【伝説のプログラマー】ナーシャ・ジベリとは!経歴から現在まで!

ナーシャジベリは伝説のプログラマーとしてゲーム業界で知られている人物です。特にFFシリーズや聖剣伝説2などの有名ゲーム製作に携わった際にその才能が発揮されています。そんなナーシャジベリの経歴から現在の様子までを調べてみました。

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目次

  1. 1ナーシャジベリのプロフィール
  2. 2ナーシャジベリとは
  3. 3ナーシャジベリの詳しい経歴
  4. 4ナーシャジベリの現在は?
  5. 5ナーシャジベリはFFなどに欠かせない伝説のプログラマー

ナーシャジベリのプロフィール

・本名:ナーシャジベリ(Nasir Gebelli)
・生年月日:1957年生まれ
・年齢:61 or 62歳(2019年5月現在)
・出身地:イラン
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:ゲームプログラマー、ゲームデザイナー
・所属グループ:スクウェア、シリウス・ソフトウェア、ジベリ・ソフトウェア
・家族構成:不明

ナーシャジベリの経歴

ナーシャジベリは元・イラン王族の出身で、イラン革命後アメリカへ渡ります。1980年にはAppleが販売していたマイクロコンピュータ・Apple II用のゲームソフトを作るシリウスソフトウェアを設立します。

一年後、ナーシャジベリはシリウスソフトウェアを退社し、自身の名を冠したジベリ・ソフトウェアを設立しますが、通称・アタリショックと呼ばれた家庭用ゲーム市場の崩壊に直面し、倒産します。

その後、ナーシャジベリはスクウェア(現スクウェア・エニックス)のゲームクリエイター坂口博信と出会い、ファイナルファンタジー、聖剣伝説2といった、後に日本のゲーム界で伝説となるゲームの製作に参加しました。

ナーシャジベリとは

ナーシャジベリのゲーム業界での経歴は素晴らしく、知る人ぞ知る天才プログラマーとして知られています。ここではナーシャジベリの伝説の数々をご紹介します。

ナーシャジベリは伝説のプログラマー

ナーシャジベリは伝説的なプログラマーとしてゲーム業界の間で知られています。それは単に有名なゲームタイトルの製作に参加していたというだけではなく、常人では到底作成不可能なレベルのプログラムを作っていたようです。

伝説のプログラマーの逸話とは

伝説のプログラマー、ナーシャジベリにはその素晴らしい経歴とともに、当時の関係者が語る数々の逸話があります。

コードの記憶や電話での指示

ナーシャジベリの凄さを表すエピソードとして、彼は自分で記述したプログラムコードを全て暗記していたというものがあります。

ファミコンソフト「FFIII」の開発中、重大なバグがみつかり、途方にくれたスタッフがアメリカに帰国していたナーシャジベリに電話したところ、なんと電話でそのまま指示を始め、その通りに修正したらバグが直ったというものです。

坂口博信によれば、何度となくそのようなことが行われており、ナーシャジベリはコードリストをすべて暗記していたのではないか?とも言われております。

他人には理解不可能なプログラム

ナーシャジベリのプログラミングの特徴として、メモをとらずに直接プログラムを書き込んでいくスタイルだったことが挙げられます。したがって、他人にはそのプログラムの構造がわからず、解読不可能なケースが多々あったとされています。

また、ファミコンゲームの開発の際、ナーシャジベリはファミコンの仕様書には書かれていないようなCPUの挙動を利用して、ファミコンの性能を超えた動作をするプログラムを書いたとも言われております。

コードのバグ多発説

ナーシャジベリのプログラムの特徴としてはもうひとつ、とてもバグが多かったことが挙げられます。何に使うかわからない式が組み込まれていたり、効果のない魔法が存在したり、動作が止まってしまったりということが多々あったということです。

こうしたバグの多発は、プログラムにミスが多かったというよりは、ハードの性能の限界を超えた挙動を実現するために、あえてバグやハードの動作異常を利用していたため、予測不可能な動作が増えてしまったことに原因があるようです。

コピープロテクト作品

「とびだせ大作戦」というゲームでは、当時ではかなり珍しい「コピープロテクト」のプログラムが実装されていました。これはコピーソフトを起動させると、コピー版であることを認識し「NASIR」と署名の入ったテキストが表示され起動できなくなる、というものです。

現在では海賊版対策として珍しくないコピープロテクトですが、日本のゲーム業界創成期にすでにこうしたプログラムをナーシャジベリが作成していたことは驚きの一言です。

FFシリーズの15パズルの謎

「ファイナルファンタジー」での有名な「裏技」のひとつに、船に乗った状態でAボタンを押しながらBボタンを55回押すと「15パズル」が登場するというものがあります。この隠しゲームはナーシャジベリによって埋め込まれたと言われています。

しかしファミコン時代のROMの容量は2Mbit=256kbという、現在のWebサイトの画像1~2枚分くらいのデータ容量しかなく、ナーシャジベリが本編のゲームの他にどうやってミニゲームを埋め込んだのかは謎とされています。

スティーブ・ジョブズのパートナーとの関係性

Appleの創始者スティーブ・ジョブズのパートナーとして有名な人物に、スティーブ・ウォズニアックがいます。スティーブ・ウォズニアックは1981年2月に自身が操縦していた飛行機の墜落事故により、一時的に記憶を喪失したことがあります。

その際、ナーシャジベリが作ったゲームを遊んでいるうちに、記憶が戻ったといわれています。後日スティーブ・ウォズニアックはナーシャジベリの元へ赴き、お礼を述べたそうです。

メディア露出は最低限に

ナーシャジベリは天才的なプログラマーとして素晴らしい経歴を持っていますが、自分の仕事をメディアなどにアピールすることはあまりなく、むしろ表に出ることを極端に嫌ったとされます。

ナーシャジベリの詳しい経歴

イランの王族だったナーシャジベリですが、イラン革命の影響でアメリカへ渡り、その後コンピュータ科学を学んだと言われています。ナーシャジベリがアメリカに渡ったあとの詳しい経歴をここでは見ていきます。

1980年にAppleⅡ用ゲーム制作会社を設立

1970年代のアメリカには空前のビデオゲーム・ブームが来ていました。数々のビデオゲーム機、そして家庭用ゲーム機が発売されており、人気を博していました。そして1977年にはついにAppleが個人用コンピュータ「Apple II」を発売します。

Apple IIで動くゲーム「ウィザードリィ」「ウルティマ」などのヒットにより、ゲーム人気にさらに拍車をかけることになります。ナーシャジベリはこのゲーム業界隆盛期に、Apple II用ゲームソフトを作るシリウス・ソフトウェアを設立しました。
 

会社「シリウスソフトウェア」とは

「シリウスソフトウェア」とは、1980年にナーシャジベリが友人のジェリー・ジュエルとともに立ち上げたパーソナルコンピュータ「Apple II」用のゲームソフトを作る会社のことです。

この会社でナーシャジベリは月に一本というハイペースでゲームを製作し、「Gorgon」「Space Eggs」といったヒット作を次々と生み出しました。

会社設立1年後に退社

1年で12本ものゲームタイトルをリリースしたナーシャジベリですが、会社設立1年後にシリウス・ソフトウェアを退社してしまいます。

その後は「ジベリ・ソフトウェア」を設立

その後、ナーシャジベリは自身の名前をつけた「ジベリ・ソフトウェア」という会社を立ち上げます。この会社でナーシャジベリは「Horizen V」「Zenith」という擬似3Dシューティングゲームを製作し、独自の路線を突き進みます。

1984年に会社が倒産?

しかし1982年のアメリカ年末商戦でのゲーム販売不振を発端とした「アタリショック」と呼ばれるゲーム業界不況の波に飲まれ、1984年にはジベリ・ソフトウェア、シリウスソフトウェアともに倒産の憂き目にあいました。

ファミコン旗揚げでプログラマーへの参加オファー

ジベリ・ソフトウェア倒産後、ナーシャジベリは世界中を放浪していたようですが、1983年に日本でファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売され、日本で家庭用ゲームブームが到来すると、日本のゲーム業界からナーシャジベリに声がかかりました。

坂口博信に口説かれスクウェアへ入社

ナーシャジベリは知人の紹介により、スクウェア(現スクウェア・エニックス)の坂口博信と出会います。坂口博信はもともとナーシャジベリのゲームのファンだったこともあり、ナーシャジベリを熱心に説得し、スクウェアに入社することになります。

坂口博信とは

坂口博信は大ヒットRPG「ファイナルファンタジー」シリーズの生みの親として知られております。坂口博信は1980年代当時、電気工事会社のソフト部門「スクウェア」のスタッフとしてPCゲームやパソコンゲームを作っていました。

しかし作ったゲームはどれもぱっとせず、売り上げも芳しくなかったようです。そして、意を決して「これが最後の作品」と思って作ったのが「ファイナルファンタジー」だと言われています。

その後は3D描写作品やFFシリーズの製作

ナーシャジベリはスクウェアに入社後、得意の擬似3D描写を駆使した「ハイウェイスター」「とびだせ大作戦」などを手がけます。また「ファイナルファンタジー」を皮切りとするFFシリーズの製作に携わり大活躍します。

ナーシャジベリの代表作品

ここでナーシャジベリが手がけたゲームを詳しく見ていきます。どれも当時の水準からすればかなり高度なプログラム技術によって作られています。

FFシリーズ

ナーシャジベリが携わったゲームでもっとも有名なゲームがFFシリーズです。なかでも「ファイナルファンタジーⅢ」に登場する飛空挺のプログラムを作成したときはかなり周囲を驚かせたようです。

飛行艇に影をつけて浮いているように見せたいというグラフィックチームからのリクエストに対して、坂口博信は「無理だ」と答えましたが、ナーシャジベリに相談したところ、翌日には飛行艇に影をつけ、なおかつ移動速度も4倍になっていたといいます。

とびだせ大作戦

日本にやってきたナーシャジベリが最初に手がけた「とびだせ大作戦」はそれまでの一般的なゲームにはあまり見かけられない、奥から手前へと画面がスクロールするアクションゲームでした。

上下左右だけでなく奥行きへの動きがついたことによって、擬似的に3D空間を表現しており、ナーシャジベリは現在の3Dアクションゲームのような要素をこのときすでに開発していました。

ハイウェイスター

こちらもまた手前から奥へのスクロールとなるレーシングゲームで、タイヤがスリップするような挙動や、道路の高低差の表現、背景が時間の経過とともに変わっていくなど、かなり複雑な要素が組み込まれています。

現在こそゲーム機の大容量・高スペック化によって3Dを表現することは簡単になっていますが、当時のゲーム機のスペックやソフトの容量は現在の数千から数万分の1しかありませんので、ナーシャジベリのプログラムの凄さがよくわかります。

聖剣伝説2

聖剣伝説2はスクウェアでナーシャジベリが最後に携わったゲームです。通常のRPGと違い、敵と遭遇すると戦闘シーンに切り替わらず、そのままマップ画面で戦闘する仕様となっており、ARPG(アクションロールプレイングゲーム)と呼ばれていました。

このゲーム内では「フラミー」と呼ばれる空を飛ぶ神獣が登場しますが、飛行中にヘビのようにウネウネと動くために、特殊なチップを採用しないと実現は不可能とされていました。しかし、ナーシャジベリがこれを解決し、実装されることになったといわれております。

ナーシャジベリの現在は?

FFシリーズの製作で大活躍したナーシャジベリですが、聖剣伝説2の製作に参加後、スクウェアを退社し世界放浪の旅に出たといわれています。ナーシャジベリの現在の様子を調べていきます。

現在も坂口博信などスクウェアと交友関係あり

ナーシャジベリは聖剣伝説2の製作後、カリフォルニア州都サクラメントに戻ったとされております。また、現在も坂口博信ら当時のスクウェアの製作メンバーとは親交が続いているようです。

FF25周年記念の式典に参加?

ナーシャジベリが最後に公の場に姿を現したのはFF25周年記念の式典に参加したときだといわれています。しかし25周年の式典が行われたという正式な発表はなく、ガセネタの可能性もあるようです。

現在はイランでプログラミング関係の仕事との噂も

イランの王族の出身だったナーシャジベリは、イランに戻りプログラマーをしているとの噂もあります。しかしナーシャジベリは日本で十分すぎるほどのロイヤリティー収入を得たはずであり、仕事をしなくても困らないはずですので、あくまで噂の範疇のようです。

ナーシャジベリはFFなどに欠かせない伝説のプログラマー

ナーシャジベリはFFシリーズの製作には欠かせない天才プログラマーだったことは間違いないようです。現在はほとんど引退状態のようですが、日本のゲーム業界に伝説的な逸話を残し、日本のゲームを発展させた一人として今後も語られていくことでしょう。

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この記事のライター
ゆすやん
漫画・アニメ・映画大好きの元CGクリエイター・デザイナーです。声優・アイドルなどサブカル全般詳しいです。

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