岸田今日子の死因は?旦那との子供は娘だけ?若い頃からの経歴も!

日本の女優としてドラマなどで活躍されていた岸田今日子さん。岸田今日子さんが出演していた作品は現在も印象に残る作品となっています。そこで今回は岸田今日子さんについて紹介します!岸田今日子さんのプロフィールをはじめ夫や子供、若い頃、死因などを調査してみました!

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目次

  1. 1岸田今日子のプロフィール
  2. 2岸田今日子の死因は?
  3. 3岸田今日子の夫との子供について
  4. 4岸田今日子の若い頃からの経歴
  5. 5岸田今日子の声優や童話作家・晩年の経歴
  6. 6岸田今日子は永遠に語り継がれる名女優

岸田今日子のプロフィール

愛称:きょうこちゃん・きょうちゃん
本名:岸田今日子(きしだきょうこ)
生年月日:1930年4月29日ー2006年12月17日
年齢:76歳没
出身地:東京都豊多摩郡(現・東京都杉並区)
血液型:A型
身長:156㎝
体重:不明
活動内容:女優・声優・童話作家
所属グループ:なし
事務所:演劇集団 円(円企画)
家族構成:父(劇作家・岸田國士)・母(翻訳家・岸田秋子)・姉(童話作家・岸田伶子)など。

岸田今日子の経歴

岸田今日子さんは1950年に女優として初舞台に出演しました。そして1953年には映画「にごりえ」で映画デビューし女優として注目されはじめました。その後は舞台やドラマ、映画に出演し、多くの賞も獲得されています。

また1960年には、三島由紀夫演出の「サロメ」で主役を演じて以来、「陽気な幽霊」をはじめ数多くの舞台で大役を務める女優となりました。

岸田今日子と言えばアニメ「ムーミン」

岸田今日子さんと言えば、女優活動の一方でアニメの声優でも有名です。岸田今日子さんの声優の代表作と言えばアニメ「ムーミン」。岸田今日子さんはアニメ「ムーミン」の主人公、ムーミントロールの声優を担当しています。

アニメ「ムーミン」は1969年版と1972年版がある人気アニメです。1969年版のムーミンは「旧ムーミン」、1972年版のムーミンは「新ムーミン」と呼ばれています。

他にもムーミンは、キャラクターデザインを担当した方の名前をとった「大塚ムーミン」「昭和ムーミン」や、「旧ムーミン」の前期版、後期版などとも呼ばれています。現在ムーミンのグッズなどはとても人気があり、子供から大人までもがムーミンを知っています。

そんなムーミンの声優を担当していた岸田今日子さん。声優としてもとても活躍されたことがわかります。

岸田今日子は「怪優」と呼ばれる演技派女優

岸田今日子さんは若い頃から様々なドラマや舞台、映画に出演されていて、岸田今日子さんのミステリアスの雰囲気の喜劇からシリアスな役まで幅広い役を演じ注目されました。岸田今日子さんはまさに「怪優」と呼ばれるほどの演技派女優として活躍されました。

岸田今日子の家族は芸術一家

実は岸田今日子さんの家族は芸術一家としても知られています。岸田今日子さんの父親は劇作家の岸田國士さん、母親は翻訳家の秋子さんです。岸田今日子さんは父親の影響もあって、子供の頃から演劇が身近なものであったようです。

さらに岸田今日子さんの姉は、童話作家として活躍された方で、従弟は俳優の岸田森さん、そして岸田今日子さんが結婚したのは俳優の中谷昇さんです。

従弟・岸田森とも多数作品共演

岸田今日子さんの従弟である俳優の岸田森さんは、1982年に43歳という若さで亡くなられていますが、生前若い頃は数々のドラマなどの作品で活躍されていました。1971年の映画「呪いの館血を吸う眼」で演じた吸血鬼が話題となり人気があった俳優です。

そんな岸田森さんと岸田今日子さんは、1974年~1975年に日本テレビ系で放映されたドラマ「傷だらけの天使」を始め、多数の作品で共演されています。

岸田今日子の死因は?

昭和時代、トップ女優としても活躍されていた岸田今日子さん。岸田今日子さんは今から10年以上前にすでに他界されています。76歳という年齢で生涯を終えた岸田今日子さんですが、その死因とは何だったのでしょう。岸田今日子さんの死因について紹介します。

2006年12月17日に他界

岸田今日子さんが他界したのは今から10年以上前の2006年12月17日でした。岸田今日子さんは亡くなる約1年前まで変わらずに女優の活動をされていました。岸田今日子さんは病気が発覚するまで、ドラマや映画、舞台などに出演していました。

岸田今日子さんの元気な姿をテレビで見かけていたので、亡くなった時は驚かれた方も多いのではないでしょうか。

岸田今日子の死因は脳腫瘍による呼吸不全

76歳で亡くなった岸田今日子さんですが、死因は何だったのでしょうか。調べてみると岸田今日子さんの死因は脳腫瘍による呼吸不全だということがわかりました。死因となった脳腫瘍とは、頭蓋骨の内側にある脳や膜などで異常に増殖した細胞の塊です。

脳腫瘍でも悪性の脳腫瘍は、体の別の部分で発生した癌の転移によるものだそうです。岸田今日子さんの死因となった脳腫瘍が悪性だったかは不明です。

2006年1月下旬に脳腫瘍発覚

岸田今日子さんが脳腫瘍で呼吸不全という死因で亡くなったのは2006年12月17日です。では岸田今日子さんはいつから病気と闘っていたのでしょうか。情報によると、岸田今日子さんは2006年1月下旬に脳腫瘍が発覚されたそうです。

脳腫瘍が発覚した時は、かなり良くない状態であったそうで手術もできなかったそうです。そのため投薬治療を行っていたと言われています。

近親者のみの葬儀

岸田今日子さんの葬儀は、近親者のみで行われたようです。そして亡くなった2006年12月の翌年2007年の年明けに、お別れの会が開かれたそうです。ちなみに岸田今日子さんの元夫である俳優の仲谷昇さんは、岸田今日子さんが亡くなる約1カ月前に他界されています。

岸田今日子さんは、仲谷昇さんをまるで後を追うように亡くなられたと当時言われました。岸田今日子さんの葬儀の喪主は、岸田今日子さんの娘である長女が務めたそうです。

お墓は多磨霊園に

岸田今日子さんのお墓は、東京都府中市および小金井市をまたいだ場所にある多磨霊園にあると言われていまう。多磨霊園は、長い歴史を持つ緑の多い公園墓地であり、多くの著名人のお墓があるそうです。

岸田今日子の夫との子供について

続いては岸田今日子さんの夫や子供について紹介します!岸田今日子さんは演技派女優として活躍されてきて、もちろん容姿もとてもお綺麗です。若い頃からお綺麗だったのと、癒される独特な声を持っていることで、男性からもとても人気がありました。

また岸田今日子さんには子供がいるのでしょうか。もし子供がいるのならば、その子供は娘なのか息子なのかも気になります。

夫は俳優・仲谷昇

岸田今日子さんは、24歳の時に結婚されています。岸田今日子さんと結婚して夫となった男性は、俳優の仲谷昇さんです。

1954年に夫・仲谷昇と結婚

岸田今日子さんは1954円に、自身と同じ所属事務所の文学座であった俳優の仲谷昇さんと結婚されました。夫の仲谷昇さんは、演技力はもちろんのこと二枚目俳優として人気があった俳優です。

結婚後妊娠するも女優業の影響もあり流産

岸田今日子さんは結婚後、夫との間に子供を授かり妊娠もしています。しかし女優を続けていた岸田今日子さんは、仕事が多忙が原因からか流産を経験されています。

その後2度目の妊娠で娘・まゆ誕生

一度流産を経験されている岸田今日子さんですが、その後2度目の妊娠が発覚。また流産することを恐れ、二度目の妊娠時は仕事をセーブしたそうで、1968年には娘が誕生しました。

1978年におしどり夫婦の2人が離婚

1954年に結婚され、1968年に子供を出産した岸田今日子さん。夫である仲谷昇さんとはおしどり夫婦と言われていたのですが、なんと1978年に離婚しています。

離婚後は娘と岸田今日子の2人生活

岸田今日子さんも売れっ子の女優であったこともあり、子供の親権は岸田今日子さんにあったようで、夫との離婚後は、娘と二人で暮らしていたようです。1978年の離婚した時点では、岸田今日子さんの娘は10歳でした。

娘ですので岸田今日子さんも心強かったのではないでしょうか。そんな岸田今日子さんの娘の名前は「まゆ」さんというそうです。

岸田今日子の若い頃からの経歴

岸田今日子さんは1930年生まれ。そして1950年に芸能界の活動を始めました。芸術一家で育ったと言う岸田今日子さんですが、若い事はどんな子供だったのでしょう。岸田今日子さんの若い頃の画像とともに紹介しましょう!

女優転身前には舞台美術家として活動

岸田今日子さんは20歳の時に女優デビューしているのですが、実は女優転身前の若い頃は舞台美術家として活動されていたそうです。岸田今日子さんは戦後に通っていた高校時代に、舞台美術に興味をもったそうで、高校卒業後には父親が設立した文学座に入所しました。

岸田今日子さんは若い頃からとても美人だったため、いつからか舞台美術よりも女優として活動されることも考えていたようです。

初舞台「キティ颱風」の娘役に抜擢

舞台美術家として活動していた岸田今日子さんですが、初舞台「キティ颱風」の娘役に抜擢され、女優として活動されます。

父親からは女優転身反対でパリでの勉強を強要?

この初舞台に出演したことがきっかけで、岸田今日子さんは女優に転身することを決意したそうですが、父親からは反対されていたと言います。さらに父親は「女優を本気でやりたいなら少なくても3年はパリで勉強するように」と強要したそうです。

フランス語勉強後に「文学座」正式入団

父親から反対された岸田今日子さん。それでも女優になるために本気でフランス語の勉強を始めたようです。実際にパリに留学したかは不明ですが、岸田今日子さんは1952年に正式に文学座に入団しました。

映画デビューは「にごりえ」脇役

文学座に正式入団した翌年の1953年、映画「にごりえ」で映画デビューを果たしています。岸田今日子さんは、山村家の次女という役で出演。端役ではあったものの記念すべき映画デビュー作品となりました。

舞台「サロメ」主演で話題に

映画「にごりえ」以降、岸田今日子さんは舞台を中心に、ドラマや映画に出演されるようになりました。そして1960年には舞台「サロメ」で主演に抜擢され注目される女優となりました。

映画「破戒」や「砂の女」で助演女優賞を獲得

また岸田今日子さんは、1962年公開の映画「破戒」では「毎日映画コンクール助演女優賞」受賞しました。さらに1964年公開の映画「砂の女」では、「ブルーリボン助演女優賞」を受賞され、実力派女優として活躍されました。

「文学座」脱退後は劇団設立

女優として順風満帆な日々を送っていた岸田今日子さん。1963年には所属していた文学座を脱退し、その後「劇団雲」を結成しています。劇団雲は1978年に解散しますが、その後は「演劇集団 円」を設立されました。

岸田今日子の声優や童話作家・晩年の経歴

岸田今日子さんは女優以外にも声優や童話作家などとしても活動されています。岸田今日子さんは若い頃は舞台美術の活動をされていたりと、とても多才な活躍を見せています。

1985年頃まで放送「ムーミン」トロール役

岸田今日子さんと言えば、アニメ「ムーミン」の声優というイメージが強いです。ムーミンは1985年頃までは再放送などもされていて、ムーミントロールと言えば岸田今日子さんの声として有名でした。

童話作家としても本も出版

そして岸田今日子さんは女優、声優とさらに童話作家としても本を出版しています。岸田今日子さんは、エッセイや翻訳などの執筆活動もされています。

本「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞獲得

執筆活動もされている岸田今日子さんは、1998年に「妄想の森」を出版。その本が「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞し話題となりました。

幼児絵本シリーズ「パンツのはきかた」も話題に

また岸田今日子さんは幼児絵本も出版しています。岸田今日子さんの絵本「パンツのはきかた」は、岸田今日子さんの癒される優しい声でうたと絵本の読み聞かせの作品で、とても話題となった絵本です。

ダークな短編本「二つの月の記憶」も人気

また岸田今日子さんは「二つの月の記憶」という短編本も出版しています。この短編本は、ダークな内容であり、官能的な香りを匂わせながらも、不思議な世界へ迷い込んでしまうような短編本となっていて、現在でも人気ある本です。

「演劇集団・円」の幼児向け舞台企画も担当

岸田今日子さんはその他にも、毎年「演劇集団 円」では、年末にシアターXで上演される幼児にも楽しめる舞台「円・こどもステージ」というのを行っていて、その企画を担当していたようです。

「とんねるずのみなさんのおかげです」で若いファン急増

また岸田今日子さんは、人気バラエティー番組である「とんねるずのみなさんのおかげです」にも出演。当時の若年層にも高い知名度を誇るようになりました。

晩年もドラマや映画など多数出演

若い頃から女優としてドラマや映画、舞台などで活躍されている岸田今日子さん。晩年も若い頃と変わらずドラマや映画、舞台など多数の作品に出演されています。岸田今日子さんが主演を務めた作品も多くあります。

2006年に脳腫瘍が発覚してからは治療のため、ドラマなどの作品に出演することはできなかったのですが、それまでは変わらず元気な姿で演技をされていました。

岸田今日子は永遠に語り継がれる名女優

以上、実力派女優・岸田今日子さんについて経歴や死因など紹介しました!岸田今日子さんは女優として有名ではありましたが、女優以外にも童話作家や「ムーミン」の声優や童話作など、とても才能が豊富な方で、幅広いジャンルで活動されていることがわかりました。

岸田今日子さんが亡くなってから10年以上経ちましたが、岸田今日子さんは永遠に語り継がれる名女優です。

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この記事のライター
松本友奈

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