大原麗子の死因は脳内出血?孤独と言われた晩年を振り返る

女優の大原麗子さんの死因が脳内出血だったというのは本当なのでしょうか?また、大原麗子さんが晩年に患っていたと言われるギランバレー症候群が死因に関係しているという噂もあるようです。大原麗子さんの死因の真相を探るとともに、孤独と言われた晩年を振り返ります。

大原麗子の死因は脳内出血?孤独と言われた晩年を振り返るのイメージ

目次

  1. 1大原麗子のプロフィール
  2. 2大原麗子の死因は脳内出血?
  3. 3大原麗子の孤独と言われた晩年の真相
  4. 4大原麗子の死因とギランバレー症候群の関係性
  5. 5大原麗子とのお別れ
  6. 6大原麗子の死因は不整脈による脳内出血で孤独死

大原麗子のプロフィール

・愛称:???
・本名:飯塚麗子(いいづかれいこ)
・生年月日:1946年11月13日
・年齢:享年62歳(2009年8月3日没)
・出身地:東京都文京区
・血液型:AB型
・身長:157cm
・体重:???
・活動内容:女優
・所属グループ:なし
・事務所:ワンポイント
・家族構成:元旦那(渡瀬恒彦・森進一)

大原麗子の経歴

大原麗子さんの死因や孤独の理由について見てく前に、まずは生前の経歴を紹介しましょう。大原麗子さんは東京放映の社長にスカウトされたことで芸能界に入ります。1962年に公開された中尾ミエさん主演の映画「夢で逢いましょ」でスクリーンデビューを果たしました。1964年にはNHKで放送された「幸福試験」でテレビドラマデビュー。

1971年に東映との契約が切れた大原麗子さんは、渡辺プロダクションに移籍しました。それまでは映画の脇役などとして出演することが多かった大原麗子さんですが、移籍をきっかけにテレビドラマを中心に活躍していくことになります。

1989年に放送された大河ドラマ「春日局」で、大原麗子さんは春日局ことおふく役として主演します。大原麗子さんは「春日局」での演技を高く評価され、視聴率も大河ドラマ歴代3位となる高視聴率を記録しました。その後、1988年に放送された大河ドラマ「徳川慶喜」にも、れん役とナレーション兼任で出演しています。

1984年に公開された映画「おはん」も、大原麗子さんの代表作と言えるでしょう。この作品は吉永小百合さんが主演しており、大原麗子さんは芸者のおかよを演じました。大原麗子さんは魔性の女・おかよを見事に演じきり、第8回日本アカデミー賞の優秀助演女優賞を受賞しています。

大原麗子さんはバラエティ番組にはそれほど多く出演していなかったようですが、1994年にはよみうりテレビ系列で放送されている「ダウンタウンDX」に出演。この時にはご本人の希望ということで、禿げ頭のカツラをつけたり、セーラー服のコスプレをするなどして話題を集めました。

また、フジテレビ系列で放送されていた「SMAP×SMAP」の名物コーナー「ビストロSMAP」の第1回のゲストはが大原麗子さんだったことも有名です。大原麗子さんが亡くなられた時には、追悼の意を込め、大原麗子さんが出演した第1回の「ビストロSMAP」が再放送されました。

大原麗子さんはCMにも多数出演していたようです。大原麗子さんが出演していたCMで特に有名なのが、サントリーレッドのCMでした。和服姿で「すこし愛して」、「ながーく愛して」というセリフを言う大原麗子さんの姿が可愛いと評判だったとのこと。このCMは1980年から1990年まで放送されました。

その他の出演CMは、ロート製薬の「パンシロン」、「新・Vロート」、「V ロートクール」や、東芝の洗濯機や衣類乾燥機、ヤマザキビスケットの「チップスター」や「ビスケット」、ポーラ化粧品の「エスティナ」などがあります。

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大原麗子の死因は脳内出血?

大原麗子さんの死因について見ていきましょう。大原麗子さんの死因が脳内出血だという情報があります。大原麗子さんの死因は脳内出血だったのでしょうか?大原麗子さんの死の経緯とともに死因について調べてみました。

2009年8月3日に他界した大原麗子

大原麗子さんが亡くなられたのは2009年8月3日のことでした。当時の大原麗子さんは62歳という年齢でしたので、若すぎる死に多くの人が驚いたようです。晩年の大原麗子さんは闘病などもあり、仕事はほとんどしていなかったと言われています。

ただ、亡くなられる前年の2008年に、大原麗子さんは復帰に向けての意欲を語っていたとのこと。大原麗子さんはテレビドラマでの復帰を望んでいたようですが、それが叶わないまま亡くなられました。2017年に放送された「やすらぎの郷」には大道洋子役で、写真や他の出演者たちによる回想という形で出演されています。

大原麗子の死因とは

大原麗子さんの死因はどのようなものだったのでしょうか?晩年は闘病していたという情報もありますので、病気が関係しているのでしょうか?大原麗子さんの死因について調べてみました。

死因は不整脈による脳内出血

大原麗子さんの死因は、不整脈による脳内出血だったとのことです。不整脈というのは、通常は規則正しいリズムで脈を打つはずのものが、ゆっくりになったり速くなったり、さらには不規則になってしまう症状のことなのだそうです。

不整脈の原因はさまざまなものがあり、その原因によっては脳内出血を引き起こすことがあると言われています。心房細動などが理由で不整脈が起こる場合、不整脈が脳内出血を引き起こす可能性が高いという情報がありました。

孤独死で死亡から3日後に自宅で発見

大原麗子さんの死は孤独死でもあったと言われています。大原麗子さんは晩年、1人暮らしをされていたようで、亡くなっているのが発見されたのは、死亡から3日後のことだったようです。大原麗子さんには弟がおり、連絡が取れないことを心配して警察にも相談していたとのこと。

大原麗子さんの弟によると、「携帯電話は3メートルほど離れたところに置いてあり、手を伸ばそうとしていたような状態」で亡くなられていたそうです。死因が脳内出血ということですので、携帯電話に手が届く前に身体が動かなくなってしまったのかもしれません。

大原麗子の孤独と言われた晩年の真相

大原麗子さんの晩年は孤独だったという噂があるようです。大原麗子さんの晩年が孤独だったと言われてしまう理由は何だったのでしょうか?大原麗子さんの晩年が孤独だと言われる理由について調べてみました。

孤独と言われた理由①鹿沼絵里や仲間からの縁切り

大原麗子さんの晩年が孤独だと言われる理由としては、鹿沼絵里さんなど、仲間からの縁切りがあったことがあるようです。大原麗子さんと鹿沼絵里さんは、鹿沼絵里さんが古尾谷雅人さんと結婚された時に媒酌人をつとめるほど、もとは仲が良かったのだとか。

ただ、鹿沼絵里さんが古尾谷雅人さんのDVなどで辛い目に遭っているときに「マネージャーをして欲しい」としつこく頼んできたことがあったそうです。その他にも、子育てに奮闘する鹿沼絵里さんに真夜中でも電話をかけてくるなど、大原麗子さんの異常なほどの依存心に嫌気がさした鹿沼絵里さんは、完全に縁を切ることを決めたと言います。

孤独と言われた理由②浅丘ルリ子との絶交

大原麗子さんの晩年が孤独だった理由としては、浅丘ルリ子さんとの絶交もあったと言われています。浅丘ルリ子さんも鹿沼絵里さんの時と同じように、夜中に大原麗子さんからの電話が何度もあったとのこと。しかも、自分の愚痴を延々と2時間も3時間も話して電話を切るということが繰り返されたため、絶交したそうです。

また、浅丘ルリ子さんだけではなく、森光子さんも大原麗子さんとは絶交していたと言います。森光子さんが大原麗子さんと絶交した理由も、浅丘ルリ子さんと同じものでした。このようにして、大原麗子さんは自らの行動で孤独を深めていったようです。

孤独と言われた理由③母親の介護

大原麗子さんの晩年の孤独の理由としては、他にも母の介護があったと言われています。大原麗子さんは自身も病気や怪我に苦しむ中、90代の母の介護をしていたのだそうです。

ある雑誌の編集者が、死亡する数ヶ月前の大原麗子さんに電話をかけたところ、「母の介護が大変」と号泣されたのだとか。ただ、大原麗子さんが亡くなられた時には、母は施設に入っていたそうです。

大原麗子の死因とギランバレー症候群の関係性

大原麗子さんの死因とギランバレー症候群の関係についても見ていきましょう。大原麗子さんはギランバレー症候群を患っていたことで知られていますが、死因との関わりはあったのでしょうか?大原麗子さんの死因とギランバレー症候群の関係について調べてみました。

大原麗子の死因はギランバレー症候群も関係?

大原麗子さんは亡くなる直前まで、ギランバレー症候群に悩まされていると語っていたようです。大原麗子さんが表舞台から姿を消した理由は、ギランバレー症候群だったと言われています。ギランバレー症候群とはどのような病気なのでしょうか?

ギランバレー症候群とは

ギランバレー症候群は、急性・多発性の根神経炎の一種で、四肢に力が入らなくなってしまう病気です。重症の場合は呼吸不全を起こしてしまうため、気管切開や人工呼吸器の装着が必要になってしまうこともあるのだとか。

ただ、症状は急速に進行するものの、自然治癒し、ほとんどの場合は完治するそうです。1割から2割の人には後遺症が残ってしまうこともあると言われ、大原麗子さんもこの後遺症に悩まされていたのではないかと言われています。

1975年にギランバレー症候群を発症

大原麗子さんがギランバレー症候群を発症したのは1975年のことでした。この時、大原麗子さんは芸能活動を休止しますが、その後は回復して復帰します。ただ、1999年に大原麗子さんはギランバレー症候群が再発したとして再び芸能活動を休止。以後はほとんど表舞台に出ることはなくなったようです。

元マネージャー佐藤嘉余子との同居

大原麗子さんはギランバレー症候群を再発したとされる1999年頃、元マネージャーの佐藤嘉余子さんと同居していたことがあったそうです。佐藤嘉余子さんは20年以上、大原麗子さんのマネージャーをしていたのだとか。

佐藤嘉余子さんは、大原麗子さんと仕事のやり方を巡って衝突し、マネージャーを辞職したそうです。大原麗子さんと佐藤嘉余子さんの同居は、生活習慣の違いなどの理由により、5ヶ月ほどで解消となりました。

大原麗子以外にギランバレー症候群を患った芸能人

芸能界には、大原麗子さん以外にもギランバレー症候群を患った芸能人、有名人がいるようです。調べてみたところ、俳優の安岡力也さんや女優の芳根京子さん、モデルの美馬寛子さん、政治家の川口順子さんなどがギランバレー症候群を患ったことがあるとのこと。

芳根京子さんの場合は芸能界入りする前の中学生時代にギランバレー症候群を患ったのだそうです。芳根京子さんの闘病は1年ほど続いたようで、この頃には学校に行くのも大変だったと言われています。

ギランバレー症候群以外に乳癌の手術も

大原麗子さんはギランバレー症候群だけではなく、乳がんも患っていたと告白されていたようです。大原麗子さんが乳がんを患ったのは1991年のことで、47歳の時のことでした。大原麗子さんは乳がんの手術をしましたが、その2年後の1993年に再発し、再び手術を受けたそうです。

また、大原麗子さんは1999年に目を二重にする整形手術を受けたそうですが、失敗してしまったとのこと。その直後にギランバレー症候群が再発し、すべての芸能活動を休止することになってしまいました。

大原麗子とのお別れ

大原麗子さんとの葬儀やお別れの会についても見ていきましょう。大原麗子さんの葬儀やお別れの会はどのように行われたのでしょうか?大原麗子さんの葬儀やお別れの会などについて調べてみました。

2009年8月8日に自宅にて密葬

大原麗子さんの葬儀は、自宅で密葬という形で行われたそうです。ただ、大原麗子さんは生前に葬儀の希望を弟に託していたようで、豪邸と言われる自宅のリビングに遺影が飾られ、その写真が公開されたとのこと。遺影は大きな鏡台の上に飾られていたのだそうです。

また、近親者による密葬だったため、葬儀に芸能人の参列はありませんでしたが、森光子さんや高倉健さん、渡辺プロダクションの社長からなどからの弔電や供花が届けられました。

2009年8月23日に青山葬儀所にてお別れの会

大原麗子さんの葬儀は密葬で行われましたが、その後、お別れの会が青山葬儀所で行われました。この時には、かつて共演した芸能界の大御所たちが大勢訪れ、盛大なお別れの会となったようです。

このお別れの会の発起人は、女優の森光子さんだったとのこと。絶縁関係となってしまった浅丘ルリ子さんや、大原麗子さんのかつての旦那である渡瀬恒彦さん、森進一さんも出席されました。大原麗子さんのお別れの会には、関係者が400名、一般の参列者が600名で合わせて1000名が参列したそうです。

高倉健が大原麗子のお墓参り

大原麗子さんは現在、世田谷にあるお寺のお墓に眠っているそうです。大原麗子さんは俳優の高倉健さんのことを兄のように慕っていましたが、高倉健さんは青山葬儀所で行われたお別れの会には出席できなかったとのこと。ただ、高倉健さんは毎年、大原麗子さんのお墓参りに訪れていたという情報がありました。

大原麗子の死因は不整脈による脳内出血で孤独死

女優の大原麗子さんの死因について紹介してきました。大原麗子さんは2009年に自宅で亡くなられましたが、その死因は不整脈による脳内出血だったそうです。大原麗子さんの死が確認されたのは、死後3日経ってからのことで、孤独死でした。

晩年の大原麗子さんは、親しかった芸能界の友人達とも絶縁状態となり、孤独だったと言われています。ただ、死後には盛大なお別れの会が開かれ、森光子さんや浅丘ルリ子さんなど、大物芸能人が多数参列。大女優として活躍した大原麗子さんの最期に相応しいお別れの会になったと言われています。

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