新潟少女監禁事件!佐藤宣行(犯人)と被害者(佐野房子)の現在とその後!

9年2ヶ月に渡り少女を自宅で監禁し続けた前代未聞の新潟少女監禁事件。今回はこの新潟少女監禁事件の概要と、逮捕された加害者・佐藤宣行と被害者の佐野房子さんのその後をまとめました。何故佐藤宣行の母親は生活の中で異変に気が付かなかったのでしょうか?

新潟少女監禁事件!佐藤宣行(犯人)と被害者(佐野房子)の現在とその後!のイメージ

目次

  1. 1新潟少女監禁事件とは
  2. 2新潟少女監禁事件発覚と逮捕の鍵に成ったのは
  3. 3新潟少女監禁事件の全容
  4. 4加害者である佐藤宣行の人物像
  5. 5新潟少女監禁事件の加害者・佐藤宣行の生い立ち
  6. 6加害者の佐藤宣行と被害者の佐野房子の現在やその後
  7. 7新潟少女監禁事件によって明らかと成った警察内部の問題
  8. 8佐藤宣行は現在出所し佐野房子は回復中

新潟少女監禁事件とは

それでは早速新潟少女監禁事件についてご説明して参りたいと思います。この新潟少女監禁事件とは1990年11月に発生した誘拐監禁事件の通称になります。

1990年11月13日、新潟県三条市の路上で当時9歳だった佐野房子さんが誘拐され、その後加害者の自宅で何と約9年間に渡り監禁され続けたという前代未聞の事件です。

佐野房子さんは監禁からおよそ9年2ヶ月が経った2000年1月28日に、新潟県柏崎市にある加害者の自宅で発見、そのまま保護されました。

監禁期間が約9年2カ月という驚くほどの長期に渡っていた事や、新潟県警の捜査態勢の不備、またその過程で数々の不祥事が発覚した事などから、非常に大きな注目を集める事件と成りました。

新潟少女監禁事件の裁判では加害者側の量刑に対して重大な影響を及ぼす「併合罪」の解釈を巡り、結果的には最高裁まで争われる事と成りました。

そして犯人逮捕から三年半後の2003年7月に最高裁は加害者に対し懲役14年という実刑判決を下して結審。事件はこれにて一応の解決と成ったのです。

この新潟少女監禁事件の加害者は長期に渡る引き篭り状態にあったという事と、この事件の後に同じく引き篭もりの男性があの西鉄バスジャック事件を引き起こした事もあり、それまで軽視されがちで有った「引き篭り問題」についての認識がこの事件以降では大きく変わったとも言われています。

新潟少女監禁事件で逮捕された佐藤宣行

この新潟少女監禁事件の犯人として逮捕されたのは、当時新潟県柏崎市在住だった佐藤宣行(犯行当時28歳)でした。

加害者は9年2ヶ月に渡って女子児童を誘拐監禁した罪により逮捕

加害者である佐藤宣行は、被害者の佐野房子さんを誘拐し、自宅の二階にある自室でおよそ9年2ヶ月に渡り監禁し続けた誘拐と監禁の容疑で逮捕されています。

これはこの後で詳しくご紹介致しますが、実は佐藤宣行はこの事件を起こす前に別の事件を起こしており、当時は執行猶予中だったのです。にも関わらずこの様な犯行に及んだという事が、後々大きな波紋を呼ぶ事と成ります。

佐藤宣行が佐野房子さんを9年2ヶ月に渡って監禁した場所は、何の変哲もない一軒家の二階にある自室でした。佐藤宣行はその自宅に母親と共に暮らしていたのですが、何故9年2ヶ月もの間、母親は自宅の2階で少女が監禁されている事に気が付かなかったのか?という点も、この事件の大きな焦点と成りました。

佐藤宣行は最初の犯行に失敗している

先程申し上げた通り、新潟少女監禁事件の加害者である佐藤宣行はこの事件を起こす前に別の事件を起こし、その事件で執行猶予付きの判決が下っていたのです。

その事件は後に発生したこの新潟少女監禁事件を予感させるような事件内容でした。なので言ってみればこの新潟少女監禁事件は「起きるべくして起きた事件」だったのです。

佐藤宣行は新潟少女監禁事件を起こす1年5ヶ月前である1989年(平成元年)6月13日に、新潟県柏崎市内で9歳の少女に対する強制わいせつ未遂で現行犯逮捕されており、同年9月19日に懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を受けていました。

その事件の執行猶予中である1990年(平成2年)11月13日にこの新潟少女監禁事件の犯行に及んでいるのです。もし先の事件で執行猶予付きの有罪判決ではなく実刑判決が下されていたら、この新潟少女監禁事件は発生しなかった事に成ります。

日本の裁判は判例に基づいて判決が下されるシステムである以上、佐藤宣行が先に起こしていた強制わいせつ未遂に関してこの程度の判決と成ってしまったのは致し方無い部分もあるのですが、判例よりも其処にいる加害者のリアルにもっと目を向けていれば、その先の事件を未然に防ぐことが出来た筈なのです。

佐藤宣行が執行猶予処分中にこの様な事件をしでかす事など、誰にも予見することが出来なかったかもしれません。然しながら性犯罪者(特に佐藤宣行の様な幼児に対する性犯罪を行った者)には、アメリカの様なGPS装置の着用を義務付けるなどの処置をするべきでしょう。実際にこの新潟少女監禁事件の発覚後はそうした意見も多く上げられていたそうです。

被害者である佐野房子を下校時に誘拐し監禁

佐藤宣行は1990年(平成2年)11月13日午後5時頃、新潟県三条市内において当時9歳であった本件被害少女の誘拐を企てます。

被害者である佐野房子さんはこの時学校からの下校中で、帰宅途中にいつもの農道を歩いていたところを佐藤宣行に誘拐され、そのまま自宅に連れ去られた挙げ句に監禁状態に置かれています。

佐藤宣行は乗用車で単身移動中に佐野房子さんを発見し、「女の子が可愛かったし、側に誰もいなかったので」という理由から犯行を決意。

一度佐野房子さんを車で追い抜いてから前に着け、持ち歩いていた刃渡り約14cmのナイフを持って佐野房子さんに接近し、「おとなしくしろ。声を出すな」と脅迫。拉致して身動きできない少女の背後に回って車の後部に連行しています。
 

佐藤宣行は車のトランクを開け「入れ」と指示するも佐野房子さんはこれを拒否。すると佐藤宣行は佐野房子さんを抱きかかえて無理矢理トランクに押し込めると、そのまま車を発進させました。

この時既に佐藤宣行は佐野房子さんと生活を共にする事を決めていたらしく、彼は自宅のある柏崎市方面へと車を走らせました。しかし少女が暴れたり自宅周囲の様子を見たりすることを恐れ、一度車を停車させると粘着テープで佐野房子さんの両手首と足首を緊縛し、目隠しを施しています。

この時佐藤宣行は「三条市の家に帰れるの。お父さん、お母さんの家に帰れるの」との佐野房子さんの問いに対し「だめだな。これからおれと一緒に暮らすんだ」と応えたそうです。

そうして自宅に付いた佐藤宣行は母親に見つからないように少女を抱きかかえて自室に侵入。目隠しを解いた後、彼女に対し「この部屋からは出られないぞ。ずっとここで暮らすんだ。約束を守らなかったらお前なんか要らなくなる。山に埋めてやる。海に浮かべる」と脅迫を行ったそうです。

犯行動機には佐藤宣行の精神疾患との関係が?

加害者である佐藤宣行は精神疾患を抱える人物でした。彼が持つ精神疾患とは分裂病質人格障害、強迫性障害、自己愛性人格障害、小児性愛の4つで、強迫性障害以外は全て逮捕後の精神鑑定により明らかに成ったものです。

これらの精神疾患が原因で佐藤宣行がこの新潟少女監禁事件を引き起こしたのは間違いありませんが、かと言って全てが全てこの精神疾患によるものであるという訳ではありません。

精神分析医の診断結果においても判断力や責任能力は充分にあったと判断され、裁判においても心神耗弱は認められないと判断されています。

こうした精神疾患を抱えるとされる加害者が起こした事件では、常に加害者側に責任能力が備わっていたかが争点と成りますが、もし本当に責任能力すら備わっていない状態であったとしたら、犯罪を起こす可能性自体を充分に予見できた筈で、そうなる前に然るべき処置を取らなければならなかったのでは無いでしょうか?

人権問題と隣合わせである非常にデリケートな部分ではありますが、多くの人々が安心して社会生活を営めむ為には、問題を抱える人々に対し自治体等が手を差し伸べ、日常的なケアを行う必要があるのでは無いでしょうか?こうした問題を把握出来ずに放置してしまっている現状が、こうした悲惨な事件を生み出している様な気がします。

佐藤宣行の自宅監禁手口とは

佐藤宣行は佐野房子さんを9年2ヶ月もの間監禁し続けた訳ですが、その監禁の手口は酷いものでした。佐藤宣行が監禁生活の間に佐野房子さんの顔面を殴打した数は700回以上に上り、うち本気で殴った回数も200回以上を超えたそうです。

佐藤宣行は脅迫的な文言で佐野房子さんを脅し、最初の2〜3ヶ月は両手両足を粘着テープで縛っており、その後手の緊縛は解かれたものの足の緊縛は1年以上に渡って続けられたそうです。

佐藤宣行は佐野房子さんに対し①自室のセミダブルベッドから勝手に降りない②大声を出さない③佐藤宣行が出入りをする際は毛布を被る④暴れないという4つの命令を課し、これを破った際は佐野房子さんに対し暴行を加えたそうです。

その暴行にはある時期からスタンガンが使われ、事ある毎に佐野房子さん佐藤宣行からスタンガンを当てられていたそうです。しかし声を上げると刺されると考えた佐野房子さんは、この痛みに慣れようと自らの身体にスタンガンを当てるなどして、なんとか堪え続けていたと言います。

勿論階下には母親が生活しているため、気付かれる事が無い様に一切の運動は禁止され、唯一許されたのはベッドの上での屈伸のみだったそうです。やがて糖尿病を危惧した佐藤宣行によって足踏み運動も許可されましたが、コレも母親に気付かれる事を懸念した佐藤宣行によって直ぐに禁止されました。

この様に全ての自由を奪い、支配し、暴力を与え続ける事で佐藤宣行は佐野房子さんを9年2ヶ月に渡り監禁し続けて来たのです。死すら生温いこの鬼畜の所業をこの男はどういう心境で続けてきたのでしょうか?

新潟少女監禁事件発覚と逮捕の鍵に成ったのは

新潟少女監禁事件が発覚し、佐藤宣行が逮捕される事に成った「鍵」と成った出来事は一体何だったのでしょうか?調べてみると其処には母親に対する暴行や虐待があり、耐えかねた母親が保健所を訪れ息子の家庭内暴力について相談を行っていた事に有るようです。それではその辺りの状況について詳しく掘り下げて見ましょう。

佐藤宣行と共に生活していた母親への虐待

佐藤宣行は母親と2人だけで生活を送っていましたが、その母親に対しても日常的な虐待を行っていたといいます。こちらは後程詳しくご説明致しますが、佐藤宣行は無職と成った後自宅で引き篭もり生活を続けていましたが、やがて自宅の窓を割ったり障子を破壊するといった行動を取るようになったそうです。

見かねた母親は保健所を訪ね、息子による家庭内暴力が行われている旨を相談。それに対し職員は家庭訪問を打診したのですが、母親は佐藤宣行が暴れる事を危惧してこれを断ってしまいます。そこで職員は代替案として精神病院を紹介し、そこで息子の為に処方して貰った向精神薬を佐藤宣行に与えていたそうです。

しかし薬の効果は一時的なモノで、佐藤宣行はやがて母親に対してもスタンガンを使った虐待を行うようになります。これに耐えかねた母親は再度精神病院を訪れ、自らの窮状を医師に訴えています。

母親からの訴えを受けた医師は息子である佐藤宣行の医療保護入院(強制入院)を提案し、母親もこれに同意。後日、精神病院と保健所と市役所が協議を行い、佐藤宣行の医療保護入院の実施日を1990年1月28日に決定。後は当日自宅に赴き、佐藤宣行を強制入院させる段取りと成りました。

強制保護の為に特別チームが突入

そうして訪れた1990年1月28日。佐藤宣行を強制入院させる為に編成された特別チームが佐藤宣行の自宅を訪れます。勿論この時この自宅で新潟少女監禁事件なるモノが行われている事など、その場にいたチームの誰一人も想像すらしていませんでした。

特別チームの7名は自宅前に2人を待機させ、うち5人が佐藤宣行の部屋へと向かいます。そして精神保健指定医が佐藤宣行の自室の前で「お母さんの依頼で診察に参りました」と告げ、佐藤宣行からの返事を待たずに部屋へと入ったのです。

其処にはベッドの上で眠る佐藤宣行の姿がありました。佐藤宣行は医師に対し「何故勝手に入ってきた!」と抗議。コレに対して医師が事の経緯を説明した上で、佐藤宣行には入院する必要があると判断された旨を言い渡すと、それに対し佐藤宣行は激しく暴れだしたのです。

佐藤宣行が激しい抵抗を見せた事で、職員は警察の応援が必要であると判断。事前に医療保護入院があることを通知していた柏崎警察署生活安全課に対して警官3名の派遣を要請します。

しかしその電話を受けた警察官から「男性課員が出払っていていない」という返答を受けたため、折り返しの電話を待つ事に成ります。その間に医師が尚も暴れる佐藤宣行に対し鎮静剤を注射。やがて彼は眠り、ようやく場面は一旦落ち着いた形と成ったのです。

毛布の中に監禁されていた佐野房子を発見

ようやく落ち着いた室内にて、職員たちの注目は佐藤宣行からその傍らにある大きな毛布の塊へと移りました。実は室内で佐藤宣行が暴れている間にもこの毛布の塊は動いていたのです。そして市の職員がハサミで毛布を切り開くと、中から異様に色白な短髪の少女が現れたのです。

職員は少女に対し名前などを問いかけるも少女は口ごもり「気持ちの整理が付かないから」と返答。階下にいた母親にこの少女が誰なのかを問い尋ねるも、母親は「知らないし見たこともない」との返答を行ったそうです。

指定医が「佐藤宣行が入院するのでここには戻らないが、あなたはどうしますか?」と尋ねると、佐野房子さんは佐藤宣行の母親に「ここに居てもいいですか?」と呟いたそうです。

その要領を得ない返答に異変を感じた職員は、先程の警察からの折返しの電話の際に身元不明の女性も保護した旨を伝え、改めて警察の出動を要請したのですが、警察からは「そんなことまで押しつけないでくれ。もし家出人なら保護する」と返答し、事実上出動を拒否したのです。

その後少女を連れて病院に向かう途中に職員が再度少女に名前や住所を聞いた所、今度は少女の口から名前や住所が語られました。その情報に覚えがあった職員は、その少女が三条市で行方不明となった佐野房子さんでは無いかと思い、彼女の自宅に電話します。

その電話では誰も出なかったのですが、この事実を警察に伝えたところ流石の警察も3名の警官が出動。指紋確認を行った所、この少女が紛れもない9年前に行方不明と成っていた三条市の佐野房子さんだという事が明らかと成ったのです。

発見当初は筋力低下状態にあった佐野房子

発見当初の佐野房子さんは筋力低下状態にあり、一人では立って歩く事も出来ない状態だったそうです。また極度の栄養失調状態でもあり、それと併せて長期に渡る監禁生活からの精神疾患など様々な問題を抱えていたそうです。

新潟少女監禁事件の全容

それではここからは新潟少女監禁事件の全容について掘り下げて行きたいと思います。9年2ヶ月という信じられない程の長期間に渡って続いたこの新潟少女監禁事件。この新潟少女監禁事件の期間中、加害者である佐藤宣行はどの様に佐野房子さんを監禁し続けて来たのでしょうか?

9年間に渡って繰り広げられた加害者と被害者の監禁生活

この新潟少女監禁事件は犯罪史に残る鬼畜な事件として現在も多くの人々の脳裏に鮮明に焼き付いている事件です。

新潟少女監禁事件が発生したのは1990年の11月13日。それから佐藤宣行の自宅で発見される2000年1月28日迄のおよそ9年超の期間を、佐野房子さんは佐藤宣行によって監禁されながら過ごしてきました。

当時9歳だった佐野房子さんは、発見当時18歳と成っていました。本来なら家族や友達と共に泣いたり笑ったりしながら過ごすはずだった彼女の尊い成長期は、一人の鬼畜な犯罪者によって奪われてしまったのです。

この新潟少女監禁事件では確かに死者は出ていません。然しながら佐野房子さんにとってこの新潟少女監禁事件は死よりも酷い事件であった筈です。

何故なら奪われた時間は絶対に戻って来ることが無い事と、その9年間の間に植え付けられた恐怖とトラウマは、その後の彼女の人生を滅茶苦茶にしてしまうからです。

誘拐事件の被害者は必ずその心に大きなトラウマを抱えると言います。ましてや新潟少女監禁事件の様に信じられない程の長い時間を奴隷のように過ごしてきた彼女にとって、心に受けたダメージは計り知れないものであることは間違いありません。

佐藤宣行から被害者への暴力

先程申し上げた通り、新潟少女監禁事件で佐野房子さんは佐藤宣行から日々繰り返し暴力を受けてきたそうです。

佐藤宣行としては躾をしているという意識すらあったそうですが、誘拐事件の犯人が被害者に躾だなどと妄想も甚だしい限りです。理不尽な暴力で彼女の自由と未来を奪い去った鬼畜が躾だなどと方腹が痛い限り。

時にはプロレス技を佐藤宣行から掛けられる事もあったそうです。そんな時も黙って堪え続けた佐野房子さんは、次第に心に障害を発症していきました。

「今暴力を受けている自分は自分ではない」と第三者人格を形成し、自らの主要人格に防衛機制を働かせるという「解離性障害」つまり多重人格と呼ばれる症状です。

具体的な暴力も勿論ですが、こうした精神的なダメージも新潟少女監禁事件で佐藤宣行が佐野房子さんに与えた暴力であると言えるでしょう。この後遺症によって彼女は生涯苦しみ続けなければ成りません。新潟少女監禁事件によって佐野房子さんは、この先もずっとこのトラウマと戦って行かなければ成らないのです。

監禁生活により被害者の佐野房子は栄養失調に

新潟少女監禁事件の9年間に渡る監禁生活で、被害者の佐野房子さんは栄養失調状態に陥っていました。

当初母親が佐藤宣行の夜食として作っていた弁当を食事として与えていた佐藤宣行ですが、母親の負担を考慮してコンビニ弁当に切り替えます。

これにより栄養バランスが偏る事に成ったのですが、そんなある日佐野房子さんの足に痣があるのを見つけた佐藤宣行は、これが糖尿病によるものだと判断します。

以後佐野房子さんへの食事を1日1食としたのですが、これにより佐野房子さんはみるみる痩せ細り体重も激減。度々失神するまでに衰弱していったのです。

そんな佐野房子さんに対して佐藤宣行が取った対応は、食事におにぎりを1個足すのみでした。この様な生活が9年間に渡り続けられたのがこの新潟少女監禁事件なのです。

9年の監禁生活でたった1度のみのシャワー

新潟少女監禁事件の9年間の中で、佐野房子さんがシャワーを浴びたのはたったの1度です。それは彼女が誤ってベッドから落ちた際に埃まみれと成った事があったそうで、その一回のみシャワーを浴びさせたと言われています。

しかもシャワーの間ですら目隠しをさせられていたといいます。そもそも別途から落下して埃まみれになるとは、一体どの様な環境でこの新潟少女監禁事件は行われていたのでしょうか…。

排泄はビニール袋に

また新潟少女監禁事件の間、排泄は全てビニール袋にて行わせていたそうです。実はこれは佐藤宣行自身が普段から行っている方法で、それに倣って佐野房子さんにも同様にビニールへの排泄を行わせていたと言われています。

佐藤宣行は不潔恐怖を伴う強迫性障害…つまり重度の潔癖症を持っているため、自宅のトイレを使うことが出来なかったそうです。なのでビニール袋にて用を足していたのですが、そのビニール袋はズラリと廊下に並べられていたといいます。

被害者の佐野房子は加害者の佐藤宣行から教育を受けていた?

また新潟少女監禁事件の間、佐野房子さんは佐藤宣行から「教育」を受けていたと言います。教育と言っても其処までの本格的な物では無いようですが、それでもテレビやラジオで放送されているニュースの内容を話して利かせたり、漫画や新聞を与えたり、仕舞には比例式の解き方等を佐野房子さんに教えたそうです。

これには「彼女の考え方が子供のままでいないように」という考えがあったと言います。また佐藤宣行は佐野房子さんに競馬やF1の事など、佐藤宣行自身の趣味についても教えていたようで、これを彼女が理解し覚え、会話する事が出来るのが何よりの楽しみだったと逮捕後に供述しております。

加害者である佐藤宣行の人物像

続いて新潟少女監禁事件で逮捕された佐藤宣行という加害者の「人物像」について迫ってみたいと思います。この新潟少女監禁事件という史上稀に見る事件を引き起こして逮捕された佐藤宣行という人物は、一体どの様な人物だったのでしょうか?

佐藤宣行は新潟少女監禁事件を起こした当時は無職だった

新潟少女監禁事件で逮捕された佐藤宣行。彼は新潟少女監禁事件を起こした当時無職で、自宅に引きこもる生活を送っていたそうです。高校卒業後に就職するも人間関係に馴染めず退社。以降仕事もせずに部屋に引き篭もる生活を続けてきたと言います。

強迫性障害による不潔恐怖や潔癖症を持っていた佐藤宣行

先程も申し上げましたが、佐藤宣行は強迫性障害による不潔恐怖や潔癖症といった症状を抱えていたそうです。これはかなり重度の症状だったようで、生活に大きな影響を与えるレベルのモノでした。この辺も彼が新潟少女監禁事件を引き起こす為の何らかのトリガーに成ってしまった可能性があります。

佐藤宣行が父親を追い出した際にはあわや火事寸前の状態に

新潟少女監禁事件が発生した当時は既に佐藤宣行は母との二人暮らしでしたが、元々この自宅には彼と母親とそして父親の三人が暮らしていました。しかしその父親は佐藤宣行によって自宅を追い出されているのです。

佐藤宣行の父親は柏崎市内でタクシー会社を設立し、その会社の専務取締役を勤めていた人物でした。しかしそんな父親に対し佐藤宣行は「あんなのは父親じゃない」と口にしていたそうです。その理由は彼の不潔恐怖によるものだったらしく、自身の父親を薄汚い存在と捉えていたのだと言います。

父親に対する鬱積を貯めていた佐藤宣行は1981年7月に父親を家から追い出します。そのあと佐藤宣行は母親と口論となり、母親から「私も出て行く」と言われた事に激昂。自宅の仏壇に火をつけ、あわや火事寸前の状況となったそうです。

その後異母姉の家に避難した父親はやがて介護施設に入所していたそうですが、新潟少女監禁事件が発生する前年の1989年にお亡くなりに成っているそうです。

新潟少女監禁事件の加害者・佐藤宣行の生い立ち

続いて新潟少女監禁事件の加害者・佐藤宣行の生い立ちを紐解いてみましょう。彼が新潟少女監禁事件を起こし逮捕と成ったのには、彼が過ごした生い立ちが大きな影響を与えていると見て間違いありません。

父親と母親からの溺愛を受けてきた佐藤宣行

佐藤宣行は両親からの溺愛を受けて育ったと言います。その甘えさえ方は異常とも言える程らしく、その時培われた歪んだ性格が後の新潟少女監禁事件のトリガーへと成ってしまったのです。

佐藤宣行が欲しがる物を全て与える溺愛ぶり

また両親は佐藤宣行が欲しがるものは何でも買い与えたと言います。望めば何でも手に入るという歪んだ考えはこの時代で身についたものかも知れません。

新潟少女監禁事件は幼少期の失敗による影響か?

彼が新潟少女監禁事件を引き起こしたのは、彼の幼少期の失敗が影響しているのではないか?とも言われています。幼少期の失敗とはつまり「用便」です。彼は幼少期に何らかの出来事があり、糞尿に対して歪んだ捉え方をしたのではないか?と考えられます。

幼少期の出来事が佐藤宣行を小児性愛に走らせた?

その出来事が佐藤宣行を小児性愛に走らせたのではないか?というのです。佐野房子さんが目の前でビニール袋に用を足す姿を見て、佐藤宣行は恐らく性的な興奮を覚えたものと考えられます。

然しながら彼は性的な部分でも著しく倒錯しており、一般的な性的行為を行うことで欲求を満たすという考えは持って居なかったのではないかと考えられるのです。

現に佐野房子さんに対し、佐藤宣行が強姦したという事実はありませんでした。新潟少女監禁事件の様な事件を起こしておいて普通ならそうした目的が有ったのではないか?と考えるところなのですが、その辺りからもこの新潟少女監禁事件が極めて異質な事件である事がお分かり頂けると思います。

加害者の佐藤宣行と被害者の佐野房子の現在やその後

続いては新潟少女監禁事件の被害者と加害者のその後と、現在の状況に付いてご紹介して参ります。犯人逮捕から、その後の裁判では一体どの様な判決が下されたのか?また現在の佐藤宣行はどうなったのか?そして被害者の佐野房子さんのその後は?現在は何をしているのか?等、気に成るその後と現在の様子について迫りました。

佐藤宣行には新潟少女監禁事件で懲役14年の実刑判決が

新潟少女監禁事件で逮捕された佐藤宣行には懲役14年の実刑判決が下されました。余りにも身勝手で前代未聞事件である新潟少女監禁事件。この新潟少女監禁事件で佐藤宣行は、自らも14年に渡る監禁生活を余儀なくされる事に成ったのです。

現在では刑務所も綺麗に成りましたが、それでも佐藤宣行の様な潔癖症の人間には耐え難い空間であることに違いありません。恐らくは医療刑務所への送致と成った筈ですが、にしてもその後の彼の刑務所生活は彼にとって正に苦痛の毎日だった事でしょう。

服役中に障害者手帳を取得した佐藤宣行

そんな佐藤宣行ですがどうやら服役中に障害者手帳を取得したそうです。出所したその後を考え障害者手帳を取得したのか、刑務所側から薦められたのかは分かりません。

佐藤宣行は現在既に出所しており両親は他界

その後の佐藤宣行ですが現在は既に刑期を終えて刑務所から出所しています。現在彼が何処に暮らしているのかは明らかに成っていませんが、その後母親も他界しているので、現在はあの自宅とは違うところで暮らしている可能性が高いと考えられます。

現在でもこの新潟少女監禁事件を覚えているという方は沢山いるでしょうから、もしかすると彼は現在新潟県ではなく全く違う他府県に移り住んでいるのかも知れません。

それこそ逮捕の際はその顔が日本中に報道されており、これから先は一生「新潟少女監禁事件の犯人だ!」と言われることを恐れながら生きて行く訳ですが、それも自らの犯した罪に対する十字架です。

実名報道された佐野房子のその後

一方被害者である佐野房子さんのその後ですが、現在彼女はどの様な生活を送られているのでしょうか?

新潟少女監禁事件発覚時は被害者であるにも関わらず実名報道が行われてしまい、その後の生活にも影響が及ぶのではないか?と懸念されておりましたが、果たして彼女は現在安寧な毎日を送ることが出来ているのでしょうか?

運転免許の取得や旅行が出来るまでに回復した佐野房子

現在の佐野房子さんは、運転免許の取得や旅行を楽しむことが出来る程に体力は回復されているそうです。既に一般的な生活を送ることに対しては支障が無いということですから、これには何よりといったところでしょうか。

ただ、現在でも事件当時の事を思い出して気分が悪くなる事もあるといいます。これは心の負った傷なので、体力が回復すると同じ様には行かないようです。今後も彼女に安らかな日々が訪れることを願って止みません。

新潟少女監禁事件によって明らかと成った警察内部の問題

新潟少女監禁事件での警察の捜査対応に問題の声が上がる

新潟少女監禁事件での警察の捜査対応に、各方面から問題の声が上がりました。確かに警察としてもやるべき事はやっていたと言いたい部分はあるでしょうが、それにしてもお粗末な部分がこの新潟少女監禁事件では目立ちすぎたとも言えます。

佐野房子発見当時の対応にバッシングが

特に佐野房子さんを発見した際に直ぐに駆けつけなかった事に関しては、その後大きな問題と成ったそうです。事件性が明らかであるにも関わらず「押し付けるな」と言いさった警察官。それが新潟県警察の本質なのでしょうか?

事件当時に行われていた警察の接待麻雀

また一部では事件当時警察で接待麻雀が行われていたと言われています。別に警察が麻雀をしていてはいけないというルールはありませんが、緊急時の対応が出来ていればそんなところまで叩かれる事は無かったでしょう。「一事が万事」で、こうした気の緩みが警察の不祥事を生み出す原因と成っているのです。

佐藤宣行は現在出所し佐野房子は回復中

今回は1990年に発生し、2000年に解決を迎えた新潟少女監禁事件についてまとめてみました。非常に許しがたい事件として今も多くの人々の脳裏に焼き付いているこの事件。今後この様な事件が繰り返されない様、然るべき形でこの事件を教訓として頂きたいモノです。

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