長嶋一茂(プロ野球)の当時の成績は?通算や球団別にも調査!
ミスターとして知られる長嶋茂雄の長男であり、プロ野球選手として約7年ほどに渡って活躍した長嶋一茂は、現役時代はどのような成績を残したのでしょうか?長嶋一茂の現役時代の通産成績、さらには所属した球団別の成績やエピソードなどをまとめてご紹介します。

目次
長嶋一茂(プロ野球)のプロフィール
・愛称:一茂
・本名:長嶋一茂
・生年月日:1966年1月26日
・年齢:53歳(2019年7月現在)
・出身地:東京都大田区
・血液型:B型
・身長:181センチ
・体重:90キログラム
・活動内容:タレント、スポーツキャスター、野球評論家
・所属グループ:なし
・事務所:ナガシマ企画
・家族構成:父・長嶋茂雄(元プロ野球選手)、母・長嶋亜希子(実業家)、妹・長嶋三奈(スポーツキャスター)、弟・長嶋正興(元レーシングドライバー)
長嶋一茂の経歴
長嶋一茂は1966年東京都生まれの元プロ野球選手です。プロ野球選手を引退した現在では、タレント、スポーツキャスターなど多岐にわたり活動をしています。
長嶋一茂は1987年ヤクルトスワローズに1位指名され、プロ野球選手としての人生をスタートさせました。その後1年ほどマイナーリーグに野球留学の後、1993年からは読売ジャイアンツに入団し活躍後、1996年にプロ野球界を引退しました。
プロ野球選手を引退した現在ではスポーツキャスター、野球評論家など野球の経験を活かした仕事だけでなく、長嶋茂雄の2世というキャラクターを活かし、タレントとしても数多くの番組に出演しています。

長嶋一茂の現役時代の成績
長嶋一茂といえば野球好きの人であれば知らない人がいないほど、愛称ミスターとして親しまれた長嶋茂雄の長男です。父親と同じプロ野球選手の道を歩み、プロ野球球団にも所属した長嶋一茂ですが、現役時代はどのような成績を残したのでしょうか?
長嶋一茂の父親に負けず劣らずの破天荒なエピソード、さらには現役時代末期に患っていたという病気についてもまとめてご紹介します。
プロ入り初のホームランはまぐれと告白?
長嶋一茂のプロ野球人生は1987年ドラフト会議でヤクルトスワローズに1位指名を受けたことから始まりました。ヤクルトスワローズに入団するや否や、マスコミたちは長嶋一茂を付きまとうように取材し、テレビでも特番組まれるなどルーキーでは異例の事態でした。
長嶋一茂は春季キャンプから1軍に定着し、オープン戦でも打率3割を残すなど上々の滑り出しをアピールしました。
さすが長嶋茂雄の息子であると世間に思わせた出来事は、1988年4月27日に行われた対巨人戦にてプロ初安打にしてホームランを打ったことでした。
相手はビル・ガリクソンというメジャーから移籍したばかりの投手であったにもかかわらず、ホームランという素晴らしい成績を残し、長嶋一茂という存在を世間に見せつけることとなりました。しかし後に長嶋一茂本人はまぐれのホームランであったと語っています。
高校野球からプロ野球に入ったばかりのルーキーであった長嶋一茂は、当時プロ投手たちが放つボールのスピードについていくことができなかったと自身の著書の中で語っています。ガリクソンのボールも当時バッターボックスに立ってもほぼ見えていなかったようです。
しかしその中で適当にバットを振ったところ、うまく球に当たりホームランになったと語っています。当時のホームランボールは手元に戻ったものの紛失してしまったようです。
現役時代には二軍降格の時期もあり
長嶋一茂は現役時代に日本国内では2つの球団に所属しました。その内現役最後の在籍球団となった読売ジャイアンツでは、なんと二軍に降格、さらには罰金50万円、出場停止処分まで受けたことがあります。一体どうしてどのような処分を受けたのでしょうか?
事の発端は当時球団で総合守備コーチを務めていた土井正三に長嶋一茂が暴言を吐いたことでした。
土井正三コーチから約2時間にわたるバント練習を言い渡された長嶋一茂は、それに対して激怒し、「いらねぇよ!あんな奴!!」と土井正三コーチに暴言を吐いたことから二軍に降格、50万円の罰金、さらには一時出場停止処分を受けることとなりました。
長嶋一茂の現役時代の成績はパニック障害も関係
アメリカのリトルリーグから帰国後の1993年から長嶋一茂は球団を移籍し、読売ジャイアンツで現役生活を送ることとなりました。そこから引退まで約3年ほどプロ野球選手として活躍をしましたが、長嶋一茂は晩年の頃にはパニック障害を患っていました。
パニック障害によりバッターボックスに立てなくなるなどの症状に見舞われ、さらには高校時代の怪我の悪化も伴いだんだんと成績を落としていくこととなります。
このパニック障害については長嶋一茂はプロ野球選手を引退後の悩まされたと語っており、2018年の取材時においても「僕100%治っていない。首都高のトンネルで、高いとことか閉所とかダメ。」といまだ病気を患っていることを明らかにしています。
パニック障害とは
パニック障害は脳内神経伝達物質のバランスの乱れから起こる病気であると言われています。症状は多岐にわたりますが代表的なものとしては突然理由もなく心臓がドキドキする、胸の締め付けがある、強い不安感に襲われる、めまいやふらつきが起こるなどがあります。
こうした症状は何の前触れもなく起こり、このパニック症というものが続くとまたこうした症状が起こるのではないかという予期不安に襲われるようになります。
さらにパニック障害が進行していくと、今度はこれまでに発作を起こした場所に恐怖を感じる広場恐怖という症状が現れます。例えば地下鉄などに乗っているときに、一度パニック症を起こすとまた発作が起こるのではと不安になり地下鉄に乗れなくなることもあります。
こうしたパニック障害は病院で治療を受け、薬を飲むことで適切に治すことができる病気です。パニック障害に苦しむ人は年々増加していると言われています。
長嶋一茂のプロ野球通算成績や年俸
プロ野球選手として約7年間に渡って球団に所属した長嶋一茂ですが、現役時代はどのような成績を残したのでしょうか?長嶋一茂のプロ野球選手生活での通算成績、そしてプロ野球選手時代の気になる年俸についてもまとめてご紹介します。
プロ野球通算7年の成績
長嶋一茂は1987年ドラフト会議でヤクルトスワローズに1位指名をされ、そのまま球団に入団、そこから1992年まで在籍、1年間アメリカのリトルリーグに行った後、帰国後は読売ジャイアンツで1996年まで通算で7年間プロ野球選手として活動しました。
7年間通算の野球成績を見ると、通算出場試合数は384、うち通算打席は843、通算安打は161、7年間通算の打率は2割1分0厘でした。
7年通算の中で年別の打率を見ると、一番良かったのは1989年の2割5分、続くのが1991年の2割2分1厘とどちらもヤクルトスワローズに在籍した時に好成績を残しています。
本塁打記録は年4本が最高数であり、ルーキーイヤーであった1988年の他、1989年、1991年にそれぞれ4本を記録しています。1993年に巨人に球団移籍してからも少し成績を残したものの、長嶋一茂はどちらかと言えばヤクルトのイメージが強い人も多いようです。
長嶋一茂のプロ野球時代の年俸は?
#あの試合現地だったんですよ選手権
— にゃめねこjapan (@nyameneko_japan) May 17, 2017
長嶋一茂のプロ初ホームラン!
相手投手はメジャーから巨人移籍後、4連勝中の「ガリクソン」!!
でした pic.twitter.com/dGlGJXmMQP
プロ野球選手として活躍していた長嶋一茂の年俸は一体どれほどのものだったのでしょうか?長嶋一茂は1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズに入団しました。推定ですが当時の契約金は8000万円、そして年俸は840万円ほどであったと言われています。
生涯年俸も調査
その後長嶋一茂の年俸は引退した1996年を除き、右肩上がりで上昇しました。年俸が1000万円に乗ったのは1992年ヤクルトスワローズに在籍した最後の年であったと言われています。推定で1200万円と言われており、入団当時に比べ360万円アップしています。
巨人に移籍してからも1000万円は切っておらず、プロ野球選手として現役時代は最高で1680万円を1994年、1995年に記録しています。
引退する年となった1996年は初めて減額し1440万円となっていますが、7年間のプロ野球生活の中では障害年俸は通算で1億円を超えていると予想されます。
現在では長嶋一茂はスポーツキャスターとしてスポーツニュースで活躍するほか、バラエティ番組でタレントとして活動をしているため、現在の方がプロ野球選手時代よりも年俸を稼いでいると予想されます。
長嶋一茂のプロ野球球団別の成績も調査
約7年に渡り、プロ野球選手として活躍した長嶋一茂ですが、それぞれヤクルトスワローズと読売ジャイアンツに在籍した際にはどのような成績を残したのでしょうか?
長嶋茂雄の息子、ミスター2世とも言われプロに入ったときからマスコミだけでなく世間からも大きな期待と注目を集めていた長嶋一茂ですが父親に負けず劣らずの成績を残したのでしょうか?詳しい球団別の成績、功績を見ていきます。
球団別の成績①ヤクルト時代
1987年にヤクルトスワローズに入団し、1988年にはプロ初安打にしてホームランを放つなど衝撃的なデビューを飾った長嶋一茂はその後もコンスタントに起用され、ルーキーにしてはまずまずの成績を収めました。
1990年には大きく出場機会が減ったものの、翌年1991年の6月頃からはスタメンに固定され、当時の球団新記録となる12連勝に大きく貢献しました。
12連勝の始まりとなった1991年6月9日の対広島戦では3安打5打点の大活躍を見せ、その後12連勝中も打率2割8分3厘、2本のホームランに14打点を記録し、ついに長嶋一茂が開花したと世間でも言われるほどの活躍ぶりでした。
しかし13連勝をかけた6月26日の対巨人戦では9回表まで3点リードをしていたにも関わらず、長嶋一茂のエラーにより逆転負けを喫してしまい、連勝記録がストップしました。
当時のヤクルトスワローズの12連勝は長嶋一茂の活躍から始まり、長嶋一茂エラーで終わったと書かれたほどでした。
球団別の成績②巨人時代
長嶋一茂のアメリカのリトルリーグから帰国と同時に、長嶋茂雄が読売ジャイアンツの監督に復帰するということもあり、長嶋一茂は球団を移し、読売ジャイアンツに所属することとなりました。キャンプから外野練習を行い1993年は開幕から4番を務めました。
しかしその後怪我に見舞われ出場機会は激減、1994年も46試合に出場したもののベンチスタートが多く、日本一をかけた日本シリーズも実際に試合に出ることはありませんでした。
1995年には肘の手術を受け、試合出場はゼロに終わりましたが、翌年の1996年には外国人選手の成績不振により代わりとして起用され、3本のホームランをマークしました。
しかし同年のオフには当時監督であった父親の長嶋茂雄に「お前は来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告をされ、そのままプロ野球選手を引退することとなりました。他球団から声がオファーがあったようですが、本人が自ら断ったようです。
ヤクルトの野村克也監督とは不仲?
1990年には長嶋一茂の試合出場数が大きく激減したとご紹介しましたが、これには1990年にヤクルトスワローズの監督に就任した野村克也との関係が影響したのではないかと言われています。
野村克也はデータを重視するID野球を進めましたが、長嶋一茂はそれに上手く馴染むことができず挙句の果てにはミーティング中にノートにマンガを描くほどだったと言います。
こうしたエピソードを聞くと長嶋一茂と野村克也が不仲であったように感じますが、実はそうではなく長嶋一茂は他のコーチたちに不満があったと後に語っています。
監督であった野村克也の機嫌ばかりをとるコーチ陣たちを見て、長嶋一茂は嫌気が差したと話しており、これが後にアメリカのマイナーリーグに行くきっかけともなったようです。
長嶋一茂の学生時代の野球成績は?
約7年間のプロ野球選手生活の中である程度の成績を残した長嶋一茂ですが、プロ入りする前つまり学生時代の成績はどのようなものだったのでしょうか?
小学生時代はリトルリーグで野球をしていた長嶋一茂ですが、世間の長嶋一茂の息子という目がストレスとなり、中学校は全く野球を行っていませんでした。しかしその後高校、大学では野球を再び始めています。それぞれどのような成績だったのでしょうか?
高校時代の野球成績
一時は野球から離れていた長嶋一茂ですが、1980年に父親の長嶋茂雄が読売ジャイアンツの監督を解任されたことに腹を立て、いつか球団の人々を見返してやるという思いから進学した立教高校で再び野球部に所属し野球を始めることとなりました。
中学校時代に野球をしていなかったため最初はブランクに苦しんだものの、2年生の秋からは4番を任されるまでに成長しました。甲子園には出場していません。
高校時代の本塁打数も調査
2年生からは持ち前の運動神経を活かし、見事4番を任されていた長嶋一茂ですが、高校時代のホームラン数のデータは残っていません。
これに関しては長嶋一茂本人が「公式戦では打ってないかも。練習試合では打ったよ?でも公式戦では打ってないかもしれない」と語っているため、この言葉が本当であれば高校時代の公式戦でのホームラン数はゼロということになります。
立教大学時代の野球の成績
立教大学に進学してからも、長嶋一茂は野球を続けました。1年生から見事レギュラーを勝ち取り、その後4年生の時に出場した1987年の春季リーグでは4番として打率3割4分を出し、ベストナインに選出されました。
その後同年秋季リーグにおいても4本のホームラン、打点16で打点王となり2期連続でベストナインに選出され、注目を集めることとなりました。
大学時代のケツバット事件とは
今となれば大きな問題かもしれませんが、長嶋一茂が大学生であった当時は先輩から生意気だということでお尻をバットで叩かれたこともあったようです。
しかしただ叩かれるだけでは終わらないのが長嶋一茂です。長嶋一茂は先輩にケツバットをされた時に自らお尻をぐっと突き出し、その力で逆にバットをへし折ったと言われています。
長嶋一茂は現役時代の成績など波瀾万丈プロ野球人生
短い間ではあったものの長嶋茂雄の息子、そしてミスター2世としてプロ野球界で活躍した長嶋一茂の通算成績、そしてエピソードなどをご紹介しました。
現在ではタレントというイメージが強い長嶋一茂ですが、小学生時代から大きな注目を浴び波乱万丈の人生であったことが分かります。今後も歯に衣着せぬ物言い、そして独特の視点からコメントをする長嶋一茂の活躍に注目です。