長嶋茂雄の年齢は?出身や生い立ちと経歴などプロフィールまとめ
2021年の東京オリンピックの開会式で聖火リレーに参加した長嶋茂雄さんに注目が集まっています。久しぶりに姿を見た人も多く、長嶋茂雄さんの年齢はいくつなのかと話題になりました。長嶋茂雄さんの現在の年齢と出身地や生い立ちの他、野球の経歴も調べてみました。

目次
長嶋茂雄のプロフィール
・愛称:ミスタージャイアンツ、ミスタープロ野球、ミスター、チョーさん、燃える男
・本名:長嶋 茂雄(ながしま しげお)
・生年月日:1936年2月20日
・年齢:85歳(2021年8月現在)
・出身地:千葉県印旛郡臼井町(現・千葉県佐倉市)
・血液型:B型
・身長:178cm
・体重:76kg
・活動内容:元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督
・所属グループ:元読売ジャイアンツ
・事務所:株式会社読売巨人軍・専務取締役終身名誉監督
・家族構成:妻(故:亜希子)、長男(一茂)、次男(正興)、長女(有希)、次女(三奈)
長嶋茂雄の経歴
小学校4年生の時にお兄さんが野球をやっていたため長嶋茂雄さんも野球を始めますが、当時は終戦直後だったため十分な道具を手に入れることが出来なかったそうです。小学校6年生の時に長嶋茂雄さんは、お兄さんが所属していた青年野球団「ハヤテ・クラブ」入団しました。
高校最後の試合で長嶋茂雄さんは、ケガのために休むことになった三塁手の代わりに出場、ホームランを打ったことでプロ野球関係者に注目されるましたが、立教大学への進学しました。大学時代も野球部で活躍していた長嶋茂雄さんのことを様々な球団が狙っていましたが、紆余曲折の末に読売ジャイアンツに入団することになります。
ルーキーの時のオープン戦で7本のホームランを打つなど、のっけから注目を浴びた長嶋茂雄さんですが、思い切りの良さから空振りして三振を量産することでも有名でした。
しかし年齢を重ねることで体力が落ちて成績も振るわなくなり、長嶋茂雄さんは引退を決意します。1974年10月14日、長嶋茂雄さんは挨拶であの名言「我が巨人軍は永久に不滅です」を残し現役を引退しました。引退後すぐに長嶋茂雄さんはジャイアンツの監督に就任、1980年までチームを導きます。
退任後の長嶋茂雄さんは野球解説などで独特のキャラクターで人気を呼びました。1992年に再びジャイアンツの監督に就任することが発表された長嶋茂雄さんは2001年まで務め、退任時には「専務取締役終身名誉監督」が与えられています。
その後の2003年にアテネオリンピックの監督に就任しますが、2004年3月4日に脳梗塞で倒れ右半身の麻痺が残り、監督としての仕事が出来なくなりました。2021年に開催されたオリンピックでは長嶋茂雄さんは聖火リレーに参加しています。
長嶋茂雄の年齢は?
現役を引退した今でも野球界において唯一無二のビックスターである長嶋茂雄さんは、現在は何歳になられたのでしょうか?
2021年の誕生日で年齢85歳の長嶋茂雄
2021年2月20日の誕生日を迎えて長嶋茂雄さんは85歳になられました。長嶋茂雄さんは今でも食欲が旺盛なのだと言います。
現在の長嶋茂雄の様子は?
現役引退後の2004年に長嶋茂雄さんは脳梗塞を患いましたが、現在はマヒが残るものの回復しています。2018年7月に更に胆石も患いましたが、こちらも回復して長嶋茂雄さんはリハビリを続けられているそうです。2021年夏の東京オリンピックに聖火リレーで長嶋茂雄さんは参加しています。
長嶋茂雄と同じ年齢(1936年生まれ)の有名人
長嶋茂雄さんと同じ年齢の芸能人についても調べてみました。長嶋茂雄さんと同じく精力的に活動されている方ばかりです。
同じ年齢(1936年生まれ)の有名人①里見浩太朗
里見浩太朗さんは東京府東京市渋谷区道玄坂出身の俳優です。里見浩太朗さんが芸能界を目指したきっかけは、高校の時に出場した「NHKのど自慢」で合格したことでした。
1956年に「第3期東映ニューフェイス」に合格した里見浩太朗さんは、当初から時代劇への出演が多かったそうです。現在の里見浩太朗さんはドラマやバラエティー番組に歌手としても更に幅広く活躍されています。
同じ年齢(1936年生まれ)の有名人②北島三郎
北島三郎さんは 北海道上磯郡知内村(現:知内町)出身の演歌歌手です。流しをしながら下積み生活を送っていた北島三郎さんでしたが、1962年に「ブンガチャ節」でデビューしました。当時の新人は独身という暗黙の了解があり、既に結婚していた北島三郎さんは独身だと偽ってデビューしています。
近年は体調不良などもあり北島三郎さんが表舞台に出る機会は少なくなっていますが、新曲のリリースもあり後任の育成にも力を入れておられます。
同じ年齢(1936年生まれ)の有名人③ロバート・レッドフォード
チャールズ・ロバート・レッドフォード・ジュニア(Charles Robert Redford Jr.,)さんは、アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタモニカ出身の俳優です。1959年にデビューしたロバート・レッドフォードさんは、ハリウッド俳優として様々な作品に出演、数々の賞も受賞しています。
ロバート・レッドフォードさんは2018年に俳優を引退する表明をしたとの報道もありましたが、その後の作品で制作に参加をしたり、出演もしています。
長嶋茂雄のプロ野球デビュー当時の年齢は?
長嶋茂雄さんがプロ野球デビューをした年齢ですが、立教大学を卒業してからなので22歳の時でした。大学時代から注目を浴びていた長嶋茂雄さんは複数の球団からオファーを受けていましたが、お母さんが地元の球団を希望しており、読売ジャイアンツに入団することになりました。
長嶋茂雄の出身や生い立ちなどについて
改めて長嶋茂雄さんの出身や野球選手として活躍するまでの生い立ちを調べてみました。長嶋茂雄さんは学歴など、どの様な生い立ちなのでしょうか?
長嶋茂雄の出身地は千葉県印旛郡臼井町
長嶋茂雄さんは千葉県印旛郡臼井町(現:千葉県佐倉市)で生まれました。長嶋茂雄さんが生まれた千葉県印旛郡臼井町とはどのようなところなのでしょうか?
出身地「千葉県印旛郡臼井町」はどんな所?
千葉県印旛郡臼井町(現:千葉県佐倉市)は千葉県でも北部に位置します。1954年に周辺の町村と合併して佐倉市と名前を変えています。かつて印旛沼の畔に存在した臼井城の城下町として栄え、成田街道の宿場町という役割を果たしていました。
長嶋茂雄の生い立ち
歴史情緒あふれる臼井町で育った長嶋茂雄さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?現在の長嶋茂雄さんのルーツを探るため生い立ちを調べてみました。
生い立ち①千葉県にて次男(4人兄弟の末っ子)として誕生
長嶋茂雄さんの生い立ちですが、お父さんの「利(とし)さん」、お母さんの「チヨさん」との間に次男として生まれました。お兄さんとお姉さんが2人おり、長嶋茂雄さんは4人兄弟の末っ子として育っています。
元々生家は農家をしていましたが、お父さんは臼井町役場で働いており土地は貸し出していたそうです。温和なお父さんとしっかり者のお母さんで、長嶋茂雄少年は戦後の混乱の中で育ちました。
生い立ち②藤村富美男への憧れ
長嶋茂雄さんは幼少のころ「東急フライヤーズ(日本ハムファイターズの前身)」で青バットと呼ばれていた大下弘選手や、「大阪タイガース(阪神タイガースの前身)」の藤村富美男選手に憧れていました。特に藤村富美男選手の影響を強く受けていた長嶋茂雄さんは、将来は野球選手になることを夢見るようになります。
生い立ち③小学生時代から野球開始
長嶋茂雄さんの野球の生い立ちですが、お兄さんがやっていたということもあり小学校4年生の時に始めました。当時は戦後の物資不足で野球道具が手に入らなかった為、お母さんがビー玉と布でボールを作り、グラブも手縫いで作ってくれたそうです。バットは青竹で作られていたといいます。
長嶋茂雄の学歴
長嶋茂雄さんの生い立ちを探る中で学歴も気になるところです。長嶋茂雄さんはどの様な学校で学んでこられたのでしょうか?
学歴:出身大学は「立教大学経済学部」
長嶋茂雄さんは「立教大学経済学部」に進学しています。入学直後にお父さんが急死、経済的には苦しい生活を送っていましたが、将来性があると見込まれていた長嶋茂雄さんは野球を続けていたようです。
学歴:出身高校は「千葉県立佐倉第一高等学校」
長嶋茂雄さんは高校へ進学する際に甲子園に出場経験のある「千葉県立千葉高等学校」への進学も考えましたが、名門校である「千葉県立佐倉第一高等学校(現:千葉県立佐倉高等学校)」へ進学しました。
高校時代から頭角を現していた長嶋茂雄さんは野球関係者から注目を集めており、卒業後の進路で様々なオファーがありましたが、お父さんが勝手に断っていたと言います。そこで野球部もあると勧められた「立教大学」へ長嶋茂雄さんは進学することになりました。
学歴:出身中学校は「臼井二町組合立中学校」
長嶋茂雄さんの出身中学は「臼井二町組合立中学校(現:佐倉市立佐倉中学校)」です。中学校時代の担任は熱心な先生でしたが、将来の夢についてアンケートを取ったところほとんどの生徒が野球選手と書いていたことから「現実を見ろ!」と激怒したそうです。
しかしその生徒に中に長嶋茂雄さんがいたことから、後に担任は「子供の夢を否定してはならない」と反省したと語られています。
学歴:出身小学校はどこ?
経歴の中に長嶋茂雄さんの出身小学校はありませんでしたが、地元の小学校に通っていたことが分かりました。長嶋茂雄さんが入学した時には「臼井尋常高等小学校」という名称でしたが、6年生の時に「臼井小学校」と改称しています。
1966年に長嶋茂雄さんは学校の正門を寄与しており、その貢献や長嶋茂雄さんの野球の功績などから、2014年11月には「長嶋茂雄記念館」を開設しています。
長嶋茂雄の野球経歴をおさらい
野球界において絶対的スターである長嶋茂雄さんの野球の経歴について改めて調べてみました。長嶋茂雄さんの野球経歴はどのようなものだったのでしょうか?
長嶋茂雄の野球経歴【プロ入り前】
大学を卒業するにあたって様々な球団からのオファーがありましたが、お母さんが「地元の球団に」と希望したため、長嶋茂雄さんは読売ジャイアンツに入団することになったそうです。
長嶋茂雄の野球経歴【プロ現役時代】
長嶋茂雄さんがプロ野球の世界で活躍していた時の様々な経歴も改めて調べてみました。長嶋茂雄さんはどの様な野球生活を送られていたのでしょうか?
昭和天皇ご観戦で9回裏サヨナラホームラン
1959年6月25日に後楽園球場で阪神タイガースとの天覧試合が行われました。4対4と接戦で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋茂雄さんはサヨナラホームランを放ちます。勝負強さを見せつけた長嶋茂雄さんは、ますます人気を集めていくことになりました。
現役時代の年俸にも注目が
長嶋茂雄さんはビックスターでしたが、当時の年俸にも注目が集まっています。長嶋茂雄さんが入団した23歳のころの年俸は180万円だったそうです。36歳の時の年俸で4920万円、それから長嶋茂雄さんの引退までほぼこの金額だったといいます。この金額は現在の金額で換算すると約1億円ほどになるそうです。
現在のトップクラスのプロ野球選手の年俸と比べると少ないように感じられます。ちなみに現在の長嶋茂雄さんの年収は役員報酬などで約1億円と言われていて、一般的な感覚で言うと余裕のある生活が出来そうです。
長嶋茂雄の座右の銘「快打洗心」
学生野球の父 降臨!!
— 春夏秋球 (@wthkhryk) August 21, 2020
早稲田初代監督で長嶋茂雄氏が座右の銘とした「一球入魂」「快打洗心」を表した日本学生野球の普及・発展に尽力した飛田穂洲先生✨
特に高校野球を深く愛したと言われている pic.twitter.com/Xr1meDPcK3
長嶋茂雄さんの現役時代の座右の銘は「快打洗心」でした。この言葉は、昔の野球選手「飛田 穂洲(とびた すいしゅう)」さんが言った「一球入魂 快打洗心」からとったもので、邪念を洗い流し新たな気持ちで打席に立つという意味だそうです。おごり高ぶらず一生懸命野球に打ち込むべきという長嶋茂雄さんの信念がこもっていたようです。
長嶋茂雄の野球経歴【現役引退】
好調な野球人生を送ってきた長嶋茂雄でしたが、年齢による体力の衰えを感じ成績も落ち始めていたことから引退を考えます。最後の試合が勝利で終わった長嶋茂雄さんはスピーチであの有名な「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残し、輝かしい現役生活を引退しました。
長嶋茂雄の野球経歴【監督時代】
長嶋茂雄さんは引退してすぐに読売ジャイアンツの監督に就任依頼が来ます。オファーを受けた長嶋茂雄さんでしたが、当初は成績が良かったものの不振や様々なゴタゴタがあり1980年に監督を辞任しました。
その後コメンテーターなど独特のキャラクターがテレビ番組で人気となった長嶋茂雄さんでしたが、1992年に改めて読売ジャイアンツの監督へのオファーが来ます。再度監督に就任した長嶋茂雄さんは様々に采配を振るいましたが、2001年に「野球というスポーツは人生そのものです」との言葉を残して退任しています。
長嶋茂雄の年齢を辿るエピソード!
長嶋茂雄さんは現役を引退されてからも年齢を感じさせないパワフルな活動をされてきました。改めて長嶋茂雄さんを年齢から紐解いていきましょう。
年齢36歳の長嶋茂雄「体力勝負」
年齢が36歳の時、長嶋茂雄さんは体力の衰えを感じ始めていましたが、ご本人は年齢は意識しつつも修正できると考えていたようです。しかし精神的なものからも体のバランスが崩れ始めていたようで、長嶋茂雄さん自身が気づかないところでズレが出ていたと言います。
年齢37歳の長嶋茂雄「貴ノ花との対談」
長嶋茂雄さんは年齢が37歳の時に大関に昇進したばかりの貴ノ花利彰さんと対談をしています。長嶋茂雄さんは年齢を意識した発言をしそれでも野球がしたいと言いました。まだ20代の貴ノ花さんは「結果を考えずに立ち向かう姿勢は素晴らしい」と称賛しますが長嶋茂雄さんは「キャリアを総動員してやる、きれいごとじゃない」と厳しい現実を語っていました。
年齢38歳の長嶋茂雄「天地真理との対談」
年齢が38歳の時に長嶋茂雄さんは、当時トップアイドルだった天地真理さんと対談しています。長嶋茂雄さんは「僕、いくつに見える?」と聞くと、天地真理さんは「31、2歳ですか?」と答えました。天地真理さんに若く見られたことで長嶋茂雄さんはご機嫌だったそうです。
年齢85歳の長嶋茂雄「東京オリンピック」開会式に登場
聖火ランナー
— Tai-chan★ (@NEXTDream11) July 23, 2021
長嶋茂雄⚾王貞治⚾松井秀喜
キタ━(゚ ゜)━!!#東京2020 #TokyoOlympics2021#TokyoOlympics2020#東京2020オリンピック#オリンピック #開会式 #Olympics pic.twitter.com/NDcFzQ7UFb
2018年に胆石を患ったことですっかり体力が落ちてしまった長嶋茂雄さんに、2020年のオリンピックの聖火ランナーの話が来ましたが体力的に難しいことを理由に辞退しました。しかしオリンピックが延期され2021年に開催されたため長嶋茂雄さんは体力を回復し、開会式で王貞治さんや松井秀喜さんと一緒に聖火リレーに参加しています。
長嶋茂雄は2021年で年齢85歳の伝説のミスター
長嶋茂雄さんは2021年に85歳の誕生日を迎えられましたが、オリンピックの聖火リレーに参加するなど精力的に活動をされています。脳梗塞での麻痺も根気よくリハビリを続けておられて、野球への情熱は全く衰えていない様子です。