【ぬまっき伝説】沼津北(誠恵)高校とは!伝説の内容から現在までの変化も!

ぬまっきという学校の伝説はご存知でしょうか?当時静岡県にあったぬまっきこと沼津北高校が他の高校と少し違うとネットを中心に話題となりました。ぬまっき伝説とはどのようなものだったのでしょうか?また現在のぬまっきについてもまとめてご紹介します。

【ぬまっき伝説】沼津北(誠恵)高校とは!伝説の内容から現在までの変化も!のイメージ

目次

  1. 1沼津北(誠恵)高校とは
  2. 2【ぬまっき伝説】まとめ
  3. 3ぬまっき伝説が有名になった経緯
  4. 4沼津北(誠恵)高校の入試内容は?
  5. 5沼津北(誠恵)高校の授業内容
  6. 6沼津北(誠恵)高校生の進路は?
  7. 7現在の沼津北(誠恵)高校
  8. 8伝説が残る沼津北(誠恵)高校も現在は時代と共に変化

沼津北(誠恵)高校とは

沼津北高校は静岡県沼津市の沼北に位置している私立の高校です。現在では沼津北高校ではなく、誠恵高校に名前を変更していますが、創立自体は1950年のことで普通科、商業美術科、生活美術科という3つのコースを設け、主に美術に力を入れた学校でした。

実はこの沼津北高校がネットでぬまっきと呼ばれ、一時期注目を集めていたことがあります。一体どのような理由から沼津北高校、ぬまっきは注目されていたのでしょうか?

日本一偏差値が低い高校

静岡県にある沼津北高校は、数ある日本の高校の中でも一番偏差値が低い高校としてネットで知られ、有名になりました。当時ネットで話題になった頃の偏差値については後程ご紹介しますが、30に達していなかったと言われています。

愛称は「ぬまっき」

沼津北高校は通称ぬまっきという別称で呼ばれていました。これのぬまっきという別称はネットからかと思いきや、高校が所在している地元沼津市の人々が昔からぬまっきと呼んでいたことから広まったと言われています。

ぬまっきと言うこともあれば、ぬまっきーと言うこともあるようです。しかし現在では沼津北高校の名前が変わったため、ぬまっきと言っても若い人には伝わらないこともあります。

卒業生には有名人も!

日本一偏差値が低い高校として一時期はネットで大きな話題となったぬまっきこと沼津北高校ですが、卒業生を見ると有名人も存在しています。しかし現在分かる範囲での卒業した有名人は沼津北高校時代ではなく誠恵高校に名前が変更になってからのことです。

もしかすると1950年に開校し、歴史もある高校であるためもっと多くの有名人が存在しているではないかとも思われますが、現在分かる範囲での卒業した有名人をご紹介します。

柿沼友哉(プロ野球選手)

誠恵高校を卒業した一番の有名人はプロ野球選手の柿沼友哉です。柿沼友哉は1993年茨城県出身のプロ野球選手です。小学生の頃からリトルリーグなどで活躍しており、誠恵高校に進学そして卒業をしましたが高校時代に甲子園出場経験はありません。

高校時代は甲子園など目立った場所での活躍を見ることはできなかったものの、日本大学時代には大学野球大会に出場し、捕手としても成績を収めています。

その後2015年に行われたプロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから育成ドラフト2巡で指名され、大学卒業後は千葉ロッテマリーンズに入団をしました。現在でも捕手としてプロ野球で活躍しています。

マッチや諸星君も受験した?

誠恵高校に名前が変わってからは柿沼友哉という素晴らしい卒業生が存在するぬまっきこと沼津北高校ですが、その昔にはマッチの愛称で親しまれる近藤真彦や諸星和己なども受験をしたという噂がありますが、本当のところは定かではありません。

しかし実際にぬまっきに通い卒業したとなれば、現在では相当な噂になっていると思われるため、おそらくこうした噂は嘘である可能性が高いと言えます。

沼津北(誠恵)高校には【ぬまっき伝説】が

ぬまっきという別称で地元民から呼ばれていた沼津北高校は、別称も作られるほどであるためさぞ地元民からも愛されていたのかと思いきや、実はそうではありませんでした。

ぬまっきがネットで噂になったのは、単に日本一偏差値が低い学校であったからという理由だけではありませんでした。沼津北高校、通称ぬまっきがネットで大きく拡散されるに至った数々のぬまっき伝説を詳しく見ていきます。

【ぬまっき伝説】まとめ

沼津北高校、通称ぬまっきはこれまでネットで様々なことが伝説として語られてきました。その伝説のほとんどが、通常の高校ではまず見ることが、考えることができないような内容のものばかりであったため、ネットでは大きな話題となりました。

では一体どのようなぬまっきの内容がネットでは書き込まれていたのでしょうか?ネットで主に語られてきたぬまっきの数々の伝説について、いくつか詳しくご紹介します。

伝説①3時のおやつがある

沼津北高校ことぬまっきの伝説1つ目は3時のおやつがあるということです。給食の時間があるのは他の高校でも普通ですが、3時のおやつというのはなかなか耳にしません。

しかしこれには理由があります。実はぬまっきでは授業を最後の時限まで聞かずに、途中で家に帰ってしまう問題児たちが多くいたため、その子たちが帰らないようにするためにおやつの時間を設けていたと言われています。

伝説②窓には鉄格子

沼津北高校ことぬまっきの伝説2つ目は教室など、校舎の窓に鉄格子がついているということです。これに関しても先ほどのおやつの時間と同じく、問題児たちが簡単に外に出ないようにするためだったと言われていますが、確かな理由が分かりません。

学校内の安全を確保するため、または学校外の近隣住民たちの安全を確保するために鉄格子が必要であったのか、今では知るすべがありません。

伝説③校内の至る所に防犯カメラ

沼津北高校ことぬまっきの伝説3つ目は学校内の至る所に監視カメラが設置してあったということです。これに関してもやはり問題児を先生たち職員が見守るためであったと言われています。しかし目に見える防犯カメラの内3分の1はダミーであったという話も出ています。

こうした鉄格子や監視カメラが学校にあるというぬまっき伝説は、後に全国ニュースでも取り上げられることになり、大きな話題となりました。

伝説④どこの高校にも行けないDQNばかり

沼津北高校ことぬまっきの伝説4つ目は、ぬまっきに通う生徒のほとんどがどこの高校にも進学が難しいような問題児ばかりであったということです。ネットでは主にDQNと呼ばれていました。ぬまっきは私立であったものの、学費はそこまでかからなかったようです。

そのため問題児と呼ばれる学生たちが静岡県内よりも県外から多く通学していたと言われています。しかしその一方で経済的に貧しい子どもたちも多く通っていたようです。

伝説⑤飲酒や喫煙は当たり前?

沼津北高校ことぬまっきの伝説5つ目はぬまっきに通学する多くの学生の間で飲酒や喫煙が当たり前に行われていたということです。もちろん行わない生徒も少数存在していました。

また万引きなどの不良行為を行う生徒も多く存在したと言われています。中には万引きしたお菓子の味を好みでないの味のものと間違えたため、交換してほしいとお店に再度行ったという生徒も存在したそうで、これもまたぬまっき伝説の1つとして語られています。

伝説⑥登校拒否と中途退学者がほとんど

沼津北高校ことぬまっきの伝説6つ目は登校拒否と中途退学者が学生のほとんどを占めていたということです。どこの高校への進学も難しいと言われる生徒たちが集まっていたため、素行の悪い生徒も多く存在したようです。

実際登校拒否になる生徒が多いことを解決しようと始めた取り組みのうちの1つが3時おやつであったと言われています。しかしおやつはどこからか抗議が出て無しになりました。

伝説⑦近くてもバス通学

沼津北高校ことぬまっきの伝説7つ目はどれほど学校が近くてもバス通学であったということです。バスを出すのにはお金がかかることですが、これには理由があります。それは生徒を歩いて通学させると先ほどご紹介した通り道端で喫煙、飲酒をしてしまうためです。

制服を着ている、明らかな未成年たちが法を犯す姿は地域にとっても良いものではありません。こうしたことを防ぐために高校がバスを手配していたと言われています。

ぬまっき伝説が有名になった経緯

沼津北高校ことぬまっきの伝説は、通常の高校から考えれば確かに驚くものも存在していますが、どうしてこれほどにも多くの人が知る所となってしまったのでしょうか?偏差値が低い、問題児がたくさんいるということであれば、他の高校もたくさん存在したはずです。

ぬまっきがこれほどに有名になったことには、当時のネット文化や時代背景などが大きく影響していると言われています。

経緯①伝説の内容が衝撃的すぎる

ぬまっきの伝説が大きく広まった経緯1つ目は何よりもぬまっきの伝説の内容が衝撃的過ぎたということです。偏差値が低い、生徒の中に飲酒や喫煙などの問題行動をする問題児が多くいたというのはよく聞く話ですが、やはりおやつの時間や鉄格子などは特異的です。

アルファベットのQの小文字を書きなさいという問題の正答率が10パーセント以下であったなどの詳しい伝説などもあり、やはりぬまっき伝説は群を抜いていたと言えます。

経緯②掲示板が主流の時代だった

ぬまっきの伝説が大きく広まった経緯2つ目は当時はインターネットでは掲示板が主流であったということです。今ではネットといってもインスタグラムやTwitterなどSNSを中心に様々なものがありますが、その当時は他人との情報のやりとりは掲示板がほとんどでした。

そのため多くの人が集中的に集まる場所で一度流されたぬまっき伝説の内容は長期間に渡り掲載され、多くの人に触れることとなりました。

経緯③面白半分で拡散

ぬまっきの伝説が大きく広まった経緯3つ目はぬまっきの伝説などが面白半分で多くの人の手によって拡散されたということです。掲示板でも政治、芸能など様々なカテゴリがありますが、それとは全く関係のない書き込みをする荒らしというものが存在します。

そうした荒らしが面白半分でぬまっきの伝説内容などを多くの掲示板に貼り、拡散をし続けました。そのためより多くの人がぬまっきのことを知ることになりました。

経緯④当時の時代背景

ぬまっきの伝説が大きく広まった経緯4つ目は当時の時代背景の影響です。ぬまっきのことが取り上げられた時代は全国的に高校で校内暴力やいじめが問題視されていた時でした。

そのため先ほどもご紹介した通り、不良行為をする生徒などはぬまっきだけに限らず多くの高校が抱えていた問題でした。そうした中でより多くの人の目に留まるためにはより衝撃的な内容でなければなりません。

実際にぬまっき伝説を最初に書き込んだ人に、他の高校より特異的であるため多くの人の目に触れてほしいという狙いがあったかどうかは分かりませんが、結果としては他の高校よりも特異的であったため、時代背景もあり多くの人に拡散されることとなりました。

一時は時代の流れによって大きく拡散されたぬまっき伝説でしたが、時代が変わった今でも単に面白い伝説として語り継がれることとなってしまいました。

沼津北(誠恵)高校の入試内容は?

現在では誠恵高校と名前も変えて、有名人も輩出している沼津北高校ことぬまっきですが、偏差値が一番低いと言われた時代の高校入試などはどのような問題だったのでしょうか?

実際にぬまっきで出題されたと言われる入試問題、さらには推定ではありますが当時のぬまっきの偏差値、そして地元沼津市では、ぬまっきはどのように見られていたのかということについてまとめてご紹介します。

入試は筆記試験と面接

ぬまっきでは開校当初は普通科、商業美術科、生活美術科という3つのコースだけでしたが、その後1965年には進学コースも作られており、現在では普通コース、進学コース、情報処理コース、芸術コースの4つのコースが設けられています。

伝説が拡散された当時のぬまっきの入試は国語、数学、英語の筆記試験、そして面接が主流でした。ただし芸術コースに関しては入試で実技試験もあったと言われています。

筆記試験は幼稚園レベル

気になる入試の筆記試験の内容ですが、「かずおくんはりんごを3つもっています。そのうちけいこさんに2つのりんごをあげました。では、かずおくんは何個ミカンをもっていますか」という入試問題が出題されていたと言われています。

ちなみにこの入試問題ではかずおくんのミカンの数は知ることができないため「分かりません」が正解です。かなり易しい入試問題がぬまっきでは出題されていたと言われています。

偏差値は27(推定)

推定ではありますが、当時の沼津北高校ことぬまっきの偏差値は27ほどであったと言われています。参考までに偏差値30台後半の高校の入試問題が「あなたの名前を書きなさい」、「徳川家康とは誰か?1犬・2人間・3鳥」などの問題であったと言われています。

そのためそれを考えれば、先程ご紹介した通り偏差値27であったぬまっきの入試問題がかなり易しいことも納得ができます。

問題児の数が桁違いだから偏差値が低い説

しかしぬまっきに通っていた、そして入学試験を受けて合格した生徒は全てが全て問題児であったというわけではありません。ご紹介した通り、経済的な理由で他の高校への進学が困難であった子どもたちも多くぬまっきに通っていたと言われています。

しかしそうした真面目な生徒たちの数よりも、はるかに問題児と言われる生徒の数が多かったため仕方なしに偏差値が20台にまで下がってしまったのではないかとも言われています。

地元の不良も行きたがらない

静岡県沼津市の地元民たちからはぬまっきと呼ばれていた沼津北高校ですが、実は地元の不良たちが行きたがらない高校であったと有名です。

実際に沼津北高校の生徒はほとんどが静岡県外からであったと言われています。地元の不良の子どもたちも先ほど挙げたぬまっきの伝説を知っていたため、必死に勉強して沼津北高校にだけは入学しまいと必死であったと言われています。

沼津北(誠恵)高校の授業内容

では入試問題はとても簡単であったと言われるぬまっきこと沼津北高校ですが、実際に入学してからの授業はどのような内容だったのでしょうか?

実は入試に限らず、ぬまっきは普段の授業内容もかなり易しい内容であったと言われています。どのような授業を行っていたのかより詳しく見ていきます。

授業は小学生レベルからスタート

まずぬまっきの授業は小学生レベルからのスタートであったと言われています。ぬまっきの入試問題が幼稚園レベルであったため、そこを理解して1つステップの上がった小学生レベルの授業をしていたと考えれば納得できる授業レベルです。

授業は公文式で行われており、まずは難易度の低い問題が完璧にできるようになるまで取り組み、できるようになったら問題の何度を上げていくというものであったようです。

算数は九九や分数から

国語では漢字の書き取りを主に行っていたようですが、算数では九九、分数の計算などからぬまっきでは授業を始めていました。通常高校であれば数学の授業をするところですが、ぬまっきでは算数という科目名で行っていたと言われています。

かなり基本的なことを授業で取り扱っており、社会に出ても無事に生活していけるようにという学校の配慮があったのではとの意見もあります。

英語はアルファベットから

一方英語はアルファベットからのスタートでした。そもそもこれまでに英語自体に触れてこなかった生徒がぬまっきでは大多数であったため、アルファベットから始めるしか方法が無かったということも考えられます。

しかし英語のテストでアルファベットのQの小文字を書くという試験問題の正答率も10パーセントほどであったため、授業の進行は厳しいものであったと予想できます。

途中で帰宅する生徒が多数

こうした他の高校に比べると比較的易しい授業内容であったぬまっきですが、それでも最後まで授業を受けずに途中帰宅する生徒が多く存在していたと言います。

そのためにおやつの時間を設けたり、授業内容を工夫したりと学校も様々な手を打っていたと考えられます。窓の鉄格子や監視カメラに関してもこうした途中で帰る生徒たちを監視するための1つの方法であったのかもしれません。

進学する生徒も少ない?

最後まで授業を受けて帰らない生徒も多かったと言われるぬまっきでは、卒業後に進学する生徒も全体の数で見ればほとんど存在していなかったと言われています。

しかし一部ではもちろんぬまっき卒業後に大学進学を考えている生徒もいたわけであり、そうした生徒には特別なカリキュラムを先生たちが組んで授業をしていたという声もあります。

沼津北(誠恵)高校生の進路は?

さらに元々ぬまっきでは芸術コースが存在していたため、美術大学に進学する生徒が多く存在しています。またこれからご紹介しますが、現在ではぬまっきは誠恵高校に名前も変わっており、大学進学を希望する生徒も増加しています。

進学コースの生徒の中には青山学院大学、神奈川大学、東海大学、帝京大学など名の知れた大学に進学した生徒も多く存在しています。

現在の沼津北(誠恵)高校

これまでには日本で一番偏差値が低く、数々の驚くべき伝説があるとも言われたぬまっきですが、現在ではどのような姿になっているのでしょうか?実は現在でも沼津北高校という名前ではなく、誠恵高校と名前を変更しています。

さらには偏差値もアップし、昔ではほぼ見ることができなかった卒業後、大学進学を希望する生徒も増えたと言われています。ぬまっきの現在についてご紹介します。

沼津北高校から誠恵高校に改名

地元民からぬまっきという別称で呼ばれていた沼津北高校ですが、1999年に現在の誠恵高校に名前を変えることとなりました。改名のきっかけはぬまっき伝説があまりにもネットを中心に話題になりすぎてしまったことでした。

ぬまっきが有名になったことにより、当時沼津北高校という名前に似た静岡県沼津市内の別の高校も中傷被害などにあっていたと言われています。

地元の署名活動

こうした事態から沼津市内では署名活動が始まり、なんとぬまっきこと沼津北高校の改名に1万人もの署名が集まりました。そして1999年にようやく沼津北高校は現在の誠恵高校に名前を変更することとなりました。

現在では沼津市内でぬまっきと言っても、年齢を重ねた人々であれば分かりますが、若い世代、子どもたちにはピンとこない言葉となっています。

真面目な生徒の増加

昔こそ素行の悪い生徒が多かったぬまっきこと沼津北高校ですが、現在では飲酒や喫煙はもちろんせず、さらには大学進学など将来をきちんと考えるなど真面目な生徒が増えたと言われています。一体どうして誠恵高校では真面目な生徒が増えたのでしょうか?

厳しいルールなどが理由?

これには誠恵高校の校則が関係しているのではないかと言われています。その昔は厳しい校則がほとんど無かったと思われるぬまっきこと沼津北高校ですが、現在では厳しい校則があると言われています。

しかしその一方で私立高校とあってか、全ての教室が冷暖房完備であり、広くて綺麗な学食、さらには美術コースの生徒達にはたまらない電気釜やガス窯などの設備もあります。

大学進学率もアップ!

学校名の変更、さらには厳しい校則など様々な変化もあり、誠恵高校では大学進学を目指す生徒たちの数もだんだんと増加していきました。先程ご紹介したとおり、美術コースの生徒たちは武蔵野美術大学、日本大学芸術学部などに多く進学しています。

進学コースでも青山学院大学に進学するなど学力は着実にアップしています。ちなみに現在の誠恵高校の偏差値は30台後半までアップしたと言われています。

黒板アートで優秀賞を獲得

昔とは印象ががらりと変わったぬまっきこと沼津北高校、そして現在の誠恵高校ですが、これまでに「日学・黒板アート甲子園」というコンテストで優秀賞にも輝いています。当時はテレビにも取材されるなどして話題となりました。

ちなみに黒板アートとは黒板とチョークを使ってイラストなどを描く作品のことを指します。さすが美術コースがある高校と言えるでしょう。

伝説が残る沼津北(誠恵)高校も現在は時代と共に変化

その昔ネットの掲示板を中心に伝説が拡散された、ぬまっきこと沼津北高校についてご紹介しました。現在では名前が誠恵高校に変わり、また生徒の意識も大きく変化しており、伝説の頃の姿を見ることは無くなっています。

伝説が広まった当時、ぬまっきの教師たちは面白半分に拡散される事態に怒っていたと言います。こうした多くの人々の努力があり、今の誠恵高校の素敵な姿があると言えます。

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