【日本赤軍リーダー】重信房子の現在!ハーグ事件とは?

日本赤軍の最高指導者として有名な重信房子さん。そんな重信房子さんの現在の様子や重信房子さんが率いたハーグ事件についてご紹介していきます。また、美人で可愛いと噂の重信房子さんの姿についてもチェック。ハーグ事件での重信房子さんの行動についても迫っていきましょう。

【日本赤軍リーダー】重信房子の現在!ハーグ事件とは?のイメージ

目次

  1. 1重信房子とは
  2. 2重信房子の現在
  3. 3重信房子とハーグ事件の関係
  4. 4重信房子の学歴と生い立ち
  5. 5重信房子の現在は癌治療を受けながら服役生活

重信房子とは

通称 フーちゃん、フーさん
本名 重信 房子(しげのぶ ふさこ) 
生年月日 1945年9月28日
年齢 73歳(2019年5月現在)
出身地 東京都世田谷区
活動内容 革命家

重信房子のプロフィール

東京都世田谷区出身の重信房子さんは、4人兄妹の次女として誕生しました。高校卒業後はキッコーマンで働きつつ、かねてからの夢である小学校教師の資格を取得するため、明治大学の夜学に通っています。大学時代から学生運動などに積極的に参加していたようです。

その後、日本赤軍の最高指導者となり、ハイジャックや銃乱射などの事件を起こしましたが、ハーグ事件によって逮捕され、現在は東日本成人矯正医療センターに入っています。

著書「革命の季節・パレスチナの戦場から」も話題に

日本赤軍の最高指導者として有名な重信房子さんは、これまでに数々の著書を残しており、1974年に発売した初めての著書『わが愛わが革命』から2012年に発売された『革命の季節パレスチナの戦場から』まで、合わせて8冊もの著書を出版しています。

重信房子は日本赤軍リーダー

重信房子さんの名前を聞いて、日本赤軍や日本赤軍の最高指導者という言葉を思い浮かべた方は多いのではないでしょうか?重信房子さんは、日本赤軍の最高指導者として革命運動と称したハイジャック事件や銃乱射事件を起こしました。

日本赤軍とは

重信房子さんが最高指導者を務めていた日本赤軍は、1971年から2001年まで活動していた新左翼団体で、世界で同時に革命を起こそうと活動していた武将集団です。

日本赤軍の設立者は重信房子さんと奥平剛士さんで、活動の本拠地はパレスチナやベッカー高原でした。

重信房子は服役囚でも美人で可愛い

日本赤軍の最高指導者として活動していた重信房子さんですが、情熱的な内面とは裏腹に容姿はとても美人で可愛いと話題になりました。上の画像は重信房子さんの若い頃の画像ですが、現在で言うアイドルのような可愛さとどこか儚げな美しさがあります。

パレスチナ人の活動家との娘も可愛いと話題に

元々日本国内で活動を行っていた重信房子さんですが、1971年頃日本赤軍の海外基地を作ろうと計画し、パレスチナへ出国。その後、パレスチナ人と結婚しています。

上の画像は、重信房子さんとパレスチナ人男性との間に生まれた子供の画像です。画像の右側の女性ですが、母親である重信房子さんに似て、美人で可愛いですよね。母親の重信房子さんとはまた違った美人さを感じることができます。

可愛い娘・重信メイは現在美人ジャーナリスト?

重信房子さんの娘の重信メイさんは、現在ジャーナリストとして活動しているようです。生まれてから28年間もの間無国籍だったため、2001年に日本国籍を取得しています。

重信房子の現在

重信房子さんの若い頃の美人画像や可愛いと噂の娘さんの画像をチェックしてきましたが、ここからは、重信房子さんの現在の様子についてご紹介していきます。

日本赤軍の最高指導者として活動の最前線にいた重信房子さんですが、ハーグ事件の関係者として懲役20年の判決を受け、現在は服役中です。そこで今回は、重信房子さんの現在の様子や服役している場所について、詳しくチェックしていきましょう。

現在は服役生活

重信房子さんは懲役20年の判決を受け、現在東日本成人矯正医療センターで服役しています。

八王子医療刑務所に収容

重信房子さんが元々いたのは八王子医療刑務所でしたが、2018年1月に閉所したため現在収容されている東日本成人矯正医療センターに移ったとみられています。

刑期満了予定は2027年

重信房子さんの刑期満了は2027年で、今から約8年後となります。元々は2010年に判決が出たため刑期20年となると、出所は2030年の予定でした。しかし、未決勾留期間が3年程あったため、その3年を差し引いて2027年の出所予定となったようです。

抗がん剤治療など受けながらの服役生活

重信房子さんは現在、東日本成人矯正医療センターで抗がん剤治療を行いながら服役生活を続けています。度重なるガンによって体のあちこちに転移しているという噂も。

治療先は東日本成人矯正医療センター

重信房子さんのがん治療を担当しているのは、東日本成人矯正医療センターです。この医療施設は、先程ご紹介した八王子医療刑務所が移転したもので、元の八王子医療刑務所よりも高度で充実した治療を受けられるようになりました。

ガンの転移で3度の手術

重信房子さんはガンによってこれまでに3度の手術を受けているようで、いずれも小腸ガン。治療を始めた時期については不明ですが、現在も治療を受けているとすると、かなり長い期間治療を受けていることになります。

「オリーブの樹」にて重信房子の近況報告

現在、東日本成人矯正医療センターにて服役中の重信房子さんですが、重信房子さんの近況は『オリーブの樹』という冊子で知る事ができます。

「オリーブの樹」とは

『オリーブの樹』は、重信房子さんを支える会が発行している冊子で、東日本成人矯正医療センターに収容されている重信房子さんの現在の様子を知ることができます。

重信房子とハーグ事件の関係

重信房子さんの現在の様子やガン治療についてチェックしてきましたが、ここからは、重信房子さんとハーグ事件との関係について詳しくご紹介していきます。

日本赤軍の最高指導者として活動を行っていた重信房子さんですが、ハーグ事件に関与したとして後に逮捕されました。そこで今回は、重信房子さんが関わったとされているハーグ事件について迫っていきましょう。

1974年9月に発生したハーグ事件の概要

重信房子さんが関与したとされているハーグ事件は、1974年9月14日に起こりました。発生した場所はオランダのデン・ハーグという所で、日本赤軍がフランス大使館に立てこもった事件です。この事件は日本赤軍のメンバー奪還を目的として行われました。

この事件によってメンバーの奪還と身代金を手に入れた日本赤軍は、後に人質を解放しています。その後、日本赤軍はシリアに到着し、身代金等所持品を放棄し投降しました。

重信房子は20年以上の逃亡生活後に逮捕

この事件で重信房子さんは武器の調達などに関与したとして、国際手配を受けていました。しかし、20年以上に亘って逃亡を続け、後に逮捕されています。

2000年に偽造パスポートで日本に不法入国で逮捕

20年以上の逃亡生活を経て重信房子さんが逮捕されたのは大阪府で、偽造パスポートで日本国内に入手したようです。

大阪市西成区のマンションにて潜伏

重信房子さんが逮捕された場所は大阪府西成区で、区内のとあるマンションに潜伏していました。重信房子さんは逮捕されるまで他人になりすまし、関西国際空港から出入国を繰り返しながら逃亡していたようです。

ハーグ事件での逮捕の決め手とは

20年以上の逃亡生活を送っていた重信房子さん。20年も経つと容姿などが変わっており、なかなか外見だけでは本人だと判断できません。逮捕の決め手となったのは一体何なのでしょうか?

逮捕の決め手は煙草とコーヒーカップの指紋

重信房子さんの逮捕の決め手となったのは、独特なたばこの吸い方とコーヒーカップの指紋だったようです。たばこの吸い方だけでは本人だと断定しにくいかもしれませんが、指紋が一致したことは逮捕の大きな決め手となったでしょう。

逮捕のその後は2001年に日本赤軍解散宣言

こうした捜査によって、重信房子さんは逮捕されました。その後、2001年に自身が最高指導者を務めていた日本赤軍の解散を発表し、事件は終息に向かったようです。

現在も日本赤軍主要メンバーが国際手配中

最高指導者である重信房子さんの逮捕後、2001年に解散した日本赤軍ですが、現在も日本赤軍の主要メンバーが国際手配されています。

ハーグ事件の裁判では無罪を主張も

重信房子さんは逮捕後、ハーグ事件への関与を否定し無罪を主張しています。裁判では、ハーグ事件が起こった際、重信房子さんが指示を出す立場ではなかったことと、ハーグ事件の時期にアリバイがあったことを主張しました。

しかし、裁判所はこの主張を否定し、重信房子さんは懲役20年の判決を言い渡されています。

懲役20年の判決が下る

懲役20年の判決が下された重信房子さん側は、この判決に対して控訴しました。2007年に東京高等裁判所が控訴を棄却。その後上告しましたが2010年に再度棄却され、刑が確定しています。

重信房子の学歴と生い立ち

ハーグ事件の概要や重信房子さんとハーグ事件の関係についてチェックしてきましたが、ここからは、重信房子さんのこれまでの学歴や生い立ちについてご紹介していきます。

美人で可愛いと評判だった重信房子さんですが、外見だけではなく、内面も優れていたようです。そこで今回は、重信房子さんのこれまでの学歴や生い立ちについてご紹介していきます。早速チェックしましょう。

重信房子の学歴

重信房子さんのこれまでの学歴や生い立ちについて早速チェックしましょう。まずは、重信房子さんの学歴をご紹介していきます。

東京都立第一商業高等学校を卒業

重信房子さんは、東京都立第一商業高校に通っていました。この学校は東京都渋谷区にある高校で、1918年に創立されています。なお、3学期制で男女共学です。

設置学科は商業科のみとなっており、現在では2年次から進学コースとビジネスコースに分かれています。高校在学中から様々な資格を取得できるため、就職にも強いようです。

大学は明治大学に入学

高校を卒業した重信房子さんは、キッコーマンで働き始めました。しかし、幼い頃から抱いていた小学校教師になりたいという夢を叶える為、明治大学の夜学に通っています。

学部は文学部史学地理学科

明治大学では文学部史学地理学科に通っており、文学研究会に所属していました。2年生に上がった重信房子さんは、文学研究会が属する研究部連合会の事務長に抜擢。学生時代から人を率いる力に長けていたようです。

重信房子の父親は右翼の活動家

重信房子さんの学歴についてチェックしてきましたが、ここからは、重信房子さんの家族についてご紹介していきます。

重信房子さんの父親である重信末夫さんは、血盟団事件に関わった右翼団体の門下生でした。重信房子さんは、幼い頃から見ていた活動的な父親の姿にとても影響されたようです。

重信房子は4人兄弟の次女

プロフィール欄でもご紹介した通り、重信房子さんは4人兄妹の次女として重信家に生まれました。なお、重信房子さん以外の兄弟の活動については、詳しくわかっていません。

重信房子の生い立ち

重信房子さんの家族についてチェックしてきましたが、ここからは、重信房子さんの生い立ちについてご紹介します。また、日本赤軍の最高指導者になるまでの過程についても迫っていきましょう。

幼少期の夢は小学校教員や小説家

日本赤軍の最高指導者を務めるほどの統率力を持つ重信房子さんですが、幼い頃はいたって普通の女の子でした。将来は小学校の教師や小説家を夢見ており、『小さな親切運動』などにも熱心に参加しています。

大学時代の学費値上げ反対を機に明大紛争参加

小学校教師になりたいという夢は成長しても変わらず、就職後してから大学に入るほど情熱をもって夢を叶えようと努力していました。しかし、明治大学時代の学費値上げ反対を機に明大紛争に参加するようになり、徐々に学生運動に情熱を注ぐようになっていきます。

大学時代の親友は遠山美枝子

大学在学中には、重信房子さんの親友ともいえる遠山美枝子さんとの出会いもありました。遠山美枝子さんも重信房子さんと同じく明治大学の夜学に通っており、大学在学中から共に活動しています。

重信房子の日本赤軍での活動のきっかけ

ここからは、重信房子さんの日本赤軍での活動のきっかけについてご紹介していきます。重信房子さんは、一体なぜ日本赤軍で活動を行うようになったのでしょうか?

明治大学での学生運動

重信房子さんの日本赤軍での活動のきっかけとなったのは、明治大学時代に参加した学生運動だと考えられています。学生運動がきっかけで様々な団体に加入し、共産主義者同盟赤軍派の創立メンバーとなりました。

また、重信房子さんの性格も関係しているでしょう。幼い頃から信念を貫く情熱を持っていたため、学生運動などでもこうした性格が発揮されたと考えられます。

次第に公安警察からマーク

過激な活動を行っていた重信房子さんらの団体は、その後公安警察からマークを受けます。実際、重信房子さんが逮捕された際にも、公安警察がマークしていたことがきっかけで逮捕につながったようです。

重信房子の現在は癌治療を受けながら服役生活

日本赤軍の最高指導者として有名な重信房子さんについてチェックしてきましたが、現在はがん治療を受けながら服役していることがわかりました。重信房子さんの生い立ちや学歴を知ることで、日本赤軍が誕生した経緯を知ることができます。

現在では若者の政治への関心の無さが問題視されていますが、過去の過激な学生運動もまた問題視されていました。こうしたことから、適度に関心を持つことが大切なのでしょう。

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kaotonike

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