西城秀樹の韓国籍の噂の真相!出身や本名は?実家なども調査!鈴木杏樹?

70年代を代表するアイドル歌手で新御三家の一人、西城秀樹が韓国籍という噂について紹介します。実は日本のタレントの中に韓国籍や韓国に関係する人は多いと噂されており、西城秀樹もその一人なのかもしれません。西城秀樹が韓国籍の持ち主と言われている理由を解説します。

西城秀樹の韓国籍の噂の真相!出身や本名は?実家なども調査!鈴木杏樹?のイメージ

目次

  1. 1西城秀樹のプロフィール
  2. 2西城秀樹の韓国籍の噂の真相
  3. 3西城秀樹の出身や本名は?
  4. 4西城秀樹の実家なども調査
  5. 5西城秀樹と鈴木杏樹の関係って?
  6. 6西城秀樹の韓国に関する噂は謎に包まれたまま

西城秀樹のプロフィール

・愛称:ヒデキ
・本名:木本龍雄(きもとたつお)
・生年月日:1955年4月13日
・年齢:63歳没
・出身地:広島県広島市
・血液型:AB型
・身長:181cm
・体重:???
・活動内容:歌手、俳優
・所属グループ:ベガーズ、ジプシー
・事務所:アースコーポレーション
・家族構成:妻、長女、長男、次男

西城秀樹の経歴

西城秀樹は広島県広島市出身の歌手です。郷ひろみ・野口五郎と合わせて新御三家と呼ばれ、大人気となった歌手と言えるでしょう。西城秀樹の家は実業家として裕福だったそうです。父親のジャズギターの影響を受け、幼少期から洋楽を親しみ、ジャズスクールに通っていました。

西城秀樹は兄とエレキバンドを結成したり、近所でヤンチャなことをしたりして楽しい青春時代を送ったのだとか。西城秀樹はバンド活動を続けている中でスカウトされ、高校一年の二学期途中である1971年10月3日に家出同然で上京しています。

狭い部屋でマネージャーと二人暮らしをしながら、西城秀樹は1972年3月25日にシングル「恋する季節」で歌手デビュー。1972年11月25日にリリースされた「チャンスは一度」でブレイクし、その後も「情熱の嵐」や「Y.M.C.A」、「ギャランドゥ」など様々なヒット曲をリリースしています。

西城秀樹のセクシーで野性的な歌声や姿は歌手としてだけでなく、タレントとしても人気でした。私生活では2001年6月30日に一般女性と結婚。その後に長女、長男、次男が誕生しています。幸せな生活を送っていた西城秀樹ですが、度重なる脳梗塞が原因で体調を崩し、2018年5月16日に急性心不全のため63歳で亡くなっています。

西城秀樹の韓国籍の噂の真相

70年代を代表するアイドル歌手の西城秀樹。彼のプロフィールにおいて噂されていることがあります。それは西城秀樹が「本当は韓国籍なのでは?」という情報です。西城秀樹の出身は広島県広島市ということになっていますが、実際は韓国人なのでしょうか?

西城秀樹に韓国籍の噂が浮上

西城秀樹は日本だけでなく、様々なアジアの国でコンサートを行っています。初期の頃から中国では度々コンサートを行っており、ソウルオリンピックの前夜祭にも出演しているのです。そういったグローバルな活動も西城秀樹の韓国籍が関係していたと推測する意見もあります。

韓国出身説の芸能人は意外に多い

そもそも、日本の芸能界には韓国出身説の人物が多いのだとか。実際に公表している人もいれば噂止まりのタレントも多いです。例えば西城秀樹と同じく歌手の錦野旦は、自身が韓国籍で本名が「金明植」であることを明かしています。また、錦野旦は「日本で生活し活動するなら帰化するのが当然」として、1961年に家族と共に日本に帰化しています。

西城秀樹の韓国人説の発端は?

西城秀樹が韓国人と言われ始めた発端は不明です。先程紹介したように芸能界には韓国人や在日二世などが多く存在していたことも関係しているでしょう。また、後ほど詳しく紹介する官報に西城秀樹の本名である「木本龍雄」の名前が載ったことが関係しているようです。

西城秀樹と韓国の水の関係とは

西城秀樹にまつわる噂の中で「韓国の水」というワードがあります。これは西城秀樹が韓国でゴルフをしていた際、現地の水道水を飲んでから体調不良に陥ったことが関係しているようです。

日本のように水道水を直接飲める国は少なく、韓国や中国でも飲水はミネラルウォーターが推奨されています。もし、水道水を飲むとしても浄水器は必須と考えられており、現地の人たちも直接は飲まないのだとか。西城秀樹の出身と韓国の水というワードは直接関係ないと言えるでしょう。

西城秀樹の出身や本名は?

韓国籍が噂されている西城秀樹。彼の出身や本名はどうなっているのでしょうか?西城秀樹のプロフィールで紹介されているものと噂されている情報の違いに注目してみましょう。

西城秀樹の出身地は韓国?

西城秀樹のプロフィールによると広島県広島市ということになっています。西城秀樹の出身地に関して、韓国で生まれたという情報は確認できませんでした。そのため、西城秀樹は日本で生まれた「在日韓国人」という可能性もあるでしょう。

出身地は広島県広島市

広島県広島市出身の西城秀樹。彼の実家は広島駅近くの東蟹屋町にあったそうです。また、西城秀樹の家はデザイナーの三宅一生の実家の斜め前にあったのだとか。こういった情報から西城秀樹の出身地が広島県広島市というのは信憑性が高いと言えるでしょう。

西城秀樹の本名は「木本龍雄」

西城秀樹の本名は「木本龍雄」です。西城秀樹の芸名は少女向けの月刊誌「女学生の友」で一般公募されたっもので、キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」でした。本名もかなりワイルドな印象はありますが、芸名の西城秀樹は覚えやすい印象もあるでしょうし、何より「ヒデキ」という愛称は印象的なものとなりました。

韓国名の本名は「李龍雄」説も?

このように西城秀樹の本名は「木本龍雄」であることが公表されていますが、実は韓国人としての名前もあったそうです。西城秀樹の韓国人としての本名は「李龍雄」だと推測されています。西城秀樹の韓国名が発覚した理由は何だったのでしょうか?

日本の法律において、韓国から日本に帰化するための手続きを行うと官報というものに情報が掲載されます。多くの在日韓国人と噂されているタレントは、この官報の情報から噂されているのだとか。西城秀樹もしっかりと手続きを行って帰化し、日本人としての名前を得たと考えられています。

西城秀樹が帰化したときの官報は、1975年12月10日のものだと推測されています。このときの官報には「李乙龍(木本龍雄)昭和三十年四月十三日生」という帰化情報が掲載されており、それが西城秀樹だと考えられているのです。

先程紹介したように西城秀樹の本名は木本龍雄です。その本名と生年月日が一致しており、李龍雄という人物が帰化したことが記されています。このとき、西城秀樹は歌手としてブレイクしており、「傷だらけのローラ」などがリリースされた後の時期です。

西城秀樹が帰化した理由は不明ですが、日本で活動していく上で変更したほうが良いと考えたのでしょうか?こういった実家や出身、また本名などの情報から西城秀樹は韓国籍だと噂されるようになった可能性があるでしょう。

西城秀樹の実家なども調査

西城秀樹の実家などの情報を調査しました。西城秀樹が韓国籍と言われている理由がさらに見えてくるかもしれません。また、西城秀樹の実家はパチンコ屋だったという噂も確認してみましょう。

実家の家族構成

実家の家族構成は父親、母親、兄、姉、西城秀樹だったようです。若い頃の西城秀樹はかなりヤンチャだったようで、ケンカや縄張り争い、無免許で単車を乗って警察にお世話になったこともあるのだとか。また、高校生のときに駅のトイレで他校生15人からリンチされて、兄と仲間で仕返しに行ったそうです。

ケンカばかりだった西城秀樹ですが、同時に兄とバンド活動を行っています。西城秀樹は当時からボーカルを担当することが多く、その歌声は好評だったとのこと。西城秀樹と兄のバンドは米軍岩国基地や佐世保基地のライブハウスにも出演しており、兄が脱退後も活動を継続しています。

そういった家族構成だった西城秀樹ですが、一緒にヤンチャをした兄とは違って、父親は非常に厳格で厳しい人物だったそうです。父親は西城秀樹が高校生のときにスカウトされた際、断固として芸能活動を認めなかったことからも伝わってくるでしょう。

どうしても芸能界入りを認めてくれない父親。そんな父親を納得させることは不可能と感じた西城秀樹は、家出同然で広島から夜行列車で上京しています。また、西城秀樹が上京しようとしていたのは父にバレており、体を縛られて押入れに閉じ込められ、母親がこっそり解いてくれたというエピソードもあるのです。

西城秀樹は後に父と母のアメとムチは「自分を本当に心配してくれてた上での出来レースだったと思う」と振り返っています。最終的には西城秀樹の芸能界を応援してくれていたのかもしれません。

実家はパチンコ屋で在日韓国人?

厳しい性格だった実家の父親ですが、職業は実業家だと噂されています。西城秀樹の実家は裕福で、幼少期からバイオリンやジャズスクールい通わせる余裕もあったのだとか。そして、実家はパチンコ屋を営業していたという噂もあります。

現在も一部のパチンコ会社は在日韓国人が運営していると噂されています。また、在日韓国人は歌が好きな人が多いらしく、在日韓国人だった父親が西城秀樹に音楽を学ばせていたという推測もあるようです。そういった情報からも西城秀樹が韓国籍という話しに繋がったのでしょう。

実家の父の趣味はジャズギター

実家の父親の趣味はジャズギターだったそうです。また、洋楽も嗜んでおり、西城秀樹が音楽に興味を持つきっかけを作ってくれたと言えるでしょう。こういった父親の趣味が影響し、西城秀樹は最先端の音楽を吸収し身につけたと言えます。

西城秀樹の音楽は、当時まだ若者が馴染みの無かった海外のロックを日本向けに広めたという見方もあるのだとか。西城秀樹自身もビートルズやザ・ベンチャーズ、ローリング・ストーンズやジミ・ヘンドリックスを好み、レッド・ツェッペリンのライブも鑑賞しています。

西城秀樹と鈴木杏樹の関係って?

西城秀樹のプロフィールを調査する中で、女優の鈴木杏樹と意外な関係が見えてきました。西城秀樹と鈴木杏樹はどういった関係にあるのでしょうか?そこには西城秀樹の姉が大きく関係しているようです。

鈴木杏樹とは

鈴木杏樹は1969年9月23日生まれで現在50歳です。鈴木杏樹は女優や司会者として活躍しており、若い頃から現在まで美しさが変わらない人物として注目されています。

鈴木杏樹は神戸のインターナショナルスクールであるマリスト国際学校に通っていました。そして、当時17歳だった鈴木杏樹は芸能事務所にスカウトされ、歌手を目指すためにイギリスに音楽学校に留学しています。

イギリスに留学した鈴木杏樹は、1990年に英CBSレコードから「KAKKO」名義で「We Should Be Dancing」をリリース。鈴木杏樹の曲はUKチャートで最高101位となりましたが、セカンドシングル「What Kind Of Fool」はUKチャートランク外となり、1991年に日本に帰国しています。

鈴木杏樹は日本に帰国後、1991年に女優デビュー。1993年フジテレビ「あすなろ白書」でブレイクし、以降もTBS「長男の嫁」やフジテレビ「若者のすべて」などに出演しました。また、鈴木杏樹は1995年からフジテレビの音楽番組「ミュージックフェア」の司会を2016年まで務め、卒業。現在も女優として活躍しています。

鈴木杏樹は西城秀樹の姪っ子?

西城秀樹と鈴木杏樹の関係を調査しました。どうやら鈴木杏樹は西城秀樹の姪っ子にあたるのだとか。西城秀樹の姉である木本絵里子は、指定暴力団・五代目山口組若頭の宅見勝の愛人だったと噂されています。

宅見勝は「山一抗争」や「八王子抗争」などに関わっています。その後、1996年7月10日に起きた「中野会会長襲撃事件」が発生した際、当事者である中野太郎の許可なく、襲撃した側の会津小鉄最高幹部らの謝罪を受け入れています。このことが原因で1997年8月28日に中野太郎らが計画した暗殺によって死亡しています。

この宅見勝と西城秀樹の姉である木本絵里子は愛人関係だったと考えられており、子供が二人誕生しているとのこと。一人は元俳優の押尾学のバンドでドラマーをしていた人物、もう一人が女優の鈴木杏樹だと言われているのです。

姉の娘が鈴木杏樹との噂の真相

西城秀樹の姉は大阪のクラブ「朱雀」でホステスをしており、美人で知られていたのだとか。宅見勝がそのお店に訪れるようになり深い関係になったのでしょうか?

そういったこともあってか、鈴木杏樹はあまり両親のことは語っていないようです。両親が鈴木杏樹をインターナショナルスクールに通わせたのも、一般の学校では噂が原因でいじめられるのを避けるためだったのかも知れません。

西城秀樹も鈴木杏樹もお互いの関係に触れたという情報はありませんでした。そのため、本当に西城秀樹の姪っ子が鈴木杏樹なのかは不明です。西城秀樹の姉や鈴木杏樹の母が暴力団員の愛人という情報は、あまり明かしたくない話しだったのかもしれません。

西城秀樹の韓国に関する噂は謎に包まれたまま

西城秀樹が韓国籍と噂されている理由を紹介しました。西城秀樹が韓国籍と言われている理由は官報の情報がきっかけだったようです。西城秀樹本人はあまりこの話題には触れられたくなかったと噂されており、明確な回答は避けたのだとか。西城秀樹の韓国籍の真相は不明ですが、彼が残した様々な名曲は現在も多くの人に親しまれていると言えるでしょう。

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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