角盈男(元プロ野球選手)の現在!ガンを克服しスナック経営?嫁や息子は?

プロ野球の世界で華々しい活躍を見せた角盈男さん。引退後は解説者やタレントして活動するも、突如前立腺ガンを発症してしまいます。現在は病を乗り越え、嫁・昌恵さんと二人の息子さんに囲まれて恵比寿でスナックを経営しています。そんな角盈男さんの素顔に迫っていきます!

角盈男(元プロ野球選手)の現在!ガンを克服しスナック経営?嫁や息子は?のイメージ

目次

  1. 1角盈男のプロフィール
  2. 2角盈男の現在
  3. 3角盈男はガンを克服
  4. 4角盈男のスナック経営の噂
  5. 5角盈男の嫁や息子について
  6. 6角盈男の現在はガンを完治し嫁とスナック経営

角盈男のプロフィール

・愛称:???
・本名:角三男

・生年月日:1956年6月26日

・年齢:62歳

・出身地:鳥取県米子市

・血液型:O型

・身長:183cm

・体重:86㎏

・活動内容:元プロ野球選手、コーチ、解説者、タレント

・所属グループ:???
・事務所:パシフィックボイス

・家族構成:妻、長男、次男

角盈男の経歴

鳥取県米子市で生まれた角盈男さんは、米子市立美保中学校、米子工業高校から三菱自動車三原に入社しました。社会人時代は広島マツダの補強選手として都市対抗野球などにも出場し、メキメキと頭角を現していきます。

1976年のドラフト会議で、読売ジャイアンツよりドラフト3位の指名を受け入団。1年目から5勝7セーブの成績を収めて新人王を獲得。しかし制球難であったために、球速は落ちるもののサイドスローへとフォームを変更します。

それでも緻密なコントロールを持ち合わせていなかったため、先発での起用はなく主にリリーフでの登板が多かったのも特徴です。地肩が強く連投できたため、首脳陣からはたいそう重宝されていたそうです。

1981年には8勝20セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど、長らくジャイアンツの投手陣を支えてきました。しかし、長年の肩と肘の酷使による故障などもあり、徐々に出場機会が減少していきます。

それでも、左のサイドスローは戦力として貴重で、1986年には右のサイドスロー鹿取義隆さんに守護神の座を譲りますが、中継ぎとしてリリーフの一角をしっかりと担います。王監督時代の「角ー鹿取ーサンチェ」は当時の流行語にもなったほどです。

その後、徐々に出場機会が減った角盈男さんは、藤田監督にトレードを直訴して日本ハムファイターズへ移籍。日本ハムでは先発を任されることもあり、巨人時代から続いた連続救援登板記録はここで途切れてしまうことになります。

1992年にはヤクルトスワローズに移籍し、この年をもって現役を引退します。その後は、ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツのコーチを歴任し、長嶋監督と野村監督の両方でコーチを務めた唯一の人物となりました。

退団後は、東京の恵比寿にスナックをオープンし、順風満帆な生活を送っていましたが、突如、前立腺ガンを発症してしまいます。懸命の治療の末に完治し、今では講演活動なども精力的に行っています。

角盈男の現在

読売ジャイアンツをはじめ、3球団で活躍された角盈男さん。引退後は解説者やタレントとして活躍してきましたが、2014年に前立腺ガンであることを公表しました。

体調面を考慮されてか、最近ではめっきりその姿を見かけることが少なくなりました。あの大活躍されていた角盈男さんは現在どうしているのでしょうか?角盈男さんの現在についてみていきます。

現在は野球評論家兼タレントとして活動

プロ野球ファンの記憶に鮮明に残っている角盈男さんは、現在野球評論家やタレントとして活動されています。テレビやラジオで野球の解説などを聞いた人もいるのではないでしょうか?

ニッポン放送ショウアップナイターの解説は的確で、ここでの解説を聞いていた当時ヤクルトスワローズの野村克也監督が、ヤクルトのコーチを要請したという逸話もあります。

タレントとしても精力的に仕事をこなしているようで、野球がメインの仕事だけではなく、バラエティ番組や映画などにも出演されています。特にNHKの連続テレビ小説「かりん」に出演された時には驚かれた人も多かったことでしょう。

ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム日本担当スカウトも

ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツでのコーチの手腕を高く評価されていた角盈男さんは、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの日本担当スカウトに就任されました。

日本担当スカウトになったいきさつは定かではないのですが、かつての日米野球の活躍が少なからず影響しているのかもしれません。当時メジャーリーガーを相手に7連続三振を奪ったことが評価されたのではないでしょうか。

2014年には前立腺ガンが発覚

角盈男さんは2014年6月6日、テレビ番組で自分が前立腺ガンであることを公表します。しばらく精密検査を受けていなかった角盈男さんが、知人に勧められて人間ドックを受けたことから始まります。

そこで再検査となり、前立腺ガンであることが判明したそうなのですが、ガンと言われた時は、まるで他人事のように感じて自分の事として捉えることができなかったようです。

芸能界でも、間寛平さんや北村総一郎さんなどが前立腺ガンになっています。80歳以上の男性の3人に1人はかかると言われているガンです。しかも本人には自覚症状があまりないようで、気づいたら全身にガン細胞が転移していることすらあるそうです。

角盈男はガンを克服

2014年に前立腺ガンであることを公表した角盈男さん。その後、様々な治療方法の中から自分に合ったものを探し出し、体が良くなるとされる水や薬を次々と試したそうです。

さらに病院での治療と並行して、それまで大食漢だった生活を根本から見直し、健康的な食生活へと切り替えることで難局を乗り越えていきました。その結果、見事にガンを克服することに成功したのです。

2015年に前立腺ガンを克服

突然のガンの宣告に動揺しない人はいないでしょう。もちろん、角盈男さんも動揺されたことと思います。誰もが落ち込んでしまいそうになってしまう状況でも、角盈男さんは前向きに治療に取り組んでいきます。

この難局に真っ向から向き合う姿勢は、プロ野球の世界で学んだようです。現役時代に何度もピンチの場面でマウンドに立った角盈男さんは、積極的にピンチに立ち向かって乗り越えたそうです。それが今回のガン治療にも役立ったということでした。

早期発見で全身転移に至らず

2015年にガンを克服できたことは、何といっても早期発見による早期治療にあったと考えられます。それほど、ガンの早期発見は大切なことなのです。角盈男さんの場合も発見が遅れていたならば、ガン細胞が全身に回っていってしまった可能性すらあったそうです。

もちろん、早期発見と早期治療が何よりも大切なのですが、角盈男さんの前向きな姿勢と、生活の改善も大きく影響していたことは間違いないでしょう。

角盈男が選んだ重粒子線治療とは

重粒子線治療という言葉を聞いたことがあっても、どんな治療法なのかわからない人も多いのではないでしょうか。重粒子線治療とは現代における最先端のガン治療法です。しかし、保険が適用されないので、治療費は300万円を超えてしまいます。

「元プロ野球選手だから高額な治療ができる」と思われるかもしれませんが、決してそうではありません。再婚された現在のお嫁さんである昌恵さんが、ガンの最先端治療を受けられる保険に入っていたことで、重粒子線治療を受けることができました。

そもそも重粒子線治療とは、炭素イオンを用いた治療法で、加速器で光速の70%に加速してガン細胞を狙い撃ちします。これまでの放射線治療とは大きく異なるようです。

これまでの放射線治療では、照射された放射線の効果が体表付近で最大になるのに対し、重粒子線は体内のガン細胞がある病巣付近でその効果を最大に発揮するところにあります。それにより、ガン細胞以外の細胞を傷つけないで済むというメリットがあります。

角盈男のスナック経営の噂

現役を引退されて、野球解説やタレントとして活動されている角盈男さん。そんな角盈男さんが東京の恵比寿にスナックをオープンしました。

プロ野球選手の引退後、セカンドキャリアで飲食店を経営されるという話はよく聞きますが、あまりうまくいっているという噂は耳にしません。角盈男さんの恵比寿の一等地にあるスナックはどうなのでしょうか?

スナック「m-129」を恵比寿にオープン

2009年5月23日に「m-129」というスナックが東京の恵比寿にオープンしました。オーナーはご存知、角盈男さんです。現役時代からお酒が好きだったという角盈男さんらしいお店になっているようです。

立地も素晴らしくJR恵比寿駅西口から徒歩1分の場所にあります。店内は20席ほどのこじんまりとしたお店で、昭和の歌謡曲が流れるレトロな雰囲気が漂い、常連客だけでなく初めて行った人でも十分に楽しめそうです。

野球好きな人も数多く来店するらしく、わざわざ恵比寿まで出向く人もいるそうです。角盈男さんがお店にいる時には、おそらく角盈男さんの現役時代の話で大いに盛り上がるのではないでしょうか。

スナック「m-129」の店名の由来は?

東京恵比寿の一等地にスナックをオープンさせた角盈男さん。千葉ロッテマリーンズのファンの人ならピンとくると思いますが、「m-129」というスナックの名前に疑問を感じる人もいるのではないでしょうか?

実は名前の由来は息子さんにあるそうです。息子さんも角盈男さんの血筋をしっかりと受け継いでいて、立派にプロ野球選手になっています。次男の晃多さんが、2008年に千葉ロッテマリーンズから育成ドラフト3位で指名されました。

 

その後、晃多さんは千葉ロッテマリーンズに育成契約で入団するのですが、その時の背番号が129番だったことに由来するそうです。mはマリーンズのmらしいのですが、大文字にしてしまうとあまりにもミエミエだということであえて小文字のmにしたそうです。

恵比寿にスナックをオープンさせたことも驚きでしたが、店名が息子さんに由来していることについて、角盈男さんは自ら親バカと言っているみたいです。

スナック「m-129」は嫁と経営

恵比寿にスナックをオープンさせて経営は順調なようですが、再婚した現在のお嫁さんである昌恵さんの力も大きいようです。もちろん、角盈男さんがお店にいる時は、角盈男さんがお客さんの相手をしっかりとされています。

しかし、角盈男さんは解説やタレントとしての活動もあるので、お店にいないこともあるようです。その時は現在のお嫁さんが、お客さんを飽きさせないようにしっかりと接客をしています。

しかし、お店にいない角盈男さんが、実際にお店で働いてくれているお嫁さんに対して、お酒を飲む量を細かくコントロールしているらしく、角盈男さんのお嫁さんに対する束縛という愛情を感じます。

角盈男の嫁や息子について

プロ野球選手として一時代を築き、大病も経験された角盈男さんを支えたご家族とはどのような人たちなのでしょうか?

現在、角盈男さんには再婚した現在のお嫁さんである昌恵さん、長男の一晃さん、次男の晃多さんがいます。角盈男さんが病気の時は、ご家族で懸命に一家の大黒柱を支えていたことでしょう。そんな角盈男さんのご家族についてみていきます。

社会人野球時代に結婚するも離婚

大病を患った角盈男さんを献身的に支える姿がとても印象的な昌恵さん。そんな角盈男さんにとって、昌恵さんとの結婚は初婚かと思いきや再婚です。

角盈男さんは、三菱重工三原に所属していた社会人時代に1回目の結婚をします。現在の角盈男さんの情熱的なところを見たら、さぞ猛烈にアタックしたのではないかと思われます。

結婚後、角盈男さんと前のお嫁さんの間には子供ができます。しかし、ほどなくして二人は離婚をしてしまいます。離婚された理由は定かではありませんが、おそらく「すれ違い」が離婚の原因であったようです。

その後、角盈男さんはしばらく独身を貫いていたようですが、30歳の時に現在のお嫁さんである昌恵さんと出会い、再婚することになりました。

離婚後の慰謝料や養育費に悩む時期も

前のお嫁さんと離婚されて、昌恵さんと再婚された角盈男さん。出会った時の角盈男さんの生活は荒んで酷かったようです。寂しさのせいか酒におぼれ、車中泊などもしているような生活でした。

前のお嫁さんの間に子供がいたこともあり、養育費と慰謝料で1億円以上とも言われる借金を背負っていました。しかし、現在のお嫁さんである昌恵さんはそんな角盈男さんを懸命に支えていきます。

昌恵さんは、当時持っていたマンションを売りに出すなどして借金の返済に充て、お二人で1億円以上とも言われた借金を完済します。

後に、角盈男さんは借金まみれで苦しかった時期に「死のうと思っていた」ということを告白されていたので、当時の角盈男さんの生活が相当苦しかったことが窺えます。

30歳で現在の嫁・昌恵と再婚

晴れて再婚された角盈男さんと昌恵さん。再婚されたのは角盈男さんが30歳の時で、当時昌恵さんは大学教授の秘書をしていました。

昌恵さんは、大学教授の秘書の傍らスナックを経営されていて、さらにはマンションも持っていたようです。きっと何の不自由もなく暮らせていたはずです。しかし、昌恵さんはプロ野球選手である角盈男さんと再婚することを決心します。

その後、2人の息子さんを授かり、順風満帆だった生活に突如訪れた角盈男さんの前立腺ガン。そんな苦難もしっかりと乗り越えてラブラブ夫婦になっているお二人ですが、実は角盈男さんは再婚した昌恵さんが心配なのか束縛が過ぎるようです。

お嫁さんである昌恵さんのスケジュールをしっかりと管理し、スケジュール通りに動かないといけないらしいです。しかも逐一電話連絡を入れて、昌恵さんをしっかりと束縛しているようです。

子供は息子が2人

現在、角盈男さんと昌恵さんの間には二人の息子さんがいます。二人とも角盈男さんのDNAを色濃く受け継いでいるようで、しっかりと野球に打ち込み、プロ野球選手にまでなりました。

長男の一晃さんは、四国アイランドリーグで、次男の晃多さんは千葉ロッテマリーンズなどで活躍されていました。

長男は元プロ野球選手の角一晃

角盈男さんのDNAを受け継いだ息子さんの一人、長男の一晃さん。1987年10月20日生まれで現在は31歳です。野球の強豪でもある東海大相模高校に進み、1年生の時から4番を任され、強打の内野手として将来を嘱望されていました。

大学も関甲新学生野球連盟に所属している強豪の白鴎大学に進学します。残念ながら大学は中退してしまいますが、それでも野球への情熱は失われませんでした。2007年にドミニカ共和国にわたり、サマーリーグに参加します。

そこでMLBのエンゼルスとマイナー契約を結びます。しかしメジャーの壁は厚く、NPBを目指して四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズに入団します。そこでも極度の不振に陥ってしまい、退団という結果になってしまいました。

現在は、福島県にある建築関係の会社に就職し、そこで現場監督などをして働いているようです。

次男は元プロ野球選手で現在監督の角晃多

角盈男さんのもう一人の息子さんでもある晃多さんも、プロ野球選手として活躍していました。兄の一晃さんと同じ東海大相模高校に進学した晃多さんは、兄と同じく主軸打者として活躍しました。その活躍が千葉ロッテマリーンズのスカウトの目に留まります。

2008年に育成ドラフト3位での入団が決まります。背番号はお父さんでもある角盈男さんの恵比寿のスナックの由来にもなっている129番です。打撃を武器に2012年に支配下登録されますが、一軍での出場は叶わず、2014年に戦力外通告を受けます。

その後は、プロ野球独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグに所属する武蔵ヒートベアーズに入団し、後にキャプテンを任されます。

ここからNPBへの復帰を目指していましたが、ドラフト指名されることなく2017年に引退し、現在は武蔵ヒートベアーズの監督として活躍されています。

角盈男の現在はガンを完治し嫁とスナック経営

プロ野球選手として、記録よりも記憶に残る名プレーヤーだった角盈男さん。華々しい活躍の裏で、私生活では離婚による借金、引退後の大病など波乱万丈な人生であったのではないでしょうか。そんな中での昌恵さんとの再婚は、さぞ嬉しかったことでしょう。

どんなに苦しい時も、お嫁さんである昌恵さんやプロ野球で活躍した二人の息子さんに支えられて、幸せな人生を送っているように見えます。大病を克服し、恵比寿にスナックをオープンさせ、愛情にあふれた家族に支えられている角盈男さんの今後の活躍に注目です。

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この記事のライター
大橋類太郎
北海道の田舎に住んでいる大橋類太郎です。 ドライブが好きで暇さえあれば広い北海道を走り回っています。 コツ...

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