【富山発砲事件】島津慧大(元自衛隊)の犯行動機!交番襲撃のその後!家族なども調査

2018年に発生した富山発砲事件。事件とは無縁に思えた交番で発生した銃の乱射事件で、犯人も元自衛隊という経歴を持つ島津慧大が逮捕されています。現役の警察官を殺害した犯人の島津慧大とはどんな人物だったのか、事件のその後についても見て行きましょう。

【富山発砲事件】島津慧大(元自衛隊)の犯行動機!交番襲撃のその後!家族なども調査のイメージ

目次

  1. 1島津慧大(元自衛隊)とは
  2. 2富山発砲事件の概要
  3. 3島津慧大の犯行動機について
  4. 4島津慧大の交番襲撃のその後は?
  5. 5島津慧大の姉など家族も調査
  6. 6島津慧大の学生時代
  7. 7島津慧大は元自衛隊
  8. 8島津慧大(元自衛隊)の犯行動機は銃への興味や社会への恨みが深く関係

島津慧大(元自衛隊)とは

元自衛隊である島津慧大という人物をご存知でしょうか?元自衛隊という立場であれば、その名前や存在はあまり公になるものではないかも知れません。しかし、今や島津慧大の名前は日本中に知られる存在となっています。その理由こそ、今回ご紹介していく富山発砲事件が大きく関係しているのです。

富山発砲事件の犯人

島津慧大は2018年6月26日に発生した富山発砲事件の犯人です。富山発砲事件と聞いてもあまりピンと来ない人もいるかと思いますが、交番が襲撃され現役の警察官が射殺されてしまった事件と言えばすぐに思い出す事が出来るかと思います。

島津慧大は事件現場となった交番で警察官を刺殺し銃を奪い、さらに付近の小学校の警備にあたっていた警備員2人に対して発砲し重軽傷を負わせています。付近の住民は事件後かなり怯えた様子を見せており、島津慧大が行った行為に対しての被害者は図り知れません。

富山発砲事件の概要

ここからは富山発砲事件の概要についてご紹介していきます。2018年に発生した事件なので記憶に新しい人も多いかと思いますが、富山発砲事件は事件とは無縁とも思える交番で発生しています。富山発砲事件の被害者はどれくらいいたのか、事件当日、犯人の島津慧大はどのような行動をとっていたのかなど詳しく見て行きましょう。

概要①バイト出勤後の犯行

富山発砲事件が発生した2018年6月26日、島津慧大は当時働いていたアルバイト先に出勤しています。島津慧大は元自衛隊ですが、自衛隊は退職しておりアルバイトをして生計を立てていたそうです。そしてアルバイト先で店長に店内の清掃を指示された際に、島津慧大はその指示を拒否していたそうです。

そしてその直後、島津慧大は最初の犯行をしています。店内の清掃を拒否した事に対して、店長は当然ながら島津慧大を注意したそうです。しかしこれに腹を立てたのか、島津慧大は店長に対して殴りかかり暴行を加えたのです。その後島津慧大はアルバイト用の制服を脱ぎ捨て、アルバイト先を後にしたのです。

島津慧大の働いていたアルバイト店についてですが、どうやら既にどこでアルバイトしていたのか特定されているようです。島津慧大がアルバイトをしていたのは、島津慧大の自宅から車で10分ほどの所にあるケンタッキーフライドチキンアピタ富山東店で働いていたそうです。

島津慧大は調理担当のアルバイトとして働いていたそうですが、アルバイトを始めたばかりの頃は接客を任されていたそうです。礼儀正しく問題は無かったそうですが、ある日接客時に対応に困りパニックを起こしてしまったそうで、その後調理担当に変更されていたそうです。

バイト先の店長への暴行

島津慧大はアルバイト先の店長に暴行を加えていますが、店長の被害はどれほどのものだったのでしょうか?調べてみると、なんと店長はあばら骨を骨折する重傷を負っていたそうです。その後店長は回復したものと思われていますが、富山発砲事件の直前にも島津慧大は暴行事件を起こしていたのです。

また、富山発砲事件のその後に島津慧大が勤務していたアルバイト店にも取材が行われており、事件前後の島津慧大の様子についても関係者がコメントを発表していたようです。関係者曰く、事件前後の島津慧大には異変はなく、思い当たるのは事件当日に起こした暴行事件のみだったそうです。

概要②交番で警部補を刺す

アルバイト先の店長に暴行を加え店を後にした島津慧大は、およそ1時間後の2018年6月26日午後2時頃、富山中央署奥田交番に到着しています。島津慧大は交番の所長であり警察官の男性を刺殺し、警察官が所持していた銃を奪っています。

ちなみに、島津慧大は交番の入り口から侵入していた訳ではないそうです。島津慧大は交番の裏口をノックしており、それに気付いた警察官が裏口を開けた際に刺殺していた事が判明しています。亡くなられた警察官は、島津慧大によって30数か所も刺されてしまっていたそうです。

警察官から銃を奪った島津慧大は交番を後にし、その足で第2の犯行現場となる付近の小学校へと向かっています。島津慧大が向かった小学校は、警察官が射殺された交番にほど近い奥田小学校という小学校だったそうです。

概要③交番付近の奥田小学校の警備員襲撃

奥田小学校に到着した島津慧大は、小学校の警備にあたっていた警備員を襲撃しています。警備員は2人いたそうで、68歳の男性は射殺されもう1人の男性も負傷しています。亡くなられた警備員は2発の銃弾を受けた形跡があり、左肩と頭部を撃たれていた事が後に判明しています。

襲撃装備を事前に用意の可能性

2人もの尊い命を奪い、2人が重軽傷を負った富山発砲事件。アルバイト先の店長から注意を受けた事で逆上しそのまま犯行に及んだかのように見えますが、実は島津慧大は事前に襲撃装備を用意していた可能性が高い事がその後発覚しています。

富山発砲事件の事件後の家宅捜索で、島津慧大の自宅からはナタとナイフのような刃物3本とリュックが押収されていたのです。富山発砲事件が発生した2018年6月26日に犯行を決行する予定ではなかったかも知れませんが、以前から襲撃事件を起こそうと事前に準備していた可能性は十分に高いものと考えられます。

しかし、ネット上では島津慧大はミリタリーマニアだからナイフなどを所持していたのではないかとも見られているようです。これについては後ほど詳しくご紹介していきますが、島津慧大はモデルガンを多数所持するほどのミリタリーマニアだったそうです。

島津慧大の犯行動機について

ここからは島津慧大の犯行動機について詳しく見て行きましょう。アルバイト先の店長から注意を受け逆上した事で犯行に及んだのではないかと考えられますが、島津慧大は事前に襲撃装備を準備していた事も明らかになっているのでその動機が何だったのかは多くの人が疑問に感じていたようです。

実は島津慧大の犯行動機については未だ明らかになっていませんが、ある程度有力視されている犯行動機はあるようです。2人の命を奪い、2人に重軽傷を負わせてしまったこの事件はなぜ発生してしまったのでしょうか?富山発砲事件のその後、島津慧大が逮捕されるまでの流れについてもご紹介していきます。

小学校での発砲後に警察官から撃たれ確保

島津慧大は富山発砲事件が発生したその日に確保されています。午後2時14分頃に警察官が交番で刺されている事が通報されており、その通報を受け交番周辺には警察官が駆けつけていたそうです。そして島津慧大が小学校で警備員に向けて発砲した際に、付近にいた警察官が発砲音に気付いてすぐに現場に駆け付けたそうです。

島津慧大を発見した警察官は、大人しくするように島津慧大に注意したそうです。しかし島津慧大は両手に刃物を持った状態で警察官に近づいて来たそうで、このままでは危険と感じた警察官が島津慧大に発砲しています。島津慧大は腹部を撃たれ、ついに確保されたのです。

警察官に発砲され確保された島津慧大ですが、実は発砲された際に意識不明の重体になっていた事も明らかになっています。その後島津慧大は意識が回復しており、病院に入院治療する為に一時釈放され治療を受けていました。そして回復したと判断された10月10日、再逮捕という形で警察に逮捕されています。

島津慧大の犯行動機は襲撃目的?

島津慧大の犯行動機とは一体何だったのでしょうか?前述した通り、島津慧大の犯行動機については詳しい情報は公開されていません。しかし、最初の被害者となったアルバイト先の店長に暴行を加えた後の島津慧大の行動が明らかになり、逆上して理性が効かない状態になっていた事は確実と見られているようです。

実は島津慧大はアルバイト先の店長に暴行を加え店を後にし、家族にLINEを通じて「店長を殴ったからやめる」といった旨の内容を送っていたのです。直接の動機とはなりませんが、暴行を加えただけで謝罪の意思もなく辞めて終わりにしようとしていた所を見ると逆上して理性が効かず犯行に及んだ可能性はあるかもしれません。

また、島津慧大が交番に襲撃した動機については銃を奪う目的であったと推測されています。島津慧大は銃を奪う為に亡くなられた警察官を刺していたので、警察官殺害の動機は銃を奪う為のものであったと言えるでしょう。その後の小学校での犯行については、警備員を警察官と見間違えた事から発砲し射殺していた事が判明しています。

結果的に、島津慧大の犯行の動機については推測したにしか過ぎない情報しか存在していません。そもそも、ミリタリーマニアで銃を使用してみたかった事から犯行に及んだのではないかという声もあるようです。今後裁判が開かれ詳細が明らかになっていくのではないかと思われます。

犯行動機には総合失調症も関係か

富山発砲事件発生後、実はネット上で島津慧大と思われるTwitterのアカウントが特定されていたようです。そのTwitterの内容からは、島津慧大が精神病である事を匂わせる発言もしていた事が明らかになっています。この事から、世間からは島津慧大が総合失調症なのではないかと疑う声が出ていたようです。

しかし、後にこの島津慧大と思われるTwitterのアカウントは本人ではない事が判明していたようです。現在も島津慧大が襲撃事件を起こした動機は総合失調症が原因と信じている人も多いようですが、噂の元であるTwitterのアカウントが偽物だったので信憑性はほとんどないと言えます。

島津慧大の交番襲撃のその後は?

ここからは島津慧大の富山発砲事件のその後について詳しく見て行きましょう。襲撃事件のその後、警察官に発砲され入院治療を受けていた島津慧大はどうなったのでしょうか?実は島津慧大はかなり重傷だったようで、自力では歩行が困難なほどの状態になっていたようです。

歩行が出来ないほどの重傷だった島津慧大は、いつ、どのように頃逮捕されたのかについて詳しくご紹介していきます。また、ネット上では島津慧大の自宅から襲撃装備が発見されていた事から自宅を特定する動きも見られていたようです。島津慧大の自宅がどこなのかについても併せて見て行きましょう。

その後は富山地検が鑑定留置を実施

富山発砲事件のその後、島津慧大は重傷を負っていた事から一時釈放され入院治療を受けています。島津慧大が警察官に発砲され受けた傷についてですが、なんと脊髄まで到達していたとの事です。脊髄に到達していたという事から、島津慧大は自力で歩行が出来ず車椅子生活を強いられていたそうです。

一時釈放はされていたものの、富山発砲事件は交番を襲撃し2人もの命を奪った凄惨な事件である事には変わりありません。2018年10月10日、島津慧大は再逮捕され入院先の病院から富山中央警察署に身柄を移され、鑑定留置を実施されています。

もちろんこれは警察と入院先の病院との協議の末の決断であり、警察が強行していた訳ではありません。島津慧大が移送される際の様子はニュースでも報じられており、車椅子に乗りながら移送車に乗り込む島津慧大の姿が大々的に放送されていました。移送された際、島津慧大はまだ歩行は困難な状態だったそうです。

島津慧大の鑑定留置は11月から行われており、刑事責任能力があったかについて調査されたそうです。島津慧大の鑑定留置の期限は2019年3月15日まででしたが、鑑定結果は問題なしで刑事責任能力があると判定され、そのまま起訴される事が決定しました。

2019年7月に公判前整理手続き開始

その後の島津慧大について見て行きましょう。鑑定留置の結果起訴された島津慧大は、2019年7月から公判前整理手続きが開始され現在も続けられています。島津慧大の罪状は、強盗殺人罪、また殺人未遂など複数の罪で公判が進められているそうです。

実は島津慧大は公判前から概ねの罪を認めていたので、今回島津慧大が犯した罪の中でも最も重罪とされている強盗殺人罪にどのような判決が下されるかに注目が集まっています。強盗殺人罪は重罪として見られており、最も軽い刑でも無期懲役、最も重い刑で死刑と定められています。

島津慧大がこの強盗殺人を認めるかによって、今後の判決も大きく変わるものと見られています。また、島津慧大はこの他にも暴行罪や公務執行妨害など様々な罪を犯しているので、死刑になる可能性は十分に高いものと考えられているそうです。裁判がいつ執り行われるか、その判決内容に今後も注目が集まりそうです。

その後は島津慧大の自宅住所なども公開

島津慧大が逮捕された後、島津慧大の自宅住所もニュースなどで報じられ公開されています。島津慧大の自宅住所は、全てではないものの富山県立山町末三賀と公開されています。その後の詳しい自宅住所については公表されていませんが、家宅捜索が入った際に自宅がモザイク無しで報じられていた事で特定が進むものと考えられています。

また、ネット上では島津慧大の自宅住所は犯行現場となった交番や小学校にはあまり近くはないとされていました。なぜ島津慧大が自宅住所からあまり近くない交番や小学校に襲撃したのか、その点についても未だ疑問が残っており裁判で語られないかについて注目が集まっています。

島津慧大の姉など家族も調査

ここからは島津慧大の家族について見て行きましょう。島津慧大については、自宅住所が公表されている他家族構成についても既に判明しているようです。島津慧大は富山発砲事件の犯行前に家族にLINEを送っていた事も分かっていますが、島津慧大は家族と仲が良かったのでしょうか?

島津慧大の家族構成は両親と姉の4人家族

島津慧大の家族について調べてみると、両親と姉の4人家族である事が判明しました。島津慧大の家族については顔が判明している訳ではなく、社会的制裁が家族にまで及ぶ事を避ける為にかメディアも報じていないようです。

ちなみに、島津慧大が住んでいた自宅住所は実家のものと考えられているようです。島津慧大は自衛隊を辞めた後に実家に戻っており、母親と姉の3人で実家の自宅に住んでいたものと考えられます。なぜ島津慧大が母親と姉の3人暮らしだったのかについては、この後追ってご紹介していきます。

島津慧大の姉の情報は?

島津慧大には姉もいるようですが、姉については何か分かっているのでしょうか?島津慧大の姉について調べてみましたが、姉がいるという情報が存在しているのみで、姉の職業や年齢、姉と島津慧大の関係など姉についての詳しい情報は全く存在していませんでした。

また、詳しい情報が存在していないのは姉だけでなく母親もです。父親については少し情報が存在しているものの、母親や姉についての情報は全く存在せずいるという事のみ判明しています。これについては、前述した通り母親や父親、姉まで島津慧大の犯行のせいで社会的制裁を受けてしまう危険を回避する為と思われます。

家族は中学校PTA会長

島津慧大の母親や姉についての情報はほとんどありませんが、父親については唯一少し情報が存在しています。島津慧大の父親は厳格な人物なんだそうで、中学校のPTA会長をしているとされています。そのせいか、父親と島津慧大はあまり仲が良くなくぶつかる事もしばしばあったそうです。

また、なぜ島津慧大が母親と姉の3人で暮らしていたかについてですが、父親が特に島津慧大と仲が悪かった事から別居していたという情報が存在しています。島津慧大は両親とはあまり仲が良くなかったそうなので、唯一家族の中でも姉とだけ親しかったのではないかと推測されます。

ちなみに、島津慧大の父親はアメフト経験者の身長180㎝のかなり大柄な男性なんだそうです。父親は昔気質の人のようで、島津慧大を躾ける為に胸倉を掴む事もあったそうです。その為、島津慧大は父親と衝突するようになってしまったのではないかとも考えられます。

島津慧大の家族への暴力も

島津慧大の家族について調べていると、なんと家族に暴力をふるっていた過去があった事が判明しました。島津慧大の自宅近隣住民からの証言によると、島津慧大は中学生の頃に家族に暴力を頻繫にふるっていたそうです。

家族に暴力をふるっていたといっても軽いものではなかったそうで、毎回パトカーが出動するほどの大騒動に発展していたとの情報も存在しています。実は島津慧大は怒ると制御出来なくなる性格のようで、この性格は自衛隊時代にも治らず家族同様に暴力をふるっていた事も証言されています。

島津慧大の学生時代

ここからは島津慧大の学生時代についてご紹介していきます。過去に重罪を犯した犯罪者は生い立ちに原因があるとされていますが、島津慧大はどのような学生時代を送っていたのでしょうか?島津慧大は大学まで卒業していたとされていますが、学歴がどのようなものなのかにも注目が集まっていたようです。

そこで島津慧大の学生時代について調べてみると、過去の犯罪者とは対照的に内向的ではあるものの優秀な人物だったのではないかと感じさせられる学生時代であった事が判明しました。島津慧大の学歴についてや、学生時代の性格や所属していた部活動についてなど詳しく見て行きましょう。

島津慧大の学生時代は引きこもりがち

島津慧大の学生時代の性格について調べてみると、内向的で引きこもりがちであった事が判明しました。島津慧大は穏やかな性格だったそうで、大勢で賑やかに過ごすというよりは1人で静かに本を読んでいるような人だったそうです。また、近隣住民からの証言によると礼儀正しい挨拶のしっかり出来る子だったとされています。

しかし、穏やかではあるものの怒ると制御出来ない性格であった事は学生時代の島津慧大の周囲の人も気付いていたようです。島津慧大の中学生時代の同級生は、鬼ごっこの最中に突然キレた島津慧大に顔を殴られた事を明かしていたようです。

また、内向的な性格とは裏腹に小学生時代からかなり体格は良かった事が明らかになっていました。島津慧大は教師とさほど差がないほど成長が良く、幼い頃からかなり恵まれた男らしい体格をしていたそうです。島津慧大は元自衛隊ですが、この体格の良さを活かしたいと自衛隊に入隊したのかも知れません。

小学校時代には第14回立山町美術展ジュニア優秀賞受賞

島津慧大の小学校時代について見て行きましょう。島津慧大は小学校時代にはかなり体格が大きかったそうです。しかし物腰は柔らかく、部活動では図工クラブに所属していたそうです。2010年には第14回立山町美術展で島津慧大の作品がジュニア優秀賞を受賞していた記録も残っています。

中学時代は剣道部所属

中学に進学した島津慧大は、剣道部に所属していたそうです。暴力的な一面もこの頃から現れていたようで、同級生との鬼ごっこの最中でキレて殴りかかる、家族に暴力をふるっていたといった行動が見られています。

もちろんこの時期は反抗期と重なる為、島津慧大が後に起こした富山発砲事件に関係していたかについては明言する事が出来ません。まだまだ10代前半という事を考えると、両親だけでなく友人であっても自分の感情を制御するのは難しかった可能性も考えられます。

人間関係トラブルで退部し不登校に

しかし、島津慧大はあまり人との関わりを上手く出来るタイプではなかったようです。島津慧大は部活動での人間関係でトラブルを起こしてしまい、所属していた剣道部を退部して不登校になってしまったそうです。

その後どの程度の不登校だったかは明らかになっていませんが、島津慧大は中学校をしっかりと卒業していたようです。そして中学卒業後、島津慧大は高校に進学する事なく自衛隊に入隊したそうです。つまり、島津慧大の最終学歴は中卒で高校には進学していなかったという事になります。

島津慧大は元自衛隊

ここからは島津慧大の自衛隊時代について詳しく見て行きましょう。既に何度もご紹介していますが、島津慧大は中学卒業後に自衛隊に入隊しており、その後自衛隊を退職しているので元自衛隊として知られています。

島津慧大は自衛隊にいつ頃入隊したのか、自衛隊ではどのような部隊に所属していたのでしょうか?また、島津慧大は銃を奪う事件を発生させており、その後銃を使って1人の命も奪ってしまいます。これは自衛隊時代に銃を使用していた事が関係しているのでしょうか?それぞれ詳しく見て行きましょう。

陸上自衛隊金沢駐屯地第14普通科連隊に所属の過去

島津慧大は中学校を卒業し、2~3年ほど月日を空けて自衛隊に入隊しています。自衛隊に入隊するまでの空白の期間について気になる所ですが、島津慧大が何をしていたかについての情報は存在していないようです。そして2015年、島津慧大は陸上自衛隊に入隊し金沢駐屯地第14普通科連隊に所属する事となったのです。

自衛隊に入隊した島津慧大についてですが、あまり人とのコミュニケーションをとらない事から同じ隊に所属している自衛隊からも少し浮いた存在として知られていたそうです。しかし勤務態度については真面目だったそうで、特に取り上げるほどの素行の悪さなどは無かったとされています。

また、島津慧大は自衛隊を辞めていますが即応予備自衛官の任務に就いていた事が明らかになっています。これは自衛隊を辞めた人の中でも勤務態度が真面目で優秀な成績を収めていた人のみに与えられる任務なんだそうです。つまり、自衛隊時代の島津慧大は浮いた存在ではあるものの周囲に認められるほど真面目な人物だったという事になります。

島津慧大が自衛隊を辞めた理由についても気になりますが、どうやら任期満了に伴う退職だったと噂されています。島津慧大は特に素行に問題も無かったとされているので、任期を終えるまで職務を全うしていたのではないかと推測されます。

しかし、ネット上では現在自衛隊を辞めた理由についてはある噂が浮上しているそうです。実は島津慧大は暴力事件を自衛隊でも起こしており、暴力事件が原因で自衛隊を辞めさせられていたというのです。この噂が正しいかは定かではありませんが、あくまでこれまでの島津慧大の経歴を見ていると噂だけではないようにも感じさせられます。

そして自衛隊を辞めた島津慧大は、アルバイトをして生計を立てるようになったという流れになります。自衛隊も任期を継続する試験もあるので、なぜ試験を受けずに辞めてしまい明らかに収入が落ちてしまうアルバイトを選んだのか、その理由についても疑問が残っています。

自衛隊時代は銃との直接の関係は無し?

島津慧大は、富山発砲事件で亡くなってしまった警察官から銃を奪い、その後その銃を使用して1人の命を奪っています。この事から、島津慧大は自衛隊時代の経験があって銃を奪い犯行に及んだのではないかと世間から見られているようです。

また、島津慧大が銃を発砲する様子を捉えた事件現場周辺に停車していた車のドライブレコーダーがメディアで報じられていました。その映像からは、脇を締め正しい姿勢で発砲する島津慧大の姿が映されていたのです。この事からも、島津慧大の自衛隊時代が影響していると考えられているようです。

そこで自衛隊時代に島津慧大が銃を扱っていたかについて調べてみると、弾薬手という任務に島津慧大は就いており銃を扱っていた訳ではないという事が判明しました。自衛隊であれば誰もが銃を使用し訓練出来る訳ではないそうで、基本的な知識のみしか得ていなかった可能性が考えられます。

また、銃に詳しい人の情報によると警察官が使用している拳銃と自衛隊が訓練で使用する銃は違うとの事です。自衛隊が使用する銃は小銃と呼ばれる銃なんだそうで、警察官が所持している拳銃とは仕様が異なるとの事です。つまり、元自衛隊という過去は富山発砲事件には何も影響を与えていなかった可能性が高いのです。

ミリタリーマニアで銃への関心が高い可能性

自衛隊時代の経験が関係していないとすると、島津慧大はどこで銃の扱いを覚えたのか疑問が残ってしまいます。しかし、実は島津慧大はミリタリーマニアという事が家宅捜索の結果から判明していたのです。島津慧大の自宅からはモデルガンなどのミリタリーグッズが多数発見されており、関連書物もかなりあった事が明らかになっています。

また、ミリタリーマニアの中にはモデルガンに飽き足らずに本物を使用してみたいといった願望を秘めている人も少なくはないそうです。島津慧大は事件当時、警察官から奪った銃に入っていた銃弾全てを発砲していた事も明らかになっています。この事から、島津慧大も本物を使用したいという願望から交番襲撃に至った可能性がありそうです。

さらに、島津慧大は亡くなった警備員に2発の銃弾を打ち込んでいた事も注目されているようです。2発の銃弾は亡くなった警備員を的確に捉えていたとされており、どこでその狙撃の技術を手に入れたのかと疑問視されています。島津慧大はミリタリーマニアなので、もしかしたらモデルガンで練習を重ねていた可能性も考えられます。

島津慧大(元自衛隊)の犯行動機は銃への興味や社会への恨みが深く関係

富山発砲事件の犯人である島津慧大についてや、事件概要について詳しく見てきました。島津慧大は元自衛隊のミリタリーマニアで、以前から怒ると感情を制御出来ない人物だったようです。その結果、2018年6月26日に2人の尊い命を奪う凄惨な事件を起こしてしまったものと考えられます。

島津慧大はアルバイト先の店長に暴行を加えた後に交番を襲撃、1人の警察官の命と銃を奪いその銃で1人の命をも奪っています。まだ公判中で判決は下されていませんが、島津慧大には重い刑が課せられる事は間違いないはずです。今後裁判の結果が発表されるかと思われるので、引き続き注目をしていきましょう。

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この記事のライター
yu yamashiro
現在第2子妊娠中のマタママです。エンタメ系の記事を書いていますが、エンタメには全く興味がありませんww

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