格闘家・佐竹雅昭の現在!現役引退後の活動やビートたけしとの関係は?

K-1GPで活躍した格闘家の佐竹雅昭。現役引退後に一度死亡説も流れた佐竹雅昭ですが、現在は一体どの様な生活を送っているのでしょうか?今回はそんな佐竹雅昭についてまとめてみました。道場関係者との確執やビートたけしとの確執なども調査!

格闘家・佐竹雅昭の現在!現役引退後の活動やビートたけしとの関係は?のイメージ

目次

  1. 1佐竹雅昭とは
  2. 290年代に大活躍した格闘家佐竹雅昭
  3. 3現役引退後の佐竹雅昭は何をしている?
  4. 4佐竹雅昭の引退原因は?
  5. 5佐竹雅昭に死亡説⁉
  6. 6佐竹雅昭にまつわる確執の噂
  7. 7佐竹雅昭が尊敬する人はウルトラマン?!
  8. 8佐竹雅昭は現在別の世界で活躍中だった

佐竹雅昭とは

佐竹雅昭の画像&プロフィール

・愛称:さたやん、掟破りの空手家、怪獣王子
・本名:佐竹雅昭(さたけまさあき)
・生年月日:1965年8月17日
・年齢:53歳
・出身地:大阪府吹田市
・血液型:A型
・身長:187cm
・体重:105kg
・活動内容:空手家・格闘家・コメンテーター・政治活動家
・所属グループ:佐竹道場、平成武師道
・事務所:平成武師道
・家族構成:妻、子供
・出演作品:筋肉バトル!スポーツマンNo.1決定戦、天才たけしの元気が出るテレビ など

佐竹雅昭の経歴

佐竹雅昭(さたけまさあき)は1965年8月17日生まれの現在53歳。大阪府は吹田市の出身である彼は元正道会館所属の空手家として数多くの大会に出場。数多くの実績を残している格闘家です。

地元大阪の大阪府立北千里高等学校を卒業後、関西外国語大学に入学。同大学卒業時にはテレビ局への内定が決まっていたものの、それを蹴って正道会館の職員と成りその後プロ格闘家へと転身したそうです。

元々中学生の頃に大山倍達の著書を読んで感銘を受けたのが空手道を志したきっかけだったらしく、正道会館入門前に一度極真会館関西本部にも入門しているのですが、「道場の空気が肌に合わない」という理由で1か月で退会。その後正道会館に入門したそうです。

大学在学中に全日本空手道選手権大会に出場し、4回生時(1987年)に初優勝。その後3連覇、通算4度の優勝を飾るなど輝かしい成績を残していた佐竹雅昭。彼がテレビ局の内定を蹴ったのも結果的には正解だったと言えます。

1990年6月30日、全日本キックボクシングのリングで、ドン・中矢・ニールセンと対決。キック初挑戦ながら1R2分7秒左ストレートでKO勝ちを収め、翌1991年6月4日にはフルコンタクト空手界初の流派対抗戦「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」で「熊殺し」ウィリー・ウィリアムスと対戦し判定勝ちを収めるなど、文句のつけようがない成績を叩き出していった佐竹雅昭。

その勢いのまま同年12月7日にリングスへの参戦を表明し、本格的にプロ格闘家としての活動を開始。翌年怪我の影響もありリングスを後にし、ここからK-1の旗揚げに尽力していくことに成ります。

K-1での活躍は後述致しますが、日本人格闘家として海外選手相手に充分な戦いを魅せた佐竹雅昭。その後PRIDEへと闘いの場を移し総合格闘家としての道を歩み出します。そして2002年大晦日に開催されたINOKI-BOM-BA-YE 2002で吉田秀彦と対戦。これを機に現役格闘家からの引退を発表しました。

現役格闘家を引退してからはコメンテーターとしてTV番組に出演したり、お笑い番組等にも出演していた佐竹雅昭。その後どの様な活動を行っているのかが気になるところですよね?それでは次章からはそんな佐竹雅昭についてじっくりと掘り進めていきたいと思います。

90年代に大活躍した格闘家佐竹雅昭

現役時代は怪獣王子と呼ばれ人気を集めた佐竹雅昭

現役格闘家時代の佐竹雅昭選手ですが、空手界では無類の強さを誇る選手としてその名を轟かせていた事は広く知られていると思います。佐竹雅昭は大学時代から数々の輝かしい戦績を残しており、当時から将来を期待されていたそうです。

そんな現役時代の彼の愛称は「怪獣王子」で、まさにその名に恥じること無いモンスターな戦いっぷりを魅せていた佐竹雅昭。彼のそのファイトスタイルはまさに規格外であったと言っても過言ではありません。

あらゆるタイトルを総なめした佐竹雅昭

佐竹雅昭が現役時代に獲得したタイトルには、「第1回トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」「第2回トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」「UKF世界ヘビー級王者」「KICK世界スーパーヘビー級王座」「ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座」と錚々たるタイトルが並びます。

これらのタイトルを全て総ナメにした佐竹雅昭。彼が如何に現役時代優れた格闘家であったかという事を物語る戦績の数々です。学生時代からその片鱗は見えていたそうですが、まさかここまでの格闘家に成るとは驚きですね。

勿論コレ以外にも多くの輝かしい戦績と実績を残している訳ですから、彼の現役時代の凄さが分かります。

日本人選手は海外選手と比べるとどうしても非力で小柄だと言われ、ヘビー級ではなかなか対応に戦うことすら難しいのですが、佐竹雅昭はそれら海外の選手を向こうに回しても充分な戦いをすることが出来るだけの身体を持っており、それが日々の鍛錬によって鍛えられた結果、こうしたタイトルに繋がったと言えます。

佐竹雅昭の現役時代のファイトマネーが凄い!

プロ格闘家が1試合で得る事が出来る報酬、つまり「ファイトマネー」と呼ばれる物ですが、これは選手や団体、競技や試合によってピンキリで、フロイド・メイウェザーの様なとてつもない金額を手にすることが出来る選手もいれば、僅かばかりの金額しか貰えない選手もいます。

では佐竹雅昭の現役時代はどうだったのでしょうか?彼は全盛期のK-1とPRIDEのリングで活躍した選手ですから、ファイトマネーの額もやはり相当なものだったのでは無いでしょうか?

そこで早速佐竹雅昭の現役時代のファイトマネーについて調査してみたところ、彼のファイトマネーが最大で1試合2500万円だった事が判明いたしました。

これは佐竹雅昭がPRIDEのリングに参戦していた時のファイトマネー金額で、K-1で活躍した日本人エースの参戦という事でこれだけのファイトマネー額が設定されたのでしょう。にしても2500万円とは凄いですね。

K-1参戦当時のファイトマネーはPRIDEより安く、初期は1試合100万円。最高でも1000万円だったそうですから、PRIDEはその2.5倍のファイトマネーで佐竹雅昭にオファーを提示したということに成ります。

とは言っても1試合で100万円というだけでも一般市民からすれば充分に凄い金額なのですが、やはりプロ格闘家とも成ると成績次第でもっととんでもない金額を手にすることが出来る訳ですから、確かに夢が詰まっていますよね。

テレビにも多数出演していた佐竹雅昭

また佐竹雅昭は多数のテレビ番組にも出演しておりました。「お笑いウルトラクイズ」や「天才たけしの元気が出るテレビ」といったバラエティ番組や、コメンテーターとして情報番組に出演していたのも記憶にあたらしいところです。

またアスリートとして「筋肉バトル!スポーツマンNo.1決定戦」の第1回放送にも出演しておりましたが、この放送時の腕立てのやり方に視聴者から疑問の声が上がり、その後テレビ番組で腕立てレースを行う際は必ず顎がついた時点でカウントを行う様に成りました。

一時はテレビで顔を見ない日は無いという位テレビ番組にも出演していた佐竹雅昭でしたが、現在は全くと言って良い程その顔をテレビで観ることは無くなりました。これには彼のその後の動向が関係しています。

佐竹雅昭は現役を引退後、様々なアクションを起こしているのです。それらに関してはこの後の「佐竹雅昭現役引退後」の章で詳しく見ていきましょう。

現役引退後の佐竹雅昭は何をしている?

では続いて佐竹雅昭の現役引退後の状況についてご紹介して参りましょう。格闘家を引退してからの佐竹雅昭は一体どの様な活動を行っているのでしょうか?

現役引退の翌年に佐竹道場を開いた佐竹雅昭

2002年大晦日のINOKI-BOM-BA-YE 2002を最後に現役引退を発表した佐竹雅昭。その翌年には自身の道場である佐竹道場を開設しています。

この佐竹道場とは彼が推進する「総合打撃道」を掲げた道場で、これまで彼が空手やキックボクシング、そしてMMAのリングで培った様々な格闘技を文字通り総合的に体得していくというスタイルの道場です。

京都府京都市内にこの佐竹道場を構えた佐竹雅昭は、今度は選手から選手を育てる側として格闘技に携わって行くことと成った訳です。

後程後述致しますが、佐竹雅昭は正道会館時代に館長の石井和義のエゲツない搾取に何度も警笛を鳴らしており、「クリーンな道場」という意識もまた自身が道場を立ち上げた要因の一つにあげられるのでは無いかと思われます。

2007年には平成武師道を設立した佐竹雅昭

2003年に自らの道場を解説した佐竹雅昭ですが、2007年には「平成武師道」というものを立ち上げています。名称だけを観るとこれもまた何かの道場の様な気がしますが、これは道場ではなく「人間活学塾」という名目のものでした。

この「平成武師道」は京都の企業・会社・医院などの経営者を対象にした人間活学塾で、人材育成・企業社員育成のほか、「平成武師道」を内容とした講演を各地・各企業で展開しているそうです。簡単に言うと経営コンサルタントの様なイメージでしょうか。

2013年に選挙に出馬した佐竹雅昭

そんな佐竹雅昭が次に行ったのは、何と2013年の参議院選挙への出馬でした。佐竹雅昭は2013年5月24日、自由民主党参議院全国比例区公認を受けて第23回参議院議員通常選挙に立候補したのです。


参議院選挙なのでいわゆる「タレント議員枠」と呼ばれる形での出馬という事だったのですが、結果同選挙にて自民党が圧勝を飾る中で彼は落選の憂き目に有ってしまいます。得票数は27582票と得票率は僅か0.6%という体たらくでの落選でした。

勿論格闘家だから政治家に成れないという訳ではありません。アントニオ猪木や大仁田厚、馳浩や神取忍といったプロレスラーが過去に国会議員と成っており、職業的な問題があったという訳では無いのです。

引退後に道場を開設し企業塾の様な活動を行っていた佐竹雅昭でしたが、それらの動きがあまり国民には伝わっておらず「ああ、格闘家を引退した人だね」程度の認識しか持たれていなかったのかも知れません。

佐竹雅昭の現在の画像はこちら

そんな佐竹雅昭の現在の画像を検索してみました。現在も偶にテレビ番組に出演している佐竹雅昭ですが、一時のように頻繁には出演していない様で、画像も現在の画像は殆どと言っても良い位見つかりませんでした。

幾つか見つかった最近の画像を見る限りでは、若い頃と全く変わっていないという印象を受けますね。既に53歳であり現役引退からかなりの時間が経過している佐竹雅昭ですが、画像からは未だに現役当時のオーラを感じさせる印象があります。

佐竹雅昭の引退原因は?

現役引退の原因はパンチドランカーに成ってしまったから⁉

佐竹雅昭が引退した理由。その引退理由については諸説様々な噂が有ったそうですが、この引退理由に関して最も有力な説が「パンチドランカーと成ったから」というモノです。

パンチドランカーとは高次脳機能障害の一種であり、格闘技やボクシングでパンチを頭部に受け続けた選手が、まっすぐ歩けなくなったり、ボタンやファスナーを上げ下げできなくなるといった症状の総称です。

佐竹雅昭が後に発表した著書によると、正確にはパンチドランカーではなくパンチドランカーによく似た症状に悩まされていたそうです。何れにせよ同様の症状によって彼が引退を覚悟したという事には違いありません。

当時診断を受けた際に医者から「このまま格闘技を続けるとアルツハイマーになる」と言われた事があったそうです。その医者の発言が引退を決めた理由と成ったかは定かではありませんが、自身の今後を考えた場合、引退は賢明は選択だったのでは無いでしょうか。

佐竹雅昭がパンチドランカーに成った要因とされている試合とは

では実際に佐竹雅昭がパンチドランカーに成ってしまった原因となった試合についてです、現在でもこの試合についての説明などは観ることが出来るのですが、画像や動画として現在も残っていないかどうかを調査してみました。

すると画像は見つかりませんでしたが、佐竹雅昭がK-1GPでジェロム・レ・バンナ選手にKOされる例のシーンの動画が現在も存在する事が分かりました。

…と言っても、この試合だけで佐竹雅昭がパンチドランカーに成ってしまったという事ではなく、この試合に至るまでのダメージが原因となり、この試合でスイッチが入ってしまったというのが正確でしょう。

当時の佐竹雅昭は自身の脳にダメージが残っている状態であることを認識しており、このジェロム・レ・バンナ戦に関しては館長に対し取り止めて欲しいと直訴していた様です。

それが何故そのまま試合が行われ、この様な結果と成ってしまったのかは後程また詳しくご紹介したいと思いますが、現在この症状は完治されているのかどうかが何よりも心配ですね。

佐竹雅昭に死亡説⁉

一時期死亡説が流れていた佐竹雅昭

実は佐竹雅昭には一時死亡説が噂された時期がありました。現在も佐竹雅昭が健在である事は既にこれまでにご説明しているので、この死亡説がガセネタであることは既に説明の必要も無いのですが、では何故佐竹雅昭の死亡説が流れたのでしょうか?

パンチドランカー説がいつの間にか死亡説と成った可能性が高い

現在でも佐竹雅昭が死亡したと思っている方も実は居るそうで、その人達は「パンチドランカーに成った佐竹雅昭が、それが原因で死亡した」と思い込んでいるそうです。

実際にそうした噂が佐竹雅昭死亡説としてネットで噂されていた事もあったそうで、どうやらそういった流れによって佐竹雅昭が死亡したという噂に繋がったと見るのが妥当なところでしょう。

勿論死亡説はデマ

勿論この死亡説はデマであり、現在も佐竹雅昭は死亡どころか元気に日々活動を行っています。勝手に死亡だなんてとんだ失礼な話ですが、中にはこうして死亡説などを流して喜んでいる輩もネットには居るものです。

なのでネットで見つけた死亡説などを安易に鵜呑みにせず、本当に死亡しているのかどうかを確認する必要がありますね。

佐竹雅昭にまつわる確執の噂

ではココからは佐竹雅昭にまつわる確執の噂についてご紹介して参りたいと思います。佐竹雅昭には数名の人物との確執が噂されているのですが、それがどういった経緯で確執を抱える迄に至ったのか?その経緯などを掘り下げてご紹介致します。

佐竹雅昭との確執が噂された相手①角田信朗

角田信朗の画像&プロフィール

・愛称:不明
・本名:角田 信朗(かくだ のぶあき)
・生年月日:1961年4月11日
・年齢:57歳
・出身地:大阪府堺市
・血液型:AB型
・身長:171cm
・体重:95kg
・活動内容:空手家、ボディービルダー。正道会館最高師範、
                  K-1競技統括プロデューサー。タレント・俳優・歌手
・所属グループ:正道会館
・事務所:正道会館
・家族構成:妻、娘(角田友里亜)
・出演作品:舞台「花の武将 前田慶次

佐竹雅昭と角田信朗との確執とは

K-1のレフリーと言って真っ先に思いつくのがこの角田信朗ですよね。そんな角田信朗と佐竹雅昭の間に確執が生まれたのは角田信朗の発した陰口が原因でした。

角田信朗は佐竹雅昭の事を「空手をしないでテレビばかり出ている」と言った事があったらしく、それが人づてに佐竹雅昭の耳に入ったという事のようです。

当時佐竹雅昭と角田信朗は共にテレビ番組へ出演する機会も多かったのですが、あくまでもメインは佐竹雅昭であり、自分はバーターとして出演している形だったため、そうした事が佐竹雅昭への嫉妬を生んだのではないか?と見られています。

どうも角田信朗は後輩からかなり悪評が挙げられているようで、元々あまり性格の良い人間では無いと言われています。この2人はこれが原因で未だ雪解けしない確執を抱えたままだそうです。

佐竹雅昭との確執が噂された相手②石井館長

石井館長の画像&プロフィール

・愛称:不明
・本名:石井 教義(いしい かずよし)
・生年月日:1953年6月10日
・年齢:65歳
・出身地:愛媛県宇和島市
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:空手家(新日本空手道連盟 正道会館 宗帥)
・所属グループ:正道会館
・事務所:正道会館
・家族構成:不明
・出演作品:なし

佐竹雅昭と石井館長との確執とは

佐竹雅昭が所属していた正道会館の館長であり、K-1のプロモーターであった石井和義館長。この2人の確執は紛れもなく石井和義の無理強いと搾取が原因でした。

先程のパンチドランカー説の時にも触れたように佐竹雅昭は脳へのダメージを考慮し、とても試合が出来る状態にない事を訴えるもこれを却下しています。

それ以外にも以前から石井和義館長に対しての不満や鬱憤が溜まっていたそうで、狡猾なその性格に対し佐竹雅昭は嫌気が指したのかも知れません。これがこの2人の間に生まれた確執です。

佐竹雅昭との確執が噂された相手③武蔵

武蔵の画像&プロフィール

・愛称:世界と戦うサムライ、日本のエース、日本最強の男
・本名:森 昭生
・生年月日:1972年10月17日
・年齢:46歳
・出身地:大阪府堺市南区
・血液型:A型
・身長:185cm
・体重:103kg
・活動内容:元空手家、元キックボクサー、タレント、俳優
・所属グループ:なし
・事務所:パウンド・フォー・パウンド
・家族構成:弟(TOMO)
・出演作品:BS時代劇『一路』、サザエさん 3〜 など
 

佐竹雅昭と武蔵の確執とは

同じくK-1ファイターである武蔵との確執は、佐竹雅昭が試合に負けた事が原因と言われています。この試合での不可解なジャッジに納得が行かない佐竹雅昭が、その後武蔵に対して確執を覚えたとか。

実際それだけが原因であるかどうかは分かりませんが、後輩がその後K-1の場で活躍する姿を見て佐竹雅昭も何とも言えない気分に成ったのかも知れませんね。

佐竹雅昭との確執が噂された相手④ビートたけし

ビートたけしの画像&プロフィール

・愛称:たけちゃん・たけし・殿
・本名:北野武(きたの たけし)
・生年月日:1947年1月18日
・年齢:72歳
・出身地:東京足立区
・血液型:O型
・身長:168cm
・体重:非公開
・活動内容:お笑い芸人・映画監督・司会者
・所属グループ:ツービート
・事務所:T.Nゴン
・家族構成:妻・娘(北野井子)

佐竹雅昭とビートたけしの確執とは

佐竹雅昭とビートたけしの確執も有名です。佐竹雅昭はビートたけしの番組に数多く出演していたのですが、佐竹雅昭が制作側の方針とは異なる事ばかりをしていたため、それが琴線に触れてしまったのではないか?と言われています。

実際にビートたけしは自身の番組で「ああいう奴が一番面白くない」と断言していますし、その後佐竹雅昭が出演していた番組のDVDからは全て出演シーンがカットされたりモザイクが掛けられるなど、その処理は徹底されています。これを境に佐竹雅昭がテレビから消えたと言われているのも納得です。

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佐竹雅昭が尊敬する人はウルトラマン?!

ウルトラマンに影響を受けたと明かす佐竹雅昭

佐竹雅昭が最も影響を受けた人物は「ウルトラマン」なのだそうです。ウルトラマンを人物というのはその時点で間違いな様な気もしますが、佐竹雅昭がウルトラマンを敬愛しているのは有名で、多くの画像がそれを物語っています。

フィギュア好きで有名な佐竹雅昭

そんな佐竹雅昭と言えば大のフィギュア好きでも知られています。彼のTwitterで画像を探すと殆がフィギュアの画像という徹底ぶり。サブカル好きには見えないのですが、実際はかなり筋金入りのサブカル人間なのだとか。気になる方は他の画像もチェックしてみて下さいね。

佐竹雅昭は現在別の世界で活躍中だった

今回はK-1やPRIDEといったリングで活躍した空手家・佐竹雅昭についてご紹介して参りました。現役当時は最強の空手家として大いに会場を沸かせた佐竹雅昭ですが、現在は政治活動を行う傍ら、自らの道場で後進の育成に努めているそうです。

何れ時期が来た時はまた国政選挙に打って出る可能性もあり、その時は是非前回の屈辱をバネに見事当選を勝ち取って貰いたいモノですね。今後も佐竹雅昭の動向に注目です!

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