村田渚の死因は?天才と言われた理由や経歴などおさらい

かつてフォークダンスDE成子坂というコンビで活躍をした村田渚さん。突然の死去だったため死因について様々な憶測が飛び交いました。それでは、村田渚さんが天才と言われる理由やその経歴、第一発見者のコトブキツカサさんや小峠英二さんとの関係など噂の真相に迫っていきます!

村田渚の死因は?天才と言われた理由や経歴などおさらいのイメージ

目次

  1. 1村田渚のプロフィール
  2. 2村田渚の死因は?
  3. 3村田渚が天才と言われた理由
  4. 4村田渚のお笑い経歴をおさらい
  5. 5村田渚と小峠の関係
  6. 6村田渚の死因はくも膜下出血で死去

村田渚のプロフィール

・愛称:???
・本名:村田渚
・生年月日:1971年7月29日
・年齢:享年35歳
・出身地:三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)
・血液型:O型
・身長:168cm
・体重:???
・活動内容:お笑い芸人
・所属グループ:フォークダンスDE成子坂、鼻エンジン
・事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
・家族構成:独身

村田渚の経歴

三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)出身の村田渚さんは、中学生の時に後の「フォークダンスDE成子坂」の相方となる「桶田敬太郎」さんと出会いました。

その後、三重県立上野高校に進学をした村田渚さんはお笑いの世界へと興味を持ち始めます。高校2年生の時には桶田敬太郎さんとコンビを組み「前みつ」という名前で活動を始めました。

お笑いの腕を磨くために三重県から東京まで通うなど努力を続け、1991年に「フォークダンスDE成子坂」としてデビューを飾ります。結成当初から村田渚さんのお笑いに対する情熱は凄まじかったようで、周囲からも一目置かれる存在へとなっていきました。

お笑いにかける情熱と持って生まれたセンスにより、お笑い界での出世は早かったそうです。「GAHAHAキング爆笑王決定戦」では見事に10週を勝ち抜き2代目のチャンピオンになるなど、村田渚さんの将来は明るいと誰もが思っていました。

1992年に始まったフジテレビの「ボキャブラ天国」でも、その見事なセンスは出演者の中でもひときわ目立っていたそうです。その後は相方だった桶田敬太郎さんとのコンビを解消することになり、しばらくはピン芸人としての活動を余儀なくされます。

そして2005年に元「坂道コロンブス」の松丘慎吾さんと「鼻エンジン」というコンビを組みました。M-1グランプリにも出場するなど再び村田渚さんの活躍が見られると期待されていた矢先、訃報が飛び込んできます。

天才的と言われた村田渚さんの突然の訃報に誰もが悲しみました。村田渚さんが周囲の人たちやお笑い界に残した功績は絶大だったようで、死去されてから10年以上経った現在でも語り継がれる伝説の芸人さんの一人です。

村田渚の死因は?

天才的なツッコミと類まれなるセンスで一世を風靡した、フォークダンスDE成子坂の村田渚さんが、35歳という若さで死去されたというニュースに誰もが驚いたことでしょう。あのキレのあるツッコミに魅了されたという人も多いはずです。

では、35歳という若さで死去されてしまった理由とは一体何だったのか、ファンであれば気になってしまうのではないでしょうか?ここでは、村田渚さんの死因について見ていきます。

2006年11月に突然の死去

2006年11月12日、フォークダンスDE成子坂の村田渚さんが死去されたという第一報が流れました。35歳という若さで死去してしまったというニュースに世間が騒然となったことは言うまでもありません。

11月12日に発見されたということですが、実際に死去されていたのは11月11日の未明だったそうで、死後38時間ほど経っていたそうです。

村田渚の第一発見者はコトブキツカサ

2006年の11月12日に自宅で死去していたと報道がなされた村田渚さん。死去された11月12日は仕事が入っていたのですが、仕事場に現れず携帯電話もつながらなかったことから所属事務所へと連絡が入ります。

所属事務所から連絡を受けたマンションの管理人さんと、当時の相方であった松丘慎吾さんに頼まれた「コトブキツカサ」さんが村田渚さんの第一発見者となりました。

第一発見者となったコトブキツカサさん曰く、死去されていた村田渚さんの死に顔はとても穏やかだったそうで、むしろ微笑んでいたようにも見えたそうです。

第一発見者・コトブキツカサとは

マンションの管理人さんとともに、死去されていた村田渚さんの第一発見者となったコトブキツカサさん。現在は映画パーソナリティーや心理カウンセラーなどをされているようですが、元々は「ピテカンバブー」というお笑いコンビで活躍をされていました。

生前の村田渚さんとはとても親しかったようで、「コトブキツカサ」という芸名もフォークダンスDE成子坂のコントの中で使用していた名前を使わせてもらっているそうです。

先輩・三村マサカズも村田渚の死去にコメント

数多くのお笑い番組に出演し、その天才的なツッコミで一世を風靡した村田渚さん。その突然の死に多くの芸人さんがショックを隠し切れませんでした。そのショックを受けた芸人さんの一人が「さまぁ~ず」の三村マサカズさんです。

三村マサカズさんは村田渚さんのことを後輩だけどライバルであったと話されており、お笑いの世界で村田渚さんの分まで頑張ることを心に誓っているそうです。

死因は「くも膜下出血」と判明

多くの芸人さんから慕われていた村田渚さんですが、死因は「くも膜下出血」でした。村田渚さんは亡くなる一週間ほど前から頭痛を訴えていたそうで、周囲からも病院で診てもらった方がいいと勧められていたそうです。

痛みを伴うと言われるくも膜下出血ですが、第一発見者のコトブキツカサさんが話されていた穏やかな表情で亡くなられていたのであれば、さほど苦しまずに旅立てたのではないかと思えることが救いかもしれません。

死因となった「くも膜下出血」とは

第一発見者のコトブキツカサさんが穏やかな表情で亡くなられていたと話をされていましたが、くも膜下出血とは実際にどのようなものなのでしょうか?くも膜下出血が死因という話はよく耳にしますが、実際にどうなってしまうのか知らないという人が多いはずです。

くも膜下出血とは、脳を覆う「くも膜」と「軟膜」の間の動脈瘤が破裂することで起こります。激しい頭痛と意識レベルの低下、さらには嘔吐などの症状を伴い発症した人の3人に1人は亡くなると言われているようです。

ネット上では村田渚の死去に死因「餓死」説も浮上

くも膜下出血で35歳という若さで亡くなられた村田渚さん。第一発見者のマンションの管理人さんもコトブキツカサさんも亡くなられた現場を見ているというのに、どういうわけかネットでは村田渚さんの死因は「餓死」ではないかと噂になっています。

正直、村田渚さんの死因が餓死であるという根拠は全くありません。おそらく食べることに困窮している芸人さんが多く存在しているという理由で出てきた噂ではないでしょうか?

村田渚が天才と言われた理由

くも膜下出血で亡くなられたにもかかわらず、死因についていろいろと噂になってしまっている村田渚さん。亡くなられてから10年以上経った現在でも、村田渚さんが天才であったと語り継がれているのをご存知でしょうか?

よく知らないという人にとっては、天才と呼ばれる村田渚さんがどれほど凄かったのか気になってしまうはずです。ここでは、村田渚さんが天才と呼ばれている理由について見ていきます。

生前には「天才」と言われる村田渚

わずか35歳でこの世を去ってしまった村田渚さんですが、死後10年以上経った今でもそのツッコミは天才と言われています。素人目にはわかりづらいものですが、村田渚さんの「ツッコミの間」がそう言われる理由となっているようです。

多くの芸人さんが村田渚さんのツッコミを高く評価していて、くりぃむしちゅーの上田さんは「渚には勝てない」と言い、爆笑問題の太田さんは「天才すぎて売れなかった」とまで言っていたそうです。

天才と言われた理由①トップランナー

多くの芸人さんから天才的だったと言われている村田渚さん。天才的だと言われる理由は、ツッコミの実力の高さが同世代の中で群を抜いていたからだそうです。

くりぃむしちゅーの上田さんは村田渚さんのことを、同時期に活躍していた世代の中ではトップランナーであり、上田さんにとってセンセーショナルだったと話されていました。

天才と言われた理由②お笑いの歴史に載る人物

さまぁ~ずやくりぃむしちゅー、爆笑問題など同世代の芸人から高い評価を受けていた村田渚さんですが、天才と言われる理由は後輩芸人からの憧れもあるようです。

村田渚さんの第一発見者でもあるコトブキツカサさん曰く、村田渚さんの天才的なツッコミは、もしお笑いの歴史年表があればそこに載るほどのレベルの高さであったと話されていました。

天才的存在で死去後も携帯番号を残す芸人も

第一発見者であるコトブキツカサさんをはじめ、多くの後輩芸人に慕われていた村田渚さん。亡くなられた後も村田渚さんを慕い続けている人は多く、村田渚さんの携帯番号を消せずにいるという芸人さんもいるそうです。

そんな中、芸人の島田秀平さんが村田渚さんの携帯電話にまつわる、怖くもあり不思議でもあるエピソードを披露するなど、亡くなられて10年以上経つ現在でも村田渚さんは忘れられていません。

村田渚のお笑い経歴をおさらい

天才的なツッコミで周囲からも一目置かれる存在だった村田渚さんですが、生前どのような活躍をしてきたのかを知らないという人もいるのではないでしょうか?

ここでは、決して大ブレークしていたわけではないものの、爆笑問題やくりぃむしちゅーに認められていた村田渚さんのお笑いの経歴についてみていきます。

お笑い経歴:フォークダンスDE成子坂」でデビュー

35歳という若さで死去された村田渚さんの経歴を語るうえで、絶対に外せないのがフォークダンスDE成子坂ではないでしょうか?フォークダンスDE成子坂は、前述したように学生時代の同級生でもある桶田敬太郎さんとのコンビでした。

1991年にデビューを果たすと、桶田敬太郎さんのボケと村田渚さんの天才的なツッコミは瞬く間に人気となりテレビなどでも活躍をするようになります。

お笑い経歴:バラエティ番組「タモリのボキャブラ天国」でブレイク

1991年に桶田敬太郎さんとコンビを組んでデビューを果たした村田渚さん。二人の息の合ったコントは瞬く間に人気を博し、ついには1992年からフジテレビで始まった「タモリのボキャブラ天国」へ出演を果たします。

当時は若手芸人の登竜門的存在の番組で、今や大人気となっているネプチューンやくりぃむしちゅー、爆笑問題なども出演していたことを覚えているという人も多いでしょう。

お笑い経歴:2000年以降はピン芸人として活動開始

タモリのボキャブラ天国に出演し、人気実力ともにトップクラスにあったフォークダンスDE成子坂。この華々しい経歴を持って冠番組さえ持つのではないかと思った人もいたのではないでしょうか?それほどまでにフォークダンスDE成子坂の人気は高まっていました。

人気が出始めていた1999年、突如相方の桶田敬太郎さんがフォークダンスDE成子坂を辞めたいと言い出します。理由は音楽をやりたいからというものでした。桶田敬太郎さんが辞めた2000年からはピン芸人として活動することになります。

ピン芸人になるのと時を同じくして所属事務所だったホリプロも辞め、村田渚さんの第一発見者となった後輩のコトブキツカサさんと路上トークライブなどを繰り広げていたそうです。

お笑い経歴:2005年に「鼻エンジン」を結成

フォークダンスDE成子坂を解散し、ピン芸人となった村田渚さん。天才的なツッコミを武器にする村田渚さんは、すぐにでも誰かとコンビを組むだろうと誰もが思っていたはずです。

しかしピン芸人を貫き通し、ますます芸に磨きがかかっていた2005年に元坂道コロンブスの松丘慎吾さんと「鼻エンジン」という漫才コンビを組みました。

お笑い経歴:M-1グランプリ2005&2006出演も話題に

天才的なツッコミを持つと言われ周りから一目置かれる存在だったにもかかわらず、なかなか華々しい経歴を手にすることができなかった村田渚さんですが、松丘慎吾さんと組んだ鼻エンジンでようやく花が開くように思われました。

2005年に出場したM-1グランプリでは準決勝敗退だったものの、翌2006年のM-1グランプリでは3回戦にまで進出します。このまま決勝まで進出するのではないかと思われていましたが、村田渚さんの突然の訃報により棄権となってしまいました。

この2006年のM-1グランプリでの活躍はSNSなどでも話題になっていたそうで、もしかしたら鼻エンジンが優勝争いに絡んだかもしれないと言われていたそうです。

村田渚と小峠の関係

松岡慎吾さんとコンビを組んで、これからという時に突然亡くなられてしまった村田渚さん。突然の死に誰もが悲しみに明け暮れたことでしょう。その悲しみに明け暮れた人たちの中に「バイきんぐ」の小峠英二さんがいました。

現在は売れっ子芸人となっている小峠英二さんと、天才的なツッコミを持つ村田渚さんとの関係はどのようなものだったのかが気になるのではないでしょうか?ここでは小峠英二さんと村田渚さんの関係についてみていきます。

小峠英二とは

現在はバラエティ番組などで引っ張りだこになっている人気芸人の小峠英二さん。1996年に現在の相方でもある「西村瑞樹」さんとバイきんぐを結成しました。

なかなか日の目を見ない苦しい時期を過ごしますが、バイきんぐ結成から16年が経った2012年の「キングオブコント」で優勝を飾ります。その時のネタでもあった小峠英二さんの「なんて日だ!」は一世を風靡しました。

小峠との出会いはソニーミュージックアーティスツ所属

小峠英二さんと村田渚さんの出会いは、所属事務所でもあった「ソニー・ミュージックアーティスツ」だったそうです。ホリプロを辞めてピン芸人として活躍をしていた村田渚さんは、松丘慎吾さんとコンビを組んでソニー・ミュージックアーティスツに所属をしました。

小峠英二さんも最初は村田渚さんに特別な感情を抱いていたわけではなかったそうですが、ネタ見せでの村田渚さんのあまりの面白さに度肝を抜かれたそうです。

村田渚の死去を乗り越え小峠はお笑い界で活躍

同じ事務所に所属をしたことで、村田渚さんに可愛がられるようになった小峠英二さん。そのツッコミのセンスにすっかりほれ込んだ小峠英二さんは、村田渚さんに認めてもらおうと必死に努力を続けます。一緒にトークライブをしたいとさえ思っていました。

しかし、その願いはかなわずに亡くなられてしまった村田渚さん。小峠英二さんは何度も何度も泣いたそうです。第一発見者のコトブキツカサさんをはじめ、小峠英二さんも村田渚さんの死の悲しみを乗り越えてお笑いの世界で頑張っています。

村田渚の死因はくも膜下出血で死去

ネプチューンやくりぃむしちゅー、爆笑問題など数多くの芸人さんから一目置かれ、後輩芸人からも慕われていた村田渚さん。35歳という若さでこの世を去ってからも、その天才的なツッコミは伝説となっています。

突然亡くなられたため死因について様々な憶測が流れましたが、くも膜下出血での突然死ということで間違いないようです。これから先も天才的と言われた村田渚さんという存在が人々の記憶から消えることはないでしょう。

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この記事のライター
大橋類太郎
北海道の田舎に住んでいる大橋類太郎です。 ドライブが好きで暇さえあれば広い北海道を走り回っています。 コツ...

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