【大久保清連続殺人事件】大久保清の生い立ち!事件の概要や家族は?

連続殺人事件を起こした大久保清の生い立ちについて紹介します。大久保清はなぜ被害者に女性を選び、殺人をやめることができなかったのでしょうか?大久保清が起こした連続殺人事件の概要を紹介するとともに、その家族や生い立ち、またドラマ化された作品について紹介します。

【大久保清連続殺人事件】大久保清の生い立ち!事件の概要や家族は?のイメージ

目次

  1. 1大久保清とは
  2. 2大久保清連続殺人事件の概要
  3. 3大久保清連続殺人事件の判決
  4. 4大久保清の生い立ち
  5. 5大久保清事件のその後
  6. 6大久保清はイかれてる

大久保清とは

平成、そして令和になり残酷な事件が増えているという意見もありますが、昭和にも様々な残酷な事件が起きています。そんな残酷な事件の代表的なものとして大久保清が起こした連続殺人事件が挙げられます。この大久保清とはどういった人物だったのでしょうか?

その生い立ちや家族関係、被害者やその後について紹介します。また、大久保清を題材にしたドラマも事件の概要を知る上ではとても重要なので注目してみましょう。

大久保清連続殺人事件の犯人

大久保清は赤いベレー帽を被り、見た目は芸術家風な若者でした。しかし、心の中では常に女性に対する欲求を抱えており狡猾な手段で女性たちを騙して殺害しています。最初は優しい好青年を演じておりながら、相手に関係を迫って拒否されると殺害するという許されない人物といえるでしょう。

大久保清のプロフィール

大久保清は1935年1月17日生まれで1976年1月22日に41歳で死刑によって亡くなっています。大久保清の生まれは群馬県碓氷郡八幡村出身で現在で言う群馬県高崎市生まれです。家族は父親と母親、そして3男5女の7番目である三男として誕生しています。

しかし、大久保清の家族の中で長男は生まれてまもなく亡くなっており、次男は両親の望む性格ではなく、三男である大久保清を「ボクちゃん」と呼んで溺愛していたそうです。こういったことも後に大久保清が連続殺人事件を起こす理由になっていると考えられています。

連続殺人事件を起こす前からたびたび事件を起こしており、不起訴処分となったものを含めるとかなりの事件を起こしていることも分かっています。その奇抜な言動や逮捕後の警察とのやり取り、また死刑に対する姿勢などはドラマや小説などの題材にされるほど異質なものでした。

大久保清連続殺人事件の概要

では、大久保清が起こした連続殺人事件について概要を確認してみましょう。この事件はわずか41日間の間に起きた出来事であり、大久保清はその期間の間に8人の女性を殺害しています。また、殺害されてはいないものの大久保清と関係を持ったと思われる女性はそれ以上に居ると考えられています。

若い子女性を巧みに誘う

大久保清が事件を起こしたのは昭和46年である1971年の3月から5月からのことでした。非常に口が上手かった大久保清は若い女性に声をかけて話に乗ってきた女性と喫茶店でお茶をしたり、車に乗せてドライブに出かけていました。

身分を大学生だと偽って女性に声をかけることが多く、自分は芸術活動をしているという風に誘うことが多かったようです。

このときの大久保清は芸術家であることをアピールするためか、ベレー帽にルパシカと言われるロシア風の上着、そして脇に小説を抱えて声をかけることが多かったそうです。そういった出で立ちは当時の若い女性からすればとても魅力的な男性に見えたそうです。

拒絶されると殺害

大久保清は仲良くなった女性を車に乗せて出かけると、そのまま車の中で関係を持とうとしたりホテルに連れ込んで関係を持とうとしました。しかし、そういった誘いを拒絶されると、女性の首をしめるなどして殺害しています。

殺害された被害者は8人

被害者は若い女性ばかりで大久保清の本当の素性を知らない人ばかりでした。最初の事件で味をしめたのか大久保清は立て続けに事件を起こしており、被害者は短期間で8人の被害者が出ています。

被害者①17歳の女子高生(1971年3月31日)

大久保清の最初の被害者は17歳の女子高生でした。この1971年3月31日を発端に大久保清の連続殺人事件が起きることになります。被害者の名前は津田美也子という女性で、大久保清と知り合った2回目のドライブのときに殺害されています。

被害者②17歳のウエイトレス(1971年4月6日)

大久保清は最初の事件から一週間も経たないうちに2件目の事件を起こしています。被害者は老川美枝子という17歳のウエイトレスでした。この女性も大久保清と知り合って2回目のドライブのときに殺害されています。

被害者③19歳の県庁臨時職員(1971年4月17日)

ドライブする男性

そして、3人目の被害者となった井田千恵子は19歳の県庁臨時職員でした。こちらは大久保清と知り合ってからしばらく経った5回目のドライブのときでした。このように大久保清が事件を起こすときはドライブに誘ってという特徴があることが分かります。

被害者④17歳の女子高生(1971年4月18日)

4件目の事件の翌日には川端成子という17歳の女子高生を殺害しています。こちらも2回目のドライブのときで、殺害されたのは砂利採取場でした。前日に事件を起こしておきながら、翌日にまた事件を起こすというところから大久保清の残忍さが伺えます。

被害者⑤16歳の女子高生(1971年4月27日)

グーパンチ

5件目の被害者となったのは佐藤明美という16歳の女子高生でした。こちらは3回目のドライブのときに大久保清に殺害されています。ほとんどの被害者が20歳になっていないような若い女性であり、大久保清がターゲットを絞って行っていたことが分かります。

被害者⑥18歳の電電公社職員(1971年5月3日)

最初に事件が発生してから5月に入り、川保和代という電電公社に務める18歳の女性を殺害しています。電電公社というのは現代のNTTにあたるものであり、八幡工業団地の造成用地に連れ出して殺害しています。

被害者⑦21歳の会社員(1971年5月9日)

事件の被害者の中で20代の被害者のうちの一人である竹村礼子は21歳の被害者でした。大久保清と会うのは2回目だったものの、他の被害者とは少し違って初めてのドライブの段階で殺害されています。

被害者⑧無職の21歳女性(1971年5月10日)

悩む女性

そして、最後の大久保清の連続殺人事件の被害者となtぅたのは無職の21歳の女性でした。大久保清と知り合って7回目のドライブということもあり、ある程度は大久保清と良好な関係を築いていたことが推測されますが、最後の被害者となっています。

声をかけた女性は150人以上

このように最初に事件が起きてからわずか1ヶ月半ほどの期間で被害者は8名、そしてこの期間に大久保清は約150人ほどの女性に声をかけていたことが分かっています。数撃ちゃ当たるという考えだったのか不明ですが、大久保清はこの150人のうち35人とドライブを行って数十名と身体の関係を持ったそうです。

現代まで多くの殺人事件は起きていますが、ここまで短期間で連続殺人事件を起こしているというケースは珍しいと言えるでしょう。それほどまでに自らの欲望の赴くままに事件を起こしたと言えるでしょう。

また、大久保清は家族である父親に買ってもらったマツダのロータリークーペを事件に使用しており、こういったおしゃれな車というのも女性が騙される原因になったといえます。

被害者の家族の情報により逮捕

大久保清が逮捕されたのは7人目の被害者の兄がきっかけでした。兄は妹が行方不明になったことを不審に思い、自分が経営する会社の従業員や知人と捜索隊を結成しています。また、警察とも連携を取りながら捜索を続けていく中で、大久保清の存在に気づくことになります。

ある日、兄は藤岡市内で妹が外出に使った自転車を発見し、自転車をそのままにして見張りを始めました。すると、そこに大久保清が現れて自転車を手袋で撫でる仕草をしました。兄は大久保清の行動を不審に思って声をかけたものの、自動車でそのまま立ち去っています。

この大久保清の行動の意味は、女性を連れ去った際に自転車に自分の指紋が残った可能性を感じており、手袋で撫でることでその指紋を消そうと考えていたようです。

牢屋

兄は去っていく大久保清の車の車種やナンバーを記憶し、警察に情報を伝えたことから大久保清の身元が割り出されることになります。同時に捜索隊はその情報から自動車70台以上の数で大久保清を追跡して、1971年5月13日に大久保清の身柄が拘束されて逮捕されることになりました。

同時に他の被害者からの情報提供などもあり、大久保清と警察の長い尋問のやり取りが行われることになります。この尋問は約80日間に渡り行われており、警察と大久保清の我慢比べとなりました。

大久保清連続殺人事件の判決

裁判所でのやり取り

逮捕された大久保清のその後はどうなっているのでしょうか?大久保清のその後の行動からこの連続殺人事件に対する動機が見えてきます。ここには大久保清が警察というものに対する復讐心があったことがわかります。

しかし、それは自分の思い通りにならないという気持ちからの逆恨みといえるようなものがあったといえるでしょう。裁判が進む中でもその心の内側ははっきりとすることはありませんでした。

被告に死刑判決

逮捕された大久保清は警察の事情聴取に対して、一部の事件は認めたものの死体遺棄の場所を明かさないなど、警察に対しての復讐であったことをたびたび口にしたようです。1971年5月21日に最初の被害者の遺体が発見されたものの、大久保清は被害者の殺害を認めようとはしませんでした。

このことで、警察は方針を転換し、大久保清の自作の詩集などを褒めることなどで、相手の心境を語らせる作戦に出ました。

このことで少しずつではあるものの大久保清は、被害者の遺体を埋めた場所を自供するようになりました。しかし、それでものらりくらりと先延ばしにするような発言をしており、警察を小馬鹿にしたような行動を取ったりわがままな要求を行っていました。

手錠

警察もそんな大久保清に対して、留置所を別の警察署に変更させることで大久保清を孤立化させたり、大久保清を現場検証に同行させずに、現場のパノラマ写真やビデオで確認させるなど方法を変更させています。

結果的に大久保清が起こした事件の被害者の遺体はその後発見されることになり、大久保清の容疑は確定することになりました。約80日間に渡る警察と大久保清の我慢比べに一つの区切りができたわけです。

大久保清は精神鑑定が行われたものの責任能力はあるとされています。また自分は死刑であるとして、弁護人を解任したり、裁判官を職権濫用罪で告訴するなどしたものの、1973年2月22日に求刑通り死刑判決が言い渡されています。

控訴はせず死刑が執行される

大久保清はその後の1973年3月7日に収監先の前橋刑務所で知人と面会しているものの、控訴する気はないということを伝えています。その後も大久保清は控訴することなく1973年3月9日に死刑が確定しています。

そして、大久保清はその後に獄中で「訣別の章 死刑囚・大久保清獄中手記」を刊行しています。著書の中では自らも生い立ちの中で被害者であることを示唆させていたものの、1976年1月22日に東京拘置所で死刑が行われています。

このとき大久保清は41歳でした。また、死刑確定から2年10ヶ月での執行は、一般死刑囚の中でかなり早い期間で執り行われたといえます。

大久保清の生い立ち

古い家

大久保清が事件を起こしてからのその後の言動からわかるように、警察に対して強い復讐心があったこと、また自らも被害者であったと語る部分が気になる点かもしれません。それだけに、このドラマや映画の世界よりも残酷な事件のきっかけになった大久保清の生い立ちを確認してみましょう。

大久保清の両親は

大久保清の生い立ちにおいて両親の存在は非常に重要になります。冒頭の大久保清のプロフィールで紹介したように、大久保清は両親から溺愛されて「ボクちゃん」と呼ばれていました。大久保清の父親は国鉄の機関士であり、その後に太平洋戦争後の人員整理から解雇されています。

また、大久保清の母親はロシア人との間に生まれた混血の私生児でした。これは大久保清の祖母が安中で芸者をしていたことが関係していると言われています。そして、10歳のときに大久保清の祖父に幼女として迎え入れられたという複雑な経緯がありました。

何より大久保清の性格に大きな影響を与えたと言われるのが、家族の中で父親でした。父親は子供の前でも性行為を行うような人物であり、次兄の妻、次兄の再婚相手の両方にも手を出したそうです。

両親からは愛を注がれる

それでも大久保清の両親は大久保清を溺愛しており、非常に可愛がられて育ったようです。大久保清はロシア人の血を引くことからいじめを受けることがたびたびあり、勉強もあまり好きではなかったそうです。

笑う赤ちゃん

両親からは愛された大久保清ですが、家族の中で兄とは非常に仲が悪く、後に事件を起こして妻と別れて出所して復縁の話が出た際に、兄がそのことに反対されたことに深い恨みがあったと言われています。

小学生時に幼児に強姦するも失敗

このような生い立ちもあってか、大久保清は小学6年生のときに、幼女を麦畑に連れ込んで強姦しようとしています。被害者の親が大久保清の両親に抗議するものの、母親はそのことを認めようとはせず、「お医者さんごっこ」だとして大久保清をかばったそうです。

近所でも要注意人物だった

中学生になった大久保清は、父親が国鉄解雇後に初めた闇市の闇屋を手伝うようになりました。また、中学を卒業すると農業を手伝いながら群馬県立高崎商業高等学校定時制過程に進学しています。しかし、学校は短期間で退学しています。

この頃までに大久保清はすでに近所から要注意人物として避けられていたそうです。また、その生い立ちからもわかるように大久保家自体が近寄らないほうがいいと思われるような家だったようです。

実際に大久保清は先程の幼児の強姦未遂のその後にも、近所の子供を追いかけ回すなど同様の問題行動を起こしています。また、当時から口がうまく、周りの人を騙すような人物で友達はほとんどいなかったそうです。

定時制高校中退の後に東京で就職

工事する人の工事道具

高校中退したその後の大久保清は、東京の板橋区にあった電気店に住み込みで勤めるようになりました。大久保清は家族と離れて生活を初めたわけですが、そこでも問題行動を繰り返すことになります。

銭湯で女湯を覗き逮捕

まず大久保清が起こした事件は、銭湯で女湯を除いて逮捕されています。このことが電気店に伝わって解雇されています。その後に結婚したばかりの姉に引き取られて、大久保清はラジオ修理店で働くようになっています。

万引きで逮捕

万引をする男性

しかし、技術や知識のない大久保清は仕事がうまくいかず、修理用の部品にも困るようになりました。そのことが原因で、高崎市内にある同業者から8回にわたって部品を万引して逮捕されています。

開業するも窃盗事件で閉鎖

このときは、大久保清の父親が弁償したことで示談となっており、大久保清は不起訴処分となっています。しかし、この親の出資で実家に開いたお店はこのことで閉店しています。

たびたびの事件にも関わらず、家族は大久保清をかばうような言動が多かったようです。特に母親にとって大久保清は自らの生い立ちを忘れさせてくれる依存対象だったと考えられてるでしょう。

強姦と窃盗を繰り返す?

このようにドラマのような生い立ちを経て仕事もうまくいかなかった大久保清は、1955年に伊勢崎市に住む女性にベンチで声をかけて突然、強姦に及んでいます。このときはすぐに逮捕されており、懲役1年6ヶ月で執行猶予3年の判決が下っています。

しかし、同年に再び強姦事件を起こしており、強姦自体は未遂だったものの怪我を負わせたことから強姦致傷になっています。そして、この事件で懲役2年の実刑判決を受け、初犯の刑期を合わせた3年6ヶ月の懲役となっています。

刑務所での大久保清は模範囚として生活しており、刑期よりも6ヶ月短い期間で仮釈放となっています。しかし、その後も不起訴処分となる強姦未遂事件や窃盗などの事件を起こしており、まったく反省しているような様子はなかったようです。

ナンパした女性と結婚

こういった生い立ちと家族の中で育った大久保清ですが、1962年に前年に知り合った女性と1年の交際期間を経て結婚しています。このときの大久保清は結婚する直前まで偽名と嘘の経歴を語っており、結婚するときに犯罪歴のみ隠して素性を明かしています。

子供は2人

結婚した翌年には長男が誕生しており、谷川伊凡のペンネームで自費出版で詩集を出しています。また、妻の親族の援助で自宅に牛乳販売店も開いています。この時期の大久保清は真面目な働きぶりを見せていたものの、牛乳瓶を盗もうとした少年の兄のもとに怒鳴り込んでいます。

これが恐喝および恐喝未遂罪として逮捕されることになり、懲役1年の執行猶予4年の刑を受けることになりました。これが原因で妻に過去の犯罪歴がバレており、店の営業も不振に陥っています。

この事件があった年に大久保清には長女が誕生しており、妻との間には2人の子供ができたことになります。しかし、刑務所に入った段階で妻とは離婚しており、後に復縁の話も出たものの兄の反対で復縁することはありませんでした。

大久保清事件のその後

カゴに入れたれた人

結果的に自ら死刑を望むかのような行動で判決を受け入れた大久保清でしたが、大久保清が死刑となったその後はどういった出来事があったのでしょうか?大久保清の死刑までの経緯が分かるようなドラマや映画などに注目してみましょう。

映画「戦後猟奇犯罪史」

まず、大久保清の生い立ちや死刑までの事件を再現したオムニバス映画「戦後猟奇犯罪史」が1976年に公開されています。この作品では大久保清という名前ではなく、久保清一という名前で演じられています。

映画館とシート

大久保清を始めとした昭和の殺人犯の多くは、映画やドラマ化されることが多く、また大衆の注目の的になっていました。そのため、映画会社などがそれを題材にすることを求めたという経緯もあるようで、事件の概要を映画などの作品から知ることができます。

ドラマ「大久保清の犯罪」(ビートたけし主演)

もう一つ有名なのが1983年にドラマ化されたビートたけし主演の「昭和四十六年 大久保清の犯罪」というドラマです。また、副題として「戦後最大の連続女性誘拐殺人事件」というものがつけられたドラマになっています。

ドラマの中では大久保清の生い立ちや家族、また起こした事件を詳細に再現しており、ビートたけしの怪演が大久保清の異質さを浮き彫りにさせています。ドラマ自体は築波昭の著書「昭和四十六年、群馬の春 大久保清の犯罪」を原作にドラマが作られています。

しかし、このドラマに関してはあまりにも細かく再現されていることから、制作発表会が行われる予定だったものの遺族や被害者からクレームが起きて急遽中止になるという出来事もありました。その後も、ビートたけしはこういった事件の再現ドラマに出演しており、どれも高い評価を受けています。

小説「天上の青」

ドラマ以外では小説「天上の青」が1990年に刊行されています。これは毎日新聞に連載されたものをまとめたものであり、その後に映像化もされています。作者は曽野綾子で、曽野綾子にとって初めて手掛けた犯罪小説でした。

また、大久保清が起こした事件だけでなく、1988年から1989年にかけて起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の影響も感じられる作品になっています。

物語はいわゆる推理小説とは違って、主人公の生い立ちや家族との関係、そして犯罪の全貌などが描写された作品になっています。そのため、他の作品と比較すると逮捕に至る部分はややあさっりとしたものになっており、裁判の過程や犯人や被害者の心情がメインになっています。

大久保清はイかれてる

大久保清が起こした連続殺人事件について紹介しました。大久保清の生い立ちや家族との関係、また死刑に至る行動などはなかなか理解するのは難しいといえます。大久保清だけでなく、家族の行動も不可解な点が多く、大久保清が語るように自分にも被害者と思いたいような部分があったのかかもしれません。

しかし、大久保清が起こした事件は決して許されるものではなく、死刑自体は免れないものです。昭和の犯罪史の中でも重要な大久保清連続殺人事件についてご紹介してきました。

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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