酒井法子の生い立ちが壮絶すぎる!父は組長で母は不審死?弟は
覚せい剤で逮捕されたことも記憶に新しい酒井法子さんですが、生い立ちが壮絶すぎると話題になっています。その生い立ちはどのように壮絶なのでしょうか?父母の不審死や弟の逮捕、父がヤクザの組長だったという噂についても調査。酒井法子さんの生い立ちについて紹介します。

目次
酒井法子さんのプロフィール
#Nowplaying 鏡のドレス - 酒井法子 (ゴールデン☆ベスト) pic.twitter.com/osNGYbx1Ld
— 跳べないKABA (@mi_tsurugi_ryuu) June 17, 2019
・愛称:のりピー
・本名:酒井法子
・生年月日:1971年2月14日
・年齢:48歳(2019年6月現在)
・出身地:福岡県福岡市
・血液型:B型
・身長:157cm
・体重:???
・活動内容:女優、歌手、元アイドル
・所属グループ:なし
・事務所:オフィスニグンニイバ
・家族構成:息子、元夫(高相祐一)
酒井法子さんの経歴
その生い立ちが非常に複雑なことで知られる酒井法子さんですが、酒井法子さんの生い立ちについては後ほど詳しく紹介します。酒井法子さんが芸能界デビューしたのは、「'86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」に出場したことがきっかけでした。
この時、酒井法子さんはグランプリには選ばれなかったものの、別の賞に選ばれ、サンミュージック社長の引き立てによって芸能界デビューが決まりました。
酒井法子さんの生い立ち【幼少期】
2chスレタイ:
— 笑って元気なろうぜ_bot (@koro_ajia) June 14, 2019
酒井法子「ダメ、ゼッタイ」pic.twitter.com/QhPjjoxtMY
酒井法子さんの幼少期の生い立ちから見ていきましょう。酒井法子さんはどのような生い立ちの中で幼少期を過ごしてきたのでしょうか?酒井法子さんの幼少期の生い立ちについて紹介します。
酒井法子さんの父はヤクザの組長?
実は酒井法子さんの壮絶な生い立ちは、生まれた時から始まっていたと言われています。実は、酒井法子さんの父はヤクザの組長でした。
具体的には、酒井法子さんの父は山口組系伊豆組の酒井組の酒井峰吉組長だったそうです。酒井法子さんの生い立ちが複雑な理由はさまざまありますが、組長の娘として生まれたことも、その生い立ちが複雑となった大きな理由のひとつであると言えるでしょう。
酒井法子さん誕生時は父は刑務所の中
酒井法子さんの複雑な生い立ちを語る上で欠かせない父ですが、実は酒井法子さんが生まれた時、父は刑務所の中にいたと言われています。
酒井法子さんのような複雑な生い立ちではないごく普通の子供たちは、両親の祝福を受けながら生まれてきますが、酒井法子さんの場合、生まれた時にまず父親が刑務所の中というスタートだったのです。
父は覚せい剤の売買で極道を破門
酒井法子さんの父も、おそらく複雑な生い立ちの中で育ってきたのだと思われますが、父は覚醒剤の売買でヤクザの組長を破門になったのだそうです。
ヤクザの中にもさまざまなルールがあるようで、酒井法子さんの父が所属していた伊豆組では、覚せい剤の売買はルール違反となったようでした。その後、酒井法子さんの父はヤミ金で荒稼ぎするようになったと言われています。
母は若い男と駆け落ち
酒井法子さんの生い立ちを壮絶にしたもうひとつの原因は母親です。本来であれば、父親が刑務所に入っているのなら母親が酒井法子さんを守らなければなりませんが、この母親は若い男と駆け落ちしてしまったのだとか。
酒井法子さんは、まだ乳飲み子の頃に母親から捨てられるという複雑な生い立ちでもあったのです。
母は酒井法子さんをお寺に預けた
赤ん坊は両親に庇護されて育つのが普通ですが、酒井法子さんはそんな当然の幸せを得ることもできず、母親はまだ乳飲み子だった酒井法子さんを寺に預けたと言います。預けたといっても、実質的には寺に捨てられたというのが正しいようです。
赤ん坊の頃に寺に捨てられるという壮絶な生い立ちを経た酒井法子さんは、その後、父の妹である叔母の元へ預けられたようです。
7歳までは叔母(父の妹)に育てられる
酒井法子さんは7歳までは父の妹である叔母の元で育てられました。7歳といえばまだ小学校2年生ですが、この頃に酒井法子さんは「本当はウチの子じゃない」と教えられてしまいます。
小学校2年生で自分が別の家の子供だったと知るというのは、相当に過酷な生い立ちだったと言えるでしょう。
4歳の頃に母が不審死
酒井法子さんを壮絶な生い立ちにした原因のひとつでもある母親ですが、酒井法子さんが4歳の時に不審死を遂げます。実はこの不審死は、父親が自殺に見せかけて殺した殺人だったと言うことを、酒井法子さんは後に知ります。
母の不審死は、実はヤクザの元組長である自分の父親が母親を殺したことによるものだという事実を知ってしまうというのは、その生い立ちの中でもかなり過酷な出来事だったと考えられます。
酒井法子さんの生い立ち【父の出所後】
[1995.07.25] Noriko Sakai - 酒井法子写真集 ORANGE HOTEL pic.twitter.com/mNYeuPGDvR
— Noripictures (@noripictures) June 12, 2019
酒井法子さんの壮絶な生い立ちはさらに続きます。次に酒井法子さんの父が出所後の生い立ちも見ていきましょう。ヤクザの元組長である父が刑務所から出所した後、酒井法子さんはどのような生い立ちの中で育ったのでしょうか?
出所後は父と継母と暮らす
7歳まで父の妹である叔母の元で育つという生い立ちを経てきた酒井法子さんですが、その出所後には父とその再婚相手との暮らしが始まりました。
父は母と離婚後、すでに別の女性と再婚していたのです。酒井法子さんにとって、この父の再婚相手の女性は継母となります。酒井法子さんの小学校時代は、ヤクザの元組長の父と継母がいるという生い立ちでした。
父と実の母は2歳の時に離婚が成立
父が刑務所に服役中に酒井法子さんを寺に捨て、男と駆け落ちをしたという実の母親ですが、その後、酒井法子さんが2歳の時に離婚が成立しているようです。
この時には酒井法子さんは叔母の元で暮らしていましたし、2歳という年齢から考えても、両親の離婚については理解できていなかったに違いありません。酒井法子さんが自身の生い立ちについて正確に理解するのはもう少し先の話となります。
酒井法子さんは叔母を母と思い育つ
7歳の時まで叔母夫婦に育てられるという生い立ちだった酒井法子さんは、ずっと叔母のことを実の母親だと思ってきたのだそうです。
しかし、父親が刑務所から出所することになり、酒井法子さんは自分の本当の生い立ちについて知らされることになりました。まだ小学生の少女が知るには過酷な生い立ちだったと言えるでしょう。
父親が再び離婚・2度目の再婚
実の父親と継母との暮らしが始まった酒井法子さんですが、その複雑な生い立ちはまだ続くことになります。酒井法子さんの父親は再び離婚することになったのです。そしてまた、新たな女性と再婚することになりました。
実は酒井法子さんの父は、それまでにも離婚と再婚を繰り返していたようで、何人もの腹違いの兄弟がいるとされています。これも酒井法子さんの生い立ちが複雑な理由のひとつです。
福岡県から山梨県に引越し
酒井法子さんは父の再婚に伴い、それまで住み慣れた福岡県から山梨県に引っ越すことになりました。当然ですが、学校も転校することになり、酒井法子さんの生い立ちはさらに複雑になっていきます。
酒井法子さんの父はこの山梨の地で金融業を始めたそうです。ただ、金融業といっても、まともなものではなくいわゆるヤミ金と呼ばれるものです。
酒井法子さんの生い立ち【芸能界デビュー】
酒井法子さんの生い立ちをさらに見ていきましょう。中学生になると、酒井法子さんは芸能界デビューを果たします。酒井法子さんが芸能界デビューしてからの生い立ちについて調べてみました。
14歳で上京して社長の家で居候生活
複雑な生い立ちで育った酒井法子さんですが、オーディションに合格し、芸能界デビューが決まったことで、実家を出て上京します。そして、サンミュージック社長の自宅に下宿しながら芸能活動することになりました。
サンミュージックの相澤正久社長は、酒井法子さんの複雑な生い立ちを理解していたようです。後に酒井法子さんが覚せい剤で逮捕されたときにも、その生い立ちに思いを馳せたのか、温かくも厳しい親心を見せていました。
ドラマ 「春風一番!」でデビューを果たす
酒井法子さんの芸能界デビューは、ドラマ「春風一番!」でした。このドラマは渡辺徹さんと明石家さんまさんのコンビが出演して話題になった作品です。
その後、酒井法子さんは「第2回 ミスモモコクラブ」で「ミスVHD賞」を受賞。VHDソフト「YUPPIE」を発売し、アイドルとして本格的な活動をスタートさせます。そして、酒井法子さんはそのキュートなルックスと明るい性格でトップアイドルに登り詰めました。
壮絶な生い立ちをバネに芸能界で活躍
酒井法子さんはこれまで紹介してきたように、壮絶な生い立ちの中で育ってきました。しかし、芸能界という厳しい世界に置いて、酒井法子さんはその生い立ちをバネにして活躍の場を広げていきます。
「のりピー」の愛称で親しまれ、酒井法子さんがデザインした、数々ののりピーグッズも大ヒットします。しかし、その影に酒井法子さんが壮絶な生い立ちがあったということを知るファンはほとんどいなかったはずです。
18歳の時に父親が不審死を遂げる
酒井法子さんの壮絶な生い立ちの原因のひとつでもあった父親ですが、酒井法子さんが18歳の時に不審死を遂げます。この不審死ですが、車の交通事故ではあったものの、他殺の可能性も噂されているそうです。
事故の際の車の運転がかなり無謀だったことから、自殺や闇社会の抗争、さらには覚せい剤の使用説など、この不審死に対してさまざまな憶測が流れたようです。
元組長である父の不審死は闇社会が関係?
数々あげられた酒井法子さんの父の不審死の原因として、もっとも多く囁かれたのが、闇社会での抗争だったようです。酒井法子さんの父は元組長という肩書きではありますが、その後もヤミ金を営むなどしていましたので、闇社会との関わりはあったようです。
酒井法子さんの父の不審死により、その複雑な生い立ちをファンたちも初めて垣間見ることになりました。
父に対する想いを涙ながらに語った
🎀只今、ビデオ整理中🎀
— 紅 梅三郎(コウさん) (@higekousan) August 24, 2017
●酒井法子、涙で語る父への思い。 pic.twitter.com/OgwVGQx2CU
こちらは酒井法子さんの父の葬儀の時の動画になります。酒井法子さんは複雑な生い立ちのため、すでに母も亡くなっていました。ですので、この葬儀の葬儀委員長は所属事務所のサンミュージックの相沢社長がつとめたそうです。
自身の生い立ちを壮絶にした原因のひとつである父の死に、酒井法子さんは涙ながらにインタビューに答えています。その生い立ちは生い立ちとして、酒井法子さんが父をとても愛していたことが伝わってきます。
酒井法子さんの生い立ち【弟と自身の逮捕】
のりピーこと酒井法子さんとみちのくプロレスの面々。#kizuna2018#みちのくプロレス#酒井法子#ベトナム#ホーチミン pic.twitter.com/FPE1oYsP4G
— ディック東郷 (@boliviacuba) December 29, 2018
酒井法子さんの生い立ちについてさらに続けましょう。幼少期から芸能界デビュー後の生い立ちも複雑でしたが、父の死以後も、酒井法子さんの生い立ちはさらに壮絶なものになっていきます。
酒井法子さんには異母兄弟が居る
複雑な生い立ちを示すように、酒井法子さんには何人かの異母兄弟がいると言われています。この異母兄弟もそれぞれに生い立ちが複雑なようですが、酒井法子さんはこのうちの何人かの兄弟と一緒に暮らしていたことがあったそうです。
おそらく新しい妻が産んだ子供たちだと考えられますが、通常の生い立ちでは異母兄弟と一緒に育つということはあまりないと言えるでしょう。
弟の名前は吉原健さん
酒井法子さんと同じように複雑な生い立ちの中で育った弟の名前は、吉原健と言います。この吉原健さんは父と同じヤクザの組員でもありました。
酒井法子さんの弟が所属していたのは、山口組系の暴力団とされていますが、おそらく父が所属していた組と同じ組だったのではないかと見られています。酒井法子さんの弟が暴力団の組員になったのは、やはり父がヤクザという生い立ちが関係しているのでしょう。
弟も覚せい剤取締法違反で逮捕されている
酒井法子さんの父は覚せい剤に関する犯罪で逮捕されていますが、複雑な生い立ちで育った弟も、同様に覚せい剤取締法違反で逮捕されています。
弟は2012年に脅迫の疑いで再び逮捕
弟はそれだけではなく、酒井法子さんの夫が経営するサーフショップに対して脅迫を行ったという容疑で、再び逮捕されています。
弟が夫の店を脅迫するというニュースに、多くの人は酒井法子さんの生い立ちが複雑であったことを悟ったに違いありません。
酒井法子さんも2009年に覚せい剤取締法違反で逮捕
これまで壮絶な生い立ちをたどってきた酒井法子さんですが、さらに輪をかけるように生い立ちを複雑にする事件がありました。それが、酒井法子さん自身の覚せい剤取締法違反による逮捕です。
当初は夫が覚せい剤取締法違反で逮捕されたのですが、その後、酒井法子さんも逮捕され、夫婦で覚せい剤を使用していたことが判明しました。
逮捕後①2010年:自叙伝の発売とテレビ出演
2009年に覚せい剤取締法違反で逮捕された酒井法子さんですが、翌年の2010年には自身の壮絶な生い立ちについて明かした自叙伝を発売します。この自叙伝によって、酒井法子さんの生い立ちが壮絶であったことを知った人も少なくなかったかもしれません。
逮捕後②2012年11月:復帰会見を行う
2012年には酒井法子さんは復帰会見を行い、本格的に芸能界復帰をすることを発表します。この時にも「まだ早いのでは?」といった意見も多かったようですが、その壮絶な生い立ちを知るファンからは応援する声もあったようです。
逮捕後③中国で大人気に
自身の壮絶な生い立ちを乗り越えて復帰を果たした酒井法子さんですが、その後は中国を中心に人気が再燃します。
中国の人たちが酒井法子さんの複雑な生い立ちをどれだけ知っているのかは分かりませんが、酒井法子さんにとっては、中国での人気が復帰後の活動の追い風となったようです。
逮捕後④2018年:「子どもの健全育成大使」に任命
壮絶な生い立ちの中で育ち、芸能界に入ってからもその生い立ちに振り回され続け、覚せい剤取締法違反という罪を犯してしまった酒井法子さんですが、2018年には「子どもの健全育成大使」に任命されました。
酒井法子さんはこれまでの生い立ちに触れ、自身の過ちによって「多くの迷惑をかけてきたからこそ、社会の役に立ちたい」と大使就任の際に語っておられたそうです。

酒井法子さんの生い立ちはまじで壮絶
うっかりしてました💦
— シュウ🌟趣味・岡田有希子。🌟 (@ShuuYukikoYoko) February 14, 2019
今日はのりピー・酒井法子さんのお誕生日ですね🎉💐
色々ありますが、ユッコさんの妹分ですので頑張ってもらいたいですね😊#酒井法子 pic.twitter.com/GnzOpXOo5G
酒井法子さんの壮絶な生い立ちについて紹介してきました。酒井法子さんの壮絶な生い立ちはその誕生の時に始まっており、その後も決して恵まれていたとは言いがたい環境の中で育ってきたことが判明しました。
そんな複雑な生い立ちをバネに芸能界で活動してきた酒井法子さんですが、覚せい剤で逮捕後は自分の生い立ちについても自叙伝で語るなどしてきました。過去の生い立ちや過ちを乗り越えて活躍中の酒井法子さんの今後にも注目していきましょう!