西城秀樹の病院は横浜?リハビリや闘病生活など病院でのエピソードなども調査

2018年に63歳という若さでこの世を去った西城秀樹さん。およそ17年間にも及ぶ闘病生活を送っていました。西城秀樹さんが最期を過ごした横浜の病院や闘病中の生活についてご紹介します。知っておきたい病院選びについても調査しました。

西城秀樹の病院は横浜?リハビリや闘病生活など病院でのエピソードなども調査のイメージ

目次

  1. 1西城秀樹のプロフィール
  2. 2西城秀樹の病院は横浜?
  3. 3西城秀樹の病院でのリハビリは?
  4. 4西城秀樹の闘病生活エピソード
  5. 5西城秀樹からリハビリから学ぶ病院選び
  6. 6西城秀樹が最期を迎えたのは横浜市内の病院だった

西城秀樹のプロフィール

・愛称:ヒデキ
・本名:木本龍雄
・生年月日:1955年4月13日
・年齢:享年63歳(2018年5月16日没)
・出身地:広島県広島市
・血液型:AB型
・身長:181cm
・体重:不明
・活動内容:歌手、俳優
・所属グループ:なし
・事務所:アースコーポレーション
・家族構成:妻(木本美紀)、長女、長男、次男

西城秀樹の経歴

西城秀樹さんはジャズギターを趣味にしていた父親の影響を受けて幼少期のころから洋楽を聴いたり、ジャズスクールに通ったりしてさまざまな楽器に触れていたそうです。小学4年生にして兄とエレキバンドを結成し、ミュージシャンを目指していました。

中学1年生のときに中学校の文化祭で演奏を披露し、学校中の女子生徒から人気を集めます。高校生になってからはR&B喫茶のレギュラーバンドになり、お店で歌を披露していたところをスカウトされました。父親に断固反対されたそうですが、家出同然で上京し芸能界入りを果たします。

西城秀樹さんは歌手デビューした年に発売された『チャンスは1度』でトップアイドル入りを果たし、郷ひろみさんと野口五郎さんに並び“新御三家”と呼ばれるようになります。西城秀樹さんはレコード大賞を2年連続で受賞し、ポップス歌手として初めての快挙を成し遂げました。

西城秀樹さんは結婚せず、独身として過ごしてきましたが、46歳を迎えた2001年に一般女性と結婚しました。結婚してから二次性多血症や脳梗塞を発症しますが回復し、3人の子どもに恵まれます。しかし再度脳梗塞を発症。懸命な闘病を経て2018年に亡くなりました。

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西城秀樹の病院は横浜?

日本のアイドル界の革命児とも言われるほど大ブレイクした西城秀樹さんは、さまざまな洋楽をカバーした曲を圧倒的な歌唱力で歌い上げました。さらに当時の日本人としては珍しい180センチ以上の長身を持ち、ワイルドでキラキラした衣装と力強いパフォーマンスは女性たちをくぎ付けにしました。

男性から見てもかっこいいと思う西城秀樹さんの演出は、まさに憧れの存在となって老若男女から愛される存在でした。そんな西城秀樹さんが過ごした病院についてご紹介します。

2018年5月16日に他界した西城秀樹

西城秀樹さんは、2001年にタバコの吸い過ぎが原因の二次性多血症を発症し、10日間の入院を経験しています。さらに2003年には脳梗塞を発症しました。言語障害などの後遺症は残ったものの、リハビリをして復帰し、ステージに立ちます。しかし8年経った2011年に再度脳梗塞を発症。

言語障害だけではなく右半身麻痺という後遺症が残りますが、リハビリをしてステージに戻りました。初めて脳梗塞を発症してから懸命にリハビリに務めていましたが、2018年に横浜の病院で息を引き取っています。

横浜市内の病院で息を引き取る

西城秀樹さんは妻と子供たちに囲まれながら夕食をとり、団らんしているときに突然痙攣を起こして倒れたそうです。意識不明のまま横浜市内の病院に運ばれ、病院の医師からは「脳死の可能性が高い。もう数日の余命だろう」と余命宣告を受けたことを妻の美紀さんは明かしています。

西城秀樹さんはそのまま意識が戻らず、病院に搬送された3週間後の5月16日に63歳という若さで息を引き取りました。

西城秀樹の病院は横浜市内の「昭和大学藤が丘病院」との噂

西城秀樹さんが息を引き取った場所は、横浜市内にある病院であることが公表されていますが、詳しい病院名まではわかっていません。西城秀樹さんのご自宅は横浜市青葉区にあるため、自宅から通いやすい場所である病院ではないかと見方が強く、その中でも脳梗塞という症状を受診できる「昭和大学藤が丘病院」ではないかと噂されています。

「昭和大学藤が丘病院」の場所は?

「昭和大学藤が丘病院」は横浜市青葉区にある病院です。最寄り駅は東急電鉄田園都市線の駅で、駅前にはイチョウ並木やケヤキ並木が立ち並んでいます。和大学藤が丘病院は名医の間でも「自分や大切な家族が何かあったときに行きたい病院」と推薦されるほど診療の環境が整っています。

病院が掲げる理念には「患者本位の医療」や「医療の質の向上」「医療に携わる人の育成」「医療の安全の向上」があり、患者にとっても安心できる病院と言えます。

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西城秀樹の病院でのリハビリは?

脳梗塞とは、脳の血管が詰まったことによって血液の循環が止まり、脳の細胞が死んでしまう病気です。脳の細胞は血流が流れないことで完全に壊死してしまい、再生は不可能と言われています。そのため、脳梗塞を起こすと重度の後遺症が残り、最悪は死に至る場合もあります。

実際に西城秀樹さんも脳梗塞によって言葉や身体の動きに制限がかかってしまいましたが、リハビリを行ってステージに復帰しています。西城秀樹さんのリハビリについて詳しく見ていきましょう。

2003年から数度の脳梗塞を発症でリハビリ生活

西城秀樹さんが初めて脳梗塞を発症したのは結婚して2年目を迎え、妻の美紀さんが第1子を妊娠しているときでした。西城秀樹さんの魅力的な歌声に欠かせない声帯に後遺症が残ってしまいましたが、リハビリをしたことで克服します。しかし8年後の2011年に脳梗塞を再発。1度目の脳梗塞よりも重い後遺症が残ったそうです。

そんな中でも西城秀樹さんは引退という言葉を発さず、再びステージに上がることを目標にしてリハビリに励んでいました。夜も眠れなくなるほどの厳しいリハビリ生活を送っていたそうです。

リハビリをしていた病院は「ジェイアール ワークアウト」

脳梗塞の初期治療が完了した後、知人に紹介されたというリハビリ専門の病院「ジェイアール ワークアウト」という病院に転院しました。ジェイアール ワークアウトではプロフェッショナルな言語聴覚士や身体の機能回復を目指す理学療法士が西城秀樹さんのリハビリを担当し、発音の練習や体重移動の練習を繰り返し行っていたそうです。

病院で行うリハビリは一日一日の継続と努力によって、1つのことが1年でできるようになるという粘り強さが必要です。西城秀樹さんは毎日ハードなリハビリを休まずに実行し、ステージに立てるまで克服したそうです。

「ジェイアール ワークアウト」院長がリハビリの様子などコメント

リハビリを行う病院「ジェイアール ワークアウト」で行うメニューは、ほかのリハビリ病院と比べてもハードで西城秀樹さんはうめき声をあげて耐えることもあったそうです。それでも自宅から1時間半かかるリハビリ病院に毎日のように通い、毎日頑張っていました。倒れた日も夕方には病院に訪れ、リハビリに励んでいたそうです。

西城秀樹さんのリハビリを支えてきた病院の院長やスタッフも、西城秀樹さんが克服しつつある状況を見ていただけに、「西城秀樹さんが息を引き取ったことは深い悲しみである」とコメントを残しています。

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西城秀樹の闘病生活エピソード

一般女性と結婚して、まもなく脳梗塞を発症した西城秀樹さん。家族とともに闘病生活を送りました。リハビリに励んでいた西城秀樹さんは、再びステージに立つことを目標にしていましたが「今年の目標は家族で海外旅行に行く」と家族との旅行も目標にして日々リハビリに励んでいたそうです。

それは、家族との思い出づくりだけではなく、西城秀樹さんがリハビリを励む際に必要なサポートを家族がしてくれたことへの感謝のためでもあったそうです。闘病生活を送った西城秀樹さんのエピソードを見ていきましょう。

闘病生活中の家族とのエピソード

西城秀樹さんは一度目の脳梗塞を発症した際には、比較的軽度な後遺症でしたが、脳梗塞を再発した二度目には右半身麻痺という重度な後遺症を負いました。歩行することや、トイレ、お風呂も一人では対応できなかったため、妻の美紀さんが付きっきりでサポートをしていたそうです。

子供もリハビリ生活を応援

西城秀樹さんは結婚し、3人の子どもに恵まれています。西城秀樹さんの闘病生活は3人の子どもたちもサポートしていたそうで、リハビリ病院には家族総出で訪れることもあったと病院の関係者は話しています。西城秀樹さんは子どもが一緒だと、よりリハビリに励むというエピソードもあったそう。

西城秀樹さんがリハビリをしている最中は、「パパがんばれ」「あと少しだよー」などと明るく励ます子どもの姿がありました。日々励まし、サポートしてくれる家族に報いたいという気持ちもわき、家族との海外旅行を目標にしていたというエピソードがあります。

西城秀樹の闘病生活を見守るファンの支え

西城秀樹さんは圧倒的な歌唱力とアグレッシブなパフォーマンスを披露し、多くのファンを獲得しています。ファンとの距離が近い魅力があるコンサートも精力的に開催し、日本人のソロ歌手としては初めての日本武道館でリサイタルを公演。以来11年連続で開催され、西城秀樹さんの恒例行事とも呼べるほどのイベントになりました。

日本武道館でのコンサートは多くのミュージシャンが夢見る場所であり、ファンがいてこそのイベントです。そんな熱いファンを獲得した西城秀樹さんは、闘病中にも多くのファンの声援を受けていたそうです。ファンからの声援が、再びステージに立とうという原動力になったと思われます。

西城秀樹の闘病生活を妻が著書に

家族やファンのために闘病生活を送ってきた西城秀樹さんでしたが、2018年5月に家族に見送られながら旅立ちます。妻の美紀さんは西城秀樹さんと過ごした結婚生活や西城秀樹さんの症状、さらに家族との団らんのときに倒れて余命宣告を受けた最後の入院生活について明かした本を2019年に出版しました。

西城秀樹さんは17年間も闘病生活を送っていましたが、詳しい病気の症状は明らかにしていませんでした。しかし、妻の美紀さんは同じように闘病している人や介護している家族の勇気にしてほしいと考え、悩んだ末に本を出版することになったそうです。

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西城秀樹からリハビリから学ぶ病院選び

そもそもリハビリとは、後遺症などによる障害を持ったときに、できるだけ社会の生活ができるようになることを目指す訓練を指します。手術などで病気やケガが完治しても、日常的な生活をするためにはリハビリが欠かせません。

かつては安静第一であった病院でしたが、現在は病状が安定した早い段階でリハビリを行うことが理想的と言われています。さらにリハビリは、病院選びが重要とも言われています。西城秀樹さんのリハビリ生活を通し、リハビリの病院選びについてご紹介します。

リハビリを行う病院選びにも注意点が

リハビリを行う病院は複数ありますが、「近所で通いやすいから」という理由だけで選ぶのは危険です。西城秀樹さんもリハビリを行う病院には気を遣い、家から1時間半も離れたリハビリ病院に通っていました。リハビリを行う病院には注意点があることを留意しておきましょう。

西城秀樹の死から学ぶリハビリに関する知識

脳卒中の場合には、リハビリを行うにも段階的なステップがあります。脳梗塞を発症して間もないころは急性期と言って、座る・立つ・起き上がるなどの訓練をします。発症から半年ほど経った時期を回復期と言い歩行練習や日常動作、社会生活のための訓練に移行していきます。

急性期の訓練をクリアした時点で、できるだけ早く回復期に移行することが望ましいですが、回復期の病棟がない場合には転院が必要です。回復期におけるリハビリは発展途上の状態にあるので、病院やリハビリ施設によって大きく差があることが特徴。見学やリハビリ内容などをよく確認することが必要です。

西城秀樹が語ったメディカルスタッフの言葉とは

メディカルスタッフと患者には感じ方の温度の差があることが度々問題視されていますが、西城秀樹さんもリハビリを行う中で温度差を感じたそうです。それはメディカルスタッフと患者の“退院できる日常生活のライン”の捉え方。

メディカルスタッフは日常生活に困らない程度まで回復したら退院できるということに対し、西城秀樹さんは「1人で通院も入浴もトイレもできない。それで退院は困る」と主張したそうです。「患者とその家族のために、生活ができるまで見てほしい」と西城秀樹さんは訴えていました。

西城秀樹もメディカルスタッフへの質疑応答

西城秀樹さんの通ったリハビリ病院には、さまざまな分野のプロフェッショナルが集まっていました。ステージに立つことを目指していた西城秀樹さんが「綺麗な歩き方をしたい」と言うと、メディカルスタッフはすぐに対応し、アドバイスをしたそうです。

さまざまなメディカルスタッフが関わって西城秀樹さんのリハビリをしていたため、西城秀樹さんは「いろんな人に優しい言葉も厳しい言葉もかけられるが、自分の目標に向けて多くの人が関わってくれている」と話しており、その状況こそがチーム医療の真髄とメディカルスタッフの方が語っています。

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西城秀樹が最期を迎えたのは横浜市内の病院だった

西城秀樹さんは一世を風靡したとも言える活躍をし、老若男女から愛される大スターになりましたが、脳梗塞が原因で闘病生活を送るようになりました。懸命な闘病生活を送っていましたが、家族との団らん中に突然倒れ、横浜市内の病院に搬送された後はそのまま目を覚ますことはなく旅立っています。

しかし、西城秀樹さんが送った闘病生活は、現在病院や自宅で闘病生活に苦しんでいる人に勇気を与える存在となっています。さらに西城秀樹さんが遺した数々の曲もまた、多くの人に勇気を与えるものであり現在も人々を魅了し続けています。

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