佐田啓二(中井貴一の父)の死因は交通事故?真相や家族構成まとめ

佐田啓二というと戦後を代表するイケメン俳優のひとりですよね。中井貴一の父ということで、若い世代にも名前が知られるようになりました。そんな佐田啓二はどんな人物だったのか。経歴や代表作品、衝撃の死因やその真相などを詳しくご紹介していきます!

佐田啓二(中井貴一の父)の死因は交通事故?真相や家族構成まとめのイメージ

目次

  1. 1佐田啓二のプロフィール
  2. 2社会現象になった『君の名は』
  3. 3どうして人気が?イケメン度を調査!
  4. 4佐田啓二の死因は悲劇的な交通事故死
  5. 5良き父・夫であった佐田啓二
  6. 6今も語り継がれる映画スター佐田啓二

佐田啓二のプロフィール

・本名:中井寛一
・生年月日:1926年12月9日
・出身地:京都府京都市
・血液型:A型
・身長:171.2cm
・活動内容:俳優
・事務所:松竹
・家族構成:妻(中井益子)、長女(中井貴恵)、長男(中井貴一)
・出演作品:不死鳥、鐘の鳴る丘、君の名は、花の生涯、喜びも悲しみも幾歳月

佐田啓二の経歴

佐田啓二本名中居貫一は1926年12月9日に京都府京都市で生まれました。京都市立第二商業学校(後の京都市立西陣商業高等学校)を卒業し、早稲田大学政治経済学部に入学しました。

学生時代には松竹に所属していた俳優の佐野周二の家に下宿していたため松竹大船撮影所に入社。芸名の佐田啓二は佐野周二の佐と二を譲り受けて名付けられたそうです。

入社2年目の1947年には映画「不死鳥」で当時の大スターである田中絹代の相手役に抜擢されます。この映画が評判となり20歳の若さでスターの地位を獲得しました。イケメン俳優だったということで一気に人気が加速しています。

続けざまに映画「鐘の鳴る丘」に主演で登場。イケメン人気俳優というポジションを不動のものとしました。今当時の画像を見ても、イケメンであることを否定する人はほとんどいません。

さらに佐田啓二の人気を不動のものにしたのが1953年の映画「君の名は」です。当時の人気ラジオドラマを映画化したこの作品では岸恵子と共演し、大ヒットを飛ばしました。

30歳前後からイケメンかつ演技派の俳優と言われるようになり、1956年の映画「あなた買います」でキネマ旬報賞主演男優賞・ブルーリボン賞主演男優賞・毎日映画コンクール主演男優賞を受賞しました。

プライベートでは同じ京都府出身の益子と結婚し、2人の子どもをもうけています。長女は女優でエッセイストの中井貴恵、長男は俳優の中井貴一です。妻の益子は2016年2月に87歳で亡くなっています。

人気絶頂の佐田啓二でしたが1964年8月17日に妻・娘・息子と信州蓼科高原の別荘に行き、撮影所へ帰っている途中に乗っていた車が事故を起こしました。すぐに病院に運ばれましたがそのまま亡くなりました。享年37歳という若さでした。

葬儀は8月22日に青山葬儀場にて行われました。その際には芸能関係者やファンなど約1000人が参列しました。

社会現象になった『君の名は』

1953年に佐田啓二の人気を不動のものにした映画が「君の名は」です。原作はNHKのラジオドラマ「君の名は」で、君の名はが始まると「銭湯の女湯から女性がいなくなる」と言われるほどの人気ドラマでした。

「君の名は」はもともとラジオドラマですが映画だけではなく、テレビドラマや舞台にもなっています。映画の出演者は佐田啓二をはじめ、岸恵子・市川小太夫・望月優子・月丘夢路など、当時のそうそうたるメンバーが参加しています。

特に岸恵子が演じる氏家真知子のストールの巻き方が評判となりました。ストールの巻き方は「真知子巻き」と呼ばれ社会現象となりました。またイケメン俳優佐田啓二が演じる後宮春樹は当時の女性の理想の男性像として人気を博しました。

ちなみに近年社会現象となったアニメ映画の「君の名は」とはまったく関係のない映画作品です。

逢えそうで逢えない悲劇の恋人たち

「君の名は」は逢えそうで逢えない悲劇の恋人たちの運命を映画化したものです。東京大空襲の夜、数寄屋橋の上で命を助け会った男女がいました。これが佐田啓二演じる後宮春樹と岸恵子が演じる氏家真知子です。半年後の11月24日の夜に数寄屋橋の上で再会しようと約束して別れました。

佐田啓二が演じる後宮春樹は氏家真知子に「君の名は?」と質問しますが、彼女は名前を告げずに立ち去りました。

結局11月24日の夜に二人は出会うことができず、その後お互いを探し求めます。ついには探し当てるものの幾多の障害に阻まれ、思うようにいかない人生が描かれています。

映画「君の名は」は二人のすれ違いの恋を描いた名作として、今でも映画史で語り継がれるほどの人気を博した作品です。

苦悩の春樹役の佐田啓二に人気集中

この映画「君の名は」では苦悩する後宮春樹役の佐田啓二に人気が集中しました。戦前戦後を生き抜いてきた世代の人達にとって、新しい時代へ移る葛藤が後宮春樹の氏家真知子への思いと重なり、応援せずにはいられなかったと分析している人もいます。

イケメン俳優の佐田啓二が恋と障害に苦悩し続ける姿は、全国の女性ファンをとりこにしたといわれています。当時の画像を見ても、佐田啓二をメインに据えたポスターなどの画像が多いです。

どうして人気が?イケメン度を調査!

佐田啓二は戦前戦後のイケメン俳優の代表として語られることも多いです。もともと端正な顔立ちをしていることが画像からわかります。他の画像を見てみると今の時代でももてはやされるだけのイケメン度だと評価されることも多いです。

ただ、佐田啓二はイケメンだっただけではありません。演技も確かでした。特に30歳前後からは演技に円熟味が増し、映画などに出演するときにも主演だけではなく貴重な名脇役としての活躍も目立ちました。

イケメンの悪役という役は昔からとても人気が高いポジションであり、演技の実力も確かだったためイケメン悪役を演じることも多かったです。主演だけではなく悪役をこなすことでさらに人気が上昇したと言われています。

今でも素敵!画像で見る佐田啓二

今の時代でも佐田啓二のイケメン度は間違いなくトップクラスだということが、よく言われています。往年の映画ファンに言わせると今でも「二枚目といえば佐田啓二」と答える人は少なくないと言われています。

少し画像をチェックしてみました。次の画像をみてみてください。佐田啓二は今でもなおイケメンだと評価されています。

はらりと落ちた一筋の前髪がいい!

佐田啓二といえば前髪のスタイルが特徴的です。ビシッと決めたヘアスタイルから一筋、二筋と前髪をたらりと垂らします。このヘアースタイルが大好きと言う女性ファンが続出。佐田啓二のイケメン度と相まって大人気となりました。画像を見てもこのヘアスタイルが多いです。

佐田啓二の前髪は非常にセクシーで「主役を演じても悪役を演じても名脇役を演じてもつい見入ってしまう。そういうなんとも言えないセクシーさを感じる」とあの頃の映画を見た若い女性が語っていることがあります。

息子中井貴一と生き写しの二枚目

佐田啓二の息子は中井貴一です。佐田啓二と違って少し柔らかい雰囲気のイケメンの息子の中井貴一ですが、二人とも二枚目であることは間違いなくイケメン親子として話題になっています。2人の画像を見比べてみると中井貴一は佐田啓二の息子なんだなぁと感じている人も多いようです。

女優でエッセイストの中井貴恵は佐田啓二の第一子で長女です。中井貴一の姉ということになります。その中井貴恵がインタビューで答えています。「弟は年々父に似てくる」そうです。

家族も認める父・佐田啓二と息子・中井貴一のルックス。佐田啓二が交通事故に遭わなければ、イケメン老人役や悪徳老人をこなす名俳優になっていただろうと専門家も評価しています。

佐田啓二の死因は悲劇的な交通事故死

佐田啓二は37歳という若さで亡くなりました。死因は交通事故です。1964年8月に避暑のため信州蓼科高原の別荘に行っていました。 家族を別荘に残し撮影所に戻る途中の交通事故が死因で死亡しました。

撮影所へ戻る途中の交通事故

佐田啓二の死因となった交通事故ですが、信州蓼科高原の別荘からNHKドラマの「虹の設計」の収録に参加するために、撮影所に戻る途中でした。車には4人が乗っており佐田啓二は後部座席にいたとのこと。運転はせず運転手が車の運転を担当していたようです。

死因となった事故は運転手が無理に前の車を追い越そうとしたことに原因があると当時報道されています。当時の画像を見ると、事故の悲惨さがよく分かります。

死因となった事故の真相を調べてみました。佐田啓二を含む4人が乗っていた車の運転手が前の車を無理に追い越そうとしたようです。そしてカーブを曲がりきれず塩川橋という橋の欄干に衝突事故を起こしました。

その衝撃でさらに暴走し、他の乗用車でも衝突するという多重事故となりました。その事故で佐田啓二は頭の骨と右腕を骨折。病院に運ばれましたが事故の際の骨折が死因で事故から5時間ほど後になくなりました。

佐田啓二が交通事故で亡くなったとき、長女の中井貴恵は小学1年生、息子の中井貴一は2歳という年齢でした。その後のインタビューで幼くして父と死別した中井貴恵は「映画は父を知るためのすべてだった」と答えています。

37歳の早すぎる死

交通事故による骨折が死因となって亡くなってしまった佐田啓二。当時の年齢は37歳です。40歳が近くなり演技にさらに凄みが増し、イケメン俳優として脂の乗り切っていた頃の交通事故による死亡ということで当時ものすごく大きなニュースとなりました。

あいかわらず女性ファンは多く、また理想の男性像を演じるということから男性ファンも多くなっていた当時、交通事故がシーンとなる不幸な亡くなり方が大きな話題となったようです。

また娘の中井貴恵や息子の中井貴一がとても幼かったということも大きな悲劇として報じられました。

大河ドラマで中井貴一が感じた父との因縁

大河ドラマの第1作目「花の生涯」で佐田啓二は主演を演じています。そして大河ドラマ第26作目の「武田信玄」では息子である中井貴一が主演を演じています。

大河ドラマの歴史の中でもその当時主演は26人しかいないわけです。その1人目が父の佐田啓二、26人目が息子の中井貴一ということでとても因縁めいたものを感じたそうです。

また佐田啓二が、死因となる交通事故にあったのが山梨県の韮崎。その地域を支配した武田信玄を演じたということもひとつの理由となり、武田信玄という役を受けるということに決めたということをインタビューで語っています。

良き父・夫であった佐田啓二

佐田啓二は人気俳優だったため、ほとんど家にはいないという生活をしていたそうです。しかし生前2人の子供を大学に行けるようにまた、妻や娘・息子が無事に過ごせるように生活の基盤を整えていたと言います。

生まれてくる子供は一人目は男の子がいいと強く願っていたそうです。しかし、実際に長女の中井貴恵が生まれると溺愛したというエピソードもあります。毎日忙しく家にいなくとも、佐田啓二はいい父であり良い夫であったということがよくわかります。

愛娘の女優・中井貴恵が知る佐田啓二

佐田啓二の娘の中井貴恵は、佐田啓二に対するインタビューについて多く答えています。まずほとんど家にいた記憶はないということです。大人気イケメン俳優だった佐田啓二はほとんど家に寄り付くことなく、撮影所にいたということがわかります。

ただその中でも文字を教えてもらったという記憶は鮮明に残っているそうです。佐田啓二はかなり几帳面で文字を書くのも好きだったとのことで、中井貴恵は佐田啓二の書斎で筆を握り文字を教えてもらったということが印象に残っているとのことです。

佐田啓二の遺志を継ぐ息子中井貴一

佐田啓二の息子である中井貴一は、佐田啓二の17回忌の法要のときにスカウトされたそうです。これも佐田啓二と中井貴一の因縁の一つと言われています。 当時大学生だった中井貴一はこのスカウトをきっかけに大学在学中に俳優としてデビューします。

デビュー作は映画の「連合艦隊」。この話が来た時に最初は断ろうと思っていたそうです。 しかしその瞬間に父親が中井貴一に憑依し「やります」と言わせたと、中井貴一は後に語っています。

中井貴一は佐田啓二が亡くなった37歳という年齢を強く意識していたという話もあります。どこかで自分の人生も37歳で終わると思っていたという噂が立つほどです。

しかし父親が交通事故を死因として亡くなった37歳を過ぎ、仕事面ではさらに充実した日々を過ごしプライベートでは結婚するなど元気に過ごされています。

若くして逝った夫の忘れ形見を育てた妻

佐田啓二の妻は中井益子です。松竹撮影所の前にあった食堂の看板娘が中井益子。2人は木下恵介監督と小津安二郎監督の媒酌で結婚し、夫と妻になりました。

佐田啓二の妻である中井益子は食堂の看板娘だったので、撮影所のスタッフのマドンナとしてみんなから慕われていたというエピソードもあります。

佐田啓二の妻の中井益子の髪型が原節子のシニョンという髪型のもとだということも中井貴一が語っています。小津安二郎が原節子の髪型を決める時に佐田啓二の妻である中井益子のようににしてくれとオーダーしたとのことです。

小津安二郎は役者の髪型を佐田啓二の妻の中井益子にのようにするように指示するほど、中井益子のことを気に入っていたということのようです。

後に佐田啓二と中井益子は夫と妻になるわけですが、二人とも京都の出身です。「お互いに京都弁が話せるということが気が合うひとつのきっかけだったのではないか」と中井貴一はインタビューで言っていました。

結婚するときには妻となる中井益子が小津安二郎のお気に入りということで、佐田啓二はかなり緊張して小津安二郎に報告にいったそうです。そうすると小津安二郎は二つ返事で祝福し、それ以降は小津安二郎と佐田啓二がまるで親子のように仲良くなったというエピソードもあります。

妻であり母である益子は、子育てにはとても厳しい母親だったとのことです。亡き佐田英二の妻として恥ずかしくない子供たちを育てようとしていたのだろうとテレビ番組で中井貴一が入っています。

とにかく手が早い母親で少しでも悪いことをすると、姉も中井貴一本人も容赦なく叩かれたということです。一般家庭ならまだしも佐田啓二の妻ということが大きな影響を与えたのだろうと中井貴一は考えているようです。

また益子は佐田啓二の妻として、一番身近に佐田啓二の存在の大きさを感じてきた一人です。中井貴一が親の七光りは関係ないと言ったときに、「佐田啓二が中井貴一の後ろで光ることはない」というふうにしかり飛ばしたというエピソードもあります。

今も語り継がれる映画スター佐田啓二

佐田啓二は昭和を代表するイケメン実力派俳優です。若くして交通事故が死因でなくなったのはとても残念ですが、その存在は今も中井貴恵・中井貴一きょうだいに受け継がれています。

佐田啓二のご冥福を祈るとともに、「君の名は」をはじめとする佐田啓二出演の映画やドラマと佐田啓二の名前が、これからも長く長く語り継がれていくように祈らずにはいられません。

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この記事のライター
長野

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