おっとい嫁じょとは?鹿児島の事件や日本の恐ろしい風習まとめ

鹿児島県の一部に伝わっていた「おっとい嫁じょ」という風習は誘拐婚の一種とされ女性を無理やり強姦して結婚するという風習です。事件にもなり一躍世間の注目を浴びることとなりました。それでは、おっとい嫁じょをはじめ日本に伝わる恐ろしい風習の真相について迫っていきます!

おっとい嫁じょとは?鹿児島の事件や日本の恐ろしい風習まとめのイメージ

目次

  1. 1おっとい嫁じょとは
  2. 2おっとい嫁じょとは何か
  3. 3おっとい嫁じょ事件の概要
  4. 4おっとい嫁じょ事件の裁判
  5. 5おっとい嫁じょ事件後から現在
  6. 6おっとい嫁じょだけではない日本の恐ろしい風習
  7. 7おっとい嫁じょは女性の人権を無視した風習

おっとい嫁じょとは

皆さんは「おっとい嫁じょ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?年配の人であれば聞いたことがあるという人もいるかもしれませんが、若い人だと聞いたことがないという人がほとんどでしょう。

おっとい嫁じょは、かつて日本中を騒がせた事件のきっかけとなった「ある地方の風習」でした。そのおっとい嫁じょとは、女性に結婚を迫ったうえ拒否されても強姦し、さらには無理やり結婚してしまうという今の世の中では考えられないようなものでした。

鹿児島の恐ろしい昔の風習

現代の世の中で、もしもおっとい嫁じょのようなことが起きてしまったならば、犯人が逮捕されただけでは済まず、日本中を巻き込んだ社会問題にも発展することは間違いないと言えるでしょう。そんなおっとい嫁じょは鹿児島県に伝わる恐ろしい風習だそうです。

鹿児島県大隅半島の北部に位置する、肝属郡串良町(現在の鹿屋市)にその風習はありました。「おっとい」とは方言で「盗む」という意味があり、簡単に言ってしまえばおっとい嫁じょとは「嫁盗み」という意味合いになるそうです。

おっとい嫁じょとは何か

鹿児島県の大隅半島の一部に伝わっていたとされる、おっとい嫁じょ。現在では嫁を盗むという行動が理解できないという人がほとんどのはずです。それほどまでに現在の世の中にはそぐわない恐ろしい風習でした。

では、そのおっとい嫁じょとは一体どんな風習だったのか気になるという人も多いのではないでしょうか?ここでは、誘拐婚とも呼ばれたおっとい嫁じょがどういうものなのかについてみていきます。

世の中における誘拐婚とは

現在の日本で普通の生活を送っている人たちにとっては、おっとい嫁じょのような誘拐婚など到底理解できるものではないはずです。誘拐婚をしてみようと思う人すら皆無と言ってもいいかもしれません。

しかし誘拐婚は世界中で行われているようで、エチオピアやキルギスなどでは現在も平然と行われているそうです。日本国内においても記録に残るものとして、平安時代から明治期ぐらいまでは各地で普通に行われていたという話までありました。

誘拐婚の方法は各地によって様々ですが、基本的には女性を誘拐してきて強姦をし、その後は女性の意思に関係なく無理やり結婚するという点では一致していたようです。

おっとい嫁じょは誘拐婚の1種

嫌がる女性を誘拐して強姦した上に結婚までしてしまうという、女性の人権を全く無視した風習であったと言われるおっとい嫁じょ。

前述させていただきましたが、鹿児島県のおっとい嫁じょとは誘拐婚の一種として当時は普通に行われていたそうです。おっとい嫁じょと同じような誘拐婚も、かつては日本全国で行われていました。

ただ現在のようにSNSなどの情報網が発達していなかったこともあり、世間に知れ渡ることがなかったのではないでしょうか?かつて大阪で行われていたとされる「ボオタ」と叫びながら行われるものや、高知県の「かたぐ」なども誘拐婚であったようです。

女性を強姦して嫁にする

誘拐婚の一種として鹿児島県の一部の地域で風習として伝えられてきたおっとい嫁じょですが、その手口は強姦という非人道的なものでした。

男性が自分の気に入った女性に対して強姦を行うというものだったのですが、強姦をされたからといって女性はなぜ強姦された相手と結婚することになるのか、不思議に思った人もいるのではないでしょうか?そこには女性の貞操観念というものが絡んでくるようです。

現在の世の中を生きている人たちにとっては考えられないと思われるかもしれませんが、かつての日本は結婚する女性はキレイな体であることが重要視されていました。つまり処女であるということが非常に重要だったのです。

ですから、女性は結婚をするまでは貞操を守ることを非常に大切にしてきました。もし結婚前に貞操を守れていなかったら、「傷物」として世の男性たちから敬遠されて結婚することができなくなっていたそうです。それほどまでに貞操を守るこことは重要だったのです。

この鹿児島県の一部の地域に伝わってきたおっとい嫁じょという風習は、女性の貞操観念を逆手に取った悪質な行為であったことは間違いありません。

親の反対を押し切る手段だった

女性の貞操観念を利用して強姦という行為に及び、さらには無理やり結婚までしてしまうというおっとい嫁じょ。強姦をしてしまうというところばかりがクローズアップされてしまうおっとい嫁じょですが、実は親の反対を押し切るための手段だったという説もあります。

明治時代までの旧態依然とした男尊女卑のような世の中では、女性は子供を産んで育てるだけの道具ぐらいに思われていました。ですから親同士がそれぞれの「家」の格や利害関係などだけで子供の結婚相手を決めていたようです。

その頃の子供たちはお互いが惚れ合って恋人同士になったとしても、親の都合によって結婚できないということはよくありました。そこでこのおっとい嫁じょという風習を利用したそうです。

恋人同士が敢えて強姦されたように装い、強姦されて傷物にされたのだから結婚が許されるというように仕向けるという使われ方もしていたのがおっとい嫁じょでした。

さらに、女性の側が経済的に余裕がなくて結婚できなかった時にも、おっとい嫁じょというものが使われていたそうです。結婚にはお金がかかるため、男性におっとい嫁じょをされてしまったのだから仕方なく嫁に行くという使われ方もしていました。

本当はただの伝統行事だった?

悪しき風習としてネットなどでも騒がれてしまっているおっとい嫁じょですが、実はおっとい嫁じょには強姦などは存在せず、ただの伝統行事だったという説もあるのをご存知でしょうか?日本各地にも物騒な噂のついた伝統行事などは存在するものです。

その伝統行事と言われるおっとい嫁じょとは、恋人同士がお互い承知の上で行為に及ぶというものであり、決してネットなどを騒然とさせている物々しいものではないという説もありました。

おっとい嫁じょ事件の概要

鹿児島県の一部の地域で古くから伝わってきたとされるおっとい嫁じょ。好きでもない男性に強姦されて、しかも結婚までしなければならないと言われるこの風習が、一躍日本中に知れ渡る事件があったことをご存知でしょうか?

それはもちろん明治時代のような古い話ではなくて、昭和に入ってからの事件だというから驚きです。ここでは、おっとい嫁じょという風習が一躍日本中に知れ渡るきっかけとなった事件についてみていきます。

昭和34年に鹿児島で起きた事件

おっとい嫁じょという古くから伝わる悪しき風習が一躍注目を浴びるようになったのは、昭和34年に鹿児島県で起きた事件が始まりでした。昭和34年というと今から60年ほど前ですから、かなり古くに起きた事件であるということは間違いありません。

全国各地で明治時代までは誘拐婚のようなことが横行していたことはもうお判りいただけたかと思います。このような女性の人権を無視したような風習は、昭和に入り誰もが廃れてしまっていると思っていたはずです。

しかし、実際に昭和34年に鹿児島県でおっとい嫁じょが行われ事件になってしまいました。この事件が起きたことにより、おっとい嫁じょという小さな地域で伝えられてきた風習が全国的に注目されるようになります。

青年が結婚を迫るも拒否される

鹿児島で起きた事件の影響で、全国的に注目を浴びるようになってしまったおっとい嫁じょ。事件は昭和34年1月15日頃、鹿児島県肝属郡串良町で起きました。すでに婚期を迎えていた青年が、義兄の紹介で当時20歳だった女性を紹介されたことから始まります。

婚期を迎えていたこともあり結婚を急いでいたのかもしれません。その青年はその20歳の女性に会ったその日にいきなりプロポーズをしたそうです。しかし、会ったその日にプロポーズをされて了承する女性なんているわけがありません。

予想通り見事に断られた青年でしたが、全く諦める様子はなかったそうです。その後も日を改めて2回ほどプロポーズを試みたものの、全く相手にされることなく断られてしまいました。

女性を3人の男性が強姦

女性にプロポーズをしたものの見事に断られてしまった青年は、自分の住んでいる地域に昔から伝わっているおっとい嫁じょを利用することを思いついたのではないでしょうか?その女性を何が何でも手に入れようと決心します。

そこで青年は自らの従兄と叔父におっとい嫁じょの決行を伝えました。普通の人であればきっと断ったはずですが、おっとい嫁じょが伝わる地域ではそれが良しと判断されたのかもしれません。

まず女性が勤めていた公共職業安定所の近くで待ち伏せをし、拉致するようにタクシーに乗せて連れ出したそうです。少し離れた食堂で青年と結婚するようにと女性を説得したそうですが、女性は一向に青年との結婚に承諾しませんでした。

そこで女性を家に送ると嘘をつき再びタクシーに乗せます。しかし、途中でタクシーが自宅に向かって走っていないことに気づいた女性はタクシーを下ろしてくれと懇願しましたが、それを無視し半ば強引に知人の家の一室に監禁したそうです。

もちろんその知人も青年たち3人がおっとい嫁じょを決行しようとしていることは承諾済みでした。結局、最後まで青年との結婚に承諾をしなかった女性はおっとい嫁じょの風習の通りに青年に強姦され、さらには従兄と叔父にも強姦されてしまったそうです。

強姦致傷罪で犯人の青年たちを逮捕

古くから鹿児島県の一部の地域で伝わってきた、おっとい嫁じょを見事に成功させた青年。風習通りにいけば翌日あたりに強姦されて傷物にされた女性が両親を伴い青年宅を訪れて、晴れて結婚となるはずでした。青年もそう思っていたのかもしれません。

しかし、昭和34年ともなると女性の立場はそれまでの男尊女卑ではなかったのです。女性は強姦されても泣き寝入りせず警察に通報し、しっかりと事件に立ち向かいました。それにより、青年宅に訪れたのは女性と両親ではなく警察だったという結果となってしまいます。

おっとい嫁じょ事件の裁判

強姦という女性の人権を踏みにじるおっとい嫁じょを行い、警察の手により逮捕されてしまった青年の逮捕容疑は「強姦致傷罪」でした。もちろんこのおっとい嫁じょも強姦事件として裁判が行われます。

このおっとい嫁じょという風習になぞらえた強姦事件の裁判がどうなったのか気になるのではないでしょうか?ここでは、おっとい嫁じょと称した強姦事件を起こした青年の裁判についてみてきます。

犯人の弁護士が無罪を主張

鹿児島県で起こったおっとい嫁じょという奇異な強姦事件について、加害者である青年は罪を認め反省するものだと誰もが思っていたのではないでしょうか?日本中の大部分の人がそう思っていたはずです。

しかし、弁護側からは思ってもいなかった主張が飛び出します。その主張とは「無罪」というものでした。弁護側が無罪を主張した理由は、おっとい嫁じょは鹿児島に古くから伝わる風習で、青年に違法性の認識がなかったからだというものでした。

犯人グループの言い訳説

この弁護側からの無罪の主張に、聞いていた誰もが呆気にとられたはずです。しかしこの弁護側から出された無罪の主張は、しっかりとした根拠にもとづいて出されたものでした。それは加害者の青年の両親が、おっとい嫁じょにより結婚していたらしいのです。

青年は自分の両親がおっとい嫁じょで結婚しているのだから、自分もおっとい嫁じょをして何が悪いのかと言い、今までおっとい嫁じょをしてきた人も逮捕すべきだという言い訳をしてきました。きっとこの言い訳を聞いていた女性は怒りに震えていたことでしょう。

地元住民から情状酌量の嘆願書

現在の世の中では、れっきとした強姦事件として取り扱われるおっとい嫁じょ。弁護側から無罪の主張が出されたことにも驚かされましたが、さらに驚くべきことが起こったのです。それは加害者の青年に対して地元住民から情状酌量の嘆願書が出されたことでした。

その中身は、古くから伝わるおっとい嫁じょという風習に文句をつけるのはいかがなものかというものや、小さい頃はおっとい嫁じょの先頭で提灯を持って先導したのだから問題はない、という学校の校長のものまであったそうです。

裁判の結果は有罪判決

昭和34年に鹿児島県で起きたおっとい嫁じょという強姦事件。その判決に誰もが注目していたことでしょう。弁護側から無罪の主張がされたり地元住民から情状酌量の嘆願書が出されたりと紆余曲折がありましたが、皆さんの想定通り青年には有罪判決が下りました。

青年はおっとい嫁じょを行ったことに関し、地域に根差した風習だから問題ないと主張していたのですが、違法性を感じ反社会的な行為であったと認識していたという供述をしていたことが決め手となりました。

違法性を認識しさらには反社会的な行為を行っていたという自覚を持っていたため、青年に下された判決は懲役3年というものだったそうです。

おっとい嫁じょ事件後から現在

全国から注目を浴びることとなってしまったおっとい嫁じょ事件。事件から60年以上の月日が流れ、おっとい嫁じょという言葉も聞かなくなって久しいですが、もしかしてまだおっとい嫁じょが細々と続いているのではないかと思っている人もいるのではないでしょうか?

ここでは、かつて風習になぞらえた強姦事件として世間を騒がせたおっとい嫁じょ事件のその後から現在までについてみていきます。

刑罰が軽すぎるとの声も

自分がその女性と結婚したいがために、おっとい嫁じょという強姦事件を起こしてしまった青年への判決は懲役3年でした。もっと重い刑が下ると、その時の裁判に注目していた人は誰もが思ったのではないでしょうか?きっと被害に遭われた女性もそう思っていたはずです。

これについて青年に対する刑罰が軽かった理由として、当時は強姦致傷罪の刑罰が現在よりも軽かったことや集団強姦罪などの罪がなかったことが挙げられます。

現在は風習は廃れている

紫式部が活躍していた平安時代からあったとされる誘拐婚。その誘拐婚の一種として有名になってしまったおっとい嫁じょですが、今でも細々と続いているかと思いきやそのような前時代的な風習はとっくに廃れてしまっているようです。

事件の影響で鹿児島県のおっとい嫁じょばかりがクローズアップされてしまいましたが、日本各地にあった誘拐婚の類の風習もすでになくなったようです。SNSの発達した時代におっとい嫁じょのような誘拐婚があれば、すぐに広まってしまうのではないでしょうか?

プロレスでおっとい嫁じょの名前が?

昭和34年に鹿児島県で起きたおっとい嫁じょと呼ばれる強姦事件。それから50年以上が経ち、おっとい嫁じょの話題もなかなか出てこなくなっていた2012年に思い出したようにおっとい嫁じょという言葉が出てきました。

そのおっとい嫁じょという言葉が出てきたのはプロレスです。クズプロと呼ばれる団体が行っていた「クズ祭り」というイベントに、「クズ殿VSおっとい嫁じょ」という対戦が組まれたのです。

実際におっとい嫁じょをしている人がプロレスをするわけではなく、単純におっとい嫁じょという名前を付けたレスラーでした。過去に強姦事件にもなっていたおっとい嫁じょという言葉が、こんなところにも使われるのかという驚きのコメントをしていた人もいたそうです。

おっとい嫁じょだけではない日本の恐ろしい風習

鹿児島県の一部の地域で伝わってきたおっとい嫁じょという風習が、昭和34年の強姦事件によりクローズアップされ日本中に知れ渡ることとなりました。しかし、日本にはまだまだ知られていない数々の恐ろしい風習というものがあるのをご存知でしょうか?

もうすでに廃れてしまったと言われているものや、まだまだ細々と続いているのではないかと噂になっている風習もあるそうです。ここでは、日本各地にあったとされる恐ろしい風習についてみていきます。

風習①奄美大島のヤドカリ葬

世間にはあまり知られている風習ではないものの、恐ろしい風習と言われているのが奄美大島の「ヤドカリ葬」ではないでしょうか?ヤドカリ葬という言葉を聞いてもピンとこないという人がほとんどでしょう。実は遺体をヤドカリに食べさせるという風習です。

ヤドカリが人間の肉を食べるのかどうか疑問に思う人もいるかもしれません。しかし、実際にヤドカリは人間の肉を食べるそうです。江戸時代の後期まで行われていた方法だそうで、海に浮かぶ「ニャーデバナ」という岩礁に遺体を運びます。

そして遺体をそのまま放置するそうですが、夜になると地元で「アマン」とあがめられているヤドカリが集まってきてムシャムシャと音を立てながら食べるらしいのです。

風習②鹿児島のクロ宗

奄美大島のヤドカリ葬に続いて、日本古来から伝わる恐ろしい風習と言われているのが「クロ宗」です。おそらくはクロ宗という言葉を聞いたことがあるという人は少ないのではないでしょうか?それほどまでに知られていないものです。

鹿児島県の甑島に伝わるクロ宗は、かつてキリスト教が弾圧された時に、隠れキリシタンとして甑島に流れ着いたことが始まりとされていました。そこで根付いた土着宗教と言われていて、信者は高い塀に囲まれた家に住み中を見られることを極端に嫌うそうです。

そしてなぜクロ宗が恐ろしいと言われているのかというと、死期が迫った人の生き血や内臓などを食す習慣があると噂になっているため恐れられているようです。

風習③宮城県の女川原発

これまで奄美大島、鹿児島と日本の南の地域の風習ばかりが取り上げられてきましたが、東北の地にも恐ろしい風習があると言われています。それは宮城県の女川原発にある風習だそうです。もちろん、女川原発だから危ないというわけではありません。

女川原発の近くにある漁港ではブードゥーというものが信仰され、女の子の初潮の血を家主が飲むという風習があるそうです。もし飲むことができなければ女川原発に就職することもできず、恩恵も受けられないなどの差別を受けると言われています。

風習④沖縄新城島の奇祭

続いては、沖縄県新城島で行われている奇祭についてみていきましょう。八重山諸島に属する新城島では人魚神社や神の通る道などがあり、一般人が入ることを規制されるような場所が数多くあるそうです。そこでは毎年、豊年祭が行われています。

しかしこの豊年祭というのが他の地方とは少し違っているようです。よそ者は入ることを許されず、もちろん写真撮影なども禁止されています。数年前にはよそ者が無断で侵入し、写真を撮影したとして暴行を受けたということさえあったそうです。

風習⑤日本各地の死後婚

ここまで日本各地に伝わっているとされる恐ろしい風習についてみてきましたが、続いては「死後婚」についてみていくことにします。皆さんは死後婚という言葉を聞いてピンと来るでしょうか?

何となく想像がつくかとは思いますが、読んで字のごとく死んだ後に婚姻をするというものです。死んだ後に婚姻なんてできないだろうとおっしゃる方がほとんどだとは思いますが、実は死後婚は日本独自のものではなくて世界中にあるとされています。

日本では山形県の村山地方に伝わる「ムカサリ婚」が有名です。ムカとは迎えの意味で、サリとは去るという意味だそうです。亡くなった人のことを思い絵馬にして、架空の人と結婚させる風習として現在も続いています。

架空の人と結婚をさせて絵馬にそれを描いたうえで神社に奉納するのですが、ここで気を付けなければならない重要なことがあるそうです。架空の人物ではなく実在の人物との結婚を絵馬にして奉納すると、実在の人物が早死にすると言われています。

おっとい嫁じょは女性の人権を無視した風習

これまでご紹介してきたように、日本には現代の世の中では考えられないような恐ろしい風習というものが存在してきました。それは鹿児島県の一部地域に伝わってきたとされるおっとい嫁じょもその一つであるでしょう。

かつて日本では男尊女卑がまかり通る時代であり女性は虐げられてきました。おっとい嫁じょは、その典型例ともいえる女性の人権を無視したような風習です。このような女性の人権を無視したような風習は、一日も早くなくなって欲しいと誰もが願ってやまないはずです。

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この記事のライター
大橋類太郎
北海道の田舎に住んでいる大橋類太郎です。 ドライブが好きで暇さえあれば広い北海道を走り回っています。 コツ...

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