ポール牧の死因は飛び降り自殺!理由は?病気や借金などの噂も!指パッチンまとめ

指パッチンで有名なポール牧さんは飛び降り自殺によって死去されていますが、なぜポール牧さんは自殺という道を選んだのでしょうか?この記事では、自殺でこの世を去ったポール牧さんの死因や自殺理由、葬式や生前のエピソード、これまでの活躍ぶりなどを紹介します。

ポール牧の死因は飛び降り自殺!理由は?病気や借金などの噂も!指パッチンまとめのイメージ

目次

  1. 1ポール牧のプロフィール
  2. 2ポール牧の死因は飛び降り自殺
  3. 3ポール牧の自殺理由は病気や借金?
  4. 4ポール牧とビートたけしの関係
  5. 5ポール牧の芸人活動など詳しい経歴
  6. 6ポール牧の結婚した妻や子供は?
  7. 7ポール牧の死因は自殺による全身打撲で波乱万丈な芸人人生

ポール牧のプロフィール

芸人やタレントとして活躍し、「指パッチン」で有名だったポール牧さんは、セクハラ疑惑で世間を騒がせたりと、何かと話題が尽きない人物として知られていました。そんなポール牧さんは自殺をしており、既にこの世を去っています。

では、なぜポール牧さんは自殺をするまで追い詰められていたのでしょうか?そこで今回は、ポール牧さんの死因や借金や病気が自殺理由だという噂の真相、詳しい経歴や結婚歴、ポール牧さんとビートたけしさんの関係などを一挙ご紹介します。

・愛称:熈林一道(きりん いちどう)
・本名:榛澤一道(はんざわ かずみち)
・生年月日:1941年8月2日
・年齢:63歳没
・出身地:北海道天塩郡天塩町
・血液型:AB型
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:芸人・タレント・俳優・元僧侶
・所属グループ:コント・ラッキー7
・事務所:不明
・家族構成:不明

ポール牧の経歴

ポール牧さんの実家は北海道天塩町にある曹洞宗寺院で、5歳の頃から修行を始め、10歳の時に僧侶となる為の出家の儀式である「得度」を行っています。ポール牧さんの父は体が弱かったようで、12歳の頃から父の代わりに住職代理を務める事もあったようです。

そして、1956年3月に高校を卒業したポール牧さんは、秋田県大館市の禅寺で修行を始めます。しかし、2年後の1958年には僧侶という立場を捨て、喜劇役者を目指して上京。

上京後のポール牧さんは靴磨きやクラブの手伝いなど数々の職を転々とした後、漫談家・牧野周一さんに弟子入りし、1962年に芸人としてデビューを果たしています。その後、1968年には関武志さんと「コント・ラッキー7」を結成し、一躍人気芸人に。

独特の芸である「指パッチン」で人気を集めたポール牧さんですが、1984年に相方だった関武志さんが亡くなった事でコンビを解散。

その後もピン芸人・タレントとして活躍していたポール牧さんですが、1996年に兄の死をきっかけに再び僧侶の世界に戻り、2002年に茨城県鹿嶋市に司友山一道寺を創建し、住職に就任しています。

しかし、ポール牧さんは2年後の2004年に再び芸能界に復帰し、2005年には個人事務所を設立。そして、同年4月に飛び降り自殺をし、63歳でこの世を去っています。

ポール牧はヒーリング能力も凄い

ポール牧さんには所謂「ヒーリング」という能力があったようで、ポール牧さんが患部に5分ほど手をかざすと、その部分が熱くなって痛みが消えていたそうです。その為、ポール牧さんは外出先でも体が痛いと言う人が居れば、自身のヒーリング能力を活用していたそう。

ヒーリング治療はスピリチュアルな分野に分類されていますが、ぎっくり腰で動けなくなっていた人にポール牧さんが手をかざしたところ、立ち上がって歩けるようになったなど、ポール牧さんのヒーリング能力を信じる人は多かったようです。

ヒーリング能力がセクハラ騒動に発展の過去も

そんなポール牧さんですが、2000年に銀座のホステスからセクハラを告発されています。そのホステスによると、ポール牧さんは自身のヒーリング能力を語り、女性をホテルに連れ込む事が度々あったそうです。

そして、ポール牧さんは知人のホステスをホテルに連れ込み、”ヒーリングをする為”と語り女性を全裸にさせ、セクハラ行為に及んだというのです。このポール牧さんのセクハラ騒動が世に知れ渡った事で、ポール牧さんの仕事は激減しています。

ポール牧の死因は飛び降り自殺

指パッチンや得意の話術、コントなどで人気を博していたポール牧さんですが、先述したように飛び降り自殺で亡くなっています。元僧侶という経歴を持つポール牧さんですが、なぜ自殺をするまで追い込まれてしまったのでしょうか?

そして、自殺したポール牧さんの葬式には、芸能界以外の関係者も参列した事も話題となったようです。そこで、ポール牧さんの自殺理由に迫る前に、死因や葬式に関する内容を見ていきましょう。

2005年に自宅マンションから飛び降り自殺

ポール牧さんは2005年4月22日の早朝に、東京都新宿区内の自宅マンションから飛び降り自殺をしています。ポール牧さんの部屋はマンションの9階にあり、窓は開いたままの状態で手すりには人が乗り越えたような跡が残っていたそうです。

ポール牧さんは遺書を残していなかったようですが、メールが全て消去された携帯電話が自宅内に残されていたようで、状況から自殺と断定されています。

死因は飛び降り自殺による全身打撲

自宅マンションから飛び降り自殺を図ったポール牧さんを最初に発見したのは、付近を通りかかっていたタクシー運転手です。”ドンッ”という衝撃音を聞いたタクシー運転手が音の方に駆け寄ると、血まみれになった男性が倒れていた為、運転手は慌てて通報。

飛び降り自殺を図った男性は足から落ちたので顔は無傷で、搬送後に男性がポール牧さんだと判明。搬送時は息があったポール牧さんですが、飛び降りた際に地面に全身を強く打ち付けており、死因は全身打撲。搬送2時間後に死亡が確認されています。

ポール牧の葬式を取り仕切ったのは井の上孝彦

死因は飛び降り自殺の全身打撲だったポール牧さんの葬式を取り仕切ったのは、井の上孝彦さんという人物です。井の上孝彦さんは、指定暴力団である稲川会・井の上組の組長で、ポール牧さんとは深い関係だった事で知られています。

そんな井の上孝彦さんは、飛び降り自殺で死去したポール牧さんの遺体を引き取り、葬式だけでなくポール牧さんの墓地の手配までも取り仕切ったそうです。組長である井の上孝彦さんが取り仕切ったという事は、ポール牧さんの葬式には組関係者も多く参列した事が考えられます。

遺族ではなく組長・井の上孝彦が取り仕切る葬式

一部では、葬式を取り仕切った井の上孝彦さんとポール牧さんは、数十年前に盃を交わした事で所謂”兄弟関係”になったと言われています。ポール牧さんは井の上孝彦さんの事を「兄弟」と、井の上孝彦さんはポール牧さんの事を「ポールさん」と呼んでいたそうです。

出典: https://pixabay.com/photos/audience-crowd-people-persons-828584/

一般的に、葬式は遺族が取り仕切るものです。しかし、ポール牧さんの葬式は友人だった井の上孝彦さんが取り仕切っている事に加え、墓地までも井の上孝彦さんが手配したとなると、晩年のポール牧さんは家族と疎遠であった事が考えられます。

ポール牧さんと井の上孝彦さんは兄弟関係で、肉親以上の仲とも囁かれていた二人ですので、飛び降り自殺の全身打撲という死因のポール牧さんの葬式を井の上孝彦さんが取り仕切るのは、ごく自然な事だったのかもしれません。

ポール牧の自殺理由は病気や借金?

ポール牧さんの死因は飛び降り自殺の全身打撲ですが、自ら自宅マンションの手すりを乗り越えて自殺を図るとなると、相当の理由があった事が考えられます。

芸人を目指し上京し、「指パッチン」で一躍人気芸人となったポール牧さんですが、晩年は借金や病気など、様々な噂話が流れていたようです。ポール牧さんの死因を押さえた上で、続いてはポール牧さんの自殺理由に迫っていきましょう。

ポール牧の自殺は病気や借金などが関係か

ポール牧さんは自殺の際に遺書を残していない上に、携帯電話に残っていたメールを全て削除しているので、本当の自殺理由は誰にも分かりません。しかし、ポール牧さんを知る関係者によると、自殺の理由は大きく分けて「病気」と「借金」の二つが考えられるようです。

他にも、古くからポール牧さんを知る人物によると、ポール牧さんは以前から自殺願望を隠していなかったようです。では、ポール牧さんを自殺に追い込んだとみられる「病気」と「借金」とは、一体どんな内容なのでしょうか?

自殺理由①病気

まずは、ポール牧さんの自殺理由と言われている「病気」について見ていきましょう。日本で起こっている自殺の中で、最も多い自殺理由が「健康問題(病気)」です。

健康問題と一口で言っても身体の病気や鬱病、アルコール依存症や薬物依存症など様々な理由がありますが、その中でも最も多い自殺理由が「鬱病」となっています。では、ポール牧さんが患っていたと言われる病気とは、一体どんなものだったのでしょうか?

ポール牧には病気「鬱病」の噂が浮上

ポール牧さんの元マネージャーによると、ポール牧さんは1990年代から鬱病を患っていたそうです。しかし、ポール牧さんは元々は軽い鬱病だった為、一時期は快方に向かっていたと言います。

ポール牧さん自身も関係者も、そのまま鬱病が治る事を期待していた事が考えられますが、2000年に起こったセクハラ騒動によって鬱病が再発・悪化し、晩年のポール牧さんは精神安定剤を服用していたそうです。

病気「鬱病」の薬とアルコールの併用による自殺?

出典: https://pixabay.com/photos/whisky-fireside-alcohol-beverage-3450670/

ポール牧さんの知人によると、ポール牧さんは自宅マンションのベランダに、外に向かって登る様な階段状にした段ボールを置いていて、酔っ払うと段ボールに乗って外に飛び降りる真似をしていたそうです。

そんなポール牧さんが飛び降り自殺を図った部屋には酒瓶が転がっていたそうなので、ポール牧さんは鬱病の薬とアルコールを同時に摂取し、突発的に自殺してしまったと考えられています。

自殺理由②借金問題

ポール牧さんの自殺理由二つ目は「借金問題」と言われています。しかし、晩年のポール牧さんはお金に困っていた時期があった事は確かなようですが、自殺直前はスポンサーも付き、生活に困窮する状態では無かったようです。

しかし一部では、2000年に起こったセクハラ騒動で仕事を失ったポール牧さんは多額の税金を滞納していた、という噂も。他にも、ポール牧さんの死後、新たな借金トラブルが明るみに出たようです。

投資詐欺会社を紹介で借金問題との噂

出典: https://pixabay.com/photos/guy-man-people-dark-shadow-hands-2617866/

ポール牧さんの死後、借金問題が報じられる中「ポール牧さんは知人を投資詐欺会社に紹介し、600万円もの投資をさせてしまった」という借金トラブルも報じられています。

ポール牧さんからすると投資詐欺会社の人間も知人であり、600万円を投資した知人を紹介した時は詐欺会社だと全く知らなかったのです。しかし、結果的に知人を騙してしまったポール牧さんは、罪悪感から自殺をしたのではないか、と推測されています。

ポール牧とビートたけしの関係

日本を代表する人気芸人・映画監督であるビートたけしさんは、自身の経歴を話す際にポール牧さんの名前を出す事が多くなっています。人気芸人同士、テレビ番組で共演する事もあったポール牧さんとビートたけしさんですが、二人はどんな関係性だったのでしょうか?

ビートたけしとは

ビートたけしさんは、国外で活動する際は本名の「北野 武」名義にしています。そんなビートたけしさんは1947年1月18日生まれの72歳で、東京都足立区島根出身です。この為、ポール牧さんはビートたけしさんより6個年上という事になります。

お笑いコンビ「ツービート」として人気を博したビートたけしさんは、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『オレたちひょうきん族』など多数の人気番組に出演し、タモリさんと明石家さんまさんと共に、”日本のお笑いBIG3”と呼ばれる存在になっています。

ブレイク前のビートたけしを公私共に世話

現在は日本を代表する存在になっているビートたけしさんですが、最初から売れっ子芸人だった訳ではありません。そんなブレイク前のビートたけしさんを公私共に世話していた人物というのが、ポール牧さんなのです。

先に芸能界で活躍していたポール牧さんは、ブレイク前のビートたけしさんに仕事を紹介したり、食事をご馳走して世話をしていたそうです。

ポール牧さんの死去後も何かとポール牧さんの話をするビートたけしさんは、2017年6月に行われたイベントに出席した際、「ポール牧さんを半分だけ尊敬している」と、以下のように語っています。

「その人は『コメディアンは転べなくなったら終わりだよ』って、素晴らしいことを言っていた」

「そう教えてもらったとき、ポール牧さんはいいお年をされていたけど、いつも、スッテン、スッテン転んでいましたからね」

「牧さんは『コメディアンは、体を痛めつけても、笑いを取るもんだ』とも言われていて、凄いなと思いました」

このように先輩であるポール牧さんから教えを受けたビートたけしさんは、”世界のキタノ”と称されている現在でも自分の教訓にしている、と語っています。

ビートたけしが語るポール牧エピソードも凄い

ポール牧さんはブレイク前のビートたけしさんを公私共に世話していましたが、ビートたけしさんがブレイクする頃にはポール牧さんの出演機会が減っていました。

それを肌で感じたビートたけしさんは、自身が出演する番組内でポール牧さんの名前を敢えて使い、お茶の間に「ポール牧」という名を広めていたそう。その結果、ポール牧さんの仕事量が増加したといいます。

そして番組で共演後に飲みに行った際、ビートたけしさんがお代を支払おうとしたところ、ポール牧さんが「たけちゃん、それは10年早いよ」と言い、ポール牧さんが二人分の料金を払った上、ビートたけしさんをタクシーに乗せたそうです。

そして、そのタクシーの車内で考えられたのが、ビートたけしさんが作詞作曲した『浅草キッド』だと言われています。実際にはビートたけしさんの方が稼いでいたはずですが、このエピソードからポール牧さんの人柄が伝わってくるのではないでしょうか?

このように、ビートたけしさんが語るポール牧さんのエピソードは面白いだけでなく、ポール牧さんの真面目で情に厚い人柄が良く表れています。引き続き、ビートたけしさんが語るポール牧さんのエピソードを3つ見ていきましょう。

エピソード①赤いジャンパーの大男

ビートたけしさんが語るポール牧さんのエピソードは、自身がまだ人気芸人になる前の話ばかりです。一つ目のエピソードが、ポール牧さんが新宿で「竹馬」という名のスナックを経営していた頃のもの。

ある日、スナックで働いていた弟子が夜中に「赤いジャンパーの大男に殴られました」と、ポール牧さんに電話をしてきたそうです。それを聞いたポール牧さんは怒り、自身のスナックに駆け込んで男を探します。

出典: https://pixabay.com/photos/bar-lounge-cocktail-alcohol-glass-498420/

入り口から順に”赤いジャンパーの大男”を探していったポール牧さんですが、どこにもその男は居なかったそう。そして、ポール牧さんは「逃げやがったな!」と弟子を殴ったという男に対して怒りながら、最後に店の奥にあるトイレのドアを開けます。

すると、身長が2m近い”赤いジャンパーの大男”が立っていたのです。弟子の仇を取る為に男を探し回っていたポール牧さんですが、あまりの迫力に「ここにも男は居ないな!」と言いながらトイレのドアを閉め、”赤いジャンパーの大男”を見て見ぬ振りをしたそうです。

エピソード②新築マンション

続いて、ある日一緒に飲んでいた二人。すると、ポール牧さんが「家に寄っていけよ」と、引っ越したばかりだという自宅にビートたけしさんを誘ったそうです。着いた場所は新築マンションで、二人はポール牧さんの自宅で朝まで飲み明かします。

出典: https://pixabay.com/photos/living-room-chair-sofa-couch-home-2155376/

その際、ポール牧さんはビートたけしさんに「芸人はこれくらいのマンションの一つや二つくらい買えないと」と、新築マンションを自慢げに語ったそう。

そして「そろそろ帰ります」とポール牧さんに告げ、ビートたけしさんがマンションを出ると、外に「オール賃貸」というのぼりが立っていたというのです。

エピソード③いろは坂ハプニング

最後に、ある時中古の外車を購入したポール牧さんは、日光いろは坂までドライブをしたそう。そのドライブ中、トイレに行きたくなってしまったポール牧さん。しかし、周りにはトイレが無かった為、車をいろは坂に停めてドアの影で用を足したそうです。

すると、中古だった外車はサイドブレーキが故障していて、いろは坂を下り始めてしまいます。その様子に気が付いたポール牧さんは、慌てて車のバンパーを押さえて車を止めようとしたそうです。

しかし、いろは坂を下っていく車を簡単に止める事は出来ません。観光地でもあるいろは坂には多数の観光客が居て、大勢に見られながら下半身を露出したポール牧さんが車と共にいろは坂を下っていった、というのです。

ポール牧の芸人活動など詳しい経歴

ポール牧さんは昭和に活躍した芸人で、2005年に自殺されていますので、ポール牧さんの活躍ぶりや経歴を詳しく知らない、という方も多いかもしれません。そこで、続いてはポール牧さんの経歴や、芸人以外の活躍ぶりを見ていきましょう。

お笑いコンビ「コント・ラッキー7」結成

1958年に上京し、1962年に芸能界デビューをしたポール牧さんは榎本健一さんや、はかま満緒さんの下で経験を積み、1968年に関武志さんとお笑いコンビ「コント・ラッキー7」を結成しています。

コント・ラッキー7とは

「コント・ラッキー7」は、肉体労働者や酔っぱらい役を相方の関武志さんが演じ、それをからかったり怒る、キザでインテリ風のキャラをポール牧さんが演じて笑いを誘うギャグや、「指パッチン」芸が定番のお笑いコンビでした。

コント・ラッキー7の相方は関武志

「コント・ラッキー7」の相方・関武志さんは1924年4月8日に生まれ、8歳で榎本健一さんに弟子入りをしています。関武志さんはポール牧さんより17個年上だった為、ネタ中に年齢差をいじられる事も多かったようです。

俳優としても活躍していた関武志さんですが、1984年5月11日に胃がんの為60歳で死去しています。相方の死を受け「コント・ラッキー7」は解散となり、ポール牧さんはピン芸人として歩んでいく事に。

ポール牧と言えば「指パッチン」芸人

生前のポール牧さんは、リズム良く指を鳴らす「指パッチン」でお茶の間を賑わす「指パッチン芸人」として活躍していた傍ら、元気になる為の指南書『指パッチン人生論』や、自身の生き方を綴ったという『指パッチン流 色即是空』といった書籍も出版しています。

「お笑いウルトラクイズ」で指パッチンブレイク

お笑いコンビ「コント・ラッキー7」の解散後、ピン芸人となったポール牧さんは、ビートたけしさんの冠番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に出演し、「指パッチン100連発」というコーナーで得意の指パッチン芸を披露して再ブレイクを果たしています。

劇団「東京新喜劇」結成するも大失敗

ポール牧さんは1979年に私財をつぎ込んで劇団「東京新喜劇」を結成し、芸人活動の傍ら全国で公演を行っていましたが、赤字が続き約2000万円もの借金を抱えたと言われています。

芸人以外の出演経歴もチェック

このように、指パッチン芸人以外に劇団員という一面も持っていたポール牧さん。そこで続いては、ポール牧さんの芸人以外の出演経歴をチェックしていきましょう。

出演経歴:映画「軍旗はためく下に」

ポール牧さんは、1972年に公開された映画『軍旗はためく下に』に出演し、コメディアンである「ポール槇」役を演じ、作中で戦争ネタ漫才を披露しています。

出演経歴:映画「勢ぞろい・おかま忠臣蔵」

続いてのポール牧さん出演作品は、コメディ映画『勢ぞろい・おかま忠臣蔵』です。この作品には、せんだみつおさんやカルーセル麻紀さんのほか、たけし軍団なども出演しています。

出演経歴:映画「ふうせん」

出典: https://pixabay.com/photos/cinema-canvas-steamed-curtain-film-2093264/

ポール牧さんは、1990年に公開された映画『ふうせん』にも出演し、奥州神輿会総長である「八木沢武」役を演じてます。同作品は、的屋家業で活躍する若者の姿を描いた作品です。

出演経歴:ドラマ「ビートたけしの学問ノススメ」

ポール牧さんは、映画だけでなく様々なドラマにも出演しています。その内の一つが、1984年に放送されたビートたけしさん主演の学園ドラマ『ビートたけしの学問ノススメ』です。同作でポール牧さんはPTA会長・刑事役を演じています。

出演経歴:ドラマ「てるてる家族」

ポール牧さんは飛び降り自殺をする2年前の2003年、NHKの朝ドラ『てるてる家族』に、佐世保の黒島で民宿を営む「浅月 昇」役で出演。今後の活躍が期待されていましたが、同作がポール牧さんが最後に出演した作品となっています。

ポール牧の結婚した妻や子供は?

劇団の立ち上げに失敗して多額の借金を抱えたほか、知人を投資詐欺会社に紹介してしまうなど、生前は金銭トラブルに見舞われる事が多かったポール牧さん。自殺理由の一つでもある借金問題ですが、そこにはポール牧さんの婚姻歴も関係しているようです。

では、ポール牧さんは生前に何度結婚と離婚を経験しているのでしょうか?そこで最後に、ポール牧さんの婚姻歴と子供の有無について見ていきましょう。

ポール牧は結婚と離婚歴が4回との噂

63歳でこの世を去っているポール牧さんですが、その間に結婚と離婚をそれぞれ4回ずつ経験していると囁かれています。1回目の結婚は、ポール牧さんが劇団の運営をしていた1985年頃で、妻が金銭面を支えていたとも言われています。

4人目の妻とは2001年に離婚

出典: https://pixabay.com/photos/hands-couple-red-x-x-marked-1246170/

ポール牧さんは、最後のパートナーとなった4人目の妻と2001年に離婚しています。離婚原因は公表されていませんが、時期的に2000年に起こったポール牧さんのセクハラ騒動が離婚原因に関わっている可能性が高いかもしれません。

元妻との間に子供は?

ポール牧さんの元妻の人物像や結婚生活に関するエピソードは公開されていないので、ポール牧さんに子供が何人居るのかは定かではありません。しかし、「ポール牧さんは元妻に慰謝料や養育費を支払っていた」という証言もあるようなので、子供が居た可能性が高いようです。

ポール牧の死因は自殺による全身打撲で波乱万丈な芸人人生

今回は、昭和のお笑い界を盛り上げてきた芸人・ポール牧さんにスポットを当て、ポール牧さんの死因や葬式、自殺理由や経歴などを一挙ご紹介して参りました。

死因は地面に衝突した際の全身打撲で、アルコールと薬の併合による突発的な自殺と見られているポール牧さん。指パッチンで世間を賑わしてくれたポール牧さんの人生は、まさに波乱万丈だったのです。

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