おおたわ史絵は結婚して子供も!病院はどこ?年齢や本名・髪型も!

おおたわ史絵さんは内科医ですが、医療評論家としてテレビにも出演しています。おおたわ史絵さんは見た目が可愛らしく、髪形も素敵だと評判です。今回は、そんなおおたわ史絵さんの旦那や母、年齢や本名などを紹介すると共に、おおたわ史絵さんが勤務している病院も調査しました。

おおたわ史絵は結婚して子供も!病院はどこ?年齢や本名・髪型も!のイメージ

目次

  1. 1おおたわ史絵のプロフィール
  2. 2おおたわ史絵の結婚や子供の詳細
  3. 3おおたわ史絵の勤務先の病院はどこ
  4. 4おおたわ史絵の年齢と本名や髪型
  5. 5おおたわ史絵の母との確執や病気
  6. 6おおたわ史絵はイケメン医師と結婚!

おおたわ史絵のプロフィール

・愛称:不明
・本名:大多和史絵
・生年月日:1964年10月15歳
・年齢:54歳
・出身地:東京都
・血液型:B型
・身長:162センチ
・体重:不明
・活動内容:内科医、作家、医療評論家
・所属グループ:なし
・事務所:株式会社オフィス・トゥー・ワン
・家族構成:旦那
・出演作品:バラエティ番組「ホンマでっか!?TV」

おおたわ史絵の経歴

おおたわ史絵さんは東京都葛飾区出身の内科医です。父が医師、母が元看護師という家庭に生まれたおおたわ史絵さんは、筑波大学付属高等学校を卒業後に東京女子医科大学医学部を卒業。その後総合病院を経て父の経営する診療所を引き継ぎ、内科医の道へ進んでいます。

普段は内科医として働くおおたわ史絵さんですが、医療評論家としてテレビ番組にも多数出演しています。主な出演番組は「ホンマでっか!?TV」や「スッキリ!!」、「情報ライブ ミヤネ屋」などです。また、自身の体験談を綴った著書「女医の花道」も出版していますが、こちらはベストセラーとなるなどかなり評判になっています。

おおたわ史絵の結婚や子供の詳細

おおたわ史絵さんは結婚しており、旦那と一緒にテレビ番組に出演したこともあるのだそう。その旦那がイケメンだと評判ですが、どんな人物なのでしょうか。また、おおたわ史絵さんが結婚後に子供を出産しているのかどうかについても調査しました。

結婚した旦那も医者の模様

おおたわ史絵さんと旦那は研修医時代から交際していたのだそうです。結婚前の2人は研修医として忙しくしており、ほとんどデートもできなかったといいます。時間があってデートができても、呼び出しで病院に直行するということがほとんどだったのだそう。

しかし、旦那は結婚前からどんな時でもどっしりと構えており、収入も休みもほとんどなくても文句を言わずに支えてくれていたといいます。そして交際3年で2人は結婚。結婚した当時のおおたわ史絵さんの年齢は27歳でした。今のおおたわ史絵さんがいるのは、旦那のおかげでもあるようです。

結婚前の2人が研修医だったといいましたが、おおたわ史絵さんの旦那の職業は歯科医師です。東京豊島区南大塚を中心に100年以上の歴史がある大多和歯科医院に勤務しています。大多和歯科医院は旦那の祖父が開業しており、父と母が2代目で、おおたわ史絵さんの旦那が3代目となっているようです。

おおたわ史絵さんの旦那はおおたわ史絵さんよりも年齢が1つ年上ですが、年齢を感じさせないイケメンだと評判になっています。旦那の画像はネット上にも多数アップされていますが、おおたわ史絵さんと共に「行列のできる法律相談所」や「私の何がイケないの?」などのテレビ番組にも出演していました。

夫はトライアスロンの大会にも出場?

年齢が50代というおおたわ史絵さんの旦那ですが、趣味はトライアスロンなのだそう。トライアスロンは水泳・自転車ロードレース・長距離走の3種目を連続して行う耐久競技で、かなり過酷なことでも知られています。

そんな過酷な競技を行っている旦那は診療の合間にトレーニングを行い、常に10%以下の体脂肪をキープしているのだそうです。旦那が年齢よりも若く見えるのは、このトレーニングの成果でもあるのでしょう。

これほど完璧な旦那ですが、やはり欠点もある模様。どうやら旦那は女好きで、結婚後に浮気疑惑も浮上しているのだそうです。過去には、おおたわ史絵さんの紹介でかかった病院の看護師全員の連絡先を聞いていたこともあったといいます。

おおたわ史絵と夫の間に子供はいる?

結婚して30年近く経つおおたわ史絵さんと旦那ですが、子供はいるのでしょうか。もし子供がいれば、おおたわ史絵さんも旦那も子供が成人していてもおかしくない年齢ではありますが、2人の間に子供は誕生していないようです。

子供がいないためにネット上では「不妊だったのではないか」と噂されていますが、実際におおたわ史絵さん夫婦が不妊だったかどうかは不明となっています。他に子供がいない理由として考えられるのは、2人とも医師として忙しかったからなどですが、夫婦で相談した結果、あえて子供を作らない選択をしたということもあるのではないでしょうか。

おおたわ史絵さん自身、過去のインタビューで「仕事ができる女医さんは子供もたくさん産んでいる。でも私はそんな風にできませんでした」と語っています。それでもおおたわ史絵さんは後悔しておらず、子供がいないなりの幸せも感じているようです。

おおたわ史絵の勤務先の病院はどこ

おおたわ史絵さんは内科医ですが、どこの病院に勤務しているのでしょうか。おおたわ史絵さんが勤務している病院について調査しました。

現在は下町の開業医として勤務?

おおたわ史絵さんの経歴を見ると、大学病院や救急救命センターを経て父が経営する下町の病院での内科勤務を経験したとありますが、その後父から病院を引き継ぎ、現在は開業医として日々病気の治療や診察にあたっているのだそうです。

綾瀬中央診療所との噂も

おおたわ史絵さんは自身が勤務している病院名を明かしていませんが、噂では東京都葛飾区にある綾瀬中央診療所ではないかと言われているようです。おおたわ史絵さんは東京都葛飾区出身ですし、可能性は高いのではないでしょうか。また、綾瀬中央診療所はネット上での評判も良いようです。

最近では刑務所の受刑者診療も行う

おおたわ史絵さんは日常の診療に加え、2018年6月には刑務所や少年院といった受刑者矯正施設の矯正医官に就任しています。一般的に暗いイメージのある受刑者矯正施設ですが、おおたわ史絵さんが矯正医官に就任した理由には、自身のこれまでの経験が関わっているのだそうです。

おおたわ史絵さんの母は生前鎮痛剤の依存で苦しんでおり、身近にいたおおたわ史絵さんも辛い思いをしていたといいます。だからこそ、薬物や盗みといった依存の病気を治すことは、自分が医師になった意味があると感じた模様。そのため矯正医官に就任することにしたのだそうです。

おおたわ史絵の年齢と本名や髪型

美しく、髪形も可愛いと評判のおおたわ史絵さん。現在年齢はいくつなのでしょうか。また、おおたわ史絵という名前が本名なのかどうかも気になるところです。おおたわ史絵さんの年齢や髪形、本名について調査しました。

おおたわ史絵の年齢はいくつ

おおたわ史絵さんの現在の年齢は54歳です。この年齢に驚いた方もいるのではないでしょうか。おおたわ史絵さんは54歳には見えないほど、若々しく美しい女性です。

おおたわ史絵の本名は?

おおたわ史絵さんが本名かどうかですが、読みだけで言うと「おおたわ史絵」は本名です。本名を漢字で書くと「大多和史絵」となります。また、おおたわ史絵さんの旦那の本名は「大多和昌彦」です。

おおたわ史絵の髪型が評判との声

若々しくて可愛いと評判のおおたわ史絵さん。髪形もおしゃれで可愛いと評判になっています。おおたわ史絵さんは髪形についてよく質問されるようですが、基本的に髪形はレイヤーウルフにしているといいます。レイヤーをたくさん入れることでパーマなしでも動きが出る髪形になるのだそうです。

おおたわ史絵さんの髪形はネット上でも注目されており、最近の髪形は「姫カットのようだ」と話題になっているようです。また、おおたわ史絵さんは美しい髪形をキープするために普段からヘアパックでケアしているようです。

おおたわ史絵さんは自身のブログで髪形について触れることがあるので、おおたわ史絵さんの髪形に挑戦してみたい方はご覧になってみてはいかがでしょうか。

おおたわ史絵の母との確執や病気

おおたわ史絵さんが矯正医官に就任した理由に母が関わっていると紹介しましたが、その母の病気やおおたわ史絵さんとの確執について紹介します。また、おおたわ史絵さん自身もある病気に苦しんでいた経験があるのだそう。その病気が何だったのかについても見ていきましょう。

母の虐待について番組内で告白

おおたわ史絵さんの父は医師で母は元看護師です。家には家政婦もいたといいますから、お嬢様として恵まれた家庭に育ったようなイメージがあります。しかし、おおたわ史絵さんは実際には、幼少期から母の虐待を受けていたのだそうです。おおたわ史絵さんはこの母からの虐待について、2015年に出演した「徹子の部屋」で初告白しています。

教育熱心だったおおたわ史絵さんの母は、おおたわ史絵さんが勉強や習い事で些細なミスをすると布団たたきで叩いてきたり、椅子から突き落とすという暴力をふるっていたのだそう。テレビ番組で話せないような出来事もたくさんあったといいます。

虐待のきっかけは鎮痛剤の中毒

おおたわ史絵さんの母が虐待をするようになったのは、鎮痛剤の中毒が原因だったようです。母は幼い頃に患った腹膜炎の処置の遅れのせいで、後遺症として長年慢性的な腹痛に苦しんでいたのだそう。そのため結婚後におおたわ史絵さんを出産した後は、家事を家政婦に任せて寝たり起きたりという生活を続けていたといいます。

そして、痛みに苦しむ母を見かねて医師の父が鎮痛剤の注射をするようになったのですが、これが薬物依存の始まりになってしまった模様。鎮痛剤の長期使用は脳に悪影響を及ぼし、母の人格が変わってしまったようです。薬物依存によって幻聴が現れるようになった母は、おおたわ史絵さんを罵るようになってしまいます。

家族が母の薬物依存に気付いた頃にはもう遅く、誰も止めることができないほど深刻な状態になっていたようです。父が鎮痛剤を求める母を叱って止めても、元看護師の母は薬を探し出して自ら腕に注射していたといいます。

もちろん母のそんな状態を放っておくわけではなく、父とおおたわ史絵さんは薬物専門医の外来相談に訪れ、母を入院させたこともあるのだそうです。それでも全く効果は見られず、薬を与えてくれない父にも暴力を振るうようになってしまったのだそう。

おおたわ史絵さんは父と共に、家族のための避難施設に逃げていたこともあるといいます。結局母の薬物依存は父が亡くなるまで続いたそうですが、その後は薬物依存が形を変えて、買い物依存になってしまったようです。

母は使いもしない商品を通販で買い占めるようになり、自宅には毎日何箱も段ボールが届いていたのだそう。おおたわ史絵さんもさすがに疲れ果て、最後は母と向き合う気力もなくなってしまったようです。その後母は病死してしまいますが、今でもおおたわ史絵さんの記憶に浮かぶのは人格を破壊された酷い母の姿だといいます。

おおたわ史絵自身も病気を発症

おおたわ史絵さんは長年薬物依存に苦しむ母を見ていましたが、おおたわ史絵さん自身もある病気に悩まされていたことがあるのだそうです。その病気とは鬱病でした。おおたわ史絵さんが研修医だった頃はかなり過酷な労働を強いられており、ほとんど給料ももらえないのにも関わらず、寝られない生活が続いていたのだそう。

そうした過酷な研修医時代を乗り越えて20代で臨床医になったのはいいものの、何もできない自分に対して、敗北感に襲われてしまったといいます。おおたわ史絵さんは卒業大学ではない大学病院に勤務していたのですが、それもおおたわ史絵さんのストレスになってしまった模様。

誰も助けてくれない状況では自分で努力するしかありませんが、そんな中でおおたわ史絵さんはできない自分を責め続け、ついに病気になってしまったようです。おおたわ史絵さんは病気を治すために半年間休養を取っていますが、その間は原因不明の高熱にうなされ、病院にもいけないほどだったといいます。

病気で辛い時期には父にもよく話を聞いてもらっていたそうですが、父はいつも「すべてのことは必ず意味のあることに変わる。意味のないことはないんだよ」と諭してくれていたようです。

半年の休養を終えた後のおおたわ史絵さんは「大学にも、医学の道にも戻れない」と焦りを感じていたようですが、26、27歳頃の時に下町の病院に拾ってもらうことができたのだそう。これがおおたわ史絵さんの転機にもなったようです。

下町の病院は大学病院とは違って古い病院で設備も整ってはいなかったようですが、その分人間味があり、おおたわ史絵さんは様々なことを吸収できたのだそう。そして「まだ自分でもやれる」と救われた気分になったといいます。

おおたわ史絵さんは医者としての自信を取り戻すと共に、この頃から「医者以外の世界ともつながっておかなくては」という気持ちが芽生えるようになったようです。そこでおおたわ史絵さんが選んだのが執筆活動。週刊朝日のコラムに原稿を持ち込み、30代で医者と執筆活動を両立させるようになります。

40代に入ってからは、おおたわ史絵さんの執筆活動に注目するようになったテレビやラジオから声がかかるようになり、多数のメディアに出演を重ねます。そして現在は世間からも評判となり、内科医として、コメンテーターとして、幅広い分野で活躍するようになりました。

おおたわ史絵はイケメン医師と結婚!

今回は、世間からも評判の内科医・おおたわ史絵さんの本名や旦那について紹介しました。現在様々な分野で活躍しているおおたわ史絵さんですが、過去には辛く苦しい時期もあったようです。しかし、父やイケメンと評判の旦那の支えもあって、なんとか乗り越えてきたとのこと。今後も無理せず頑張ってほしいものです。

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