【光市母子殺害事件】大月孝行死刑囚の生い立ち!事件の判決から現在まで

1999年4月14日に起きた光市母子殺害事件の犯人として逮捕された大月孝行には、その後の裁判で死刑判決が確定しました。事件当時未成年だった大月孝行の死刑判決には様々な議論がなされています。光市母子殺害事件の概要や犯人である大月孝行の生い立ちをまとめてみました。

【光市母子殺害事件】大月孝行死刑囚の生い立ち!事件の判決から現在までのイメージ

目次

  1. 1大月孝行とは
  2. 2光市母子殺害事件の概要
  3. 3大月孝行の生い立ち
  4. 4光市母子殺害事件の裁判の判決
  5. 5大月孝行の異常な発言や行動
  6. 6大月孝行の現在
  7. 7大月孝行は劣悪な家庭環境の過去を持つ凶悪犯

大月孝行とは

大月孝行は、1999年4月14日に山口県光市内の社宅アパートで起きた光市母子殺害事件の犯人として逮捕された人物です。当時18歳だった大月孝行は以前から目を付けていた女性への強姦目的でアパートに押し入りますが抵抗され、殺害したのちに屍姦しました。

さらに傍にいた生後11か月の子供を泣き止まないことを理由に床にたたきつけるなどした上で窒息死させたのです。その後部屋からお金の入った財布を盗んでその場を去りました。大月孝行は事件から4日後の4月18日に母子殺害の犯人として逮捕されています。

光市母子殺害事件の犯人

光市母子殺害事件は18歳の少年が起こした凶悪な事件内容と、死刑回避のために弁護団が主張した犯人の異常発言が大きく取り上げられ、話題を集めた事件です。犯人の大月孝行は殺人と強姦致死、また窃盗の容疑で裁判に掛けられ、死刑判決が下されています。

裁判後に大月孝行が友人に送った手紙の中で異常発言をしていたことや、大月孝行の生い立ちや父親との関係性なども話題となり、連日のように報道番組などで大きく取り上げられていました。光市母子殺害事件の詳しい概要や犯人である大月孝行の生い立ちについてまとめてみました。

光市母子殺害事件の概要

1999年4月14日に起きた光市母子殺害事件は、犯人の大月孝行が女性を殺害した上で屍姦を行い、さらに傍にいた子供を殺害するという残虐な事件となりました。逮捕された大月孝行はその後異常な発言を繰り返し、全く反省の色は見せていません。

18歳の大月孝行はどのようにして犯行に及んだのでしょうか?大月孝行が起こした光市母子殺害事件の詳しい概要や逮捕に至るまでを時系列でまとめてみました。

大月孝行が強姦目的でアパートに侵入

光市母子殺害事件の犯人である大月孝行は、1999年4月14日の午後2時頃に被害者の母子が住むアパートに侵入し、犯行に及びました。犯行当時18歳だった大月孝行は、高校を卒業後に配管工事の会社に就職しています。

しかし就職からわずか10日後に会社を無断欠勤し、犯行に及んでいるのです。被害者となった女性は大月孝行のタイプで大月孝行は以前からこの女性に目を付けていたといいます。大月孝行はこの女性をレイプするという願望を叶えるべく、自身の仕事を利用してアパートに侵入しました。

下水道工事を装って侵入

大月孝行は配管工事の会社に就職していたことを利用し、作業着を着たまま下水道の配管検査を装って母子のアパートを訪れました。被害者女性は配管の検査ということで油断して家の中に招き入れてしまったのでしょう。

大月孝行が以前からこの女性に目を付けていたのには、大月孝行の父親が関係していたようです。被害者となった女性の夫は、大月孝行の父親と同じ会社で働いていました。大月孝行の父親は被害者女性を以前から性の対象として見ていたのだといいます。

さらに父親は息子にも被害者女性に対して好意を抱いていることを明かしており、被害者女性は度々話題に上っていたようです。そうしたことから大月孝行も徐々に被害者女性に対して興味を抱くようになり、次第にレイプ願望が芽生るようになったのだそうです。

大月孝行の父親が同僚の妻を性の対象として見ていることや、それを自身の息子に明かしていたことは驚くべき事実と言えます。

抵抗された末に殺害する

犯人の大月孝行は強姦目的で被害女性の住むアパートに侵入し、女性を押し倒し馬乗りになって目的を果たそうとしました。しかし女性が激しく抵抗したため、大月孝行は殺害したのちに目的を果たそうと考え、女性の頸部を強く圧迫して殺害したのです。

大月孝行は自身の身勝手な目的を遂行するために、何の罪もない女性を殺害しました。女性は近くにいた子供を守ろうと必死に抵抗したのではないでしょうか?変わり果てた妻と子供の姿を発見した夫の苦しみは図り知れないものでしょう。

殺した女性を屍姦する

大月孝行は女性の頸部を圧迫して窒息死させたあと、女性を屍姦するという卑劣な犯行に及んだのです。屍姦するというこの残虐な事件内容がのちの裁判で明らかになったことから、この事件は18歳の少年の凶悪な犯行として大きな話題になりました。

大月孝行の逮捕後に事件について語った女性の夫の話では、”発見した当時妻は全裸で、一目で強姦されたのだと分かる状態だった”ようです。夫は自身の妻に対してこのような犯行に及んだ犯人を許すことはないでしょう。

生後11ヶ月の娘を窒息死させる

犯人の大月孝行は女性を殺害し屍姦したのちに、傍で泣いていた生後11か月の子供を殺害するつもりで何度も床にたたきつけ、ヒモで子供の首を縛り、窒息死させたのです。

大月孝行は殺害して屍姦した女性の遺体を押し入れに入れ、子供の遺体を押し入れの上部にある天袋に放置しました。

殺害後財布を盗み逃走

犯人の大月孝行は屍姦し遺体を放置したのちに、部屋にあった財布を盗みだし逃走しました。大月孝行はその後盗んだお金でゲームセンターに行き、遊びに興じていたようです。また何事もなかったかのように友人宅に足を運んだりしていたことも判明しています。

大月孝行は犯行後に罪の意識に苛まれることはなかったのでしょうか?殺害事件が発覚し、凶悪な事件に世間が騒然としている中、犯人の大月孝行は何食わぬ顔で逮捕されるまでの数日間を平然と過ごしていたのです。

事件から4日後に逮捕

大月孝行は犯行に及んだ4日後の4月18日に光市母子殺害事件の犯人として逮捕されました。犯人として逮捕された大月孝行の容疑は、殺人と強姦致死、窃盗でした。

殺害した上に屍姦するという残虐な犯行に及んだ犯人が逃走していたことで、近隣住民や子供を持つ母親たちは恐怖の数日間を過ごしていました。しかし犯人が逮捕されたことにより安堵の声と共に18歳の少年による犯行だったことに驚きの声も上がったのです。

大月孝行の生い立ち

光市母子殺害事件のように残虐な犯行に及ぶ犯人には、生い立ちや親との関係に問題があることが多いと言われています。大月孝行もご多分に漏れず生い立ちや親との関係に問題がありました。

大月孝行が被害者女性に性的な興味を持つようになったのには自身の父親が関係していたように、大月孝行は特に父親との間に異常な関係性があったようです。光市母子殺害事件の犯人である大月孝行の生い立ちや父親との関係について探ってみました。

複雑な家庭環境で育つ

大月孝行の父親は元々素行の悪い男だったようで、女性を強姦し、産婦人科に入院させていたことがありました。そして何とその強姦した女性とのちに結婚しているのです。その女性というのが大月孝行の母親でした。

大月孝行は1981年3月16日に2人の間に長男として誕生しました。その後弟も生まれ家族4人となりましたが、幸せな家庭を築いていた訳ではなかったようです。大月孝行の父親は子供たちが小さい時から家庭を顧みることはなく、ギャンブルに明け暮れ、多額の借金をしていたといいます。

父親の家庭内暴力

大月孝行の父親は母親に対して日常的に暴力を振るっていました。大月孝行は父親に暴力を振るわれている母親を幼いながらに庇っていたといいます。しかし父親は母親を庇う大月孝行に対しても暴力を振るうようになっていったのです。

幼少期から父親に殴られていた大月孝行にとっては母親が唯一の心の支えとなっていました。しかしその母親も父親からの暴力により次第に心を病んでいくのです。大月孝行は複雑な家庭環境で育ったことにより、両親からの十分な愛情を受けていなかったようです。

父親のDVで母親が自殺

大月孝行の母親は父親からの暴力を受け続け、何度も自殺未遂を繰り返すようになっていました。自殺未遂を繰り返していた母親ですが、精神的に追い詰められ、遂に大月孝行が中学1年生の時に自殺を遂げてしまうのです。

大月孝行の母親は自宅のガレージで首を吊って死んでいるのを発見されました。大月孝行の父親は自分のせいで母親が自殺したことを後悔することもなく、また母親の遺体を息子である大月孝行に掃除させたりしていたようです。こうした劣悪な環境で育ったことが大月孝行の歪んだ人格が形成される原因になったのでしょう。

父親がフィリピン人女性と再婚

大月孝行の父親は母親の自殺後には、愛人関係だったフィリピン人女性との再婚を果たしています。不倫していた上に母親を暴力で自殺に追い込んだ父親を大月孝行はどのような気持ちで見ていたのでしょうか?

父親の再婚後には腹違いの弟が誕生し、大月孝行は益々家庭内での居場所が無くなり、その後は家出を繰り返すようになっていったといいます。大月孝行の母子殺害や屍姦という犯行は決して許されるものではありませんが、大月孝行が残虐な事件の犯人になったのにはこのような生い立ちや父親に原因があったと言わざるを得ません。

高校を卒業後水道配管設備会社に就職

大月孝行は山口県内の高校を卒業後は水道配管設備会社に就職しています。高校時代父親の再婚相手と腹違いの兄弟に囲まれて家庭内に居場所が無かった大月孝行は、度々家出を繰り返していました。大月孝行は当初は就職して自立して家を出るという夢を抱いていたのかもしれません。

しかし大月孝行は自立するために仕事に精を出すことはなく、就職してすぐに光市母子殺害事件を起こしました。また大月孝行は自身の身勝手な欲望を叶えるために、自身の仕事を利用して犯行に及んでいるのです。

就職の10日後に事件を起こす

大月孝行は配管工事の会社に就職し、1999年4月4日から勤務を始めました。しかし就職からわずか10日後の4月14日には無断欠勤をして、同日午後2時頃に犯行に及んだのです。大月孝行は配管検査を装ってアパートに侵入するため、会社の作業着のまま事件現場に足を運びました。

このことからも十分な計画性を持って犯行に及んでいることが伺えます。大月孝行は犯行に及んだ当時18歳という未成年だったことから逮捕後も実名報道されることはなく、プライバシーが保護されていました。しかし裁判で大月孝行の犯行内容や屍姦の事実が明らかにされると加害者のプライバシー保護に疑問を呈す人も多く現れました。

大月孝行は在日外国人?

大月孝行は元々は”福田”姓となっており、「福田孝行」という名前でした。しかし逮捕されたのちに獄中で支援者となっていた大月純子さんと養子縁組したことで大月孝行と改名したのです。

光市母子殺害事件当時、逮捕された犯人の大月孝行の国籍が公表されていなかったことや、養子縁組した大月純子さんが反日思想を持つ宗教家だったことから在日外国人なのではないかという噂が広がりました。しかし現在に至るまで大月孝行の国籍は明らかにされることはなく、大月孝行の国籍は現在も不明のままとなっています。

光市母子殺害事件の裁判の判決

光市母子殺害事件の犯人として逮捕された大月孝行は、殺人と強姦致死、窃盗の3つの容疑で裁判に掛けられています。裁判では大月孝行の残虐すぎる犯行や屍姦の事実が明らかになり、未成年の少年の残虐な犯行は日本中に衝撃を与えました。

日本には満20歳までに犯罪を犯した者には少年法が適応されるという法律がありますが、18歳以上の者が死刑に値する犯罪を犯した場合には死刑判決を下すことが出来ると定められています。光市母子殺害事件の犯人である大月孝行は事件当時18歳でしたがその凶悪な犯行内容から死刑判決が下されました。光市母子殺害事件の裁判についてみていきましょう。

第1審と第2審の判決は無期懲役

大月孝行の裁判で検察側は未成年の犯行と言えども、屍姦などの凶悪で卑劣な行為をしたとして死刑を求刑しました。しかし大月孝行の弁護団は、大月孝行に母子を殺害するつもりはなかったことや犯行の計画性がなかったことを主張し、死刑回避を主張しました。

大月孝行が裁判の冒頭で被害者遺族に謝罪の言葉を述べたことや、大月孝行が未成年であることなどから”更生の余地がない訳ではない”として、大月孝行に無期懲役の判決が下されたのです。被害者女性の夫は、メディアの取材に対して”裁判で犯人が死刑にならないのであれば自分の手で殺す”と発言していました。

被害者女性の夫は、裁判での大月孝行の謝罪を心からの謝罪ではなく死刑回避のためのパフォーマンスに過ぎないと考え控訴しましたが、第二審の広島高裁でも死刑判決にはならず無期懲役という判決が下されたのです。

2008年広島高裁が死刑判決

無期懲役が下された大月孝行でしたが、その後最高裁判所は判決を破棄し、広島高裁に審理差し戻しを行いました。差し戻し裁判で検察側は、大月孝行に殺害の計画性がなかったことを認めることは出来ないとして死刑判決を求刑しています。

それに対し弁護側は殺意はなかったとして死刑回避を求めていました。2008年4月22日に差し戻し裁判の判決公判が行われ、広島高裁は”未成年ということを加味しても凶悪な犯行だ”として大月孝行に死刑判決を言い渡しました。

弁護団が再審請求

死刑判決が下った大月孝行ですが、その後2012年に大月孝行の弁護団は再審請求をしたのです。

大月孝行の弁護団は大月孝行の生い立ちに触れ、「母親の姿と被害者女性が重なり、強姦目的ではなく優しくされたくて抱きついただけ」「自殺してしまった母親への恋しさから抱き付き行為をして、抵抗されたために死なせてしまっただけ」と殺意はなかったと主張しました。

未成年での死刑判決の是非が争点に

光市母子殺害事件の犯人である大月孝行は、犯行に及んだ当時18歳の未成年でした。裁判では未成年に対し死刑判決を下すということも争点になったようです。弁護団は大月孝行が未成年であることや複雑な生い立ちから精神的に未熟であったことなどを理由に挙げ、更生の余地はあると主張していました。

戦後の日本には未成年で死刑判決が下った者は4人しかいないということからも、未成年に対する死刑判決は慎重にならざるを得ないということが分かります。大月孝行に対する死刑判決を巡っても様々な議論がなされていました。

2012年に死刑確定

未成年への死刑判決の是非が問われていた光市母子殺害事件ですが、大月孝行の弁護団による再審請求は棄却され、2012年3月16日に大月孝行の死刑が確定しました。大月孝行に死刑が確定したのには、屍姦などの類を見ない凶悪な犯行があったからではないでしょうか?

被害者女性の夫はこの死刑判決を受けて、”決して喜びの感情はないが、犯人にはしっかりと罪を償ってほしい”と述べています。

大月孝行の異常な発言や行動

大月孝行は第一審の裁判後に友人に宛てた手紙の中で異常な発言を繰り返しており、この発言により大月孝行に事件への罪の意識が全くないことや反省していないことが明らかとなりました。この発言は裁判で証拠として提出されています。

また裁判では弁護団が大月孝行の異常発言を元に死刑回避を主張しているのです。大月孝行の異常発言とはどのような発言だったのでしょうか?裁判で明かされた大月孝行の異常発言をまとめてみました。

①ドラえもん発言

大月孝行は第二審後に弁護士を変えて裁判に臨んだのですが、弁護士を変えたことで大月孝行の主張は大きく変わることとなるのです。大月孝行は差し戻し裁判で”強姦目的ではなく女性に甘えたかっただけ”と発言し、また子供に対しても”殺意はなく泣き止ますために首にリボンを巻いただけ”と主張を変えました。

また殺害した子供を押し入れに入れた理由について「ドラえもんが助けてくれると思ったから」と発言したのです。これは死刑回避のために精神年齢を低く見せる作戦だったと考えられています。

②被害者を侮辱する手紙

大月孝行は第一審後に友人に宛てて手紙を書いているのですが、その手紙の中には被害者を侮辱する発言が書かれていました。

▼『知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』

▼『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』

▼『五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも』

大月孝行が友人に宛てた異常発言が書かれたこの手紙は、大月孝行が自身の犯行に罪の意識を持っていない証拠として裁判所に提出されました。

③「来世で弥生さんの夫になる」発言

差し戻し裁判では、精神鑑定を行った専門家に対して大月孝行が「来世で弥生さん(被害者女性)の夫になる可能性がある」と発言していたことも明らかになりました。

大月孝行が死刑回避のために異常発言をしていたともとれますが、もしこれが本心からの発言だとしたら弁護側が主張する精神発達の遅れや精神異常があったというのも頷けます。

④屍姦は復活の儀式と主張

またこの光市母子殺害事件で一番卑劣だとして注目を浴びた屍姦について大月孝行は、”復活の儀式だった”と発言していたのです。

大月孝行は山田風太郎の小説「魔界転生」を読んで、屍姦すると死んだ人を生き返らせることが出来ると書かれていたことを信じ、”生き返ってほしかったから屍姦した”と述べています。

大月孝行の現在

光市母子殺害事件の犯人として逮捕された大月孝行には、すでに死刑が執行されているのでしょうか?大月孝行の現在について調べてみました。

広島拘置所に収監中

大月孝行に死刑判決が確定したのは2012年3月16日となっており、2019年現在で7年が経過しています。

大月孝行の現在について調べてみたところ、まだ死刑は執行されておらず、現在も死刑囚として広島拘置所に収監されていることが分かりました。また死刑判決を不服として現在も再審請求を行っているようです。

拘置所内でも反省の色は見えず

大月孝行は拘置所での生活を手記に綴っており、その手記では死刑囚となった現在も全く反省している様子は見られないようです。

死刑判決へ不服を抱いていることや拘置所内では筋トレをして過ごしていること、また被害者女性や女性の夫への侮辱発言も繰り返しています。

養子縁組で「大月孝行」に改名

大月孝行が元々の福田姓から改名したのは、支援者となっていた大月純子さんが養子縁組したことによるものでした。宗教家の大月純子さんは死刑囚となった大月孝行を精神的に支えるために養子縁組し、現在も度々面会に訪れているといいます。

事件に関する本が出版される

2009年10月にはライターの増田美智子さんによる「福田君を殺して何になる」という本が出版されました。

大月孝行の実名で出版されたこの本は、増田美智子さんの”死刑を回避出来るように協力する”という発言の元で大月孝行が獄中インタビューに応じたものだったのですが、実際に出版された本は死刑が前提として書かれたものになってました。

激怒した大月孝行は本の差し止めを要求し、増田美智子さんに対して賠償請求を行いますが、差し止めが認められることはなく、その後本は出版されています。

父親が取材で思いを語る

大月孝行の父親は取材陣に対して、「息子がしたことだから息子が責任を取るのは当たり前」と述べ、さらに父親は被害者女性の夫と同じ職場に勤めていたことから、事件後に辞めなければいけなくなったことなどを語りました。

父親は自身の息子の犯したことについて謝罪することはなく、まるで他人事のようにインタビューに答えています。父親の無関心や愛情の無さが息子が犯罪者になってしまった要因なのではないでしょうか?

大月孝行は劣悪な家庭環境の過去を持つ凶悪犯

1999年4月14日に起きた光市母子殺害事件の犯人である大月孝行についてまとめてみました。大月孝行は幼少期から父親の暴力や母親の自殺などを経験し、劣悪な家庭環境で育っています。

このような家庭環境が大月孝行の人間性を作る原因になったことは明らかですが、大月孝行の犯した罪は決して許されるものではありません。大月孝行は死刑判決を受けていますが、現在も再審請求を行っています。

関連するまとめ

Missing
この記事のライター
vivichan0430

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ