中島忠幸(カンニング竹山の相方)の死因は白血病!嫁や子供は?

現在も辛口コメントで活躍しているカンニング竹山ですが、中島忠幸と言う相方がいた事をご存知でしょうか。中島忠幸はカンニングが有名になり今後が期待されていた2004年に若くして亡くなっています。中島忠幸の死因や家族について詳しくご紹介していきます。

中島忠幸(カンニング竹山の相方)の死因は白血病!嫁や子供は?のイメージ

目次

  1. 1中島忠幸のプロフィール
  2. 2中島忠幸の死因は病気?
  3. 3中島忠幸の家族の詳細
  4. 4カンニング竹山と中島忠幸の感動秘話
  5. 5中島忠幸の死因は白血病だった

中島忠幸のプロフィール

・愛称:カンニング中島
・本名:中島忠幸
・生年月日:1971年6月14日
・現在年齢:享年35歳
・出身地:福岡県福岡市
・血液型:O型からA型、最終的にB型(詳細は死因で記述)
・身長:168㎝
・体重:53㎏
・活動内容:お笑いタレント
・所属グループ:カンニング
・事務所:サンミュージック企画
・家族構成:妻、息子
・代表作品:???

中島忠幸の経歴

まずは中島忠幸の病気を発症するまでの経歴からご紹介していきます。中島忠幸はお笑いタレントとしてカンニング竹山の相方として活躍した人物です。カンニングと言う名前は竹山の芸名だと思っている人が多いようですが、コンビ名に名前をつけ足したもので中島忠幸はカンニング中島として親しまれていました。

ネタではカンニング竹山がキレる役、中島忠幸はなだめる役を演じていますが実際は真逆で中島忠幸の方が短気なんだそうです。コンビになる事を誘ったのはカンニング竹山からだったようで、詳しい時期は分かっていませんがそれまでの中島忠幸は惣菜屋の副店長のアルバイトなどをして生活していたそうです。

カンニングは下積み時代が長く、中々芽が出ないばかりか「爆笑オンエアバトル」で中島忠幸がNHKの上役に芸風で怒られた事にキレてしまい出入り禁止になるなど困難な道のりを歩んでいます。しかし、2002年頃から芸風がウケ始めテレビ番組に出演するようになると瞬く間にブレイクしています。

しかしカンニングがブレイクするようになりこれからが期待されていた2004年、中島忠幸は病気を発症した事を理由に休業します。その間カンニング竹山は1人でカンニングとして活躍を見せて相方の復帰を待っていましたが、2006年12月20日に中島忠幸は残念ながら帰らぬ人となってしまいました。

中島忠幸の死因は病気?

ここからは中島忠幸の死因について見ていきましょう。経歴でも触れていますが、中島忠幸は病気を発症した事を理由に休業している事から死因は事故などではなく病気である事が分かっています。では中島忠幸の死因となった病気とは一体何だったのでしょうか。

中島忠幸の死因は急性リンパ性白血病

中島忠幸の死因は急性リンパ性白血病と言う病気です。病気療養を理由に休業に入った時に急性リンパ性白血病である事が報告されていました。ちなみに正確に言うと直接死因となったのはウイルス性肺炎の併発ですが、これは急性リンパ性白血病で免疫力が低下していた為に発症しています。

なので、中島忠幸の死因は急性リンパ性白血病と言ってもいいでしょう。どんな病気なのかは後ほどご紹介していきますが、プロフィールに記載している血液型が変化しているのはこの急性リンパ性白血病の治療の為に臍帯血移植により変化した事が理由です。

2006年12月に死去

2004年から病気療養で休業していた中島忠幸は、2006年1月には先ほどご紹介した血移植によって一時は軽快傾向であると報じられていましたが残念ながらウイルス性肺炎を併発して帰らぬ人となってしまいます。享年35歳と言う若さでした。

実は中島忠幸の適合ドナーが見つかってはいたのですが、ドナーが風邪を発症してしまい中島忠幸もウイルス性肺炎を発症していた事から移植が出来なかったそうです。そんな辛い状況の中、1度だけ「エンタの神様」に出演していたカンニング竹山が突然電話をかけて急遽電話での番組出演をしていたようです。

声だけでの出演でしたが、中島忠幸の復帰を待ちわびていたカンニングファンにとっては復帰の期待すら出来る貴重な場となりました。しかしこれが中島忠幸最後の出演となり、2006年12月20日午前11時46分に息を引き取ったそうです。

急性リンパ性白血病とはどんな病気か

中島忠幸が発症した急性リンパ性白血病とはどんな病気かご説明していきましょう。急性リンパ性白血病は白血病の一種で、腫瘍化したリンパ球系の細胞が骨髄に浸潤してしまう事から末梢血中にも腫瘍細胞が認められるものを指します。成人で発症した場合の生存率はかなり低く、重篤な病気とも言えます。

中島忠幸の家族の詳細

ここで中島忠幸の家族について見ていきましょう。35歳と言う若さで亡くなってしまった中島忠幸ですが、残された遺族となる家族はいるのでしょうか。調べてみると、中島忠幸は病気を発症した同時期に結婚していた事が分かりました。

2004年に結婚をして嫁がいる模様

中島忠幸について調べてみると、2004年4月に結婚していた事が分かりました。しかし中島忠幸が結婚した嫁についての情報は真奈美と言う名前しか判明しておらず、一般人と結婚したのではないかと推測されます。嫁の年齢や職業についても情報はありませんでした。

子供は息子が1人いる模様

また、中島忠幸の家族について調べてみると嫁と結婚した2004年9月には子供が誕生していた事も分かりました。子供が同年中に誕生している事を考えると、結婚した時には既に嫁は妊娠5ヶ月ほどだった事からできちゃった婚の可能性が考えられます。

子供の名前について調べてみると、翔太と言う名前の男の子である事が分かっていました。中島忠幸は、嫁と息子の3人家族だったようです。嫁と結婚し、子供も誕生した幸せな最中に病気を発症してしまったようです。まさにこれからと考えると、中島忠幸本人も家族もとても辛かったのではないかと察します。

竹山は相方家族に援助をしていた?

カンニング竹山と中島忠幸の感動秘話についてこの後ご紹介していきますが、先に家族にまつわる感動秘話を1つだけご紹介しておきましょう。カンニング竹山は現在もカンニングを名乗っていますが、これには理由があるのです。

中島忠幸とカンニング竹山は、カンニングとして稼いだギャラは折半する約束をしていたそうです。病気療養で休業する事となった中島忠幸ですが、カンニング竹山がカンニングとして活躍していれば中島忠幸にお金が入るとしてカンニングを名乗っていたのです。

この事が理由で、カンニング竹山は中島忠幸の嫁や子供に援助していたと噂されているようです。実際には援助と言うよりも、約束を守り続けたカンニング竹山の相方や相方の家族への深い愛情を感じます。まだ幼い子供がいて病気になってしまった相方の生活を案じていた事は確かです。

カンニング竹山と中島忠幸の感動秘話

もう既に感動秘話をご紹介してしまいましたが、カンニング竹山と中島忠幸にはまだまだ感動秘話があります。ここからはさらに詳しく感動エピソードをご紹介していきます。普段辛口で知られているカンニング竹山ですが、実はとても愛情深い人物である事が分かると共にコンビとしての深い仲も垣間見えます。

最期に浴びせた罵声のエピソード

まずはカンニング竹山が中島忠幸の訃報を知った時に浴びせた最期の罵声のエピソードをご紹介しましょう。カンニング竹山と中島忠幸は「辞めるなら、何か爪跡を残してから辞めよう」と誓いあっていたそうです。しかし、中島忠幸が亡くなってしまいこれは爪痕どころではなくなってしまいます。

「色々と感動秘話みたいに流されよるけども、俺は『気持ちが悪いなあ』ってお前笑いよると思うんよ」と心情を明かしたカンニング竹山は、続けて「いいかお前な、待っとけ!いつもと同じように別れるぞ!じゃあな!」と最期の罵声を発しています。感動エピソードとしてネット上で最も有名なエピソードです。

竹山が芸名を変えない理由

また、カンニング竹山が中島忠幸の死後も芸名を変えていない理由も感動エピソードの1つとして挙げられています。先ほど病気療養中には家族にお金が入るからとして芸名をそのままにしているとご紹介していますが、中島忠幸の死後も変えていないのにも理由があるそうです。

カンニング竹山が現在もカンニングを名乗っているのは、相方である中島忠幸の死後もう1度しっかりとカンニングとして活動を行っていく意思を固めた事が理由なんだそうです。コンビとしてのカンニングの活躍はまだ道半ばでしたが、これからもカンニングの名を背負ってカンニング竹山は活躍していくでしょう。

感動エピソードに対してネットの声

カンニング竹山の感動エピソードについて、ネットではどのような反応が返ってきているのでしょうか。ネットでの反応を見てみると、やはり感動エピソードを知った人はカンニング竹山の相方である中島忠幸への想いが深い事に感動しているようです。きっと天国にいる中島忠幸にもその想いは通じている事でしょう。

中島忠幸の死因は白血病だった

カンニング竹山の相方の中島忠幸について詳しくご紹介してきました。中島忠幸は急性リンパ性白血病を発症してしまい35歳と言う若さで亡くなっています。しかし、カンニングの名前はこれからもカンニング竹山が背負って活躍していく事でしょう。これからもコンビのカンニングを応援していきましょう。

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