瀬古利彦の現在!あの発言やセクハラのその後は?学歴や経歴も調査!

かつてマラソン選手として一時代を築いた瀬古利彦さん。当時は大人気でお嫁さん探しや結婚などが話題になったものですが、近頃ではセクハラ発言などで世間を賑わせています。それでは瀬古利彦さんの現在の家族、学歴や経歴、セクハラ発言のその後など噂の真相に迫っていきます!

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目次

  1. 1瀬古利彦のプロフィール
  2. 2瀬古利彦の現在
  3. 3瀬古利彦のあの発言やセクハラのその後は?
  4. 4瀬古利彦の学歴
  5. 5瀬古利彦のマラソン経歴
  6. 6瀬古利彦の現在は監督やプロジェクトリーダーとして活躍

瀬古利彦のプロフィール

・愛称:???
・本名:瀬古利彦
・生年月日:1956年7月15日
・年齢:63歳(2019年7月現在)
・出身地:三重県桑名市
・血液型:O型
・身長:170cm
・体重:62kg
・活動内容:元陸上選手、マラソン選手
・所属グループ:???
・事務所:日本陸上競技連盟 強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー
・家族構成:嫁、息子4人

瀬古利彦の経歴

三重県桑名市で生まれた瀬古利彦さんは、小さい頃は「巨人の星」の影響を受けて野球に打ち込んでいたそうです。決して強豪チームではなかったものの、投手として頑張っていました。

中学に入学しても野球を続けるつもりだったそうですが、校内のマラソン大会で好成績を収めたことから陸上部の助っ人を頼まれ陸上競技会に出場します。そこで三重県記録を打ち立ててしまい、一気に陸上の世界へとのめりこんでいくことになりました。

高校は陸上の強豪校であった「四日市工業高校」に入学します。1年生の時からインターハイに出場し、2年生と3年生の時には800mと1500mで2年連続制覇という偉業を成し遂げました。

その後は早稲田大学へと進学し、「箱根駅伝」の「花の2区」を4年連続で走ります。3年生と4年生の時には2年連続で区間新をマークするなど、今後の陸上界を背負って立つホープとして期待されるようになったそうです。

「ヱスビー食品」に入社した後も、出場した大会では次々と優勝をさらい、瞬く間に「モスクワオリンピック」の金メダル候補として名乗りを上げました。しかし、当時の世界情勢の影響から日本はオリンピックをボイコットすることになってしまいます。

その後も瀬古利彦さんは決して腐ることなく練習を続けたそうです。その結果、1984年のロサンゼルスオリンピックと1988年のソウルオリンピックに出場を果たしますが、残念ながらメダルには届きませんでした。

現役中はマラソンのエリートとして輝かしい実績を残し、1988年に惜しまれながらも現役を引退します。その後はヱスビー食品の監督などを歴任し、現在は「日本陸連」の理事としてマラソン界の復活のために日々頑張っているそうです。

材木屋経営で資産家の家族を持つ嫁と結婚

1970年代から1980年代にかけて、日本男子マラソン界を牽引してきた瀬古利彦さん。当時は精悍なマスクとストイックに走る姿が女性に絶大な人気を得ていました。そんなマラソン界のスーパースターのお嫁さんがどんな人か気になるのではないでしょうか?

実は瀬古利彦さんのお嫁さんとなった人は、材木屋を経営する資産家の一人娘だそうです。お名前は「渡辺美恵」さんと言い、当時25歳で保育園の先生をしていました。瀬古利彦さんはその女性を射止め、1984年6月14日に結婚をされたそうです。

嫁の美恵とはお見合い結婚

当時は絶大な人気を誇った瀬古利彦さんですから、言い寄る女性も多かったことしょう。誰もがきっと大恋愛をされているのではないかと思っていたはずです。しかし、瀬古利彦さんは意外にもお嫁さんにした美恵さんとはお見合い結婚だったそうです。

嫁との結婚に監督が反対?

現在のお嫁さんでもある美恵さんと結婚するにあたり、実は当時の瀬古利彦さんの監督をしていた「中村清」さんは美恵さんとの結婚に反対をしていたそうです。しかも瀬古利彦さんのお嫁さんを全国から公募までしようとしていました。

瀬古利彦さんも公募には反対だったそうで、自らお見合いを繰り返し6度目のお見合いで現在の伴侶となる美恵さんと結婚することになったようです。

瀬古利彦の現在

現役時代に数々の輝かしい実績を残してきた瀬古利彦さん。ストイックにレースに臨む姿に感動したという人も多かったはずです。そんな瀬古利彦さんの現在の様子について気になってしまうのではないでしょうか?

それでは、スーパースターとまで呼ばれ素晴らしい実績を残した瀬古利彦さんの現在の活動や家族についてみていきましょう。

現在は日本陸上競技連盟の強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー

当時のマラソン界では圧倒的な人気を誇っていた瀬古利彦さんですが、引退後は実業団チームの監督を歴任されました。現在は「日本陸上競技連盟の強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー」という役職についています。

現在の日本マラソン界は男女とも長らく低迷が続いている状態で、2020年に東京でオリンピックがあることから現状を打破するために瀬古利彦さんが抜擢されたようです。

DeNAランニングクラブの総監督としても活躍

現在は日本陸連でマラソンの強化のための活動をしている瀬古利彦さん。引退後は長らくヱスビー食品の監督を務めていましたが、ヱスビー食品の廃部とともに「DeNAランニングクラブ」の総監督に就任しました。

そこではマラソンだけではなく、東日本実業団駅伝やニューイヤー駅伝などの駅伝にも力を入れDeNAを一躍トップチームへと導きます。しかし日本陸連の仕事と兼務していたこともあり、監督との兼務は難しいとしてエグゼクティブアドバイザーになったそうです。

瀬古利彦の嫁など家族の現在

マラソン選手としてだけではなく監督としても輝かしい経歴を持っている瀬古利彦さんは、現在は結婚をして幸せな家族を築いているそうです。そんな瀬古利彦さんの家族のことが気になるという人もいるのではないでしょうか?

もしかすると息子さんや娘さんがマラソンなどの陸上競技で活躍しているのではないかと思っている人もいるはずです。ここでは、輝かしい経歴をお持ちの瀬古利彦さんの家族についてみていきます。

家族①嫁は2019年で還暦

ロサンゼルスオリンピックが行われた翌年の1985年に現在のお嫁さんである美恵さんと結婚をされた瀬古利彦さん。お見合い結婚ではあったものの、結婚後30年以上が経った現在でも美恵さんとは仲良く暮らしているそうです。

そんな美恵さんは2019年の誕生日を迎えると還暦になります。瀬古利彦さんは今まで支えて尽くしてくれたお嫁さんのために、盛大なダンスパーティを企画していると話されていました。

家族②息子はマラソン選手にはならず別の道へ

結婚されてから30年以上たった現在でもお嫁さんと仲が良いと言われる瀬古利彦さんには、4人の息子さんがいるそうです。瀬古利彦さんの現役時代の輝かしい経歴を知っている人にとっては、息子さんも陸上選手ではないかと思ってしまうでしょう。

しかし、4人の息子さんはマラソン選手にはなっていません。お父さんである瀬古利彦さんもきっと無理強いはしなかったのでしょう。それぞれが自分の決めた道を進んでいるようです。

家族③瀬古利彦の息子(長男)はリンパ腫で闘病生活?

4人の息子さんはそれぞれマラソンではない道で頑張っているそうなのですが、ちょっと心配になるような話がありました。それは、長男が「リンパ腫」で闘病生活を送っているという話です。

リンパ腫とは血液のがんだそうで、悪性しかなくしかも完治しない病気だそうです。現在のところは日常生活にそんなに支障がないようですが、瀬古利彦さんと美恵さんをはじめ家族も心配な日々を送っているのではないでしょうか?

瀬古利彦のあの発言やセクハラのその後は?

マラソンで輝かしい実績を残し、プライベートでも仲の良い家族に囲まれて幸せな生活を送っている瀬古利彦さん。その充実した生活とは裏腹に、近頃では問題発言やセクハラ発言などで世間を賑わせていることをご存知でしょうか?

ここでは、輝かしい経歴を持っている瀬古利彦さんが問題発言やセクハラ発言をした経緯とその後についてみていきます。

箱根駅伝での発言内容とは

輝かしい経歴とは裏腹に問題発言ばかりがクローズアップされている瀬古利彦さんですが、それは「箱根駅伝」での解説をしている時に起きました。箱根駅伝は10区間で行われるのですが、2006年から5区の距離が長くなったことについての発言です。

当時、5区では各校のエースがタイム差をものともせずに大逆転をすることが多かったために、瀬古利彦さんは「1~4区がいらない」というような発言をしてしまいました。そのことで世間から大バッシングを受けてしまいます。

あの発言のその後のマラソン解説は控えめとの声も

箱根駅伝での問題発言により大バッシングを受けてしまった瀬古利彦さん。その他にも自分の出身校である早稲田大学を贔屓するような発言が多かったことから、解説者としての資質を問われるようなことまで言われてしまいます。

それらの発言の影響があったかどうかは定かではありませんが、その後のマラソンなどでの解説は控えめになったともっぱらの評判になっていました。

瀬古利彦のセクハラ騒動の真相とその後

現役時代の輝かしい経歴とは違い解説では何かと問題発言が多いと言われる瀬古利彦さんですが、今度は「セクハラ発言」で物議を醸してしまうことになります。瀬古利彦さんのファンだという人の中にはガッカリしたという人もいたのではないでしょうか?

ここでは、瀬古利彦さんのファンをガッカリさせてしまったとされるセクハラ騒動の真相とその後についてみていきます。

女子アナにセクハラ発言

セクハラ発言により注目されることになった瀬古利彦さんですが、それは2018年に行われたマラソン大会の番組後の飲み会で起こってしまいました。テレビ関係者も多く同席していたらしいのですが、そこで瀬古利彦さんは女子アナにセクハラ発言をしてしまいます。

お酒の影響もあったかもしれませんが、同席していた女子アナの体毛についてからかうような発言をしたそうです。瀬古利彦さんにとっては軽いジョークであったのかもしれませんが、言われた方にとってはセクハラと受け取ったのでしょう。

セクハラ発覚後のネット上の反応

大会後の飲み会で女子アナにセクハラ発言をしてしまったという瀬古利彦さん。やはり、そのセクハラ騒動についてネットでは瀬古利彦さんに対する批判が相次ぎました。

もちろん輝かしい経歴を持っている瀬古利彦さんを擁護する声もあったのですが、大半は瀬古利彦さんのセクハラ発言に対して厳しい意見だったようです。

瀬古利彦の学歴

1970年代から1980年代にかけてマラソン界をリードし、指導者としても多くの選手を育て上げた瀬古利彦さんですが、それだけの素晴らしい実績を残してきた瀬古利彦さんの学歴について気になるという人も多いのではないでしょうか?

得てしてトップアスリートが高学歴だったという話も耳にします。マラソンと学歴は関係ないという人もいるかもしれませんが、ここでは中学校から大学時代までの瀬古利彦さんの学歴についてみていきます。

学歴①出身中学校は桑名市立明正中学校

巨人の星の影響で野球に打ち込んでいたという瀬古利彦さんですが、出身中学は桑名市立明正中学校でした。元々野球をやっていたため走力には自信があったそうなのですが、校内のマラソン大会で優勝をしてしまいます。

その後、陸上部の助っ人として桑名市の大会で優勝を飾り、続いて行われた三重県の大会でも三重県記録を樹立しました。この頃から陸上の才能を周囲に見せつけていたようです。

学歴②出身高校は四日市工業高校

中学時代までは野球に打ち込み甲子園を目指そうとまでしていた瀬古利彦さん。陸上大会で優勝を果たすなどの活躍をしたことで陸上に目覚めます。高校は陸上の強豪校だった四日市工業高校へと進学をしました。

高校に入ると眠っていた才能が一気に目覚めます。1年生の時からインターハイの800mで3位に入ったのを皮切りに、2年生と3年生の時には800mと1500mの2冠を2年連続で達成するという驚くべき記録を残します。

学歴③大学は早稲田大学教育学部

高校時代に輝かしい実績を残した瀬古利彦さんは、陸上の名門校である中央大学へと入ろうとしました。しかし将来のために高学歴をという両親の勧めと、瀬古利彦さん本人も学歴を重視しようと考え早稲田大学を受験しますが残念ながら落ちてしまいます。

一浪して晴れて早稲田大学へと一般入試で入学した瀬古利彦さんは、1年生の時から箱根駅伝に出場し、3年生と4年生の時には2年連続で区間新記録を出すなど将来を嘱望される選手へとなっていきました。

瀬古利彦のマラソン経歴

学生の頃から陸上で結果を残し、一般入試で早稲田大学に入るなど学歴の高さも際立っていた瀬古利彦さん。学生時代は800mや1500mなどの中距離で素晴らしい結果を残しましたが、マラソンでも華々しい実績を残しました。

瀬古利彦さんのマラソンでの実績がどれほどのものだったのか気になるのではないでしょうか?ここでは数々の優勝を成し遂げてきた瀬古利彦さんのマラソンの経歴についてみていきます。

マラソン経歴①大学時代に京都マラソンでデビュー

高校生までは中距離で向かうところ敵なしと言われるほど圧倒的な強さを誇った瀬古利彦さんですが、大学生の時には駅伝もやりながらマラソンにも挑戦をしました。それは1977年に行われた京都マラソンです。

結果は2時間26分00秒で10位でしたが、初マラソンであったことに加え10位に入ったことが評価されて新人賞を受賞しました。

マラソン経歴②優勝率の凄さも話題に

初マラソンにおいて10位に入るという健闘ぶりを見せた瀬古利彦さん。その後は絶対的な王者として出場する大会でことごとく優勝を飾ります。

ロサンゼルスオリンピックとソウルオリンピックの結果ばかりに目が行ってしまうので、勝率はさほど高くないと思われるかもしれませんが、その戦績は驚くことに15戦10勝という驚異的なものでした。

マラソン経歴③現役引退後はエスビー食品陸上部監督就任

1989年に現役生活にピリオドを打った瀬古利彦さんですが、引退後は所属チームであったヱスビー食品の陸上部の監督に就任をします。名選手であった瀬古利彦さんの指導者としての手腕に期待していた人も多かったことでしょう。

周囲の期待通りに手腕を発揮した瀬古利彦さんは、シドニーオリンピックの花田勝彦選手やアテネオリンピックの国近友昭選手など数多くの選手を育て上げました。

瀬古利彦の現在は監督やプロジェクトリーダーとして活躍

現役時代の輝かしい実績と指導者としての手腕を買われた瀬古利彦さんは、現在は日本陸連のマラソン強化に向けたプロジェクトリーダーとして活躍をしています。かつて世界の中心にいたとされる日本のマラソン界を復活させようと頑張っているのでしょう。

2020年には東京オリンピックが控え、否が応にもマラソンに対する国民の期待は高まってしまいます。数々の難局を乗り越えて実績を作ってきた瀬古利彦さんの今後の活躍から目が離せません!

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この記事のライター
大橋類太郎
北海道の田舎に住んでいる大橋類太郎です。 ドライブが好きで暇さえあれば広い北海道を走り回っています。 コツ...

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