という話題でしょう。三ツ矢歌子さんの美貌も「あの人に似てる?」と大きな話題となりました。

似てると噂の芸能人①藤原紀香

昭和の大スターとして絶大な人気を誇った三ツ矢歌子さんに似ていると言われる芸能人として、まず挙げられるのは女優の「藤原紀香」さんでしょう。藤原紀香さんも三ツ矢歌子さんと同様に、あふれ出る美貌が魅力と言われています。

お二人が似ていると言われる理由は、全体から受けるイメージが大きいように思われます。藤原紀香さんも高身長のためスラっとしたスタイルが特徴で、可愛らしさの中に妖艶な雰囲気を感じることから、三ツ矢歌子さんに似ていると言われているのでしょう。

似てると噂の芸能人②里見浩太朗

女優の藤原紀香さんと似ていると言われる三ツ矢歌子さんですが、驚くことに俳優の「里見浩太朗」さんにも似ていると言われています。性別が違うため一概に比較しづらいのですが、お二人とも目が大きく目力が強いところが似ていると言われる要因かもしれません。

三ツ矢歌子の夫は小野田嘉幹

可愛らしさと妖艶な雰囲気を併せ持ち、絶大な人気を誇った三ツ矢歌子さん。冒頭でも少し触れましたが、1960年に映画監督として活躍をしていた小野田嘉幹さんと結婚をします。当時は絶大な人気を誇った三ツ矢歌子さんのハートを射止めた男性として一躍時の人となりました。

小野田嘉幹とは

1960年に人気女優だった三ツ矢歌子さんのハートを射止め、夫となった小野田嘉幹さん。「黒澤明」家督や「稲垣浩」監督の下で助監督を務めた後、若山富三郎さん主演の「楠公二代誠忠録」で監督デビューを飾りました。

1958年の「人喰海女」や1960年の「女奴隷船」などでも監督を務め、これらの映画に三ツ矢歌子さんが出演していたこともあって交際に発展したようです。映画監督として数々の映画でメガホンをとりますが、新東宝の倒産もあってその後はテレビ映画の監督を務めるようになりました。

三ツ矢歌子の死因について

経歴のところでも触れましたが、人気女優の三ツ矢歌子さんは2004年にご病気で亡くなられています。スクリーンを通して見る三ツ矢歌子さんはとても若々しく、いつまでも元気に女優として活躍されると思っていた人も多いのではないでしょうか?

昭和の時代を彩った大スターが亡くなったというニュースを聞くと、どうしても気になってしまうのがその死因についてでしょう。ここでは、女優として一時代を築いた三ツ矢歌子さんの死因についてみていきます。

2004年3月24日に67歳で他界

可愛らしさと妖艶な雰囲気を併せ持つ女優として幅広い役をこなしていた三ツ矢歌子さんですが、2004年3月24日に亡くなられたというニュースが飛び込んできました。亡くなられた時はまだ67歳という年齢だったそうで、あまりにも早すぎる死に驚いたという人も多いことでしょう。

三ツ矢歌子の死因は間質性肺炎

以前から体調が芳しくなく風邪気味だったという三ツ矢歌子さんは、その日、呼吸が苦しいと家族に訴え病院に運ばれたそうです。その時に病院で下された診断は「肺炎」でした。その後は入院をして懸命に治療を行い一時は回復の兆しを見せていたものの、わずか2週間後に亡くなられてしまいます。死因は「間質性肺炎」でした。

死因「間質性肺炎」とは

2004年の3月24日に間質性肺炎で亡くなられた三ツ矢歌子さん。死因である間質性肺炎という病名を聞いたことがあっても、実際にどんな病気なのかピンとこないという人も多いことでしょう。実は昭和の大スターである「美空ひばり」さんの死因も間質性肺炎でした。

間質性肺炎とは肺の間質に炎症が起きてしまうことで肺が硬くなり、酸素が取り込みづらくなってしまう病気です。原因は様々で、ウィルス感染や膠原病、抗癌剤による影響などで引き起こされてしまうと言われています。

死因「間質性肺炎」と2001年発覚の肺癌の関係性は?

間質性肺炎により67歳という若さで生涯を閉じられた三ツ矢歌子さん。巷では2001年に発覚した肺癌との関係性が噂になっているそうです。どちらも肺にまつわる病気のためこのような噂が出ているのだと思われますが、まんざら関係性がないわけでもないようです。

前述したように抗癌剤によっても起こりうる病気と言われています。あくまでも可能性の話になってしまいますが、三ツ矢歌子さんも肺癌の治療を受けていたという過去があることを考えれば、死因となった間質性肺炎と肺癌の関係性は全くないとは言い切れないでしょう。

三ツ矢歌子の若い頃からの経歴

2004年に間質性肺炎という病気で亡くなられてしまった三ツ矢歌子さん。昭和を代表する名女優だったと言われると、三ツ矢歌子さんの華々しい経歴についても気になってしまうのではないでしょうか?ここでは、三ツ矢歌子さんの華々しい経歴についてみていきます。

若い頃からの経歴①新東宝新人募集に女友達が内緒で応募し合格

冒頭の経歴のところでも触れましたが、三ツ矢歌子さんの芸能界のデビューは女友達が内緒で新東宝の募集に応募したことがきっかけでした。このことから考えても、当時から抜群の可愛さを誇っていたのではないかと推測されます。

若い頃からの経歴②映画「君ひとすじに」で女優デビュー

女友達による応募がきっかけで芸能界に入ることとなった三ツ矢歌子さんは、翌年には早くも映画デビューを果たします。「君ひとすじに」という「宇津井健」さんが出演されていた映画で、三ツ矢歌子さんは「結城紀子」という役で初々しい姿を披露していました。

新東宝現代劇の女優三羽烏と呼ばれ一躍スターに

芸能界入りしてから、わずか1年で映画デビューを果たした三ツ矢歌子さん。生まれ持った可愛さと妖艶なイメージは瞬く間に人気となります。お嫁さんにしたい女優として一世を風靡した「池内淳子」さんと高身長でスタイル抜群の「久保菜穂子」さんと共に、新東宝現代劇の「女優三羽烏」と呼ばれ一躍スターへと上り詰めました。

若い頃からの経歴③新東宝倒産後は昼メロの女王に

先ほどもご説明しましたが、三ツ矢歌子さんは所属していた新東宝が1961年に倒産してしまったことで、映画の世界からテレビの世界へと活躍の場を移しました。当時、TBSで放送されていた「花王愛の劇場」シリーズにおいて軒並み高視聴率を叩き出したことから、「昼メロ」の女王と呼ばれるようになりました。

若い頃からの経歴④三ツ矢サイダーCM出演も

出演したテレビドラマが高視聴率だったこともあり、昼メロの女王とまで呼ばれるようになった三ツ矢歌子さん。1960年代には「三ツ矢サイダー」のCMへも出演をされます。おそらくは三ツ矢歌子さんの名字とサイダーのようなフレッシュ感がCMへ起用された要因でしょう。

三ツ矢歌子のその他代表出演作品

デビューしてから数々の映画やテレビドラマに出演をしてきた三ツ矢歌子さん。病気が発覚する2000年頃までの華々しい経歴は、誰の目から見ても素晴らしいものと言えるでしょう。デビュー作については先ほどご説明させていただいたので、ここではその他の出演作品についてみていきます。

ドラマ「女の絶唱」

かつて昼メロの女王とまで呼ばれた三ツ矢歌子さんですが、その代表作品として挙げられるのが、高視聴率を叩き出した「女の絶唱」でしょう。1969年に放送されたドラマで、俳優の「小泉博」さんとの共演は大きな話題を呼びました。

ドラマ「妻と女の間」

女の絶唱で高視聴率を叩き出し、テレビドラマでも人気となっていた三ツ矢歌子さん。1975年に放送されたドラマ「妻と女の間」も大きな話題となりました。「小池安澄」という四人姉妹の長女役を演じており、女の「性」を描いた作品として当時は大きな反響を呼んだそうです。

映画「人間の壁」

昼メロの女王と呼ばれていた三ツ矢歌子さんですが、1959年に公開された映画「人間の壁」も見逃すことはできないでしょう。実際に起きた事件を題材にした映画で、三ツ矢歌子さんも「先生役」で出演をされていました。

舞台「女人太閤記」

1950年代から活躍し、世間の注目を集める人気女優だった三ツ矢歌子さん。テレビや映画の世界だけではなく舞台でも活躍をされていました。「女人太閤記」と呼ばれる作品に出演し、舞台が行われた当時の「三越劇場」は大盛況だったと言われています。

舞台「お染久松」

大盛況だったと言われている女人太閤記ですが、さらに舞台「お染久松」へも出演をされました。歌舞伎や浄瑠璃の話で、お染と久松の心中を題材とした非常に有名な作品となっています。この舞台にも三ツ矢歌子さんが出演をしており、当時は非常に話題となったそうです。

三ツ矢歌子の息子の逮捕やその後は?

1960年に映画監督の小野田嘉幹さんと結婚し、二人の息子にも恵まれた三ツ矢歌子さん。実はその息子が逮捕されていたのをご存知でしょうか?なぜ逮捕されてしまったのかファンであれば気になってしまうものです。ここでは、三ツ矢歌子さんの息子の逮捕やその後についてみていきます。

夫との間には息子(三ツ矢真之)が誕生

結婚をした翌年に三ツ矢歌子さんと夫である小野田嘉幹さんとの間に息子が誕生しました。名前を「三ツ矢真之」さんというそうです。夫である小野田嘉幹さんが監督を務めていた「鬼平犯科帳」などの時代劇に出演し、俳優として活躍をされていました。

1990年に息子(三ツ矢真之)が逮捕

夫である小野田嘉幹さんとの間に息子が誕生し、順風満帆な生活を送っていると誰もが思っていた矢先、息子である三ツ矢真之さんが逮捕されたというショッキングなニュースが飛び込んできました。三ツ矢真之さん逮捕のニュースは、日本中を驚かせたことは言うまでもありません。

息子逮捕の理由は薬物

三ツ矢歌子さんの息子である三ツ矢真之さんが逮捕されたと聞いて、やはり気になるのは逮捕されてしまった理由についてでしょう。当時も様々な憶測が世間を飛び交いましたが、三ツ矢真之さんが逮捕されてしまった理由は「薬物」によるものだったそうです。

息子(三ツ矢真之)のその後は?

鬼平犯科帳などの時代劇に出演し、その後の活躍が期待されていたにもかかわらず、薬物によって逮捕されてしまった三ツ矢真之さん。逮捕されてから俳優としては活動されていないようですが、その後がどうなっているのか気になってしまうものでしょう。

息子(三ツ矢真之)の現在は会社代表取締役

逮捕されてからは俳優として活動をされていないと言われている三ツ矢真之さんですが、現在は「三ツ矢プロダクション」の代表取締役になられています。「鬼平塾」というものを立ち上げて、俳優の育成に力を注いでいるそうです。

夫(小野田嘉幹)との間にもう1人の息子の存在も

どうしても俳優として活躍した三ツ矢真之さんに注目が集まってしまいがちですが、実は三ツ矢歌子さんと夫である小野田嘉幹さんとの間には、もう一人息子がいると言われています。しかし、もう一人の息子については一般人と言われているため、情報を見つけることはできませんでした。

夫(小野田嘉幹)の現在は生活保護受給者?

1960年に三ツ矢歌子さんと結婚をして、映画監督として数々の名作を手掛けてきた小野田嘉幹さん。近頃は生活に窮していて生活保護を受けていると言われています。家賃数万円の四畳半のアパートでつつましく暮らしているそうです。

現在も健在で100作以上のテレビ映画を手掛けている

映画監督しての実力もさることながら、三ツ矢歌子さんの夫としても有名になった小野田嘉幹さん。近頃は生活保護を受けているのではないかともっぱらの噂になっているそうですが、決して現役を引退したわけではないようです。

これまで手掛けてきた作品は100作以上とも言われており、2008年に放送された「藤田まこと」さんが出演した「剣客商売ー春の嵐」も小野田嘉幹さんが監督を務めていました。94歳になった現在も、意欲は全く衰えていないと言われています。

三ツ矢歌子の若い頃の美貌【画像】

1956年にデビューし、可愛さと妖艶さが同居すると言われ絶大な人気を誇っていた三ツ矢歌子さん。若い頃の美貌をもう一度見たいと思っている人も多いのではないでしょうか?ここでは、三ツ矢歌子さんの若い頃の画像とその美貌についてみていきます。

若い頃の画像①

こちらの画像は1957年に公開された「坊ちゃんの特ダネ記者」という映画での一コマです。近江敏郎さんが監督を務めた作品としても有名で、三ツ矢歌子さんは「雛菊」という役で出演され、和服が似合うと評判になっていました。

若い頃の画像②

男性だけではなく女性からも人気があったと言われていた三ツ矢歌子さん。内面からにじみ出る柔らかなイメージと可愛らしい表情は年齢を重ねても決して変わることがなく、多くのファンを魅了し続けてきました。

若い頃の画像③

この画像は三ツ矢歌子さんが人気女優としての地位を確固たるものにしていったことがわかる一枚でしょう。整った顔立ちと一見するとハーフではないかと思わせるほどの美しさを持っていることがわかります。

三ツ矢歌子の死因は間質性肺炎で永遠に語り継がれる大女優

1956年のデビュー以来、第一線で活躍を続けてきた三ツ矢歌子さん。多くの作品に出演し、そのあふれ出る美貌に男性は骨抜きにされ女性は憧れたものでした。いつ見ても可愛く若々しい三ツ矢歌子さんが、女優としていつまでも活躍を続けられると思っていた人もいたはずです。

しかし、2004年に間質性肺炎で亡くなられてしまいます。亡くなられてから15年以上が経った現在も、決して色あせることのない名女優である三ツ矢歌子さんという存在は、永遠に語り継がれていくことでしょう。

関連するまとめ

関連するキーワード

Original
この記事のライター
大橋類太郎
北海道の田舎に住んでいる大橋類太郎です。 ドライブが好きで暇さえあれば広い北海道を走り回っています。 コツ...

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ