O・J・シンプソンの現在!事件の真相や犯人は?経歴なども

アメリカのプロフットボール選手たったO・J・シンプソンに起きたO・J・シンプソン事件について紹介します。O・J・シンプソン事件後の現在についてや、事件の真相や犯人について調査しました。現在までの経歴と合わせてドラマのようなこの事件に注目しましょう。

O・J・シンプソンの現在!事件の真相や犯人は?経歴などものイメージ

目次

  1. 1O・J・シンプソンのプロフィール
  2. 2O・J・シンプソンの現在
  3. 3O・J・シンプソン事件の真相
  4. 4O・J・シンプソン事件の犯人について
  5. 5O・J・シンプソン逮捕と裁判の真相
  6. 6O・J・シンプソンのアメフト経歴
  7. 7O・J・シンプソン事件のその後やドラマ化について
  8. 8O・J・シンプソンの現在は仮釈放で元妻殺害の事件は今でも語られる

O・J・シンプソンのプロフィール

愛称:O.J.
本名:Orenthal James Simpson
生年月日:1947年7月9日
年齢:72歳(2019年9月現在)
出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ
血液型:???
身長:185.4cm
体重:96.2kg
活動内容:元プロフットボール選手、俳優
所属グループ:元バッファロー・ビルズ、元サンフランシスコ・フォーティナイナーズ
事務所:???
家族:独身(二度結婚と離婚)、5人の子供

O・J・シンプソンの経歴

O・J・シンプソンはアメリカを代表するプロフットボール選手の一人です。アフリカ系アメリカ人の両親の元に生まれましたが、子供のころに栄養失調になったことが原因でガニ股になっています。これは食べ物を満足に買うお金やギプスを買うお金すらなかったことが原因でした。

O・J・シンプソンは高校時代からスポーツ万能でした。そして、アメフトの花形プレイヤーになり活躍しています。高校を卒業後はバッファロー・ビルズに入団して、ハーフ・バッカーとして活躍しました。

1973年にNFLの年間記録として、初めて2,000ヤードを超える2,003ヤードのランを記録しています。このことでMVPを受賞しました。アメフト選手を引退後はタレントや俳優としてテレビに出演しています。また、1985年にはその栄光を讃えて殿堂入りにも選ばれました。

O・J・シンプソンは映画「タワーリング・インフェルノ」や「カプリコン・1」などに出演したことで有名です。このようにアメフト選手だけでなく、俳優として人気でした。しかし、O・J・シンプソンが殺人事件の容疑者として逮捕されたことで大きな騒動となりました。

O・J・シンプソンの現在

O・J・シンプソンが逮捕されたこと、そして裁判にかけられたことはアメリカだけでなく世界的なニュースになりました。O・J・シンプソンの裁判については様々な憶測がありますが、現在はどうしているのでしょうか?

2019年の誕生日で72歳のO・J・シンプソン

O・J・シンプソンは2019年の誕生日で72歳になります。O・J・シンプソン事件は1994年に起きたので、そこから随分と時間が経ったといえます。年齢的に高齢になったO・J・シンプソンですがどのような生活をしているのでしょうか?

現在はネバダ州の刑務所から仮釈放

O・J・シンプソンは、O・J・シンプソン事件とは別の事件でネバダ州の刑務所に収監されていました。そして、現在は仮釈放処分となっているそうです。

2007年に強盗容疑で逮捕され懲役33年の判決

現在のO・J・シンプソンは、2007年に起きた強盗容疑で逮捕されています。これは、O・J・シンプソンが5人の男と拳銃で武装して、ラスベガスのホテルに押し入ったというものでした。このとき、O・J・シンプソンはスポーツ記念品などを盗んでいました。

この事件の被害者の中に、O・J・シンプソンが裁判の資金が足りずに売り払ったハイズマントロフィーを購入した人物もいました。O・J・シンプソンは盗まれた記念品や妻子の写真を取り返したかったと主張したようですが、裁判で有罪になっています。

この裁判でO・J・シンプソンは合計33年の懲役が言い渡されています。O・J・シンプソンの仮釈放は最短でも9年目以降というものでした。O・J・シンプソンは裁判のやり直しなどを求めたものの却下されており、結果的に2017年10月1日に仮釈放されています。

現在はラスベガス付近でゴルフ生活?

現在のO・J・シンプソンはラスベガス付近でゴルフをしながら生活していると言われています。以前からゴルフ好きで、妻が殺害されたときもゴルフをするためにシカゴに居ました。本人のものと思われるTwitterがあり、そこではたびたびゴルフをしている動画が投稿されています。

今現在もO・J・シンプソン事件への注目が

しかし、今現在もO・J・シンプソン事件は注目されています。2016年に新しい証拠が発見されたからです。また、同年に米ケーブルテレビ局FXが「アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件」が連続ドラマ化されたことも、事件が再注目された理由でした。

作品のクオリティに対してある程度の評価がされているものの、関係者は事実に対して誤解を招く作品と感じているようです。特に遺族からそういった意見が多いのでしょう。

O・J・シンプソン事件の真相

このO・J・シンプソン事件は未だにはっきりとしたことが分かっていません。証拠や裁判の過程が複雑だったからです。そういった点も踏まえながらO・J・シンプソン事件の真相について紹介します。

1994年にO・J・シンプソン事件発生

O・J・シンプソン事件が起きたのは1994年6月13日のことでした。被害者はO・J・シンプソンの元妻だったニコール・ブラウンと友人のロナルド・ゴールドマンです。二人の死体はカリフォルニア州ロサンゼルスのブレントウッドにある、ニコール・ブラウンの自宅前玄関で発見されました。

友人のロナルド・ゴールドマンは、身長が180cmで格闘技の達人でした。そのため、犯人はそれ以上の体格であり、腕力に勝る人物だと推測されたのです。そして、O・J・シンプソンは警察から連絡をもらったとき、イリノイ州シカゴにいました。

O・J・シンプソンの元妻と元妻の交際相手が遺体で発見

この遺体を発見したのは、犬の散歩をさせていた近所の人でした。その男性は後ろから別の犬が走ってきて、足が血で汚れていることに気づいたそうです。最初は犬が怪我をしていると思ったものの、犬が走り出したのを追いかけると二人の遺体が発見されたのです。

この犬はロナルド・ゴールドマンの飼い犬でした。元妻の遺体は喉元を真っ直ぐと切られており、友人は何度も刺されていました。そのため、現場は血の海だったそうです。

元妻は裸足、友人は靴を履いていました。先にどちらかが殺害されて、それに気づいたもうひとりも殺されたという状況でした。

事件前には元妻がO・J・シンプソンからのストーカー被害通報も

O・J・シンプソンと元妻が知り合ったきっかけは、1977年に会員制クラブで出会ったことでした。ニコール・ブラウンはO・J・シンプソンの名前を知らず、逆にそのことが彼女に興味を抱くきっかけとなったそうです。

その後、結婚した二人は仲の良い時期もあったようです。しかし、O・J・シンプソンによる暴力が問題になっていました。たびたび妻からの通報で警察が訪れており、DVが疑われて罰金を命じられたこともあります。

O・J・シンプソンは離婚の翌年に、ニコール・ブラウンの家に侵入しておりストーカー被害の通報も起きています。裁判ではこの件についても注目されています。しかし、弁護士はO・J・シンプソンには新しい恋人が居たため、ストーカー事件と殺害は別問題と論じました。

O・J・シンプソン事件の犯人について

では、O・J・シンプソン事件の犯人は誰だったのでしょうか?真っ先に疑われたO・J・シンプソンですが、どのような証拠やアリバイがあったのかが気になる点です。O・J・シンプソン事件の犯人について紹介します。

事件現場の血痕からDNA鑑定へ

まず、O・J・シンプソン事件において現場には複数の血痕が残されていました。特に靴跡の左側に小さな血痕が続いていたことから、犯人は左手に怪我をしたことが疑われています。

O・J・シンプソンは取り調べのときに左手の中指を怪我しており、事件当日の夕方にあった、娘のダンス発表会のときにはその傷は無かったことが分かっています。また、現場に残された血痕はDNA鑑定でO・J・シンプソンのものであるという結果になりました。

元妻を亡くしたO・J・シンプソンに殺人容疑

O・J・シンプソンの経歴は凄いものです。アメフト選手としてアメリカンドリームを実現した人物であり、多くの黒人の憧れでした。しかし、元妻を亡くしたO・J・シンプソンが殺人容疑で逮捕されたため、世間の注目を集めることになります。

その後はO・J・シンプソン逃走カーチェイス

逮捕された当初、O・J・シンプソンは冷静に対応しており、一度釈放されています。しかし、殺人罪容疑で逮捕令状が出たという話を聞くと、友人のアル・カウリングズと逃亡を図ったのです。

このとき、O・J・シンプソンはかなり動揺しており精神的に不安定な状態だったそうです。そして、車の後部座席で拳銃を頭に突きつけて自殺しようとしたそうです。そのため、アル・カウリングズは携帯で警察に刺激しないように要求しています。

O・J・シンプソンの逃走カーチェイスは全米に生中継されており、そのことを知った人々が車を追いかけて、逃げるのを応援するというドラマのような状態になります。O・J・シンプソンも警察も制限速度を守りながら逃亡するという異常な光景だったそうです。

様々な人物がO・J・シンプソンを説得し、ついに逃亡劇は自宅に到着して終了します。車から出てきたO・J・シンプソンは家族の写真を抱えていました。O・J・シンプソンは元妻の墓参りに行こうとしたものの、犯人扱いされ、警察に追いかけられたことでパニックになったのが理由だったと説明しています。

O・J・シンプソン逮捕と裁判の真相

このようにドラマ以上の展開を見せたO・J・シンプソン事件ですが、ここからさらに複雑化していきます。ドラマのような内容が、連日のように放送されました。ここからは、O・J・シンプソン逮捕と裁判の真相を紹介します。

O・J・シンプソンが真犯人として逮捕

警察はO・J・シンプソンを真犯人として逮捕しています。このころから事件は殺人事件だけの枠に収まらない状態になっていきます。これは、O・J・シンプソンが逮捕されて掲載された写真からも感じることが出来ます。

タイム誌はO・J・シンプソンの皮膚を暗くして、囚人ID番号のサイズを縮小した顔写真を表紙に使いました。逆にニューズウィーク誌はオリジナルの写真を使っています。この2つの雑誌が書店に並ぶと、タイム誌に対して多くの抗議が寄せられたのです。

なぜこのようなことが行われたかというと、O・J・シンプソンが黒人だったからです。この裁判はアメフトのトップスターという経歴を持つ人物が殺人を犯したというだけでなく、人種差別による偏見との戦いの側面も含まれていたからなのです。

アメリカのドラマや映画などで、黒人差別を描く場面は多々あります。日本ではなかなか感じにくいことですが、アメリカでは現在も多くの人種差別が存在します。これは地方によって大きな差があり、アメリカの南部は根強い差別が存在するそうです。

事件の物的証拠とは

では、O・J・シンプソン事件において事件の物的証拠はどのようなものがあったのでしょうか?裁判の中では事件の真相に迫る3つの大きな証拠が提示されています。

ブルーノマリの靴の足跡

まず、現場にはブルーノマリというブランドの靴による足跡が残されていました。このブランドはアメリカでは珍しいもので、40店舗しか扱っていなかったそうです。そして、その店舗の中にO・J・シンプソンがよく靴を買うデパートが含まれていました。

弁護士は、このお店の従業員に聞き取りを行っています。しかし、誰もO・J・シンプソンに靴を売った人が見つからなかったと弁護しました。また、O・J・シンプソンの持ち物の中からこの靴は見つかっていません。ただし、足跡はO・J・シンプソンの足のサイズと一致しています。

O・J・シンプソンの血痕

現場に残された血痕とO・J・シンプソンのDNAが一致したことが逮捕の理由になったことを紹介しました。しかし、調査を進めた中でO・J・シンプソンはシカゴのホテルで、グラスを割って怪我をしていたことが分かっています。

実際にO・J・シンプソンが居たホテルには、割れたグラスと血のついたタオルが残されていました。このことからO・J・シンプソンは事件現場には行っておらず、ホテルに居たことが考えられたのです。

血痕のついた黒い手袋

3つ目の証拠はO・J・シンプソンの自宅に落ちていた血痕のついた黒い手袋です。これは事件発生直後に刑事がO・J・シンプソンの自宅を訪ねたときに見つけたものです。

このときO・J・シンプソンはすでにシカゴに居て自宅にはいませんでした。しかし、刑事はそのまま自宅に忍び込んで血痕のついた黒い手袋を見つけていたのです。そして、この血痕が被害者二人のものだと発覚したのです。

これは裁判の中で決定的な証拠だと思われていたのですが、まるでドラマのような出来事が起きています。検察は裁判の中で、O・J・シンプソンに手袋をはめるように指示しました。しかし、この手袋はサイズが小さくO・J・シンプソンの手にはまりきらなかったのです。

明らかにサイズが合っておらず、手袋は手首まで上がりきらない状態でした。殺人を犯すときに、ちゃんと手にはまらない手袋を使うのかという疑問が生まれた瞬間です。3つの証拠の中でも特に陪審員に疑問を抱かせたものであり、ここから事件はドラマ以上の展開になっていきました。

O・J・シンプソンの刑事裁判の真相

犯人として疑われたO・J・シンプソンですが、刑事裁判はどのように対処したのでしょうか?事件の罪に対する追求が行われる中で、O・J・シンプソンは徹底して無罪を主張しています。そのO・J・シンプソンを支えた弁護団と合わせて刑事裁判の真相を解説します。

5億円の弁護資金で弁護団の作戦へ

O・J・シンプソンは裁判に対して15人の「ドリームチーム」と呼ばれる弁護団を結成しました。著名人の弁護を多く担当するロバート・シャピロ、マイケル・ジャクソンの幼児虐待容疑裁判で示談に持ち込んだ黒人弁護士のジョニー・コクランなどが招集されています。

他にもマイク・タイソンの事件やジョンベネ殺害事件に関わった人物など、まさにドリームチームというメンバーでした。この弁護士費用は5億円にのぼったと言われています。さながらドラマのような面々が揃った中で、事件の真相が追求されたわけです。

O・J・シンプソンの弁護団は警察の捜査ミスと人種差別を争点にして戦っています。例えば現場に遺された血痕を採取したのが鑑定士免許を持たないアシスタントだったこと、O・J・シンプソンから採血した血液は、変化が起きやすい黒いビニール袋に保管されてしまっていたことが問題視されています。

そして、弁護団はO・J・シンプソンから採血された血液は8ccだったはずなのに、6ccに減っていたことも疑問が残るとしています。これは血液がなぜか一度、O・J・シンプソンの自宅に運ばれており、このときに物的証拠をでっち上げるために使われたと主張したのです。

ロス市警のマーク・ファーマンの人種差別疑惑が裏目に

O・J・シンプソンの裁判が行われたサンタモニカは白人が多い地域でした。アメリカの裁判は陪審員制となっており、その地区の人種の人口比率で決まるというものです。そのため、黒人であるO・J・シンプソンにとっては不利な裁判が行われる可能性がありました。

また、この事件の少し前に、白人警官による暴行事件が起きていました。このときの裁判は白人の陪審員が多かったことで警察は無罪となっています。これが引き金となってロス暴動が起きていました。こういったこともあり、O・J・シンプソンはダウンタウン支部で裁判が行われることになったのです。

裁判に選ばれた陪審員12名は、黒人8名、ラテンアメリカ系2名、白人1名、ハーフ1名でした。また、裁判官も日系人が選ばれており、裁判は全米で生中継されることが決まりました。その中で、事件を捜査したマーク・ファーマン刑事が強い人種差別を抱く人物だと暴露されたのです。

その内容はマーク・ファーマン刑事を取材した人物が録音したテープに、何度も黒人を差別する言葉を使っていたというものでした。また、日系人の裁判官の配偶者をからかう発言も残されています。これが先程の証拠でっち上げ疑惑と結びついて陪審員の印象を悪くさせたのです。

刑事裁判の判決は無罪に

そして、1995年10月3日に刑事裁判の判決が下されました。陪審員は全員一致でO・J・シンプソンを「無罪」としたのです。このことでO・J・シンプソンは犯人ではないと判断されました。しかし、喜ぶ黒人たちに対して白人や遺族たちは大きな落胆を見せています。

裁判の経歴を振り返る中で、こういった判決が下されたのは捜査の杜撰さと人種差別を争点にしたことが決めてだったといえます。警察がしっかりと証拠を捜査していれば印象も違ったでしょうし、人種差別が事件の真相とは違う観点を生み出してしまったわけです。

現在はこのことを踏まえて、警察の証拠が捏造された可能性があったとしても、O・J・シンプソンが犯人の可能性が高いという見方が強いそうです。つまり、その他の証拠だけでもO・J・シンプソンが犯人だと言えるという考え方なのでしょう。

元妻と共に被害者となったロナルドの父親が民事訴訟

刑事裁判においてO・J・シンプソンは犯人ではないという判決が下されました。しかし、元妻と一緒に被害者となったロナルド・ゴールドマンの父親は諦めなかったのです。

アメリカの憲法では無罪を勝ち取った場合、二度目の起訴は出来ないという決まりがありました。しかし、刑事裁判とは別に民事裁判を行うことは出来たのです。そのため、ロナルド・ゴールドマンの父親は民事裁判でO・J・シンプソンを訴えました。

この民事裁判では、刑事裁判のときと同様に日系人が裁判官に選ばれています。しかし、裁判はサンタモニカ支部で行われており、陪審員は白人9名、黒人1名、ラテンアメリカ系1名、ハーフ1名でした。

無罪から民事裁判で有罪判決に

そして、民事裁判において補償賠償と懲罰賠償を求める裁判が行われました。民事裁判と刑事裁判では様々な仕組みの違いがあり、それはO・J・シンプソンにとって不利なものでした。

例えば、刑事裁判では陪審員の全員一致が原則です。一人でも反対意見があれば、全員が一致するまで話し合いが続けられます。しかし、民事裁判は70%の一致で大丈夫なのです。このときは12名の陪審員が選ばれており、9名以上が一致すれば決定されるという状況でした。

他にも刑事裁判では証言台に立たなくて良いという拒否権を行使できますが、民事裁判は憲法が適用されないため証言を行う必要がありました。そのため、O・J・シンプソンは様々な証言を行ったものの、どれも曖昧な発言をしたため、かなり印象が悪くなったのです。

そして、1997年3月10日に民事裁判においてO・J・シンプソンは有罪判決が下されました。裁判に負けた理由として、金銭的に厳しくなったことでジョニー・コクランを雇う金が無かったというのも影響していると考えられます。

40億円の賠償金が命じられ敗訴に

裁判ではロナルド・ゴールドマンに対する補償だけが認められており、父親に722万5千ドル、母親に127万5千ドルの補償を支払うことになりました。日本円で約40億円の賠償金が命じられたわけです。

O・J・シンプソンはすでに資金的に余裕がなく、ロス地裁が家財道具を差し押さえています。O・J・シンプソンの家も競売にかけられており、かつてのアメフトの大スターはカリフォルニアを離れることになりました。

しかし、事件の真相は解明されておらず、刑事裁判で罪に問われることは無かったわけです。こういったことが未だにO・J・シンプソン事件が取り上げられる理由の一つなのです。

O・J・シンプソンのアメフト経歴

アメフトのスーパースターだったO・J・シンプソンが逮捕されたという事件を紹介しました。そんなO・J・シンプソンのアメフト選手としての経歴を改めて確認してみましょう。

アメフト経歴①バッファロー・ビルズ全体1位指名で入団

O・J・シンプソンのアメフト経歴は、高校時代から始まっています。高校のアメリカンフットボールチームで活躍し、大学でも結果を残していました。大学時代はハイズマン賞やマックスウェル賞を受賞しています。

そして、1969年にバッファロー・ビルズに全体1位で指名されて入団しています。しかし、バッファロー・ビルズは前年度に1勝12敗1引き分けというリーグ最悪の成績を残していました。

当時、チームはコーチの方針が選手たちと合わず、あまり良い雰囲気では無かったそうです。O・J・シンプソンも適切なポジションで起用されておらず、最高のパフォーマンスが出来たとは言えませんでした。

アメフト経歴②アメフトのスーパースターとしての活躍

ところが1972年に、元ヘッドコーチだったルー・セイバンが復帰したことで息を吹き返すことになります。O・J・シンプソンのポテンシャルを見抜いたヘッドコーチは、オフェンス中心の起用を行いました。また、新しくチームに加入したレジー・マッケンジーにより、さらに能力を発揮することが出来たのです。

1973年にO・J・シンプソンは2,003ヤードのランを記録しており、アメフトのスーパースターとしての地位を不動のものにしました。O・J・シンプソン自身の能力が高いこともありますが、チームメイトも様々な記録を達成するために協力してくれています。

そのため、O・J・シンプソンは記録を達成したときの記者会見で、オフェンスのチームメイトを全員同席させています。このときに、チームメイトやコーチたちに純金製のブレスレットをプレゼントしています。この総額は2万ドルを超えたという話もあります。

アメフト経歴③現役引退後は俳優としても活動

1979年にO・J・シンプソンは現役を引退することを決断しました。その理由は度重なる膝の故障と2歳を目前にした娘が溺死したことが関係しています。そして、1980年1月23日に現役を引退しました。

O・J・シンプソンは引退後、俳優やコメンテーターとして活躍しています。現役時代もCMや解説者を担当することがあり、高額なギャラで出演していたそうです。

O・J・シンプソンが出演した作品は、1974年の「タワーリング・インフェルノ」や1975年の「ダイヤモンドの犬たち」が挙げられます。また、1988年の「裸の銃を持つ男」ではコメディな演技をこなしており、新しい一面を垣間見せています。

しかし、1994年に起きたO・J・シンプソン事件によって、それらの地位もすべて失ってしまったと言えるでしょう。事件の罪や真相が不明確な部分もあり、アメフトのスーパースターのイメージは失われてしまったわけです。

O・J・シンプソン事件のその後やドラマ化について

O・J・シンプソンのアメフト選手としての経歴は素晴らしいものでした。しかし、事件の罪に問われただけでなく、その後も別の事件を犯していたわけです。O・J・シンプソン事件の真相は謎が残ったままで、他の罪に問われたというのは今までの経歴を完全に台無しにしています。

それらの点を踏まえながら、O・J・シンプソン事件のその後やドラマ化について紹介します。この中でO・J・シンプソン事件の新しい真相や、罪に対する意識が垣間見えることになります。

その後はO・J・シンプソン事件を語る未公開シーンも放送

2006年にO・J・シンプソンは、FOXが行ったインタビューに答えています。しかし、この映像は放送するまえに問題があるとしてすべての内容が公開されませんでした。しかし、2018年にこの映像の未公開シーンを公開することになり、大きな話題となったのです。

そもそも、O・J・シンプソンは事件後の2016年に自分の罪を告白するかのような「If I Did It」という本を出版しようとしました。この本はもし自分があの事件の犯人だったら、どのように二人を殺害したかというのを仮定して描いたものになっています。

このインタビューの中で、O・J・シンプソンは友人から、元妻の家で驚くことが起きていると知らされて現場に向かったと話し始めました。家に着くとロナルド・ゴールドマンが居て、ニコール・ブラウンの母親がサングラスを忘れたので届けに来ていたそうです。

しかし、O・J・シンプソンは二人がデートをしていたということを知って嫉妬したようです。二人の声に気づいてニコール・ブラウンが出てくると、ロナルド・ゴールドマンは空手を使うようなポーズを取りました。

そのことでO・J・シンプソンはナイフを手にとって、そこから記憶は無いということを話しています。あくまで仮定であるとして話したこのインタビューは、O・J・シンプソンの罪の告白だったのでしょうか?

O・J・シンプソン事件がドラマ化に

アメフトの素晴らしい経歴を持つO・J・シンプソンが、まさかの罪を告白したようなインタビューを行っていたことが発覚したわけです。このことで改めて事件が注目されました。そして、2016年2月2日にO・J・シンプソン事件を扱ったドラマが放送されました。

このドラマはFXの「アメリカン・クライム・ストーリー」の第1シーズンとして放送されました。また、ストーリーはジェフリー・トゥービンの書籍「The Run of His Life: The People v. O.J. Simpson」が基になっています。

ドラマはキャストの演技や脚本などが高く評価されて、第68回プライムタイム・エミー賞の13部門で22の候補に挙がりました。そして作品賞を含む9個の賞を受賞しています。

ドラマ「アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件」とは

このドラマはO・J・シンプソン事件を描いた物語です。フットボール選手として活躍した経歴を持つO・J・シンプソンが殺人犯として捜査されて、裁判が行われていくストーリーとなっています。基本的に登場人物は実名となっており、実際に起きた出来事が描かれました。

物語の最後は裁判が評決され無罪を勝ち取ったO・J・シンプソンが真犯人を探すという意向を表明するものになっています。また、エピローグでは登場人物の近況も綴られています。

O・J・シンプソンの経歴の偉大さが認識できると同時に、事件の真相は何だったのかという疑問が残る内容だったといえるでしょう。O・J・シンプソンは裁判後に、今までの経歴とは全く違った孤独な最後を迎えていますし、事件の新しい真相が明かされたとは言えない結末になっています。

O・J・シンプソンの現在は仮釈放で元妻殺害の事件は今でも語られる

アメフト選手としてスーパースターだったO・J・シンプソンが関係したO・J・シンプソン事件について紹介しました。また、現在のO・J・シンプソンは別件の犯人として逮捕され、仮釈放されていたのです。

元妻を殺害した事件は未だに論争が起きる出来事であり、O・J・シンプソンの罪に対する疑惑が晴れたわけではありませんでした。本当に元妻や友人を殺害したのかは不明で、インタビューで語った仮定の話が真相だったのかは分からないままです。

現在も事件はドラマ化されたことで再注目されています。警察の捜査の仕方や人種差別問題など、事件の真相以外にも注目する点が多いと言えます。今後もO・J・シンプソン事件は語り継がれていくものだといえるでしょう。

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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