【昭和の脱獄王】白鳥由栄とは!生い立ちや脱獄方法などまとめ!特殊能力も?

「昭和の脱獄王」、白鳥由栄。一見女性のような名前ですが男性で、驚くべきことに4度もの脱獄を果たしています。白鳥由栄の生い立ちやその最期、子供についても調査。4度にもわたって脱獄出来た白鳥由栄には何か特別な能力があったのかどうかについても紹介します。

【昭和の脱獄王】白鳥由栄とは!生い立ちや脱獄方法などまとめ!特殊能力も?のイメージ

目次

  1. 1白鳥由栄とは
  2. 2白鳥由栄の生い立ちや経歴
  3. 3白鳥由栄の刑務所脱獄事件について
  4. 4白鳥由栄の脱獄方法
  5. 5白鳥由栄の特殊能力とは
  6. 6白鳥由栄の脱獄理由やその後は?
  7. 7白鳥由栄は昭和の刑務所脱獄王

白鳥由栄とは

白鳥由栄はその生涯において4度もの脱獄を成功させた脱獄王です。1907年に青森県に生まれましたがその生い立ちは厳しいものでした。実の両親と幼くして離れ離れとなったのです。それでも結婚し子も生しましたが、その後強盗殺人により収監されることになります。

白鳥由栄のプロフィール

・愛称:一世を優美した男、脱獄王
・本名:白鳥由栄
・生年月日:1907年7月31日~1979年2月24日
・年齢:享年79歳
・出身地:青森県
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:脱獄
・所属グループ:なし
・事務所:なし
・家族構成:離婚歴あり、子供が一人

昭和の脱獄王として知られる白鳥由栄

「昭和の脱獄王」とまで呼ばれた白鳥由栄ですが生い立ちなど知らないことは多いのではないのでしょうか?ですが、あの漫画の登場人物のモデルとなっていたり、映画や漫画で見かける脱獄法で実際に脱獄していたりと現代にも白鳥由栄の影を見ることが出来ます。例えば漫画「ゴールデンカムイ」に登場する白石由竹、彼のモデルはこの白鳥由栄だそうです。

たしかに名前だけでも白鳥由栄との類似点が多くみられます。また、白鳥由栄は網走監獄に収容されていたことがあるのですが、ゴールデンカムイのメインとなる舞台も北海道、そして網走監獄も登場します。極めつけに白石由竹も脱獄王です。コミカルなキャラクターですが、作中では何度も脱獄王たる能力を発揮しています。

「世界仰天ニュース」でも話題に

漫画のモデルに据えられるほどの白鳥由栄ですから当然テレビでも取り上げられています。中居正広さんと笑福亭鶴瓶さんがMCを務めているこの人気番組でも紹介され、白鳥由栄の脱獄時におけるいくつかのエピソードを基にした再現VTRが放送されていました。

白鳥由栄の生い立ちや経歴

四度もの脱獄を成功させた白鳥由栄ですが、彼の生い立ちはどのようなものだったのでしょう?また、彼が最初に刑務所に収監されることになった事件はどのような事件だったのでしょうか?

さらに、白鳥由栄を脱獄に駆り立てるような理由が周囲にあったのでしょうか?白鳥由栄の生い立ちやその経歴について調べてみました。

生い立ち①父親は病死で母親は再婚

白鳥由栄は1907年7月31日に三人姉弟の二番目の子供として青森県に生まれました。ですが、彼がまだまだ子供である3歳のとき父親が病気で亡くなってしまいます。それを境に生活が苦しくなり、母親はすぐ再婚、ここから彼の生い立ちは最期まで厳しくなっていきます。

生い立ち②子供の頃に叔母に引き取られる

再婚した母でしたがまだ赤子ほどだった弟のみを再婚先へと連れて行ってしまい、白鳥由栄と姉は青森で豆腐屋を営む叔母に引き取られました。子供ながらにして両親と離れることになった白鳥由栄でしたが、豆腐屋の手伝いをしながら叔母の下で子供時代を過ごしました。

白鳥由栄には姉がいる

子供のころ白鳥由栄と叔母の下へ引き取られた三歳年上の姉ですが、彼女の情報はそう多くありません。どうやら白鳥由栄と共に叔母のところで子供時代を過ごしていたそうなのですが、彼が亡くなった際にも現れることは無く、その後交流は無かったのではと思われます。

その後は年齢18歳で蟹工船の漁夫となる

辛い生い立ちを過ごしたものの、子供ながら叔母の下豆腐屋の手伝いをしていた白鳥由栄でしたが、18歳になると彼は蟹工船に漁夫として乗り込みました。蟹工船と言えば過酷な労働環境で知られ、その過酷さを描いた小林多喜二による小説は二度も映画化されています。

22歳で結婚するも離婚

辛い生い立ちもありましたが22歳のとき白鳥由栄は一人の女性と結婚し、魚屋を始めることになりました。しかし当時は世界恐慌の真っ只中でした。仕事が上手くいかないこともあってか白鳥由栄の行いは徐々に悪化、最終的に離婚へと至ってしまいました。

結婚した嫁との間に子供は?

白鳥由栄 子供 長女

出典: https://www.irasutoya.com/

どうやらこの結婚のとき、白鳥夫婦は子供を一人設けていたようです。しかし、女の子だったという以外の詳しい情報は無く、白鳥由栄が亡くなった際に遺骨の引き取りなどにも現れなかったそうですので、離婚後は子供とほぼ絶縁状態だったのではないかと思われます。

いずれ窃盗事件や賭博で留置場へ

家庭を持ち子供にも恵まれた白鳥由栄でしたが、生活の苦しさが理由か蟹工船で覚えた博打、さらには窃盗などにも手を染めていきました。当然白鳥由栄は何度も留置所に入れられたそうなのですが、その度にいつの間にやら留置所を抜け出してしまいました。

1933年に強盗殺人事件を起こし逮捕

そんな白鳥由栄でしたが、1933年に起きた強盗殺人事件に関わったとして1935年に逮捕、その後まもなく自供し、青森刑務所へと移されました。実はこの時、既に白鳥は複数回にわたる土蔵破りにより逮捕されていました。現代風に言いますと金庫破りということになります。

白鳥由栄の刑務所脱獄事件について

白鳥由栄 脱獄

出典: https://www.irasutoya.com/

強盗殺人事件により青森刑務所に収監されることになった白鳥由栄でしたが、その後見事脱獄してしまいました。彼はその人生の中で四度にわたって脱獄を成功させましたが、その全てがそれぞれ別の刑務所からでした。いったいどんな手口を使ったというのでしょうか?

最初の脱獄事件①青森刑務所

白鳥由栄の最初の脱獄の舞台となったのはこの青森刑務所でした。囚人とはいえど白鳥由栄に対する扱いはあまりに劣悪だったそうで、彼は何度も環境の改善を訴えたそうなのですが、看守たちに聞き入れられることは無かったそうです。そのような理由からか白鳥由栄は脱獄を決意し、行動を開始しました。

まず手始めに白鳥由栄は鍵を作ることから始めました。風呂上がりのふやけた手を使いカギ穴の形を少しずつ記録、看守の隙を見て手に入れた針金をそれに合わせて加工していきました。さらに看守たちの巡視を観察した白鳥は、脱獄に最適なタイミングを見つけ出しました。そうして白鳥は自作した鍵を用い青森刑務所からの脱獄を果たしたのです。

脱獄2日後に発見

白鳥由栄がご丁寧にも布団にふくらみを残していったのもあり、彼が脱獄した午前0時から5時間以上が経過した午前5時半ごろ、ようやく脱獄が発覚しました。まんまと脱獄を果たし、さらにはその発覚まで遅らせた白鳥由栄でしたが、警察による人海戦術の前にあっけなく2日で御用となってしまいました。

1936年の6月、脱獄を達成したもののわずか2日の逃亡劇となった白鳥由栄でしたが、彼の脱獄理由は判決がなかなか出ず刑務所での生活に飽きた、という衝撃的なものでした。事実、当時白鳥由栄が関与したとされた強盗殺人事件に関する判決には時間を要していました。しかしそんな白鳥由栄の言葉に応えてか、その後無期懲役という判決が下りました。

2度目の脱獄事件②秋田刑務所

事件の判決を受けた白鳥由栄は、いくつかの刑務所で平穏に過ごしていました。しかし、最初の脱獄を果たしてから5年後の1941年、秋田刑務所へ移されまたも不当な扱いを受けるようになりました。そうしてまたも白鳥由栄は脱獄を決意します。しかし、天井の明り取りを除いて独房の中には小窓さえありませんでした。

絶望的状況でしたが、白鳥由栄は身体能力と知恵を活かして、部屋の隅を利用し高さ3mほどの明り取りまで登ってしまいました。しかし、まだ格子があります。そこで、明り取りの周囲にあった鉄くずなどからノコギリを作り、物音が紛れる時間を狙っては切り進めていきました。そうして1942年6月の嵐の日、とうとう二度目の脱獄をしてしまいました。

脱獄3ヶ月後に自首

苦労して秋田刑務所からの脱獄を果たした白鳥由栄でしたが、3ヶ月後、ある男に付き添われて自首のため東京の小菅刑務所に姿を見せました。白鳥由栄は秋田刑務所での自身への扱いに抗議をしたかったそうで、脱獄はそのためのものでした。東京に現れたのは以前収監されていた小菅刑務所で自らを人道的に扱ってくれた看守を頼ったためだそうです。

そのようなことから信用していた看守に付き添われ、白鳥由栄は自ら逃亡生活を終わらせました。ちなみに、白鳥由栄が自首のために現れたこの小菅刑務所ですが、一部移築が移築され、その跡地に現在の東京拘置所が建てられているそうです。東京に行かれる際には立ち寄ってみるのもいいかもしれません。

3度目の脱獄事件③網走刑務所

環境改善を訴え脱獄を遂行した白鳥由栄でしたが、彼の意に反してこの網走刑務所でも彼への扱いはひどいものでした。両手首への手かせだけではなく、さらに両足首にまで足かせをかけられたのです。そのうえ基本的にそれらのかせをかけたままにされていたそうで、立つことも難しい状態でした。ですが、自慢の怪力で何度か手かせを壊していたそうです。

そのことから手かせはさらに頑丈なものになりました。1年ほどこのような状況だったようですが、その後足かせは外されたそうです。ここから希望が生まれました。手かせと格子は当然金属製です。そこに目を付けた白鳥由栄は食事の味噌汁を少しずつ吹きかけ、徐々に錆びさせていきました。長い時間がかかりましたが、そうしてついに脱獄してしまいます。

殺人事件を起こし再逮捕

これまでの脱獄では比較的平穏に戻ってきた白鳥由栄でしたが、3回目のこの時は違いました。逃亡中に殺人事件を起こしてしまったのです。網走刑務所を脱獄した白鳥はその後2年ほど山の中で過ごしていたそうなのですが、ある時札幌へと向かったそうです。その道中畑で盗みを働いた彼は所有者に見つかりもめ事に、その拍子に刺殺してしまったようです。

白鳥由栄は正当防衛であることや畑盗みなどそもそもしていないと訴えたそうなのですが、その言葉が届くことはありませんでした。逃亡犯ということもあったでしょうか、白鳥由栄は有罪となり死刑判決が言い渡されました。そうして白鳥由栄は最後の脱獄の舞台となる札幌刑務所へと送られることとなりました。

最後の脱獄事件④札幌刑務所

殺人事件の判決が下される際、白鳥由栄は自身への扱いが劣悪なものならばまた脱獄すると言い残したと言います。そんな白鳥由栄に対し、札幌刑務所が用意したのは24時間体制の監視と対白鳥のために特別に補強された房でした。尋常ではない能力を持つ彼でも今度こそ脱獄など不可能なのではないか、それほど厳重な警備でしたが白鳥由栄は諦めませんでした。

まず彼は少しでも可能性のありそうな場所を探し始めました。すると、床の下はどうやら土になっているようでした。そこに目を付けた白鳥由栄は、またしても鉄くずなどからノコギリを作ってしまいました。そうして、看守に気づかれることのないよう少しずつ床を切断、床下に出た白鳥は手と食器で土を掘り進めとうとう最後の脱獄を果たしてしまいました。

市街地で警察官に職務質問を受け自首

脱獄不可能かと思われた札幌刑務所さえも脱獄してしまった白鳥由栄は、その後1年近く逃亡生活を続けたといいます。そんな白鳥由栄でしたがある日、町中に姿を見せそこで職務質問を受けたそうです。その際、白鳥由栄がなんとなくタバコを一本くれないかといったところこの警官はそれに応えてくれました。

そのことに恩義を感じた白鳥由栄は、警官に対して自分は脱獄犯の白鳥由栄だと自供を始めました。当然警官は驚いたそうなのですが、白鳥由栄はそのまま連行されていったそうです。死刑判決が下されていた白鳥でしたが、この後の裁判で殺害の意図は無かったとされ、懲役20年が言い渡されました。こうして彼の計3年に及ぶ逃亡生活は終わりを告げました。

白鳥由栄の脱獄方法

白鳥由栄の驚くべき脱獄方法についてご紹介してきましたがいかがだったでしょうか。こちらでは彼の四度の脱獄それぞれから、特筆すべきと感じた一部を改めて詳しくご紹介していきたいと思います。

最初の脱獄方法「針金で鍵を作成」

針金で鍵を開けると言えば、まず思い当たるのはピッキングではないでしょうか。しかし、青森刑務所における白鳥由栄はまさしく針金から鍵を作ったそうです。ピッキングではなかったためか、廊下といった房以外の鍵も信じられないスピードで開けてしまったそうです。

2番目の脱獄方法「自作ノコギリ使用」

二度目となる秋田刑務所と最後の札幌刑務所で登場した自作ノコギリも忘れてはいけません。「刑務所内の乏しい物資から脱獄のための道具を作る」なんてシーンは脱獄をテーマにした作品ではおなじみのものです。しかし彼は現実にそれを成し遂げ、秋田刑務所では明り取り周辺にあったブリキのかけらと釘をノコギリに変えて見せました。

札幌刑務所でも刑務所内で釘となんらかの金属片を手に入れたようで、それをノコギリへと変貌させました。元はただの金属片ですのでもちろん切れ味は悪かったでしょう。当然何を切るにも時間を要したと思われますが、それでも白鳥由栄が脱獄しおおせたということは、彼の忍耐力と用心深さが人並外れていたということを証明するものといえるのかもしれません。

3番目の脱獄方法「味噌汁」

これも今なお多くの創作物で採用されている脱獄手段でしょう。味噌汁ではないにしろ塩分濃度の高い液体で金属部分を腐食させ、もろくなったところを壊すといった具合です。ではこれはどうして起こるのでしょうか?普段の生活の中でも「塩水は金属を錆びさせる」、「海の近くは自転車が錆びやすい」といったことをしばし耳にするかと思います。

これらのことは科学的にも証明されており、塩が大気中の水を集める特徴を持つことや、塩水が電気を通しやすいということが関わっています。電気を通しやすいというのは実感する場面に出会うことは難しいかもしれませんが、水を集めるというのは料理をした際など思い当たる方も多いのではないでしょうか?

最後の脱獄方法「トンネルを掘る」

最後もおなじみの脱獄手段です。もちろん手は傷みますし、トンネルの先がどうなっているのかもわかりません。ですが現実に白鳥由栄は自らの手と食器を用いてトンネルを掘り、最後には札幌刑務所を脱獄してしまいました。このことも彼の屈強な精神力を示すものでしょう。

白鳥由栄の特殊能力とは

脱獄のため何度となくとんでもないアイデアを形にしてきた白鳥由栄ですが、それを可能にしたのは彼の人並外れた身体能力があったからこそです。こちらでは、もはや特殊能力と呼んでも差し支えの無い白鳥由栄の身体能力についてご紹介していきます。

特殊能力①関節を外す

どれほどの幅の隙間を通ることができるのか、これは脱獄に限らずどこかから抜け出す際には重要なポイントになるでしょう。「脱獄王」白鳥由栄は常人には考えられないような狭い隙間も通り抜けることが出来たそうです。それを可能にしたのがこの自らの「関節を外す」という特殊能力でした。

白鳥由栄の間接周りはどうやらかなり特殊だったようで、意図的に脱臼させることで狭い隙間を通り抜けてしまうことが出来たようです。当然脱獄の際には重宝していたようで、彼が小さな窓などから逃げおおせることが出来たのはこの特異体質があってこそでした。おそらく人並外れた関節可動域を持っていたのでしょう。

特殊能力②強い脚

白鳥由栄は高い身体能力を持っていましたが、その中でも特に脚力への自信は強かったようです。逃亡生活に活かされたのはもちろんですが、脱獄の際にも存分にこの能力を発揮、秋田刑務所での部屋の角を用いた壁のぼりはこの脚力によるところも大きかったでしょう。

特殊能力③手錠も破壊する腕力

最後は驚異的な腕力についてです。白鳥由栄は手錠さえも破壊してしまったと言いますから驚きです。この腕力があったからこそ、自作ノコギリを作ったり、味噌汁で錆びていたとはいえ金属製の格子や特別製の手錠を破壊してしまったりということが出来たのでしょう。

白鳥由栄の脱獄理由やその後は?

白鳥由栄 脱獄 その後

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自らの扱いに対するひとつの対抗手段として脱獄という方法を何度か取っている白鳥由栄ですが、なぜ彼に対する当時の扱いはそのようなものだったのか、懲役20年が言い渡された彼はその後どうしたのか、といったことなどについても調べてみました。

白鳥由栄は夏を選んで脱獄

青森・秋田では6月、網走では8月、最後の札幌では3月と白鳥由栄の脱獄時期は暖かい時期に集中しています。これは脱獄場所が北国ばかりというのも関係しているでしょう。また、冬になると山の葉などが落ちてしまい隠れづらくなるというのも理由でしょう。

白鳥由栄の脱獄理由とは

白鳥由栄 脱獄

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不当な扱いに対する抗議という意味もしばしあった白鳥由栄の脱獄理由ですが、彼をそう決心させるに至った背景には何があったのでしょうか。当時の刑務所側の事情なども含めて調べてみました。

脱獄理由①看守の対応

看守の対応の悪さなども脱獄理由に挙げていた白鳥由栄ですが、では彼らがそのような態度をとった理由は何だったのでしょうか?一つの理由として当時の刑務所では脱獄が起きた場合、その時間を担当していた看守に懲戒処分が科されていたということが考えられます。当然、看守たちの白鳥由栄に向ける目は厳しいものとなります。

白鳥由栄 脱獄 理由

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ちょっとした動作にも神経質になるでしょうし、ほかの受刑者なら許されるような行為でも、「脱獄王」白鳥由栄に対してはそうはいかないということもあったでしょう。そのような積み重ねが少しずつ白鳥由栄との摩擦を生み、最後には彼が脱獄に至る理由となっていたのかもしれません。

脱獄理由②刑務所の環境

看守の対応にも近いものがありますが、こちらもご紹介していきましょう。白鳥由栄は戦前から戦後にかけての人物です。その時代において人権という概念は今より薄いものでした。となりますと、現代よりも過激な設備や制度が作れてしまいます。まして相手は囚人です。現在多くの場面での可視化が進められつつありますが、当時そのようなことはありません。

閉鎖され誰にもとがめられることのない環境の中で、暴走しつつある部分もあったかもしません。そのような場所で、脱獄困難な房からもするりと抜け出してしまう白鳥由栄を相手にするとなると、先ほどの懲戒処分の件と合わせて扱いが刑務所全体から厳しいものとなった可能性もあります。

脱獄理由③刑務所生活に飽きた

シリアスな理由が並びましたが、最後は少しコミカルなこちらの理由です。最初の青森刑務所からの脱獄理由の「刑務所生活に飽きた」。彼には重大な理由だったのか、それとも真意は別にあったのか、残念ながら具体的な情報を見つけることはできませんでした。

その後は府中刑務所に服役

札幌刑務所からの最後の脱獄を果たしたものの自首をした白鳥由栄は、東京の府中刑務所へと送られることになりました。記録上、彼の脱獄は札幌刑務所からのものが最後です。彼は府中刑務所でその後をどのように過ごしていたのでしょうか?

府中刑務所でのその後の脱獄は?

府中刑務所で彼は普通の囚人と同じく扱われ、特別辛く対応されるということは無かったそうです。そんな環境だったためか模範囚として過ごし、刑期が13年へと短縮されました。そうして1961年、白鳥由栄は仮釈放を果たし、彼の最後の獄中生活は終わりました。

仮釈放その後は建設作業員として勤務

その後の白鳥由栄は、50歳を過ぎていましたが建設現場で働きながら各地を転々としました。老いてなお彼の身体能力が高かったことや、高度経済成長期による建設ラッシュもあり生活するには十分だったのでしょう。事件を起こすことなく平穏に過ごしていたそうです。

その後1979年に心筋梗塞で死亡

白鳥由栄 最後 心筋梗塞

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1979年2月24日、白鳥由栄は71歳でこの世を去りました。身寄りはなかったらしく、最後に遺体引き取りに子供が現れるといったこともありませんでした。ですが、子供のころ近所に住んでいたというなじみの女性が白鳥由栄の遺体を引き取り埋葬したそうです。

白鳥由栄は昭和の刑務所脱獄王

脱獄を繰り返した白鳥由栄ですが、彼の生い立ちを考えると少し見えてくるものがあります。3歳前後で両親と別れるという生い立ちの彼にとって、大切なのは肩書ではなく、相手がどう接してくれるかということだったのではないでしょうか?自分ではなくただ彼の肩書だけを見て厳しく当たる人間には脱獄といったことを以て反発したのかもしれません。

最後の府中刑務所での白鳥由栄の姿がそれを物語っているのではないでしょうか?もちろんそのような生い立ち、考え方だからと言って犯罪は犯罪です。ここについては決して擁護することはできませんが、白鳥由栄はその生い立ちか生まれ持った性分故か、非常に愚直で不器用な面を持っていたのかもしれません。

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田中一郎
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