下村早苗の生い立ちと現在!事件の判決は?【大阪2児餓死事件】

ホスト狂いになり、育児放棄の末に我が子を餓死させた下村早苗の生い立ちや大阪2児餓死事件の概要、下村早苗に対する裁判の判決や現在などを一挙まとめました。下村早苗はなぜ我が子を餓死させる母親になってしまったのでしょうか?現在の様子も見ていきましょう。

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目次

  1. 1下村早苗とは
  2. 2下村早苗の生い立ち
  3. 3下村早苗の結婚から離婚まで
  4. 4大阪2児餓死事件の概要
  5. 5下村早苗への裁判の判決
  6. 6大阪2児餓死事件のその後
  7. 7下村早苗は幼い2つの命を奪った凶悪な母親

下村早苗とは

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親から子供への虐待というニュースは後を絶たず、中には幼い子供の命が失われている事件もあります。そんな虐待事件の中でも、2010年に大阪で起きた子供の餓死事件は忘れてはならない事件の一つとして、事件発覚から約9年が経過した現在でも語り継がれています。

その事件の犯人こそが、下村早苗なのです。では、下村早苗の起こした餓死事件とは一体どのような内容だったのでしょうか?事件の内容だけでなく、下村早苗の生い立ちや事件の判決などに迫っていきましょう。

大阪2児餓死事件の犯人

下村早苗は2児の母として育児に奮闘していましたが、途中から子供の育児を放棄するようになり、最終的に2人の子供を餓死させています。この事件は「大阪2児餓死事件」などと呼ばれ、子供の死因が餓死であることや、犯人の下村早苗の育児放棄の酷さに注目が集まりました。

下村早苗の生い立ち

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女性は子供を身ごもると母性本能が芽生え、男性よりも先に子供に対する愛情を感じるようになると言われています。しかし、下村早苗はかけがえのない存在だった2人の子供の育児を放棄し、最終的に餓死させています。

特に同性の女性からすると、下村早苗がどのように生きてきて、なぜ育児放棄をするようになったのか気になるのではないでしょうか?そこで、大阪2児餓死事件の内容に迫る前に、下村早苗の生い立ちや学生時代のエピソードを見ていきましょう。

父親は有名な下村大介

下村早苗は大阪2児餓死事件の犯人とはいえ一般人ですので、家族の名前や職業は明らかにならないはずです。しかし、下村早苗の父親はラグビーの指導者として有名で、過去に何度かメディアにも姿を現したことがありました。そのため、大阪2児餓死事件が発覚するや否や、下村早苗の父親が「下村大介」であることが判明しています。

下村早苗の生い立ちを見ていく前に、まずは簡単に父親の経歴を見ていきましょう。下村早苗の父親・下村大介は1960年10月20日生まれで、三重県立四日市農芸高校の保健体育科教諭として31年間勤めていました。下村大介自身はラグビー未経験だったようですが、同校のラグビー部の監督を長年務めていたことで知られています。

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三重県立四日市農芸高校のラグビー部は全国高校ラグビー大会に多数の出場経験がある強豪校で、その監督を務める下村大介はテレビ番組の取材を受けた経験もあるようです。下村大介はいわゆる”熱血教師”だったようで、生徒や教師陣から信頼される存在だったと言われています。

しかし、下村大介はラグビーや学校のことが最優先だったようで、家庭内の状況は複雑だったようです。そのため、娘・下村早苗が子供の育児放棄をして餓死させたのも、育ってきた家庭環境が少なからず関係しているのではないか、という見方もあります。

小学校低学年の時に両親が離婚

下村早苗の両親は、下村早苗が小学校低学年の時に離婚しています。離婚原因は父親のDVという説と、母親の育児放棄という説があるようですが、どちらかというと母親の育児放棄が原因だという見方が強くなっているようです。

下村早苗の母親は夫がラグビー部の合宿などで不在の時、自宅に不倫相手の男性を連れ込んでいたと言われています。下村早苗の両親は離婚前に別居をしていたようで、3姉妹は母親と同居するようになったそうです。しかし、別居後も母親は子供と向き合わず、育児放棄を続けたそうです。

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夜になっても母親が帰ってこないという日も多く、下村早苗ら3姉妹は父親に「お母さんが帰ってこない」などと電話をすることもあったのだとか。

下村早苗の母親は育児放棄していただけでなく、家の掃除も全くしておらず、家の中は常に散らかった状態だったとも言われています。そして母親は下村早苗ら3姉妹を置いて出て行き、両親は離婚したのです。

父親の下村大介に引き取られる

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下村早苗の両親が離婚したのは下村早苗が7歳の頃と言われていますので、下村早苗は小学1年生になる前には既に母親の育児放棄と両親の別居を経験しているようです。そして両親の離婚後、3姉妹は父親・下村大介に引き取られています。一説では、下村早苗は母親の事を嫌っていたと言われています。

離婚後しばらくは3姉妹と父親の4人で生活していましたが、下村早苗が小学3年生の時に父親が再婚しています。下村早苗ら3姉妹の義母となった父親の再婚相手には連れ子が居て、父親の再婚と同時に連れ子との同居もスタートしたのです。

再婚相手にも育児放棄される

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父親の再婚相手は自分の子供ばかり可愛がっていたほか、自分の子供には高い服を買い与える一方、下村早苗ら3姉妹には安い服しか買わないなど、自分の子供と下村早苗ら3姉妹に対して明らかな差別をしていたそうです。

他にも再婚相手も育児放棄気味で、下村早苗は家庭に居場所が無く義母の事を嫌っていたと言われています。そして、下村早苗の父親・下村大介は再婚してから3年後には2度目の離婚をしています。このように、実の母親から育児放棄をされて育った下村早苗は、父親の再婚相手からも愛情を与えられず育っているのです。

中学で不良グループとつるむ

実母と父親の再婚相手が育児放棄していた上、父親もラグビー部の監督業や仕事を優先して家庭を省みていなかったため、下村早苗が妹2人の世話をしていたそうです。

しかし、両親の離婚や実母からの育児放棄、義母からの差別などを経験して育った下村早苗は、中学校に入学すると非行に走るようになり不良グループとつるむようになっています。

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中学生になった下村早苗は学校に行かない日が多くなったほか、髪を茶色に染めて夜遊びを繰り返したり、男関係も派手になっていたそうです。そして何度も家出をし、夜の街で補導をされることもあったのだとか。

この頃、父親・下村大介と交流のあった福澤朗さんが、中学生で非行に走っていた下村早苗に対し、遊んでいないで家に帰るよう説得したこともあったそうです。

家出をして援助交際で稼ぐ

中学生から非行に走るようになった下村早苗ですが、その頃に複数の男性から暴行を受けた経験があると言われています。そんな非常事態にも関わらず、下村早苗は父親には相談できず、担任の先生が下村早苗の妊娠の有無の確認を手助けしたそうです。

夜になると繁華街に繰り出し、仲間とカラオケへ行ったり遊びまわっていた当時の下村早苗ですが、家出をした際は援助交際をしてお金を稼いでいたそうです。こういったエピソードからは、下村早苗の父親・下村大介がいかに家族に目を向けていなかったのかが分かるでしょう。

高校卒業後に割烹店に就職

中学生時代は家出や援助交際を繰り返していた下村早苗ですが、関東の私立高校に進学すると生活が落ち着くようになり、以前とは打って変わって非行に走る様子も見られなくなっていたそうです。しかし、これは父親が下村早苗に向き合った結果ではありません。

父親・下村大介は非行に走った下村早苗の面倒を見れなくなり、知人に娘を預けて高校に進学させたのです。その知人宅で久しぶりに温かな優しさを感じたことで、当時の下村早苗は段々と落ち着きを見せるようになったと言われています。

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その後、関東の私立高校を卒業した下村早苗は地元に戻り、下宿先で身に付けた礼儀作法や家事を活かすため、地元の割烹店に就職しています。そして、下村早苗は就職先の割烹店で結婚相手と出会ったのです。

下村早苗の結婚から離婚まで

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地元の割烹店に就職後、下村早苗は就職先の割烹店である男性と知り合って結婚していますので、一見すると幸せな人生を歩み始めているように思えるでしょう。

しかし、下村早苗は子供2人を育児放棄の末に餓死させています。では、なぜ下村早苗は自分の子供2人を餓死させるような母親になってしまったのでしょうか?そこで、続いては下村早苗の結婚から離婚までの過程を見ていきましょう。

当時大学生の羽木直樹と結婚し出産

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下村早苗の結婚相手は、就職先の割烹店に客として訪れていた、当時大学生の羽木直樹です。2006年5月頃に出会った2人は、出会いから約7ヵ月後の同年12月に結婚しています。

結婚後の下村早苗は羽木直樹の実家に住み、羽木直樹の両親と同居していたようです。当時の下村早苗は結婚相手・羽木直樹だけでなく義両親との関係も良好で、結婚生活は順調だったそうです。そして、下村早苗は20歳になったばかりの2007年5月に長女を出産しています。

できちゃった婚だった

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出会いから約7ヶ月というスピード結婚をした下村早苗と羽木直樹でしたが、下村早苗の妊娠発覚を機に入籍をした”できちゃった結婚”だったようです。交際時は大学生だった羽木直樹ですが、結婚を機に大学を中退して就職しています。

幸せな生活をブログに綴る

長女を出産した下村早苗は、夫や義両親、行政などのサポートを受けながら子育てに奮闘し、周囲からは”理想の子育て”と称されることもあったそうです。他に、下村早苗は長女に対する愛情がうかがえる内容や、結婚生活などの幸せエピソードをブログに綴っていました。

2人目の出産を契機に崩壊

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夫や長女、優しい義両親に囲まれて幸せな生活を送っていた下村早苗でしたが、2人目の妊娠・出産を機に生活が崩壊したと言われています。2007年5月、20歳で長女を出産した下村早苗は、2008年10月に長男を出産しています。

当時、人間関係に悩んでいたという下村早苗は、長男を出産した頃から古い友人との付き合いを再開し、子供を置いて夜遊びを繰り返すようになってしまったのです。

不倫が発覚し離婚へ

中学生時代の家出と同様、嫌なことから目をそらすかのように、子供を置いて遊びまわるようになってしまった下村早苗。長女を出産した頃は離乳食を手作りするなど育児に奮闘していましたが、長男を出産後に夜遊びをするようになってからしばらくすると、下村早苗は不倫をするようになってしまったそうです。

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「友達に会ってくる」と夫に言い残して外出した下村早苗の行き先は、不倫相手の自宅が多かったようです。その後、不倫が夫・羽木直樹や義両親に知られ、夫が下村早苗に離婚を言い渡す事態に。2006年12月に結婚した下村早苗と羽木直樹でしたが、下村早苗の不倫が原因で2009年5月に離婚し、長女と長男は下村早苗が引き取っています。

キャバクラで働くも貧困な生活

自身の不倫が原因で離婚した下村早苗は、特に優れた学歴やキャリアが無い上、2人の子供を抱えた状況だったため、安定した良い職には就けませんでした。そして、最終的に下村早苗はキャバクラなど夜の仕事で働くようになります。

昼間は子育てをし、時には公園に子供を連れて行き、夜になるとキャバクラに出勤する、といった日々を過ごしていた下村早苗でしたが、生活は困窮していたといいます。

さらに、下村早苗は父親と関係が悪かっただけでなく、実母も再婚して新しい生活を送っていたため、頼れる人が誰一人居なかったそうです。そのため、子供を親に預かってもらって働くということが出来ず、段々と孤立感を深めていってしまったのです。

元夫から養育費を貰えず

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下村早苗と元夫・羽木直樹の離婚理由は、下村早苗の夜遊びや不倫だけでなく、下村早苗の消費者金融からの借金も挙げられています。下村早苗にも言い分はあったことが考えられますが、子供を置いて他の男の元へ出かけるなど、下村早苗に非があったことは明らかであり、こういった理由から元夫から養育費を貰うことは出来なかったようです。

大阪2児餓死事件の概要

親からの愛情を知らないまま育ったものの、一時期は幸せな家庭を築けていた下村早苗。しかし、生い立ちも関係してか、自らの過ちによって幸せだったはずの家庭が崩壊し、遂には大阪2児餓死事件が起きてしまっています。

ここまで下村早苗の生い立ちや結婚と離婚までの経緯を見てきましたが、続いては幼い子供2人の命が失われた、大阪2児餓死事件の概要を見ていきましょう。お金に困り、誰も頼れなかった下村早苗ですが、なぜ自分の子供を餓死させるまでに至ってしまったのでしょうか?

子供を放置して遊びまわる日々

元夫と離婚した後の下村早苗は大阪市西区にある風俗店で働くようになり、店が用意していたマンションの一室に子供と住むようになりました。そして、この頃から下村早苗は”子供なんか居なければ良かった”と思うようになり、育児放棄をするようになったようです。

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そんな下村早苗は、子供2人を放置して不特定多数の男性と遊びまわるように。育児放棄を始めた最初の頃は数日後に帰宅していた下村早苗でしたが、次第に帰らない日数が長くなっていっただけでなく、ガムテープなどを使って子供が部屋の外に出ないように細工し、閉じ込めたそうです。

さらに、気温が上昇し始める時期だったのにも関わらず、部屋の冷房を消した状態のまま2人の子供を長期間放置するようになったのです。

マンションの住民から通報

下村早苗と同じマンションに住んでいた住民の中には、子供たちが餓死する前に下村早苗宅の異変を感じ、虐待の恐れがあると何度か通報していた方も居たそうです。子供たちの泣きじゃくる声だけでなく、生ゴミが腐ったような悪臭も部屋から漂っていたようで、苦情を寄せる住民も居たと言われています。

そういった通報を受け、大阪市の子供相談センターは部屋の中の状況や子供たちの様子を伺うために、下村早苗宅に何度か訪れています。しかし、下村早苗は不在もしくは居留守を使い、面会することは出来なかったそうです。

ホストに貢ぎ家出する

下村早苗は2人の子供を2ヶ月近く放置し、餓死させています。不特定多数の男性と遊びまわっていた当時の下村早苗は、ホストクラブに勤める男性に心を奪われており、風俗店で稼いだお金のほとんどをホストに貢いでいたそうです。

大阪2児餓死事件発覚後の取調べで下村早苗はホストに貢いでいたことに関し、「早くに結婚して出産したので、もっと遊びたくなってしまった」といった主旨の供述をしています。下村早苗は複数のホストと関係を持っていたこともあったようで、ホストクラブをハシゴする日もあったといいます。

2人の幼い子供は部屋から出られないだけでなく、何も食べるものが無い状況で母親の帰りを待っていたのです。しかし、下村早苗本人は子供たちよりも意中のホストへ関心を寄せていました。お金に困っていたという下村早苗ですが、ホストに貢ぐお金を子供たちに使えたはずです。

ホスト遊びが悪いわけではありませんが、下村早苗が起こした大阪2児餓死事件を知った人々からは、”ホスト狂いの母親”といったレッテルを貼られています。

同僚男性が遺体を発見し通報

貢いでいたホストの家を転々としていた下村早苗でしたが、家出から約50日後の2010年7月29日にお店の上司から「部屋から異臭がする」と連絡を受け、帰宅しています。そこで、餓死をした我が子の遺体を発見したのです。しかし、下村早苗はすぐに通報することはなく、連絡をしてきた店に対して「部屋に入らないで欲しい」と伝えています。

そんな下村早苗の様子がおかしいと感じた店側は、下村早苗の同僚に部屋の様子を見に行くよう依頼。そして、同僚が下村早苗の部屋に入ったところ、2人の子供の遺体を発見しています。その後、下村早苗ではなく遺体を発見した同僚が警察に通報しています。

子供の遺体を見ても遊んでいた?

店から連絡を受け帰宅したところ、我が子の遺体を発見した下村早苗。しかし、下村早苗は自ら通報しなかっただけではなく、遺体を放置したまま交際相手のホストと遊びに出かけ、ホテルに宿泊しています。さらに、遺体発見当日にもSNSを更新していました。

自分の力だけでは生きていけない幼い子供たちを放置して餓死させただけではなく、遺体を発見後も交際相手のホストと遊んでいた下村早苗に対し、世間からは厳しい声が寄せられました。

下村早苗を逮捕

勤務先の同僚が通報した翌日である2010年7月30日に、下村早苗は逮捕されています。警察が下村早苗の部屋を捜索したところ、部屋は足の踏み場がないほどゴミが散乱していたほか、使用済みのオムツが放置されていたり、冷蔵庫の中は空っぽだったことが分かっています。

下村早苗への裁判の判決

2010年7月30日に下村早苗が逮捕され、育児放棄の末に2人の子供が餓死したというニュースが報じられると、世間からは驚きの声や怒りの声、幼い子供たちに同情する声などが寄せられました。逮捕後の下村早苗は裁判にかけられています。

大阪2児餓死事件を起こした下村早苗に対し、裁判でどんな判決が下ったのか気になる方も多いのではないでしょうか?そこで続いては、逮捕後の下村早苗に対する裁判の内容や、下された判決内容を見ていきましょう。

下村早苗は殺人罪で起訴

逮捕後の下村早苗は裁判前に精神鑑定を受けています。その結果、下村早苗は刑事責任能力があると判断され、大阪地検によって殺人罪で起訴されています。

幼い子供を放置した末に餓死させ、その遺体を放置していた下村早苗には死体遺棄容疑もかけられていましたが、こちらは不起訴処分という結果が出ています。

懲役30年の実刑判決

検察側は、下村早苗が最後に家を出る時、幼い子供が居るのにも関わらず冷蔵庫の中に食料を置いておかなかったこと、子供が弱っていく姿を見て見ぬふりをしていたことなどから、下村早苗には殺意があったと主張し、無期懲役を求刑しています。

それに対し、下村早苗の弁護側は下村早苗自身も育児放棄を受けて育ったことが事件に関係していること、子供を殺害するつもりはなかったことを述べ、殺人罪ではなく保護責任者遺棄致死罪ではないか、と主張。

そして、大阪地裁は下村早苗の逮捕から約1年半後の2012年3月16日、下村早苗に対して懲役30年の実刑判決を下しています。この判決を聞いた下村早苗側は控訴していますが、同年12月5日に大阪高裁も一審判決を支持し、控訴を棄却しています。そして2013年3月、最初に下された判決通り、懲役30年の実刑が確定しています。

判決を聞いた下村早苗に笑顔?

当初、検察側が無期懲役を求刑してきたからか、懲役30年という判決を聞いた下村早苗は「良かった」と言いながら笑顔を見せたとも言われています。しかし、これはあくまでも噂であり、判決を聞いた後に下村早苗が笑顔を見せたのか真相は不明です。

大阪2児餓死事件のその後

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ホスト狂いになり、幼い子供たちを放置した末に餓死させた下村早苗。懲役30年という判決が下されていますが、現在はどのように過ごしているのでしょうか?大阪2児餓死事件のその後を見ていきましょう。

下村早苗は現在も服役中

2013年3月に懲役30年が確定した下村早苗は現在、和歌山県内の拘置所に服役中と言われています。下村早苗は裁判中、「今でも子供たちを愛している」と発言し、現在も事件を反省するような素振りを見せているようです。

中村早苗に姓を変える

下村早苗は刑務所内で知り合った女性と養子縁組をして、「下村」という姓から「中村」という姓に変えたと言われています。これは、下村早苗が実父と実母と関係が悪いことが関係しているようです。

事件の起きたマンションの現在は?

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大阪2児餓死事件が起きた後は、マンション住民による「桜楓会(おうふうかい)」と呼ばれる住民会が開かれ、”住民同士困った時は助け合おう”という流れになったようです。しかし、その後マンション住民はほとんどが出て行ってしまい、現在はほとんど人が住んでいない状況と言われています。

下村早苗は幼い2つの命を奪った凶悪な母親

今回は、育児放棄をし我が子を餓死させた下村早苗にスポットを当て、下村早苗の生い立ちや結婚と離婚まで、大阪2児餓死事件の概要や裁判の判決などをご紹介しました。

ホスト狂いになり、稼ぎのほとんどを交際関係にあったというホストに貢いでいた下村早苗。自分も育児放棄をされていたからといって、同じことを繰り返してはいけません。幼い2つの命を奪った母親・下村早苗が起こした大阪2児餓死事件を忘れないようにしましょう。

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