小野文恵(アナウンサー)の結婚や妊娠・子供は?祖父は戦死?

お茶の間を大いに楽しませてくれている、NHKの小野文恵アナウンサーの現在を探ってみました。小野文恵さんの年齢や結婚、妊娠のこと、そして夫であるNHK理事の菅康弘さんのことや子供のこと、また話題になっていた戦死した祖父のことなども明らかになっています。

小野文恵(アナウンサー)の結婚や妊娠・子供は?祖父は戦死?	のイメージ

目次

  1. 1小野文恵のプロフィール
  2. 2小野文恵アナウンサーの結婚の詳細
  3. 3小野文恵の再婚相手は誰?
  4. 4小野文恵には子供がいる?
  5. 5小野文恵の祖父は戦死している?
  6. 6小野文恵は現在再婚していた!

小野文恵のプロフィール

  • 愛称:不明
  • 本名:小野文惠(おのふみえ)
  • 生年月日:1968年4月18日
  • 年齢:50歳
  • 出身地:広島県府中市
  • 血液型:O型
  • 身長:158cm
  • 体重:不明
  • 活動内容:NHKのチーフアナウンサー
  • 所属グループ:なし
  • 事務所:なし
  • 家族構成:夫:菅康弘(NHK理事)

小野文恵の経歴

小野文恵さんは、広島県でも一二を争う名門の広島大学附属福山高校から東京大学文学部に進学して、卒業後の年齢23歳の1992年にNHK山口放送局にアナウンサーとして入局します。

NHK山口放送局での小野文恵アナウンサーは、ニュース番組の他に高校野球の実況もしていたようです。そして当時としては異例の、5年間という長期間の初任地勤務になりました。この要因は高視聴率を取っていたからという見方もあります。

NHK山口放送局での高校野球地区予選の実況で小野文恵アナウンサーは、野球の知識があまりなく「打った!センターバック!キャッチャーフライです!」などと実況したり、コールドゲームのルールを知らずに「何が起こっているんでしょうか?」と実況してしまったこともあったようです。

また、小野文恵アナウンサーは夕方の報道番組「イブニングネットワークやまぐち」のメインキャスターだったのですが、小野文恵アナウンサーが担当している期間中は、なぜか視聴率が20%を超えていたので不思議に思い、その理由を視聴者に尋ねました。

すると「あんたがあまりにもたどたどしくて、恐ろしくて、目が離せないんだ。」と言われたそうです。こんな視聴率の稼ぎ方もあるのですね。

年齢28歳の1997年時に小野文恵アナウンサーは、山口放送局から東京アナウンス室に異動し「ためしてガッテン」や「鶴瓶の家族に乾杯」「土曜スタジオパーク」を担当しました。

年齢36歳の2004年に小野文恵アナウンサーは「NHK紅白歌合戦」の紅組の司会になり、年齢40歳の2008年には総合司会を務めました。総合司会と組司会の双方を務めたのは、宮田輝さん以来2人目でした。女性では小野文恵さんが初めてでした。

また小野文恵さんは紅白の司会に抜擢された時に「NHKのピンチと言われている時に起用されて、エーッ!と思いました。紅白は希望を捨てたんでしょうか。」ととんでもない発言をして話題になりました。

年齢38歳の2006年には、ユーモアで世間を楽しませた人三人に贈られる「ゆうもあ大賞」を小野文恵アナウンサーは受賞しています。

年齢39歳の2007年夏に小野文恵アナウンサーは「日本語センター」に出向となりますが、担当番組にはそのまま引き続き出演していて、2010年末に「土曜スタジオパーク」を降板するまで、担当した番組を一度も異動したことがありませんでした。

年齢42歳の2011年1月から小野文恵アナウンサーは「週刊ニュース深読み」のメインキャスターに起用されました。小野文恵アナウンサーが報道系番組を担当するのは、山口時代以来14年ぶりでした。

小野文恵アナウンサーは「(自分に)貫禄が付くまでニュースを読まないって決めていた。」とおっしゃって、オリンピック期間中のアナウンサーがいない時に司会をした「NHKスペシャル」では、ニュース内容の解説部分は記者が担当しました。小野文恵さんのプロのこだわりも素晴らしいですね。

報道番組のこだわりの一方で小野文恵さんは、バラエティ番組では大ボケの進行をするだけでなく「ためしてガッテン」や「鶴瓶の家族に乾杯」でたびたびコスプレを披露するなど、お笑いタレントのような活躍もしています。

小野文恵アナウンサーのその他の出演番組には「今夜も生でさだまさし」「サラリーマンNEO」「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本〜喜劇編〜」「亀田音楽専門学校」などがあります。

NHKの連続テレビ小説「わろてんか」で小野文恵さんは、ずっとやってみたいと思っていたナレーションに初めてチャレンジしました。「日頃の司会のお仕事とはひと味違う世界観の中に身を置いて、新しい表現にチャレンジしてみたいなあ。」​​​​とおっしゃっていました。

朝ドラの語りは、普通のナレーションとは違ってドラマの内容にそってさまざまな表現を求められるので、台本に「歌舞伎調で」と書かれていると小野文恵さんは、その表現を実現するためにわざわざ歌舞伎を見に行ったらしいです。常に向上心を持たれていますね。

また、小野文恵アナウンサーはこの朝ドラのナレーションの仕事は「お客さん目線でいることが使命で『かわいそうに』とか『がんばれ!』っていう気持ちを、そのまま言葉に乗せる感覚」「みんなが踊っているなら、私も踊っちゃおう! くらいの感じですね。」ともコメントしています。

「わろてんか」のナレーションは、小野文恵さんの49歳での初チャレンジです。いつまでもチャレンジ精神旺盛な彼女だからこそ、長年に渡って第一線で活躍し続けることができるのでしょうね。

年齢45歳の2013年には、週刊ポストの「本当に好きな女子アナランキング」で小野文恵さんは第3位に選ばれています。小野文恵アナウンサーの人気の高さが伺えますね。

小野文恵アナウンサーの趣味、特技は「読書、ダイビング、三味線」のようです。好きな食べ物は「ワイン、日本酒、焼酎とそれに合う料理」だそうです。また小野文恵さんのモットーは「明日できることは今日するな。」心身リフレッシュ術は「大好きな仲間と、美味しいお酒と料理とおしゃべりを楽しむこと。長時間の家飲み。」だとのことです。

小野文恵アナウンサーの結婚の詳細

お茶の間でも大人気の小野文恵アナウンサーですが、気になるプライベートの結婚はどうだったのでしょうか。妊娠、出産、子供のことなども追々探ってみましょう。

同僚アナウンサーと入局3年目に結婚

小野文恵アナウンサーは、入局3年目の1994年5月に同僚のアナウンサーと結婚していました。結婚式直後に夫が地方に転勤になり、すぐに別居状態になってしまったようです。もちろん妊娠、出産の情報もありませんでした。

結婚届を出さない事実婚だった?

小野文恵アナウンサーの結婚は、婚姻届が出されないままの「事実婚」だったようですね。妊娠、出産もなく、挙式直後に夫の転勤があったりして、出すタイミングがなかったのかもしれませんね。​​​​​

夫とはすれ違いが原因で破局

小野文恵アナウンサーの結婚生活は、すれ違いのまま3年後に離婚することになりました。妊娠、出産がなかったことも、原因のひとつになったのでしょうか。

このことが2005年の「週刊ポスト」で報じられるまでは、小野文恵アナウンサーは独身だと思われていたようです。

小野文恵の再婚相手は誰?

2005年に小野文恵アナウンサーが最初の夫と結婚、離婚していたことが発覚したわけですが、その後の結婚はどうだったのでしょうか。

2012年に再婚を発表

小野文恵アナウンサーは、2012年9月に複数のメディアで再婚の夫との婚姻が報道されました。また小野文恵さん本人も、テレビ情報誌「NHKウイークリーステラ(NHKサービスセンター発行)」2013年1月11日号のアナウンサーコラムで、夫との共通の趣味について書き記して婚姻を発表した形になっています。

再婚相手は10歳年上の管康弘

再婚当時、小野文恵アナウンサーは年齢42歳、夫の当時NHK編成局編成センター長の菅康弘さんは年齢54歳と、10歳以上の年齢差がありました。

管康弘は敏腕プロデューサーだった!

小野文恵さんの夫の菅康弘さんは「翔ぶが如く」や「坂の上の雲」を手がけた敏腕プロデューサーです。結婚当時の2013年6月にはNHK編成局編成センター長兼東日本大震災プロジェクト事務局長で、2014年6月13日NHK名古屋放送局長、2016年4月25日NHK経営企画局長を務め、2017年4月からNHKの理事になっています。

トントン拍子に出世しているように見えますが、これだけの実績を残していくには、それ相応の苦渋もたくさん舐めていることでしょう。

小野文恵さんの夫、菅康弘さんが手がけられた作品はたくさんありますが、その中でも2001年の「ちゅらさん」では製作統括として、2002年度エランドール賞プロデューサー賞受賞しています。また2002年の「ロッカーのハナコさん」制作統括として、2002年10月期月間ギャラクシー賞受賞しています。

そして「坂の上の雲」ではエグゼクティブ・プロデューサーとして・製作統括として、放送文化基金賞番組部門本賞受賞しています。

その他の小野文恵さんの夫、菅康弘さんの作品は、1992年演出の「流れてやまず 長流不息〜遥かなる黄河」1993年演出の「ええにょぼ」1994年演出の「サザンスコール」1995年演出の「走らんか!」1998年製作統括の「流通戦争」1998年製作統括の「鶴亀ワルツ」1998年製作統括の「結婚前夜」1999年製作統括の「天使のマラソンシューズ」

1999年製作統括の「双子探偵」2000年製作統括の「一絃の琴」2002年製作統括の「真夜中は別の顔」2002年製作統括の「恋セヨ乙女」2003年製作統括の「ちゅらさん2」2003年製作統括の「川、いつか海へ6つの愛の物語」2004年製作統括の「ちゅらさん3」2007年製作統括・演出の「ちゅらさん4」などがあります。

小野文恵さんと菅康弘さんは、どんな出会いをして結婚まで進んでいったのでしょう。馴れ初めなどの情報は見当たりませんが、ご本人から話を聞けることがあるといいですね。

小野文恵には子供がいる?

小野文恵アナウンサーは、最初の結婚の時には、妊娠、出産の情報もなく夫との子供さんを授かっていないようですが、再婚後の妊娠、出産はどうだったのでしょう。子供さんは授かったのでしょうか。

小野文恵は子供を出産していない

これまでに小野文恵アナウンサーが妊娠、出産したという情報はなく、番組を長期休暇や産休などで休んだこともありませんので子供さんはいないでしょう。

番組内で子供がいない理由を告白

小野文恵アナウンサーはご自身が司会を務めている「週刊ニュース深読み」の中で、子供を産めなかった理由を告白しています。

妊娠適齢期の年齢を過ぎた事が原因?

小野文恵アナウンサーは番組の中で「50歳くらいまでに子供は産めばいいのかなと思っているうちに手遅れになりました。」とコメントしています。妊娠適齢期を逃してしまったということですね。

また「20代30代で、もうちょっと仕事を頑張らないと!という時に子供を産めるような社会でもなかったですよね。」と当時の社会環境で妊娠、出産に踏み切れなかったことを明かしています。

小野文恵の祖父は戦死している?

小野文恵アナウンサーの祖父が、太平洋戦争で戦死していることを明かしています。その具体的な内容に迫ってみましょう。

番組内で祖父が軍人だった事を告白

NHKスペシャル「祖父が見た戦場~ルソン島の戦い20万人の最期~」で小野文恵アナウンサーは「私、小野文恵の祖父はフィリピン・ルソン島で戦死しました。しかし、いつ、どこでどのように亡くなったのか、分かっていません。」と告白しています。

祖父は陸軍の衛生兵として活動

小野文恵アナウンサーの祖父は、陸軍の病院船衛生第15班の衛生兵の小野景一郎(かげいちろう)さんです。景一郎さんは、一人娘の小野文恵アナウンサーの母である公子さんが2歳の時の昭和18年夏に、3度目の召集令状を受け出兵しています。

祖父はルソン決戦で戦死

小野文恵さんの祖父小野景一郎さんは、昭和20年のフィリピン・ルソン決戦で戦死なさったようです。その時の年齢は37歳だったようです。この祖父の足跡を小野文恵アナウンサーは辿り、それがこの番組になっています。

祖父のことを小野文恵アナウンサーが知ろうと考えたきっかけは、厚生労働省主催の慰霊巡拝の旅で、母親の公子さんとともにルソン島を初めて訪問したことだったようです。

小野文恵アナウンサーは「自分の祖父のことを知ろうと思う気持ちが戦争のいろいろな面を教えてくれた。番組では、戦争に限らず生きていることはものすごくありがたく、素晴らしいことだということを伝えたい。」とおっしゃっています。

小野文恵は現在再婚していた!

NHKアナウンサーの小野文恵さんは、最初の結婚と離婚を報道されるまでは、独身だと思われていたようですが、その後管康弘さんと結婚して、子供さんはいませんが幸せな家庭を築かれていました。

そしていくつになっても新たなことにチャレンジして、まだまだ向上していこうとする意気込みをいろんな場面で感じさせてくれる小野文恵アナウンサーには、今後も大いに期待したくなりますね。

NHKで長らくお茶の間を楽しませてくれている、小野文恵アナウンサーには人々を惹きつける魅力がありますね。この魅力は若い頃からの愛くるしいルックスと、愛嬌のある表情や表現が多くの人に受けているのでしょう。​​​​

これからも持ち前の明るさと自由さをフルに発揮して、元気で素晴らしいパフォーマンスを見せ続けてもらいたいですね。

関連するまとめ

Missing
この記事のライター
濱本哲治

新着一覧

最近公開されたまとめ