名古屋アベック殺人事件の真相!犯人や被害者のその後は?【実名あり】

過去に類を見ない残酷な少年犯罪として日本中を新歓させた名古屋アベック殺人事件。今回はその名古屋アベック殺人事件を徹底検証致。犯人の実名や判決内容、被害者と加害者双方のその日の足取りなど、この事件の全容を洗い直します。犯人達は現在どの様な日々を送っているのか?

名古屋アベック殺人事件の真相!犯人や被害者のその後は?【実名あり】のイメージ

目次

  1. 1名古屋アベック殺人事件とは
  2. 2名古屋アベック殺人事件の概要
  3. 3名古屋アベック殺人事件の詳細
  4. 4名古屋アベック殺人事件の犯人達【実名あり】
  5. 5名古屋アベック殺人事件の裁判と判決
  6. 6名古屋アベック殺人事件の犯人達のその後と現在
  7. 7名古屋アベック殺人事件は未成年による凶悪事件だった

名古屋アベック殺人事件とは

日本史上稀に見る凶悪事件として知られる名古屋アベック殺人事件

「名古屋アベック殺人事件」この吐き気を催すような事件の概要が明らかになるに連れ、耳を疑う様な残酷な内容と加害者の大半が少年少女だった事に、驚きと恐怖、そして底知れぬ不安を感じた方も多かったと思います。

「史上稀に見る凶悪犯罪」を挙げる場合、現在でも必ずこの名古屋アベック殺人事件が挙げられるのは、あまりにもその事件内容が残酷極まりないモノで有った事、これに尽きます。この名古屋アベック殺人事件によって、少年法の是非が本気で問われる事と成ったのは言うまでもありません。

この名古屋アベック殺人事件が発生したのは1988年で、同年にはあの女子高生コンクリート詰め殺人事件等、数多くの少年少女による凶悪犯罪が発生しています。「社会の歪みが表面化した象徴的な事件」として、マスコミは挙ってこの名古屋アベック殺人事件をはじめとする少年犯罪事件を大々的に取り上げました。

戦後の少年少女を守る為に制定された筈の少年法が、いつのまにか「加害者が未成年だった場合、どんな事をしても絶対に死刑に成らない」という犯罪の免罪符に成り代わってしまっていたのです。この名古屋アベック殺人事件の発生後は、法の運用や解釈を含め、少年法を早急に見直す必要があるとの方向に世論が大きく傾きました。

名古屋アベック殺人事件の概要

それでは先ず名古屋アベック殺人事件の概要についてご説明させて頂きます。この名古屋アベック殺人事件がどの様な経緯で発生し、どの様な結末を迎えたかという大まかな事件概要をまとめておりますので、先ずはこの事件についての大枠の認識をおさらいしておきましょう。

1988年2月23日未明の大高緑地公園で事件が発生

名古屋アベック殺人事件が発生したのは1988年2月23日未明の事でした。場所は愛知県名古屋市緑区大高に在る大高緑地公園の駐車場で、この日ドライブデートを楽しんでいた被害者のアベックがこの駐車場で犯人による襲撃を受け、激しいリンチを加えられた後に金品を強奪されています。

その後アベックを拉致した犯人グループは先ずは男性を、続いて女性を殺害し、死体を三重県阿山郡大山田村(現・伊賀市)阿波の山林に埋めて証拠隠滅を図りました。その後名古屋市内に戻った犯人たちは、今後の逃走先を相談している最中に特捜本部の捜査員に見つかり逮捕されています。

この犯人グループを既に警察が特定していたのは、事件発生から数時間後の23日午前8時30分頃に、大高緑地公園の駐車場で滅茶苦茶に破壊された乗用車が有るという通報が有ったからでした。

警察が調べた所、車内からは幾つかの血痕が見つかり、二人の家族からも捜索願が出されていた事から、二人が何かしらの事件に巻き込まれたと見て捜査本部を設置し、本格的な捜査が開始されていたのです。

名古屋アベック殺人事件を起こしたこの犯人たちは、実はこの事件以前にも同様の事件を起こしており、警察はその事件の被害者の証言から早い段階で犯人を特定し、その後の足取りを追っていたのです。

然しながら警察が犯人を逮捕した際には既に被害者は共に殺害されており、最も残念な形で事件は幕を下ろす結果と成ってしまいました。

加害者である犯人は未成年5人と成人1人の男女6人

名古屋アベック殺人事件は事件内容の残酷さにも注目が集まりましたが、何より全国を震撼させたのは加害者である犯人6名のうち、1人を除く5人が未成年だった事です。未成年がこれだけ残酷な事件を起こしたというその事実は、言い表せられないほどの恐怖と不安を日本国民に植え付ける事に成りました。

未だ成人にも満たない少年少女達がこの様な悍ましい殺人事件を起こした背景には、この時代特有の社会の歪みの様なモノがあったのかも知れません。「少年少女がこの様な凶悪な事件を起こすはずが無い」そんな社会通念は、この名古屋アベック殺人事件によって粉々に破壊されたのです。

当然この事件を起こした犯人たちは、未成年と言えどもこれまでに数々の犯罪行為に手を染めており、そういった面から考えてもとても少年少女の枠に収まっているとは言えません。

少年法が定められた当時の日本とでは時代的背景に大きな違いがあり、彼らを旧来の少年法で裁くべきか否かには大きな議論を呼びました。

未成年という事を第一に考えた場合、罪を償う事よりも更生させる事が前提と成りますが、彼らに果たして更生の余地が有るのでしょうか?確かに彼ら加害者達の年齢は10代では有りますが、彼らが犯した罪は断罪されて然るべきモノなのです。

名古屋アベック殺人事件には集団犯罪心理が関係している?

この名古屋アベック殺人事件に関して「集団犯罪心理が大きく関係している」とする向きがありますが、これは大きな間違いです。名古屋アベック殺人事件は「集団犯罪心理が働いた結果、なし崩し的に被害者を殺害する事に成った」としたのは加害者側の弁護団が口にしたものだからです。

つまりは集団犯罪心理によるモノである以上「殺害は計画的では無かった」として、殺人は偶発的に発生してしまったモノとしたかったのです。殺人と傷害致死の違いは「其処に殺意が有ったか否か」が最も大きなポイントと成るので、「集団犯罪心理説」はここで傷害致死を勝ち取るための都合の良い口実なのです。

確かにこの名古屋アベック殺人事件において、被害者達を攫った後の加害者達の行動は計画的なモノで有るとは言えません。然しながら犯人達は場当たり的な犯行を行いながら、殺害に関しては仲間内で謀議に掛けて居る訳ですから、如何なる心理が働いていようが其処に殺意は無かったとは言えません。

よって彼ら名古屋アベック殺人事件の加害者が、集団犯罪心理によって否応なく殺人に陥ったと考えるのは大きな間違いなのです。その様な詭弁を用い、明らかなる殺人犯の罪を軽くするなど断じて有っては成りません。

集団犯罪心理とは

この集団犯罪心理、つまりは集団心理ですが、早い話が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の事です。人間は群集に成ると個の心理よりも集団心理に強い影響を受けます。「それが例え犯罪だと分かっていても」です。

最も足る例が「イジメ」でしょう。集団でのイジメの多くは「イジメが正当なモノである」という認識の元に行われると言いますが、そこには集団心理が働いているのです。「皆がイジメているから、イジメるのが当たり前」という集団心理に支配されてしまうのです。

これは犯罪に限られた事ではありません。W杯等で自国を応援するのもこの集団心理の一種ですし、国と国との戦争にも集団心理というモノが大きく作用します。

つまりコレは人間という生物自体の本質そのものに関係する心理なのです。群れの中で生きるモノにとって「群れの意思」は非常に大きな影響を与えると言うわけです。

名古屋アベック殺人事件の詳細

それではここからは名古屋アベック殺人事件の詳細についてご説明して参りたいと思います。非常に残酷な事件故に、読むに耐えない内容の記述も一部ありますが、そちらは自己責任という形で御覧頂きます様お願い致します。

被害者カップルらに少年らが暴行・強盗を行う

1988年2月23日未明、被害者男性Aと被害者女性Bは深夜のドライブに出掛けた後、愛知県名古屋市緑区にある大高緑地公園の駐車場に車を停車し、車内デートを楽しんでいました。その後午前4時30分頃に、彼らの乗ったトヨタ・チェイサーは、少年Aを中心とする男女6人の不良少年グループから突然の襲撃を受けたのです。

加害者の6人は、少年Aが所有する茶色の日産・グロリアと、少年Dが暴力団組員から借りたもう一台の茶色いグロリアの2台で、駐車中で停車していたチェイサーを挟む形で停車。その直後に木刀を持って社外に出た加害者グループは、チェイサーの窓ガラスを割るなどして襲い掛かりました。

驚いた被害者は逃げようとチェイサーをバックさせるも、少年Dの車に衝突。これに逆上した加害者グループは屋根の上に乗り上がると車を滅多叩きにした後、窓ガラスを壊して被害者両名を社外に引き釣り出し、木刀や鉄パイプ等で二人の顔面や頭部を殴打した挙げ句、現金1万円を強奪したのです。

その後被害者男性Aは気絶する迄全身を殴打され続け、被害者女性は素っ裸にされた後に加害者グループによって輪姦され、全身にタバコの火を押し付けられた後、局部にシンナーを掛けられ火を着けられています。

明け方まで続けられた激しいリンチの末にグッタリとした2人を見て、このまま放置すると大事に成ると考えた加害者達は、2人をグロリアに押し込みその場から逃走。被害者の2人は2台の車の中で拉致監禁され、その後名古屋市内を丸一日走り回った後、夜を待って市内のカーホテルへと連れて行かれたのでした。

その後被害者を待ち受けていたのは残酷な仕打ちだった

名古屋市内のカーホテルへと連れ込まれた被害者2名。その後彼らを待ち受けていたのは非常に残酷な仕打ちでした。加害者達は2人を車内にて拉致監禁していた時点で既に「顔も見られている。もう殺してしまえ」と相談していたのです。やがて被害者両名は其々に加害者グループから殺害されてしまいます。

先ずは被害者アベックの男性を殺害

翌24日の午前4時30分頃、名古屋市内のカーホテルを後にした加害者と被害者一行の乗ったグロリアは、愛知県愛知郡長久手町(現・長久手市)にある長湫卯塚の墓苑「卯塚緑地公園」内の、山口組弘道会の本家墓前に到着。

其処で少年Aと少年Bが被害者男性Aを車外に連れ出して首にビニールロープを巻き付け、双方が綱引きの要領でロープを引っ張り被害者男性Aを絞殺。

この場所を殺害現場に選んだ理由は、以前少年Aか加害者男性Cの何れかが元弘道会薗田組の組員だったらしく、その時代に一度訪れた事が有ったからとの理由からでした。

続いて被害者アベックの女性を殺害

被害者男性Aの遺体をトランクに載せ、その場を後にした加害者一行は一旦名古屋市内に戻り、加害者グループのうちの一人の自宅に戻り一泊。翌日、今度は被害者女性Bを殺害する為。三重県上野市(現・伊賀市)に移動します。

三重県上野市周辺を選んだのは以前少年Aが務めた会社がこの辺りで、土地勘のあるこの辺りは人気もなく、被害者女性Bを殺害するにうってつけの場所であるという事を知っていた為でした。

午前3時頃はそこから三重県阿山郡大山田村阿波の山林に移動した一行は、少年AとBの両名で被害者女性Bを絞殺。その後2人の遺体を近くに掘った穴に埋めています。

被害者女性Bは数時間に渡り蹂躙され、その後壮絶なリンチを喰らい、眼の前で彼氏を絞殺されるという生き地獄のような数日間を過ごし、既に自ら「私を殺して」と訴える程のやつれようだったと言います。その様な被害者に対しても加害者は一向に気を掛けず、下着姿一枚にした後で絞殺しているのです。

そして2人は裸のまま抱き合う様な形で埋められたと言います。これをその後逮捕された犯人は「アベックだから、面白半分でそんな姿にした」と供述したそうです。これを同じ人間が行ったかと考えるだけで、身の毛がよだつ思いがします。

名古屋アベック殺人事件の被害者は共に理容師だった

名古屋アベック殺人事件の被害者両名は共に理容師でした。男性は既に理容師として働いており、女性の方は利用し見習いとして日々奮闘する毎日を送っていたそうです。

理容師である2人は、日々汗水垂らしながら明日を夢見て頑張っていたのでしょう。そして休日にこうしてデートを楽しみながら絆を深め合っていたのだと推測されます。こんなに一生懸命に働いていた2人が、何故この様に惨たらしい形で命を落とさなければ成らなかったのでしょうか。

名古屋アベック殺人事件の被害者の年齢は?

名古屋アベック殺人事件の被害者の年齢ですが、被害者男性Aが当時19歳で被害者女性Bは当時20歳で、奇しくも加害者グループとそれほど年齢的にも変わりは無かった様です。片や夢を持って働く理容師であり、片や罪なき人を襲って金を奪う鬼畜であるというこの加害者と被害者。同年代の彼らを分けた決定的な違いとは一体何だったのでしょう。

名古屋アベック殺人事件の犯人達【実名あり】

ここからは名古屋アベック殺人事件の犯人達を実名でご紹介致します。当時は成人である1名を除き実名報道は差し控えられていましたが、その後の彼らの行った不実行為を踏まえ、現在では全て実名で公開されています。

その後の彼らの不実行為に関しては後程詳しくご説明致しますが、彼らは非道な殺人行為を行ったにも関わらず、現在も何ら反省することも責任を取ることも無くのうのうと暮らしているのです。

その様な不正義が罷り通る事は断じて有っては成らないと、そうした観点から犯人達の名前は仮名ではなく実名で取り上げる事にしております。命を奪われた被害者の無念や、残された遺族の痛みを考えると、これは当然の事と言えるでしょう。

名古屋アベック殺人事件の犯人①小島茂夫【実名】(少年A・当時19歳)

名古屋アベック殺人事件の犯人「少年A」こと小島茂夫(実名・当時19歳)は、この名古屋アベック殺人事件の主犯格です。犯行当時は名古屋市港区在住のとび職で、当時発売された新潮45には「石田滋」「中川政和」と仮名表記されていました。

過去に自身と弟、その友人が起こした事故がきっかけで山口組弘道会薗田組との関係を持ち、その後組員として名古屋市中川区内の薗田組組員の集まる居宅に居住しており、その際に組の後輩であるBやCと繋がりを持つことに。

名古屋アベック殺人事件の犯人②徳丸信久【実名】(少年B・当時17歳)

名古屋アベック殺人事件の犯人「少年B」こと徳丸信久(実名・当時17歳)は、この名古屋アベック殺人事件の準主犯格と成った人物です。犯行当時は名古屋市中川区在住のとび職で、一時期小島茂夫と同じく薗田組の構成員として薗田組組員の集まる居宅に居住しており、その時に他の加害者と繋がりを持つことに成りました。

名古屋アベック殺人事件の犯人③高志健一【実名】(男性C・当時20歳)

名古屋アベック殺人事件の加害者の中で唯一成人を迎えていた高志健一(実名・当時20歳)は、犯行当時山口組弘道会薗田組の構成員でした。

1968年1月27日に鹿児島県薩摩郡東郷町で生まれた高志健一ですが、翌年両親の離婚の為、愛知県一宮市に在住する父方の祖母宅に預けられるも、高齢の祖母には養育が困難と成った為、以後施設で幼少期を過ごします。

中学卒業後に蒲郡市内の製鋼会社へ就職した高志健一ですが、その後母親と暮らす事と成り、仕事を辞めて名古屋市内へ。然し母親と暮らし始めるもその後折り合いが悪くなり、その後母親の元を出て転々とする日々を送ります。

その後繁華街でタムロする不良グループと交際し、やがて薗田組組員に。Aと高志健一では高志健一の方が年齢的には上に成りますが、組の序列的にはAの方が上の立場で、今回の事件でもその序列に従う様な形で犯行が行われていきました。

名古屋アベック殺人事件の犯人④近藤浩之【実名】(少年D・当時19歳)

名古屋アベック殺人事件の犯人「少年D」こと近藤浩之(実名・当時19歳)は、『新潮45』で「菅原義夫」と仮名表記されていた人物です。名古屋市港区在住で、犯行当時は同じく薗田組の関係者として市港区内の「南汐止荘」に入居していました。

中学時代から不良行為を続け、卒業後は就職するも長続きせず、職を転々とする毎日を送ります。そんな中で不良グループと接点を持ち「ヤクザに成れば住む所と食事は確保出来る」との考えで、弘道会高山組組員の舎弟となり、雑務を行う日々を送っていたそうです。

名古屋アベック殺人事件の犯人⑤龍造寺リエ【実名】(少女E・当時17歳)

名古屋アベック殺人事件の犯人「少女E」こと龍造寺リエ(実名・現在は雪丸姓となっている。当時17歳)は、『新潮45』で「井田由紀」と仮名表記されていた人物です。犯行当時は名古屋市港区に在住しており、少年Aとは情婦の関係にありました。

1987年頃にホステスとしてスナックで働いていた事にCと出会い、その後交際に発展。やがてCについて組事務所に出入りする中でAやBとも知り合いに成っています。その後Aの情婦と成った龍造寺リエは、Aの実家でAと共に一時期暮らしていた事もあり、最後までAとの結婚を拘泥していたと言います。

名古屋アベック殺人事件の犯人⑥筒井良枝【実名】(少女F・当時18歳)

名古屋アベック殺人事件の犯人「少女F」こと筒井良枝(実名・当時18歳)は、『新潮45』で「寺前恵美」と仮名表記されていた人物です。

元々愛知県海部郡甚目寺町で両親と共に暮らしていましたが、親との口論により家出し、その後Dと知り合う事に。事件当時は別の暴力団組員と同棲生活を送っていたそうです。

名古屋アベック殺人事件の裁判と判決

続いては名古屋アベック殺人事件の裁判と判決についてです。名古屋アベック殺人事件の判決における最大のポイントと成ったのは、言うまでもなく犯人が未成年であるという点です。

名古屋アベック殺人事件の事件内容を考慮すると、主犯と準主犯に当たる少年AとBは成人事件であれば間違いなく極刑が下る可能性が高い訳ですが、これにネックと成るのが少年法の存在でした。

この名古屋アベック殺人事件では、極論として「主犯の少年と準主犯の少年に死刑判決が下されるか否か」に最大の注目が集まったのです。

勿論世論は名古屋アベック殺人事件の犯人には死刑判決が妥当という意見が大半を絞めていましたが、死刑反対派が少年法の解釈を元に反対運動を繰り広げる可能性も高く、名古屋アベック殺人事件の裁判は当初から一筋縄では行かないと見られていたそうです。

第一審で検察は加害者Aに対し死刑を求刑

名古屋アベック殺人事件の第一審で、検察は主犯格である加害者Aに対し、少年犯罪では異例中の異例とも言える死刑を求刑しました。加害者Aは名古屋アベック殺人事件の首謀者であり、2人被害者の殺害・死体遺棄の直接の実行者でもあります。

「被告人が少年という面を考慮しても、極刑を以て臨む以外この罪を償うことは不可能」とした検察側は、名古屋アベック殺人事件の主犯格である少年Aに対し死刑を、そして当時17歳だった少年BにはAと同様であるとするも「17歳である事を考慮して」極刑同等の無期懲役が求刑されました。

検察は両者ともに「矯正の余地は無い」と断言。その上でAには死刑が、Bには無期懲役が求刑されました。この両者を分けたのは「年齢」です。Bに死刑が求刑されなかった唯一の理由は少年法第51条の「18歳未満の者に死刑を適用してはならない」という規定に基づいた結論なのです。

この法律が名古屋アベック殺人事件の主犯格2人の求刑を「死刑」か「無期懲役」に分けたのです。この検察側の求刑に対し、Bにも極刑を以て臨むべきであるという声が多数上がり、これがその後の少年法改正運動に大きな拍車を掛ける事に成りました。

主犯格の少年Aと準主犯格Bには無期懲役の判決が下される

そうして迎えた名古屋アベック殺人事件の一審判決の日。主犯格であるAとBに下された判決は求刑通りの判決でした。この判決を不服としたAは高裁へ控訴を行いますが、Bはこれを受け入れ無期懲役が確定しています。その後の控訴審では交際が一審判決の死刑判決を破棄し、B同様無期懲役を言い渡しています。

名古屋高裁の松本光雄裁判長は「矯正の可能性は残されている」「少年である事を加味すべき」「Aも控訴審で反省の色を深めている」と言った、とても考えられないような理由で少年Aに対し無期懲役を言い渡しました。

これは当時の社会感情とは大きく異なる判決であり、この判決に大使その後多数の抗議や非難が相次ぎました。名古屋高裁が下したこの判決により、図らずも「少年法」という聖域が守られる形と成ってしまったのです。

日本の裁判は「判例裁判」とも言われており、一度この様な判例が出来てしまうと、同様の事件があった場合にも死刑判決が出しにくく成ります。

明らかに責任能力があり、反省など毛ほどもしていない19歳の犯人が今後同様の事件で逮捕されたとしても、名古屋アベック殺人事件の判例が邪魔をして、極刑を言い渡す事が出来なくなるのです。

これは死刑反対派にとっては最高の判例と成ったとも言えます。世界的に見れば死刑を採用している国は非難される傾向にあると言われていますが、死を以て償う以外他に償い様が無い罪に対して、一体どの様に償わせる事が出来ると言うのでしょうか?

検察はこの控訴審判決を不服とするも、上告理由と成る日本国憲法や判例に対する明確な違反点が見出しにくく、あくまでも事実認定上の問題と成ってしまう事を考えた結果、上告を断念。これにより名古屋アベック殺人事件の主犯2名は無期懲役の判決で確定と成りました。

この名古屋アベック殺人事件の判決は大きな禍根を残すモノと成りました。法の番人たる裁判所が、この様な愚たる判決を判例として残した事で、少年法自体の改正も待ったナシの状態と成ったと言えます。

極論ではありますが、果たしてこの名古屋アベック殺人事件の実行犯であるAとBに、本当に矯正の可能性があったのでしょうか?更に言えば死刑以外にこの罪を償う方法があったのでしょうか?彼らを国民の血税によって刑務所という施設内で保護する事に一体どの様な意味があるのでしょうか?

犯した罪は償わなければ成りません。この名古屋アベック殺人事件でその罪を償うには、死刑を以て以外他に考えようがありません。悪戯に2人もの命を奪い、残虐の限りを尽くした名古屋アベック殺人事件の主犯2人に対し、それでも少年法の規定に基づいて死刑判決が下されないと言うのであれば、もうこの国の司法制度自体が「終わっている」と言えるのでは無いでしょうか?

判決では「少年であることを加味する」という判決文に成っていたものの、結局は少年法の解釈に踏み込むのが怖かったという事なのでしょう。「名古屋アベック殺人事件で死刑判決を支持した高裁裁判長」として歴史に名を残したく無かったというのが関の山だと思われます。

一審を不服とした男性Cは控訴し懲役13年の実刑判決に

一方名古屋アベック殺人事件の加害者の中で唯一の成人であった男性Cに対しては、無期懲役の求刑に対し懲役17年の判決が一審で下されましたが、これを不服として控訴。

控訴審ではCは被害者男性Aの殺害共謀に加わっておらず、被害者男性Aに対する殺害は無罪であるとし、被害者女性Bの殺害のみであるとする弁護側の言い分を丸呑みする形で、結果的に懲役13年の実刑判決が下されました。

少年Dには懲役13年の実刑判決が下る

検察は少年Dに対して「殺害行為の実行には加わっていないが冷酷な性格は顕著である」とし、懲役5年以上10年以下の不定期刑を、また判決までに成年した場合には懲役15年を求刑するとしました。

この求刑に対しての裁判所はDに対し懲役13年の実刑判決を下し、検察・弁護側共にこれを受け入れ、少年Dの裁判は一審で刑が確定しております。

少女EとFには懲役5年以上10年以下の不定期刑判決が下された

また名古屋アベック殺人事件の加害者側少女であるEとFに対しても、「同性被害者に対しても言語に絶する犯行を加え、反省の色もない」として、少年D同様に懲役5年以上10年以下の不定期刑が求刑され、同様の判決が下されました。両者共にこの判決を受入れ一審で刑が確定しております。

名古屋アベック殺人事件の犯人達のその後と現在

では最後に名古屋アベック殺人事件の犯人達のその後と現在の様子をご紹介致します。彼らのその後と現在の様子をご覧に成れば、名古屋アベック殺人事件の判決が間違いであったとお分かり頂けるでしょう。

少年A・ Bは現在も刑務所で服役中

名古屋アベック殺人事件の主犯と準主犯である少年AとBは現在も岡山刑務所にて服役中です。昔は無期懲役と言っても20年程で仮釈放が貰えると言われていましたが、昨今厳罰化が進み、現在では30〜40年はザラであるとも言われています。

現在少年Aは刑務所内で模範囚として生活しており、毎年被害者遺族に対し手紙と作業賞与金を送り続けていると言います。彼はいつの日か自身が社会復帰出来る事を希望とし、やるべき責任を果たすために日々努力していると語っています。

一方の名古屋アベック殺人事件の準主犯である少年Bですが、現在も被害者遺族に対し謝罪は行っておらず、彼の両親も被害者遺族との調停にすら出席せず行方をくらましたままだそうです。現在までに何一つ謝罪も賠償も行っていない少年Bは、刑が確定した時点でその後の人生全てを投げ出したのかも知れません。

男性C・少年D・少女EとFは現在既に出所している

名古屋アベック殺人事件で服役した犯人のうち、残る男性C・少年D・少女EとFは現在既に出所しております。

名古屋アベック殺人事件の犯人「男性C」の現在とその後

名古屋アベック殺人事件で懲役13年の刑に服した男性Cは、出所後早々に行方をくらましています。被害者遺族に対する賠償は全く行われず、被害者男性Aとの調停は不調と成ったそうです。Cの両親も親権放棄を決め込み、被害者遺族との調停の席にすらつかない有様だったと言われています。

名古屋アベック殺人事件の犯人「少年D」の現在とその後

名古屋アベック殺人事件で懲役15年の刑に服した少年Dですが、出所後被害者遺族に対する謝罪も慰謝料の支払いも行わず、現在も逃げ続けているそうです。

Dは被害者男性Aの両親に対し各500万円、被害者女性Bの遺族に1000万円を、彼が出所した6か月後から支払う事で調停に至っていたのですが、出所後はその支払いに一切応じず、事もあろうか自身は住所を隠して結婚し、現在は妻子と共に幸せな毎日を送っていると言います。

更にはインタビューに応じた事もあるそうで、そのインタビューでも全く反省の色を見せず、「親に任せたので後はそれっきり」と見え透いた嘘でその場を取り繕っていたそうです。

名古屋アベック殺人事件の犯人「少女EとF」の現在とその後

名古屋アベック殺人事件で懲役5〜10年の不定期刑に服した少女EとF。2人は出所後被害者遺族に対し、僅かな弁済を行いましたが、その後行方をくらましています。共に現在の住所なども分かっているそうですが、どうやら本人たちは不自由の無い暮らしを送っているようで、賠償金の支払いは臭いものに蓋をするが如くにスルーしているものと思われます。

名古屋アベック殺人事件は未成年による凶悪事件だった

今回は名古屋アベック殺人事件についてご紹介してまいりました。非常に残酷で後味の悪い事件である名古屋アベック殺人事件。Aを除いた全員が、現在も被害者遺族への責任を果たす事無く逃げ続けているというのがこの事件の顛末です。

これが果たして罪を償った事に成るのでしょうか?隔離して時間を奪うことで罪を償った事に成るのであれば、2人の尊い命を奪った犯人は皆仮釈放無しの無期懲役で有るべきです。この様な事件が二度と繰り返されないためにも、今一度少年法の在り方を考える必要が有るのでは無いでしょうか?

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