沖田浩之の自殺の理由と死因は?子供や嫁は?沖田浩之まとめ

自殺によってこの世を去った俳優の沖田浩之。人気俳優の自殺は世の中に大きな衝撃を与えました。今回はその沖田浩之の自殺について、死因や動機・背景等を中心に、子供・嫁の有無や生前彼と噂になった川上麻衣子や山本陽子といった女性関係など幅広く調査致しました。

沖田浩之の自殺の理由と死因は?子供や嫁は?沖田浩之まとめのイメージ

目次

  1. 1沖田浩之とは
  2. 2衝撃的な事件だった「沖田浩之自殺」の経緯
  3. 3沖田浩之の自殺の要因と死因について
  4. 4親友である川上麻衣子も絶句
  5. 5沖田浩之の妻と子供は今?
  6. 6沖田浩之と山本陽子の関係とは
  7. 7沖田浩之に安らかな眠りを

沖田浩之とは

沖田浩之のプロフィール

・愛称:ヒロくん
・本名:置鮎 広之(おきあい ひろゆき)
・生年月日:1963年1月7日
・没年齢:36歳
・出身地:神奈川県川崎市
・血液型:A型
・身長:175㎝
・体重:63kg
・活動内容:俳優、アイドル
・所属グループ:なし
・事務所:スターダストプロモーション
・家族構成(娘、父、旦那、嫁、兄など):父、兄、妻、子供

沖田浩之の経歴

それでは先ず沖田浩之の経歴からご紹介して参りましょう。沖田浩之(本名・置鮎 広之「おきあい ひろゆき」)は、1963年1月7日生まれで神奈川県川崎市の出身。存命ならば先月で56歳の誕生日を迎えていた筈でした。

詳しくは後述致しますが、アイドルから本格的な俳優へと転身し、今後の活躍が期待されていた矢先の1999年3月27日に沖田浩之は自殺によってこの世を去りました。この事件は大々的に報じられ、突然の訃報に多くの人々が涙を流して沖田浩之を悼んだそうです。

竹の子族からアイドルへ!沖田浩之の奇跡

沖田浩之は元々「竹の子族」のメンバーでした。この竹の子族というのは、1980年代前半に原宿や代々木公園などの歩行者天国でラジカセを囲み、ディスコサウンドなどをかけ、派手な衣装でステップを踏み、踊っていた参加者のことを言います。

参加者は主に中学生、高校生が中心で、チームごとに衣装や色を揃えたりするのが竹の子族の特徴でもあります。竹の子族最盛期には2000人前後の若者が原宿の歩行天国に集まったと言いますから、その人気は絶大なモノであったと言えます。

この竹の子族時代に芸能界へとスカウトされた沖田浩之は、「竹の子族上がりのアイドル」として世間から熱い注目を浴び、デビューする事と成って行ったのです。

一時は飛ぶ鳥を落とす勢いとまで言われた竹の子族ブームも、1998年前後の歩行者天国廃止の影響によってその活動は下火となっていきました。然しながら現在でも「竹の子族生誕35周年記念イベント」が開催されたりなど、絶滅したと思われた竹の子族のフォロワーは確かに存在している様です。

当時流行ったファッション発信地「ブティック竹の子」では、その奇抜なファッションにレディー・ガガも魅せられ、大量に服を買っていったこともあるのだと言いますから驚きです。

という訳で沖田浩之はまさにこの時代の若者文化の象徴的な存在である、「竹の子族」を代表するアイドルだったという訳です。そんな彼がお茶の間の人気者と成るにはそう時間は掛かりませんでした。

「3年B組金八先生」で一躍人気者に

芸能界デビューを果たした沖田浩之がブレイクするきっかけと成ったのは、1980年〜1981年に掛けて放送が行われたTBSの人気ドラマ「3年B組金八先生」に生徒である松浦悟 役で出演した事でした。

その後芸能事務所であるスターダストプロモーションに所属し、「E気持(イーきもち)」でアイドルとしてデビューを果たした沖田浩之。この曲はいきなりオリコンチャート最高8位というスマッシュヒットと成りました。

トップアイドルと為った沖田浩之はやがて俳優の道へ

このファーストシングルでトップアイドルクラスの人気を獲得することと為った沖田浩之。熱狂的なファンによって幾つかの親衛隊が結成された程の人気っぷりで、忽ち世間の若い女性たちを虜にしていきました。

1981年4月に沖田浩之は青山学院大学二部経済学部経済学科に入学。その後は歌手と俳優を並行して活動を行ってきましたが、本格的に俳優業一本へとシフトする事を決め、1984年7月28日、新潟県民会館にて歌手活動最後のコンサートを開催致しました。

津川雅彦の元で堅実な役者生活を歩んだいた沖田浩之

ステージ終盤、これまでの歌手活動の集大成として彼の気持ちを込めた曲「I believe in music」(原曲Mac Davis)を披露。その年の秋に横浜岡田屋モアーズのイベントを最後に歌手活動を終了。フロムファーストプロダクションから独立し、念願の俳優一筋の道を歩むため、個人事務所ヒロ企画を設立。

こうして本格的に俳優業へとシフトした沖田浩之は、のちに関西大手の芸能事務所にデスクを置いて、舞台を中心に活動を行っていきます。その後津川雅彦が代表を務めるグランパパプロダクションに移籍し、俳優として堅実な歩みを続けていました。

予期せぬタイミングで沖田浩之はこの世を去った

そんな彼が突然自殺を図ったのが1999年3月27日の事でした。つい先日恩師津川雅彦と共演した「サラリーマン金太郎」の第1シリーズが幕を下ろしたばかりのタイミングで、この訃報に津川雅彦も絶句。「顔を洗って出直して来い! そう言ってやりたい」と涙ながらに語ったそうです。

衝撃的な事件だった「沖田浩之自殺」の経緯

沖田浩之が亡くなったその日の経緯を振り返る

それでは先ず沖田浩之の自殺の経緯を振り返ってみたいと思います。彼が自殺したのは1999年3月27日の事でした。自殺の第一発見者は沖田浩之の妻でした。

この日の午前九時ごろ、上の子を幼児教室に連れて行った沖田浩之の妻が帰宅すると、鍵を掛けた筈の玄関のドアに鍵が掛かっていなかったそうで、夫の沖田浩之が帰宅しているものと思い彼を呼ぶも返事がなかったそうです。

その後下の子が「沖田浩之は寝てる」という言葉にハッとした妻が二階の寝室に駆けつけてみると、そこには寝間着の紐で首を吊って死んでいる沖田浩之の亡骸があったそうです。

妻と子供に一生消えないトラウマを植え付けてしまった事に彼は後悔しているでしょうか?愛する家族が暮らす我が家で彼は自らの手で人生の幕を下ろしてしまったのです。

自殺する前日に津川雅彦と酒を酌み交わしていた沖田浩之

亡くなる前日、沖田浩之は俳優として大先輩であり彼が恩師として慕っていた同事務所の俳優津川雅彦と酒を酌み交わしていたそうです。

沖田浩之と津川雅彦は共にTBSドラマ「サラリーマン金太郎」に出演しており、先日ちょうどその第1シリーズの放送が終了したばかりのタイミングだったそうです。

2人はドラマの打ち上げも兼ねて酒を飲みに出掛けたそうなのですが、この席で沖田浩之は役者としての苦悩を津川雅彦に漏らしたそうです。そんな沖田浩之に対し津川雅彦は叱咤激励の意味で厳しくも優しさのある言葉を投げかけたといいます。

そうして笑いながら楽しく飲んだ翌日に彼は自ら命を断ったのです。沖田浩之の自殺を聞き、津川雅彦が言葉を失ったのは言うまでもありません。

津川雅彦はこの日を振り返り「特攻隊のように花と散っていった。機能は腹を抱えて笑うように楽しくやった。昨日があまりに楽しく、帰ってからの孤独との落差が彼の敗戦につながったとしか考えられん。役者として戦いに負けたと感じたのだろう」と涙をこらえながら語った。

恐らく沖田浩之は役者としての自分に限界を感じていたのかも知れません。そしてそれが彼の中にある何らかのスイッチを押してしまったのかも知れません。それだけが彼の死のきっかけでは無いでしょうが、彼の中でどうしようもない何かが燻っていたのだけは間違いないでしょう。

沖田浩之の自殺の要因と死因について

沖田浩之の死因は首吊り自殺による窒息死

沖田浩之の死因は首吊り自殺による窒息死だったそうです。中には「死因は自殺」などとまとめているサイトがあるようですが、「死因」は「死因」であり「死に方」ではありません。

簡単に言うと死因とはいわゆる「死亡原因」を指す言葉であり、自殺とは「死亡に繋がった行動」を指す言葉です。なので「死因は自殺」という表現は日本語として不自然であり、死因ではないのです。

それはさておき窒息死という事ですから、亡くなる際はさぞ苦しかった事でしょう。沖田浩之がそうまでして自殺を望んだのは一体どうしてだったのでしょうか?彼をそこまで死にたいと願わせた原因は一体何だったのでしょうか?

一時は事件性も囁かれたが…

沖田浩之が自殺したという一報を受け、あるマスコミが彼の情報について一斉に洗い出しを行ったそうです。実は当初一部で「コレは自殺に見せかけた事件では?」という見解があったらしく、本当に事件性のある話かという裏を取るためだったそうです。

然しながらそうした事件に繋がる様な情報は無く、この件は事件ではなく自殺であるとの決断が下ったそうです。もしこの事件が自殺ではなく本当に殺人事件だった場合、その裏にはどんな事情があったというのでしょうか。

ともあれ、事件性も無く死因にも疑わしいところは無いという事で、事件説は影を潜め自殺という認識に落ち着いたこの事件。ファンにとっては他殺だろうが自殺だろうが大事件だった事に何の変わりも無かったのでは無いでしょうか?

竹の子族上がりのアイドルという事で、日本中の多くの若年女性が彼の虜と成りましたが、そんなアイドルがまさかの自殺という形で突然いなくなってしまったのですから、その消失感たるや相当なモノだった筈ですね。

親友である川上麻衣子も絶句

共演以来親友関係にあった沖田浩之と川上麻衣子

沖田浩之の親友として知られる女優の川上麻衣子。彼女と沖田浩之は沖田浩之の出世作である「3年B組金八先生」の第二シリーズで共演。2人はドラマ内で恋人同士を演じた間柄で、以降親友として親しくしていたそうです。

川上麻衣子は周囲とすぐに打ち解けられない性格だったそうで、そんな川上麻衣子の事を沖田浩之は「麻衣子はオレの妹みたいなやつだから…」と何かに付けて気に掛け、度々相談に乗ってくれたといいます。川上麻衣子にとって沖田浩之は「頼れる兄」であり、まるで「芸能界の中に肉親がいるような感覚」だったといいます。

2人の親友を自殺によって失った川上麻衣子

川上麻衣子が親友を自殺で亡くしたのは実はこれが初めてではありません。1997年に飛び降り自殺によっって亡くなった女優・可愛かずみも、川上麻衣子の親友として長きに渡り交友関係に有った間柄だったのです。

自殺が原因で親友を2人も亡くしてしまった川上麻衣子は、さぞショックを受けた事でしょう。それはただ単にショックだったという事ではなく、どちらに対しても悔いが残る終わり方をしているからです。

川上麻衣子が沖田浩之の死の真相を語っている

2017年3月7日に放送されたテレビ朝日「悪体験再現バラエティー”『芸能人が実体験を告白!最悪の一日』」という番組に、川上麻衣子が出演。この番組内で川上麻衣子は沖田浩之にまつわる“悔やんでも悔やみきれない最悪の一日”について初めて告白を行いました。 

実は川上麻衣子は過去に沖田浩之から2度ほど電話を受けた事が有ったそうです。1本目の電話は1990年で、川上麻衣子が24歳、沖田浩之が27歳の頃だったそうです。

これまで沖田浩之が川上麻衣子に対し悩みを相談するなど全くなかったにも関わらず、ある夜突然「聞いてほしいことがある」と呼び出され、駆けつけると当時の恋愛の悩みを相談されたといいます。

珍しくプライベートについて語ってくれた沖田浩之に驚きつつ、「私も彼の相談相手になれるぐらい、成長したんだな」とうれしく思った事を覚えていると、川上麻衣子は話しました。

そして2本目が、川上麻衣子にとって悔やんでも悔やみきれない「運命の電話」となりました。彼女はあるパーティーで久しぶりに沖田浩之と再会したのですが、このパーティーから帰宅した彼女に沖田浩之からの着信があったそうなのです。そしてその電話から1ヶ月も経たないうちに彼は自ら命を絶ってしまうのです。

この電話は、パーティーの会場で元気が無さそうだった川上麻衣子の事が気になった沖田浩之が「大丈夫?元気?」と声を掛けてきたという内容でした。

沖田浩之の感は的を得ていたらしく、この時の川上麻衣子はプライベートや仕事の事で精神的に参っていたそうです。そんな時に「元気?」と言われたのが見透かされた様で嫌だったのか、川上麻衣子は沖田浩之に対しそっけない態度で応対したのだと言います。

そして沖田浩之から「聞いて欲しい事がある」と言われた川上麻衣子は、「また今度」と話を聞かずに流してしまったと言います。沖田浩之は「何かあったら俺に話せよ」と川上麻衣子を気遣いながら電話を終えたそうです。

推測ですが、沖田浩之は川上麻衣子に悩みを打ち明けたかったのでは無いでしょうか?しかし、自らが悩み頭を抱えている状況でも他人を気遣わずにはいられない彼は、川上麻衣子の事を気に掛けて、自分の悩みは心にしまってしまったのでは無いでしょうか?

川上麻衣子としてはまさかこれが最後の電話に成るとは考えても見なかったでしょう。彼女にとって可愛かずみの時と言い、沖田浩之の時と言い、共に悔いを残す形で親友と別れてしまう事に成ってしまったのですから、確かに「悔やんでも悔やみきれない過去の一日」ですね。

沖田浩之の妻と子供は今?

沖田浩之には妻と子供がいた

それでは続いて沖田浩之の妻と子供についてご紹介致します。沖田浩之には妻の千代子さんと2人の幼い子供がいました。妻とは1995年に結婚しているので、実質的な結婚生活は4年程度でした。

この妻の千代子さんは英語翻訳を行っている人だったそうです。結婚生活4年目で子供が2人居たのですから、沖田浩之の死後は相当苦労されたのでは無いでしょうか?

沖田浩之の自殺は子供によって発見されている

実は沖田浩之の死は子供によって発見されているのだそうです。第一発見者は妻である千代子さんと言われていますが、この千代子さんが子供が「お父さんが寝てるよー」と言った為に気づいたのだそうです。何とも痛ましいですね。

沖田浩之の妻は既に再婚したと言われている

そんな千代子さんは現在既に再婚し、幸せに暮らしていらっしゃるとの事です。これだけはこの事件の心の救いに成りますね。

沖田浩之と山本陽子の関係とは

沖田浩之と交際していた山本陽子

20歳の沖田浩之と40歳の山本陽子は、1982年にTBS系列で放送されたドラマ「愛を裁けますか」で、ポルノ小説を巡り起こった裁判の法廷で再会した、元恋人同士だった高校教師と元教え子の青年弁護士という役で共演しています。

この出会いがきっかけで沖田浩之と山本陽子は交際するようになったようです。当時から沖田浩之は熟女好きを公表しており、山本陽子とは20歳差であってもまさに念願の共演だったのではないでしょうか。

世間の20歳差交際への声に対し沖田浩之は「演技や人生観などいろいろアドバイスをもらっている」とし、山本陽子は「熱愛はないが、麻雀をしたり飲みに行ったりする関係」と、揃って交際を否定しています。

しかし沖田浩之は山本陽子のマンションに泊ることもあったそうで、2人は20歳差を感じさせないほどの親密さを見せていたそうです。またこの話題をリークしたのは沖田浩之の所属事務所社長である津川雅彦であるとのことで、熱愛はまずまず本当と見てよさそうです。

沖田浩之と山本陽子の間には子供も⁉

噂では沖田浩之と山本陽子との間に子供がいるなどと言われていますが、ニ人の間に子供はいないようです。この噂は、ドラマ「二度目のさよなら」で、山本陽子演じる人妻が14歳年下の青年(沖田浩之)の子供を身ごもるという設定からきているようです。尚、山本陽子は現在に至るまで一度も結婚しておらず、独身を貫いています。

沖田浩之に安らかな眠りを

今夏は俳優・故沖田浩之の自殺についてのまとめをご紹介いたしました。役者として、父親として、夫として、それら全てを投げ出す形で命を断ってしまった沖田浩之。生きていればきっと良い役者に成ったであろう未完の大器の早すぎる死は、今も悔やまれる所です。彼に安らかなる眠りが訪れる事を願いましょう。

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