中野浩一の現在!当時の伝説や経歴は?結婚した妻や年収なども調査!

中野浩一は日本で最も有名な元競輪選手です。数々の伝説を残し、海外でもその名を知られている中野浩一について、その経歴や伝説を取り上げます。また、中野浩一の現在の活動や結婚相手である妻や年収についても詳しく調べ上げ、まとめてみました。

中野浩一の現在!当時の伝説や経歴は?結婚した妻や年収なども調査!のイメージ

目次

  1. 1中野浩一のプロフィール
  2. 2中野浩一の経歴と活躍ぶり
  3. 3中野浩一の伝説と国民栄誉賞
  4. 4中野浩一の引退後と現在の活動内容
  5. 5中野浩一の結婚と年収について
  6. 6数々の伝説を残す中野浩一は東京五輪を見据えている

中野浩一のプロフィール

・愛称:ミスター競輪、ムッシュ
・本名:中野浩一(なかのこういち)
・生年月日:1955年11月14日
・年齢:63歳(2019年9月現在)
・出身地:福岡県久留米市
・血液型:B型
・身長:172cm
・体重:85kg
・活動内容:元競輪選手・解説者・タレント
・所属グループ:なし
・事務所:浅井企画
・家族構成:中野尚美(妻)

中野浩一の経歴

中野浩一は福岡県久留米市出身の元競輪選手です。競輪ファンならば知らない人はいないと言っても過言ではない選手で、世界の競輪大会を10連覇するという、未だ誰も成し遂げていない偉業を成し遂げた人物です。

その前人未到の領域に辿り着いた中野浩一は、ファンからは「世界のナカノ」と呼ばれ親しまれています。この記事では、世界に誇る競輪界のスター中野浩一の経歴を詳しくまとめ、パーソナルな情報なども取り上げます。

中野浩一の経歴と活躍ぶり

それでは、日本が誇る競輪選手である「世界のナカノ」こと中野浩一について、その詳しい経歴を取り上げていきます。中野浩一は福岡県久留米市に生まれ、高校までは陸上競技をやっており、その実力はインターハイに出場するほどでしたが、太ももの肉離れによって陸上競技の道を諦めることになってしまいました。

経歴①3ヶ月の練習で日本競輪学校の試験に合格

将来の夢を一時的に失ってしまった中野浩一は、体育教師やプロゴルファーなどを志そうと考えていましたが、父親の薦めによって日本競輪学校の試験に合格します。その練習期間はわずか3か月ほどであり、既に競輪選手としての才能の片鱗を見せていたようです。

デビュー戦から18連勝という記録を残す

1975年に日本競輪学校を卒業した中野浩一ですが、5月3日に地元の久留米競馬場でデビューを飾りました。中野浩一はこのデビュー戦も含めて18連勝するという記録を打ち立て、既に競輪選手としてトップクラスの実力を備えていました。

「打倒・中野浩一」グループが結成される

デビュー後18連勝という大記録を打ち立てた新人の中野浩一は、「九州のハヤブサ」という二つ名でも呼ばれました。その中野浩一のあまりの強さに、他の選手からは敵視され、打倒・中野浩一を掲げて対立するグループが結成されるほどでした。

経歴②1981年:特別競輪3連覇を達成

1981年には、第34回日本選手権競輪で中野浩一は史上2人目となる特別競輪の3連覇という偉業を達成しました。これは中野浩一にとっては日本選手権競輪の初優勝の舞台であり、また予選の順位が悪く不調が続く中で勝ち切った非常に思い出深いレースになっているようです。

経歴③1985年:KEIRINグランプリの初代優勝者に

KEIRINグランプリは、毎年年末恒例の12月30日に行われる競輪レースです。その歴史は古く、1985年から2018年まで、ほとんどの年で開催され続けています。トップ選手しか参加できないことや高額賞金から、現在ではこのレースを「真の日本一決定戦」と位置付けている競輪ファンも多いです。

そして、このKEIRINグランプリで初代優勝者として王座に上がったのが、中野浩一なのです。余談ですが、中野浩一の頃の賞金は1000万程度だったそうですが、現在ではその賞金は1億円にものぼるそうです。

経歴④1992年:現役を引退

数々のレースでタイトルを獲得してきた中野浩一ですが、そんな彼でも特別競輪に位置付けられるレースで優勝できていないものがありました。そのレースが高松宮杯競輪で、中野浩一のラストレースの舞台にもなりました。

中野浩一のラストレースである高松宮杯競輪の結果は2着で、結局中野浩一は優勝することはできませんでしたが、多くの人々の感動や記憶とともに引退を飾りました。その獲得賞金総額は13億にものぼったそうです。

中野浩一は海外でも大活躍した

元競輪選手であった中野浩一ですが、彼がここまで競輪界で未だに伝説として扱われるのには理由があります。それは彼が日本国内で残した数々の成績はもちろんですが、海外でも大活躍して多くの伝説的偉業を成し遂げているからです。それらを取り上げて見ていきましょう。

1976年:世界自転車選手権に参戦

中野浩一が全盛期と呼ばれた1970年代後半、1976年に中野浩一は初の世界自転車選手権への参戦を果たします。この大会は1893年から開催されている非常に歴史の深い大会ですが、中野浩一は初参戦ながらスプリントの種目で4位に食い込む大健闘でした。

1977年:世界自転車選手権で日本人初優勝

中野浩一の海外での伝説はそれだけではありません。前年に4位で終わった世界自転車選手権において、連覇中であったジョン・ミカエル・ニコルソンを下すとそのまま初優勝を飾りました。当時は日本人がこの大会で優勝することなど、夢のまた夢だと考えられていたので、とんでもない快挙であることがわかります。

世界自転車選手権10連覇でギネスに認定

中野浩一はその後も世界自転車選手権に出場し続け、成長し続けていた中野浩一にはもはや向かうところ敵なしの状態が続きました。そして1986年までに、世界自転車選手権10連覇という伝説的偉業を達成することになったのです。中野浩一の経歴の中でも輝かしい成績の1つです。

中野浩一の伝説と国民栄誉賞

中野浩一は、経歴の中で常に第一線の競輪選手としてあり続けました。日本国内だけでなく海外でも突出した走りを見せ、世界自転車選手権10連覇という国民栄誉賞を授与されるレベルの伝説も残しました。ここからは中野浩一の伝説エピソードや、国民栄誉賞についての噂も見ていきましょう。

伝説①旅客機のコックピットに招待

基本的に海外の旅客機では、セキュリティの面からジャック事件などを危惧しており、コックピットには一般人は入れないのが普通です。しかし中野浩一は、ヨーロッパで旅客機に搭乗した際に機長からコックピットの中に入れてもらったようです。

もちろん時代的背景もありますが、このようなコックピット内への招待は誰に対しても行われていたわけではなく、中野浩一がいかにヨーロッパでもその名を知られた存在かということが分かるエピソードとなっています。

伝説②ミシュランの三ツ星ホテルに顔パス?

また、中野浩一はヨーロッパのミシュランガイドに掲載されている三ツ星ホテルですら顔パスで入れたという伝説をもっています。ヨーロッパでは自転車競技が盛んにおこなわれているため、中野浩一に対するリスペクトは非常に大きかったようです。

伝説③自称「中野浩一」がヨーロッパ中に居る?

「世界のナカノ」としての実力がヨーロッパに知れ渡っているため、しばしばヨーロッパでは「俺は○○地方の中野だよ」という言い回しで、自分の実力を高く言い表す人達がいるという話です。

中野浩一は国民栄誉賞を受賞していない

様々な伝説を打ち立てた中野浩一ですが、実は彼は国民栄誉賞を受賞していません。野球のイチローが国民栄誉賞を辞退したことは話題になりましたが、中野浩一も世界自転車選手権10連覇という成績から国民栄誉賞の受賞資格は十分であると思われます。それなのに中野浩一が国民栄誉賞を受賞していない理由をまとめます。

国民栄誉賞の対象者の条件とは

国民栄誉賞は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえること」と定義されています。これだけでいえば中野浩一には十分な受賞資格があると言えますが、続きがあります。

対象となる受賞条件ですが、国籍は関係なく、個人や団体は関係なく、また死後の人物であっても受賞することが認められています。基本的には芸能界で活躍する芸能人やスポーツ選手が受賞することが多いです。

自転車競技のイメージで受賞出来なかった?

国民栄誉賞に受賞資格を十分に満たしていると考えられる中野浩一ですが、彼が国民栄誉賞を受賞しなかったのは自分の意志ではなく、世間の自転車競技に対するイメージが非常に悪かったことから国民栄誉賞を受賞できなかったのではないかと言われています。

中野浩一の引退後と現在の活動内容

様々な記録を残したものの国民栄誉賞を受賞することのなかった中野浩一ですが、そんな中野浩一の引退後の動向や、現在どのような活動をしているのかについて詳しく取り上げていきます。

自転車のロードレースチームの監督を務めたことも

通常のレースと違い、整備されていない道路などを走り切るという性質のものからかしばしば難関コースになりやすいロードレースの大会では、中野浩一は日本代表の監督を務めたことがあります。その大会が2013年に行われたジャパンカップ・サイクルロードレースでした。

シドニーオリンピックで解説を担当

中野浩一はその競輪選手としての経歴や成績を見込まれて、シドニーオリンピックでは解説を担当しました。トップアスリートとして第一線で活躍し続けた中野浩一ならではの視線での解説は長年の競輪ファンだけではなく、一般的なオリンピックの視聴者にも人気があったようです。

2011年:日本自転車競技連盟強化委員長に就任

中野浩一は2011年には日本自転車競技連盟強化委員長に就任します。中野浩一の競輪選手としての成績に比肩できる選手はいまだに現れていないため、適任であると言われています。

現在は東京オリンピックでの勝利を望む

日本自転車競技連盟強化委員長に就任した中野浩一ですが、現在は2020年に開催される東京オリンピックに向けて、選手たちを育成しています。もちろん目指すは東京オリンピックでの勝利で、全力でサポートに当たっているようです。

中野浩一の結婚と年収について

中野浩一の現在について触れてきましたが、ここからはもう少しパーソナルな情報について取り上げます。中野浩一の妻と結婚について、そしてスポーツ選手である以上気になる年収についても詳しくまとめました。

1987年に妻と結婚

中野浩一が世界自転車選手権10連覇という偉業を成し遂げたのが1986年の出来事ですが、翌年である1987年に中野浩一は現在の妻と結婚します。その妻の名前がNAOMIで、以前はアイドル歌手として活動していたこともある美人です。

また、結婚した2人の間に子供がいるのかどうかを調査してみたところ、2人の間に子供がいるという情報はありませんでした。しかし、一部情報によるとNAOMIはあの加護亜依を実の娘のようにかわいがっているのだそうです。なぜ加護亜依が急に話に浮上したのか、それについても詳しく説明します。

妻・NAOMIとは

それでは中野浩一の妻であるNAOMIについて、もう少し掘り下げて見ていく事にしましょう。NAOMIは歌手やタレントとしても活動しており、以前はアイドルであった過去もあるほどの美人です。しかし、実は芸能事務所「アルカシェル」の社長でもあるそうなのです。

そこに所属しているのがフリーとなった加護亜依で、現在もNAOMIの事務所に在籍しているのだそうです。中野浩一の妻・NAOMIはそのためか加護亜依のことを非常に気にかけており、実の子供のように面倒を見てあげているようです。中野浩一の妻であるNAOMIの優しい一面が窺えます。

別居生活を送っていた期間も

しかし、中野浩一と妻NAOMIは別居生活を送っていた期間もあります。中野浩一はアスリートとして非常にストイックな姿勢を貫いており、勝つためには全く家庭のことを顧みない亭主関白な人間性で有名だったそうです。

当初は妻であるNAOMIはそのような中野浩一の態度に関してとても強いストレスを感じたため、別居した期間が半年間ほどあったそうです。妻の事を気にかけないほどの強い勝利への執念が中野浩一をそうさせたのだと言われています。

中野浩一の引退後は穏やかな結婚生活に

厳しい競技へのスタンスから妻NAOMIと別居状態になるほど関係が冷え込んでいた中野浩一ですが、1992年に彼が競輪選手を中野浩一が引退してからは、妻へ歩み寄りを見せたようです。

1度は離婚も考えたという2人ですが、そのような障害を乗り越えて今は仲良く夫婦2人で穏やかな余生を送っているようです。そのため、妻のNAOMIのSNSには夫婦で一緒に写っている写真などがたくさんアップされています。

年収①1980年に年間賞金獲得額が1億円を突破

記事の最後に、中野浩一の年収の推移について、簡単に振り返っていきたいと思います。まず中野浩一は1980年には年間賞金獲得額が1億円を突破しました。これは当時の競輪選手の年収としては異常でした。

年収②1988年に通算賞金獲得額が10億円を突破

さらに、1988年には通算賞金獲得額が10億円を突破します。この数字からは、中野浩一がコンスタントに年収1億円程度の金額を稼ぎ続けていたことが窺えます。やはり年収の面でいっても中野浩一はレジェンドと呼べる存在です。

年収③獲得賞金総額は13億1916万2077円

1992年の競輪選手としての引退までに中野浩一が稼いだ獲得賞金総額は13億1916万2077円にまでのぼりました。長年の間、常に第一線でいたからこそここまでの金額を稼ぐことができたのです。毎年活躍して多額の年収を受け取っていたことが分かります。

現在の年収も高い?

中野浩一は現在の年収も非常に高いと言われています。日本自転車競技連盟強化委員長という大役を務め、日本の競輪界を引っ張っていく存在ですから当然と言えますが、非常に高い年収をもらっていることが予想されます。

数々の伝説を残す中野浩一は東京五輪を見据えている

この記事では、数々の伝説を残した競輪界のレジェンド・中野浩一について、経歴をふりかえることでその偉大さに迫りました。現在でも東京五輪での優勝を目指して、中野浩一は日本の競輪界に尽力しているようです。

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この記事のライター
まるすけ
1993年東京生まれ広島育ちの20代男。 基本的にドラマや映画、漫画などの娯楽に日常的に触れています。 特にア...

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