中村獅童の父の生き様とは!歌舞伎役者廃業の理由は?中村獅童との関係も

歌舞伎役者・中村獅童さんの父の生き様に注目が集まっているようです。中村獅童さんの父は歌舞伎役者を廃業したそうですが、その理由は何だったのでしょうか?また、中村獅童さんの父の死去の理由についても調査しました。中村獅童さんと父の関係についても併せて紹介します。

中村獅童の父の生き様とは!歌舞伎役者廃業の理由は?中村獅童との関係ものイメージ

目次

  1. 1中村獅童のプロフィール
  2. 2中村獅童の父の生き様とは
  3. 3中村獅童の父の歌舞伎役者廃業の理由は?
  4. 4中村獅童の父の家族構成や関係
  5. 5中村獅童の父と母の死去
  6. 6中村獅童の父は歌舞伎役者廃業後の生き様も凄かった

中村獅童のプロフィール

・愛称:???
・本名:小川幹弘(おがわみきひろ)
・生年月日:1972年9月14日
・年齢:47歳(2020年6月現在)
・出身地:東京都
・血液型:O型
・身長:177cm
・体重:63kg
・活動内容:歌舞伎役者、俳優、声優
・所属グループ:萬屋
・事務所:中村獅童事務所
・家族構成:妻、長男、次男、元妻(竹内結子)、父(小川三喜雄)

中村獅童の経歴

中村獅童さんは歌舞伎役者・初代中村獅童さんのもとに生まれ、歌舞伎の名門・小川家の名跡を継ぐため、6歳の頃から日本舞踊を習っていたそうです。小川家の屋号はもとは播磨屋でしたが、現在は萬屋となっています。中村獅童さんの母は、幼少期から息子にさまざまな種類の舞台を観劇させていたそうです。

そんな中村獅童さんの初舞台は8歳の頃でした。中村獅童さんは1981年の6月歌舞伎座公演「妹背山婦女庭訓」で上演された「御殿」の豆腐買の娘おひろで初舞台を踏みます。この時、中村獅童さんは二代目中村獅童として歌舞伎役者デビューを果たしました。

歌舞伎役者としてデビューした中村獅童さんですが、中学生時代にはロックバンドの活動に忙しかったと言います。中学を卒業後は明星学園高等学校に進み、さらに日本大学藝術学部演劇学科に入学。大学時代にも中村獅童さんは歌舞伎よりもバンド活動に熱中していたようです。

19歳の時に中村獅童さんは歌舞伎役者として再び舞台に立ち始めますが、しばらくの間は下積み時代が続いたとのこと。しかしその努力が実り、1996年には「狐狸狐狸ばなし」で歌舞伎座賞、翌年には国立劇場特別賞を受賞しました。

中村獅童さんは歌舞伎役者としての活動と並行して、映画などでの俳優活動も行っていました。映画「ピンポン」では準主役に抜擢され、中村獅童さんは日本アカデミー賞などの各新人賞を総なめにします。

歌舞伎役者としても、「義経千本桜」の「毛抜」で初主演をつとめて以降、2005年には京都南座で行われた「船弁慶」の主人公弁慶を演じるなど、主役を張る役者として注目を集めました。2020年には中村獅童さんの公式YouTubeチャンネルも開設され、YouTuberとしてデビューもしています。

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中村獅童の父の生き様とは

中村獅童さんの父の生き様についても見ていきましょう。中村獅童さんの父はどのような人だったのでしょうか?また、どのような経歴の持ち主だったのでしょう?中村獅童さんの父の生き様について調べてみました。

父は初代中村獅童の小川三喜雄

中村獅童さんの父は、初代中村獅童の小川三喜雄さんです。中村獅童さんの父は1929年9月28日に生まれ、1929年9月28日に78歳で死去されました。中村獅童さんの父の死去の理由については、後ほど詳しく紹介します。

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんは、その生き様がすごいとも言われているそうです。いったいどのような生き様だったのでしょうか?中村獅童さんの父の生き様について、さらに詳しく見ていきましょう。

父(小川三喜雄)の考えを曲げない生き様

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんは自分の考えを曲げない性格で、そのために激しい生き様だったと言われています。自分の考えを貫き、歌舞伎役者を廃業してしまったこともありましたが、その後の人生でも我が道を貫いたのだそうです。中村獅童さんの父の歌舞伎役者廃業の理由については、後ほど詳しく紹介します。

父(小川三喜雄)の経歴をおさらい

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんの経歴をおさらいしてみましょう。中村獅童さんの父はどのような経歴をたどってこられたのでしょうか?中村獅童さんの父・小川三喜雄さんの経歴について紹介します。

初代中村獅童としての歌舞伎界での活動

中村獅童さんの父は、歌舞伎の名門の小川家に生まれ、初代中村獅童として歌舞伎の舞台に立っていたことがありました。中村獅童さんの父が歌舞伎役者として活躍していたのは、子役時代までだったそうです。その後は理由があって歌舞伎役者を廃業し、まったく異なる仕事をされています。

歌舞伎役者廃業後の仕事は銀行員

歌舞伎役者を廃業した後、中村獅童さんの父は銀行員になったそうです。中村獅童さんの父が歌舞伎役者を廃業したのは子役の頃ですので、その後は普通に学校生活を送り、卒業後の就職先として銀行を選んだのではないかと考えられます。中村獅童さんが勤めていた銀行がどこの銀行だったのかについては不明です。

その後は東映プロデューサーに転身

銀行員として勤めた後の中村獅童さんの父は、東映のプロデューサーに転身されたのだそうです。東映のプロデューサー時代の中村獅童さんの父は、弟である萬屋錦之介さんと中村嘉葎雄さんをバックアップされたのだとか。

さらに東映を退職後には、息子である中村獅童さんをバックアップするために有限会社中村獅童事務所を設立。中村獅童さんの父はこの事務所の会長となって、息子の俳優としての活動を支えていたそうです。

中村獅童の父の歌舞伎役者廃業の理由は?

中村獅童さんの父が歌舞伎役者を廃業した理由についても見ていきましょう。中村獅童さんの父が歌舞伎役者を廃業した理由は、いったいどのようなものだったのでしょうか?中村獅童さんの父が歌舞伎役者を廃業した理由について調べてみました。

父の歌舞伎役者廃業の理由はある事件が関係

中村獅童さんの父が歌舞伎役者を廃業した理由には、ある事件が関わっているのだそうです。その事件というのは、警察沙汰になるような類いのものではありませんが、上下関係の厳しい歌舞伎界では絶対的なタブーとされているものでした。中村獅童さんの父はどのような事件を起こしてしまったのでしょうか?

大御所に羽二重を投げつけ歌舞伎役者廃業

中村獅童さんの父が起こした事件というのは、歌舞伎界の大御所に羽二重を投げつけたというものです。歌舞伎役者の世界は上下関係が非常に厳しいことでも知られていますので、言葉遣い1つでも問題になってしまうこともあるとのこと。

ですので、大御所に物を投げつけるというのは、歌舞伎界に残ることができないほどのタブーでした。そのため、中村獅童さんの父はこの事件をきっかけに、歌舞伎役者を廃業したのです。

羽二重(はぶたえ)とは

羽二重というのは、歌舞伎で使用する化粧道具の1つで、カツラをつけるときに頭髪を隠すために使用する布のことを言うのだそうです。カツラの場合は当たれば相手が怪我をしてしまう可能性もありますが、羽二重の場合はその心配はないでしょう。

ただ、どのようなものであれ、物を投げつける行為というのは、相手に対して礼を失した行為であり、その相手が歌舞伎界の大御所ということが問題となりました。おそらく中村獅童さんの父は、2度と歌舞伎の舞台には立てないことを覚悟の上で、羽二重を投げつけたのでしょう。

大御所への反発は弟(萬屋錦之介)を守る為?

中村獅童さんの父が大御所に羽二重を投げつけた理由は、弟の萬屋錦之介さんを守るためだったと言われています。その日、中村獅童さんの父の弟・萬屋錦之介さんは、ある大御所の歌舞伎役者からなじられていたのだそうです。

それを見かねた中村獅童さんの父が、大御所に向かって羽二重を投げつけたというのが真相なのだとか。中村獅童さんの父をそこまでの怒りに駆り立てるほどに、大御所の弟への仕打ちは理不尽なものだったのかもしれません。

中村獅童の父の家族構成や関係

中村獅童さんの父の家族構成や家族の関係についても見ていきましょう。中村獅童さんの父の家族構成はどのようなものだったのでしょうか?また、家族との関係はどのようなものだったのでしょう?中村獅童さんの父の家族構成や関係について調べてみました。

父(小川三喜雄)の家族構成

まず、中村獅童さんの父・小川三喜雄さんの家族構成について見ていきましょう。三代目中村時蔵さんの父は三代目中村時蔵さんで、小川三喜雄さんは三男として生まれました。小川三喜雄さんには兄2人、弟2人がいます。

小川三喜雄の嫁は小川陽子(中村獅童の母)

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんの嫁は小川陽子さんです。中村獅童さんにとっては母にあたる人ですが、小川陽子さんに芸能活動などの経歴があるのかどうかは分かりませんでした。

ただ、小川陽子さんは、夫が大御所に楯突いたことが影響し、歌舞伎界でなかなか認められることがなかった息子の中村獅童さんを献身的に支えてきたと言われています。付き人さえいない中村獅童さんの身の回りの世話なども、小川陽子さんが一手に引き受けていたそうです。

中村獅童は一人っ子?

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんには兄弟がいましたが、中村獅童さんには兄弟はいないのでしょうか?調べてみたところ、中村獅童さんは両親が結婚10年目にしてようやく授かった子供だったとのことで、兄弟はおらず、ひとりっ子なのだそうです。それだけに、両親の深い愛情を受けて育ってきました。

父(小川三喜雄)の実家の家族は歌舞伎一家

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんの実家は歌舞伎一家だと言われています。歌舞伎の家に生まれると、幼少期から将来は歌舞伎役者になる者としての英才教育を受けるのが通例となっていた時代でした。

ですので、小川三喜雄さんの兄弟たちは全員が歌舞伎役者で、小川三喜雄さんの父の兄弟もまた歌舞伎役者という歌舞伎の名門の出だったようです。小川三喜雄さんの兄弟たちやその関係について、具体的に見ていきましょう。

父(小川三喜雄)の兄弟や関係

先ほども少し紹介しましたが、中村獅童さんの父・小川三喜雄さんには兄が2人、弟が2人いて、全員が歌舞伎役者です。まず、兄は二代目中村歌昇さんと四代目中村時蔵さん、そして弟が萬屋錦之介さんと中村嘉葎雄さんです。

小川三喜雄さんが大御所に羽二重を投げつけた理由は、弟の萬屋錦之介さんを守るためでした。また、中村獅童さん自身は、萬屋錦之介さんの演技を見て、歌舞伎役者の道へすすもうと考えたのだそうです。

小川三喜雄さんの弟たちは、それぞれが歌舞伎役者としての枠を超え、映画の世界にも飛び込みました。その際に小川三喜雄さんは、東映のプロデューサーとなって弟たちのバックアップをすることを決意されたのです。小川三喜雄さんの弟たちに対する熱い思いは、歌舞伎役者を廃業した後も続いていました。

中村獅童の父と母の死去

中村獅童さんの父と母の死去についても見ていきましょう。中村獅童さんの父と母はすでにどちらも死去されています。中村獅童さんの両親は、どのような理由で死去されてしまったのでしょうか?

2008年10月に父が胃癌のため死去

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんは、胃癌のために2008年10月に亡くなられています。享年は79歳でした。小川三喜雄さんは死去前年の末に胃癌であることが発覚し、その際には医師から余命3ヶ月の宣告を受けたとのこと。しかし、その余命を少し伸ばし、死去されたようです。

息子の中村獅童さんは父の死去時、大阪での公演があったため、死に目には会えなかったと言います。さらに、喪主でありながら葬儀にも出席せず、最後まで出演中の舞台をつとめあげたそうです。

父の死去で中村獅童の離婚当時の助言にも注目が

父の死去の際に中村獅童さんはインタビューに応じ、生前の父との思い出について語られていたそうです。中村獅童さんは自身の不倫などが原因で、2008年に女優の竹内結子さんと離婚しました。この際には父から「お前は1度死んだほうがいい」と言われてしまったとのこと。

また、離婚後は「とにかく仕事をしなさい」と言われたのだそうです。こうした父の助言もあり、中村獅童さんは父の危篤時や葬儀の際にも舞台に穴を開けず、最後まで自分の役をつとめあげたと言われています。

中村獅童を支え続けた母も2013年に死去

中村獅童さんを影で支え続けた母の小川陽子さんは、2013年に死去されたそうです。小川陽子さんは、中村獅童さんの資金繰りが苦しいときには、裁縫の仕事をして助けるなどもしておられたとのこと。中村獅童さんは役者として成功した後には、実家の改築にお金を出すなどの親孝行もされていました。

母(小川陽子)の死因は心不全との噂

中村獅童さんの母・小川陽子さんの死去の理由については、心不全ではないかと言われているようです。小川陽子さんは浴槽に浸かったまま亡くなっているのが見つかったとのこと。享年は73歳と若かったこともあり、中村獅童さんは母の死に大変なショックを受けたと言われています。

中村獅童は母の死去に動転

中村獅童さんの母は、父のように闘病をしていたわけでもなく突然の死でした。そのため、母の死去の報を聞いた中村獅童さんは、気が動転してしまったと言います。葬儀後に中村獅童さんは「母が作った最高傑作と言われるように頑張りたい」と語っておられたそうです。

中村獅童の父は歌舞伎役者廃業後の生き様も凄かった

中村獅童さんの父・小川三喜雄さんについて紹介してきました。小川三喜雄さんは元は歌舞伎役者をしていましたが、弟たちを守るために大御所に羽二重を投げつけるという行動を起こし、歌舞伎役者を廃業されていたそうです。

また、歌舞伎役者を廃業後には、銀行員を経て東映のプロデューサーとなり、弟たちや息子である中村獅童さんをバックアップしました。我が道を貫く小川三喜雄さんの生き様は、息子である中村獅童さんにも受け継がれていることでしょう。今後の中村獅童さんの活動にも注目していきましょう!

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春日つぼね

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