長渕剛の生い立ち!幼少期が悲惨?実家や両親なども調査

長渕剛の生い立ちについてまとめました。シンガーソングライターとして活動している長渕剛の生い立ちが波乱万丈だったことを解説します。長渕剛の幼少期から学生生活、そしてミュージシャンとしてデビューしてからについても紹介。実家の父親や母親との関係も注目です。

長渕剛の生い立ち!幼少期が悲惨?実家や両親なども調査のイメージ

目次

  1. 1長渕剛のプロフィール
  2. 2長渕剛の生い立ちについて
  3. 3長渕剛の生い立ちは幼少期が悲惨?
  4. 4長渕剛の実家の父や母なども調査
  5. 5長渕剛以外の壮絶な生い立ちのアーティスト
  6. 6長渕剛は壮絶な生い立ちを乗り越え歌の魂に化す

長渕剛のプロフィール

・愛称:???
・本名:長渕剛(ながぶちつよし)
・生年月日:1956年9月7日
・年齢:64歳(2021年3月現在)
・出身地:鹿児島県日置郡伊集院町
・血液型:A型
・身長:175cm
・体重:???
・活動内容:シンガーソングライター、俳優、詩人など
・所属グループ:なし
・事務所:Office REN
・家族構成:妻(志穂美悦子)、長女(文音)、長男(WA航RU)※離婚歴あり

長渕剛の経歴

シンガーソングライターとして活動している、長渕剛の経歴を軽くおさらいしましょう。学生時代からフォークソンググループを結成していた長渕剛は、場末のバーなどで歌を披露。少しずつ顔を知られるようになり、フォークソング歌手のライブにも参加するようになりました。

1977年に「雨の嵐山」でデビュー。その後は「純恋歌」や「順子」などがヒットして、フォークソング歌手として知名度を上げています。1981年8月に歌手の石野真子と結婚。結婚式には先輩の吉田拓郎と浅田美代子夫妻が仲人を務めてくれました。

しかし、1983年に石野真子と離婚。主な原因は長渕剛のDVと噂されています。その後もシンガーソングライターとしてだけでなく、俳優として「家族ゲームⅡ」などに出演。特に1991年に主演を務めたドラマ「しゃぼん玉」は代表作となったのです。

離婚を経験している長渕剛ですが、1987年8月29日に女優の志穂美悦子と再婚。1986年に放送されたドラマ「親子ゲーム」、映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」で共演したことが結婚の馴れ初めとなっています。

長渕剛にとって一番の危機ともいえるのが、1995年に大麻取締法違反で現行犯逮捕されたことでした。当初、警察は覚醒剤取締法違反で立件する予定だったといわれていますが、こちらかに関しては尿検査で陽性反応が出なかったのです。

結果的に不起訴処分となり、大麻に関しても前科がつくことはありませんでした。しかし、同時に女優の国生さゆりとの不倫が発覚。国生さゆりは長渕剛の妻である志穂美悦子と3人で話し合いを行い、不倫関係を謝罪し、会見も行っています。

このようにプライベートでは様々なトラブルがあったものの、長渕剛は現在もシンガーソングライターとして多くのファンに支持されています。

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長渕剛の生い立ちについて

豪快なイメージのある長渕剛ですが、その生い立ちは決して順風満帆なものではありませんでした。むしろ、その生い立ちは悲惨や波乱万丈という言葉のほうが合っているかもしれません。長渕剛の生い立ちについて解説していきます。

生い立ち①鹿児島県にて次男として誕生

長渕剛は鹿児島県日置郡伊集院町で次男として誕生しました。長渕剛には兄がいましたが、残念ながら生後100日ほどで乳児期に病死しています。また、長渕剛には5歳年上の姉がいることが明かされていました。

生い立ち②四畳半一間での貧困生活

幼少期の長渕家は非常に貧しく、四畳半一間での貧困生活でした。幼少期の長渕剛は体が弱く、出生後まもなくにインフルエンザが原因で生死の境をさまよっています。

生い立ち③出身小学校は「鹿児島市立中郡小学校」

長渕剛の生い立ちの中で、学歴も確認していきましょう。まず、長渕剛の出身小学校は「鹿児島市立中郡小学校」です。体が弱かった長渕剛は、体育の授業などは見学することが多かったとのこと。現在の筋肉質な体とは真逆のイメージといえそうです。

ちなみに、通信簿には「落ち着きがない」と書かれていたのだとか。体は弱くても動き回るタイプだったのでしょうか?

生い立ち④出身中学校は「鹿児島市立甲南中学校」

長渕剛の出身中学校は「鹿児島市立甲南中学校」です。中学ではバスケットボール部に所属していますが、レギュラー選手にはなれませんでした。この頃には体も少し丈夫になり、バスケ部で鍛えたいという気持ちがあったそうです。

中学時代はバスケ部に所属

所属していたバスケ部では、レギュラーのかわりに「カルピス係」というのを担当していたのだとか。これは、ヤカンを持ってカルピスを作り、みんなに配る係なのだそうです。

2年生になっても、カルピス係を継続。そして、3年生になったときに、ついに代わってくれる後輩が現れたものの、「味がまずくなった」、「カルピスは長渕だろ」と言われて辞めることが出来なかったとのこと。そのため、卒業アルバムの部活写真では、長渕剛だけ両手にヤカンを持っているそうです。

中学時代に初ギターを購入

中学時代に入ると音楽にハマり、同郷の吉田拓郎や加川良などのフォークソングが好きだったとのこと。そして、中学3年生のときにガットギターを購入しています。価格は3600円でしたが大切に使いながら、様々な曲をコピーしたことを語っていました。

生い立ち⑤出身高校は「鹿児島南高等学校」

その後、長渕剛は「鹿児島南高等学校」に進学しました。幼少期からあまり勉強は得意では無かったようで、それほど偏差値が高い高校ではなかったのです。

とはいえ、音楽に対する気持ちはさらに強くなり、高校時代は大学祭の前座を経験しています。当時は友人と「T&Tグループ タケシとツヨシ」というフォークソンググループを組んでいました。

生い立ち⑥「九州産業大学芸術学部写真学科」を中退

高校卒業後、長渕剛は1975年に福岡県にある「九州産業大学芸術学部写真学科」に進学しました。このころには「永渕剛」の芸名で、場末のバーでオリジナル曲を披露しています。

大学中退時の父の怒りとは

大学でどのようなことを学んでいたのかは不明です。また、20歳になる前に大学を中退していました。

長渕剛が大学を中退するのを父親に伝えると、かなり怒られて、殴られてしまったのだとか。父親としてはせっかく入った大学を辞めることやミュージシャンとして食べていくことに納得ができなかったのでしょう。いまよりも、大卒が重要なステータスだったといえるのかもしれません。

大学時代の音楽活動

大学時代の音楽活動では、「ポピュラーソングコンテスト」に出場し、入賞。また、1977年にはシングル「雨の嵐山」で歌手デビューを果たしています。

幼少期から好きだった音楽で見事プロデビューを果たしていますが、デビュー曲はあまり売れなかったのだとか。しかし、翌年の1978年にリリースした「純恋歌」が注目され、南こうせつなどのシンガーソングライターとコンサート活動を行えるようになりました。

下積み時代がすごい?

このように高校、そして大学在学時代からバーやステージで歌っていた長渕剛。しかし、場末のバーのお客さんは荒い人が多かったそうで、毎夜のようにビール瓶や灰皿を投げられたことを明かしています。

また、フォークソングというのは少し偏見を持たれることも多く、お客さんには「演歌をやれ!」と言われることも。とはいえ、長渕剛はこの時代の下積みが自分を強くすると同時に、長渕剛というキャラクターを生み出すきっかけになったそうです。

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長渕剛の生い立ちは幼少期が悲惨?

長渕剛の生い立ちの中で、幼少期が悲惨だったというエピソードがあります。シンガーソングライターとして大人気になるまでの間、長渕剛は非常に苦労して立身出世を遂げた人物だったのです。そんな長渕剛の幼少期の生い立ちを解説します。

幼少期の生い立ち【米のとぎ汁で育った?】

長渕剛の生い立ちの中では、実家が非常に貧しかったことが明かされているそうです。長渕剛の幼少期は、母親が満足に母乳が出ず、米のとぎ汁を代わりにしていたのだとか。母親も栄養不足で母乳を与えれなかったのです。

幼少期の生い立ち【父の自殺未遂】

貧しさは人間関係を険悪にすることも。毎日必死に生きていた長渕家ですが、父親と母親はお金のことでケンカが絶えなかったようです。

そして、長渕剛の父親は彼が3歳のときに、自殺未遂を起こしています。首吊り自殺を図った父親を長渕剛は目撃してしまったとのこと。幸い命は助かったものの、このショックは消えることはありませんでした。

幼少期の生い立ち【喘息との闘い】

幼少期から体の弱かった長渕剛は、喘息を抱えていました。貧しいこともあり満足に病院にいけなかった可能性もありますが、生まれたときにインフルエンザで生死の境をさまようなど、不運も続いています。

中学、高校ぐらいまでは体が弱かったとのこと。そのため、プールの授業では、体が細すぎて周りから笑われてしまったことも明かしています。本人も体を強くするためにバスケ部などに入部していますが、強い体になるまで時間がかかったのでしょう。

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長渕剛の実家の父や母なども調査

長渕剛の実家の父親や母親に関するエピソードを詳しく紹介します。父親の職業や母親の病気についても注目しましょう。

長渕剛の実家の場所はどこ?

まずは、実家の場所から確認しましょう。長渕剛は鹿児島県日置郡伊集院町で生まれています。現在の日置市にあたる場所で、自然豊かな場所です。長渕剛は幼少期はそこの茶畑で遊んでいました。

実家の父の職業は警察官で現在は?

父親の職業は鹿児島県警の警察官でした。しかし、昇格試験に受かることが出来ず、出世はできなかったのだとか。そのことも、家が貧しい原因の1つだったのでしょう。

当時の警察官は低収入?

現在と比較すると、当時の警察官はあまり収入が良くなかったとのこと。長渕剛を合わせて4人家族でしたが、貧しい生活が続いています。

父の現在も調査

父親の現在については詳しい情報が確認できませんでした。自殺未遂後のエピソードでは、長渕剛が大学中退したことに激怒したことまでしか確認できていません。

実家の母の病気と名曲誕生の秘話とは

長渕剛は母親に対する強い愛情を語っています。実家の母親の病気と名曲誕生秘話を紹介します。

母は80年代に末期大腸がん発覚で手術

歌手としてヒット曲が出始めた長渕剛。そんな彼が25歳のときに、当時53歳だった母親が末期の大腸がんであることが発覚しています。長渕剛は母親のために一生懸命に病院を探して、名医のもとで手術を受けさせることができました。

手術後は若年性認知症に

しかし、手術から3年ほど経ったとき、母親は若年性認知症を発症。手術が影響なのかは不明ですが、亡くなるまでの10年近くを長渕剛が介護して支えることになったのです。

母は2000年8月に急性心不全のため死去

歌手としての活動と介護の両立は難しく、いつも全力投球の長渕剛は体調を崩したこともありました。そのことで、ツアーを中止したことも。あまりに追い詰められた長渕剛は「死んでしまいたい」と思ったこともあったそうです。

自身の子供が生まれたこともあり、母親を病院に預けていたことも。本人としては自宅で介護をしてあげたかったそうですが、苦渋の決断を下しています。

そして、2000年8月に長渕剛の母親は心不全のため72歳で亡くなりました。自分を産んでくれた人がこの人であると改めて深く感じながら最期を看取っています。そして、このときに書いた曲が「コオロギの唄」です。

実家の母への思いを込めた名曲『MOTHER』

そして、実家の母への思いを込めた名曲「MOTHER」も生み出しています。多くの人が、長渕剛と母親の関係に自分を重ねているのです。正直に自分の弱さも含めて、母親への愛を表現した曲となっています。

母の介護の日々の末生まれた名曲『STAY DREAM』

母親の介護が10年ほど続いた長渕剛。その生活は自身を追い込み、「死んでしまいたい」と思うほどでした。そんな母親の介護の日々の末に生まれたのが、名曲「STAY DREAM」です。

長渕剛によれば「あの曲は自分を鼓舞するため、立ち上がらせるために作った曲です」とのこと。大好きな母親の病気に対して「どう向き合えばいいのか」という苦悩も感じさせる曲といえるでしょう。

長渕剛以外の壮絶な生い立ちのアーティスト

その生い立ちは、普段のエネルギッシュなものとは異なったといえるかもしれません。しかし、そういった経験が現在の長渕剛を生み出しているといえるでしょう。では、長渕剛以外にも壮絶な生い立ちを経験しているアーティストを紹介します。

GACKTの幼少期や生い立ち

「芸能人格付けチェック」での活躍も有名なアーティストのGACKT。彼は幼少期に海で溺れかけた経験から霊的なものが見えるようになり、そのことでいじめられた経験があります。

人とは違うものが見える自分に悩むこともあり、10代のときには原因不明の伝染病と思われる激痛から隔離病棟で生活したこともあります。いまの神秘的な雰囲気は、幼少期の経験が関係しているのでしょうか?

安室奈美恵の幼少期や生い立ち

2018年に電撃引退したアーティストの安室奈美恵。幼少期に両親が離婚し、幼少期は極貧生活を送っています。そのため、憧れのダンススクールに入学できることになったものの、月謝が原因で一度辞退を検討しています。

そんな安室奈美恵の才能を見抜いた校長は、彼女を異例の特待生で入校させました。その後、トップスターになった安室奈美恵ですが、実母が義理の弟に殺害されるという事件が起き、ワイドショーで連日報道されています。

川嶋あいの幼少期や生い立ち

I WISHのボーカルとして「明日への扉」が大ヒットした川嶋あい。彼女は生まれる前に実父が行方不明に。また、母親は3歳のときに他界して、川嶋あいは児童養護施設に預けられています。

その後、建設会社を経営している川島家の養女になり、幸せを取り戻したかのようにみえました。ところが、川嶋あいが10歳のときに養父が16歳のときに養母が病気で亡くなってしまったのです。

川嶋あいは現在も養母が亡くなった8月20日には、記念のメモリアルコンサートを実施しています。その他にも社会貢献活動を行っており、アフリカなどの貧困地域に児童養護施設などを作るチャリティー活動に協力しています。

長渕剛は壮絶な生い立ちを乗り越え歌の魂に化す

長渕剛の壮絶な生い立ちについて解説しました。幼少期は体が弱く、実家は非常に貧しい家でした。それでも、そういった境遇をはねのけて、シンガーソングライターとして多くのファンから支持されています。そんな長渕剛の活動をこれからも応援していきましょう!

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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