鈴木ヒロミツの死因は?息子や弟がいる?家族の現在も調査!

歌手や俳優として活躍した鈴木ヒロミツさんですが、死因は判明しているのでしょうか?また、鈴木ヒロミツさんの弟や息子などの家族の現在についても気になるところです。鈴木ヒロミツさんのこれまでの経歴や出演したCM、満州との関係なども併せて紹介します。

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目次

  1. 1鈴木ヒロミツさんのプロフィール
  2. 2鈴木ヒロミツさんの死因は?
  3. 3鈴木ヒロミツさんには息子や弟がいる?
  4. 4鈴木ヒロミツさんの家族の現在
  5. 5鈴木ヒロミツさんのCMなど懐かしい動画
  6. 6鈴木ヒロミツさんの死因は肝細胞癌だった

鈴木ヒロミツさんのプロフィール

・愛称:???
・本名:鈴木弘満
・生年月日:1946年6月21日
・年齢:享年60歳(2007年3月14日死去)
・出身地:東京都
・血液型:O型
・身長:173cm
・体重:???
・活動内容:歌手、俳優、タレント
・所属グループ:ザ・モップス
・事務所:ホリプロ
・家族構成:妻(美恵子)、息子(雄大)、弟(鈴木幹治)

鈴木ヒロミツさんの経歴

鈴木ヒロミツさんは東京都文京区旧・小日向台町出身で、私立芝高等学校卒業、武蔵大学経済学部中退という学歴の持ち主です。芸能界での活動経歴ですが、ザ・モップスのボーカリストとしてデビューしたのが始まりだそうです。

ザ・モップス解散以降は俳優やタレントとしても経歴を積み重ね、テレビドラマや映画、CMなどにも多数出演していたようです。芸能界きっての美食家としても知られており、絶品料理を紹介する著書を出版したという経歴もあるようです。

鈴木ヒロミツさんと言えば「ザ・モップス」

鈴木ヒロミツさんといえば、「ザ・モップス」を抜きにして語ることはできません。「ザ・モップス」には当初、鈴木ヒロミツさんの弟がドラムスとしてメンバーに入っていたようで、弟に誘われる形で兄の鈴木ヒロミツさんが加入したそうです。

ゴーゴー喫茶などで活躍中にホリプロにスカウトされ、「朝まで待てない/ブラインド・バード」でデビューしました。「ザ・モップス」の曲は世界的なガレージロック・コンピレーションアルバムにも収録されるなど、世界からも注目されています。

「夜明けの刑事」などで俳優としても活躍

「ザ・モップス」解散以降の鈴木ヒロミツさんは、俳優としての活動もスタートさせます。鈴木ヒロミツさんの俳優としての経歴の中で代表的な作品といえば「夜明けの刑事」シリーズかもしれません。

鈴木ヒロミツさんはこの「夜明けの刑事」シリーズでうだつの上がらない刑事を好演するとともに、エンディング・テーマの曲も担当したそうです。

鈴木ヒロミツ名義で「愛に野菊を」リリース

1977年には出演していた刑事ドラマ「明日の刑事」の主題歌でもある「愛に野菊を」を鈴木ヒロミツ名義でリリースしました。

他にも1981年にはフジテレビ系で放送されていたアニメ「ヤットデタマン」のエンディング曲でもある「ヤットデタマン・ブギウギ・レディ」、1996年には「たどりついたら雨ふりだけじゃなかった」をリリースしています。

鈴木ヒロミツさんは満州生まれ

鈴木ヒロミツさんは終戦の翌年に誕生していますが、実は出生地は満州なのだそうです。出生後ほどなく満州から帰国したようですが、いつ頃帰国したのかは判明していません。

満州は現在の中国でいう東北部に当たる場所にあり、第2次世界大戦中には日本が支配していた時期もありました。そのため、多くの日本人がこの満州に住んでいたようです。この満州には日本の鉄道や映画会社などの株式会社も多く存在しました。

満州での生活など詳しい情報は分かっていませんが、鈴木ヒロミツさんの両親が満州にある会社で働いており、そのまま現地で終戦を迎えてしまったという可能性が高そうです。

1945年には満州はソ連に制圧されていますので、当時満州にいた日本人はかなり過酷な状況であったとも考えられます。芸能人にも満州出身の人はいるようで、草野仁さんやせんだみつおさんなどが満州出身だそうです。

満州生まれ東京育ち

生まれは満州だった鈴木ヒロミツさんですが、育ちは東京だったようです。鈴木ヒロミツさんが具体的に東京のどのあたりで育ったのかということについては、調べてみましたが判明しませんでした。

鈴木ヒロミツさんの死因は?

鈴木ヒロミツさんの死因については判明しているのでしょうか?どのような死因によって亡くなられてしまったのでしょう?鈴木ヒロミツさんの死因について調べてみました。

2007年3月14日に他界

まずは鈴木ヒロミツさんの死の経緯について紹介しましょう。鈴木ヒロミツさんは2007年3月14日に死去されています。

実は鈴木ヒロミツさんが医師の診断を受けたときには、すでに手遅れの状態だったようで、積極的な治療を行うよりも、家族とともに過ごす時間を選んだと言われています。自身も状態が深刻なことを理解していたのか、告知を受けた時も冷静だったそうです。

生前に戒名も既に決定

医師の告知によって、余命幾ばくもないということを知った鈴木ヒロミツさんは、通常は死んでからつけられる死後の戒名についても生前に決めていたそうです。

鈴木ヒロミツさんの戒名ですが、「美雄永満愛大喜善居士」というそうで、妻や息子、そして自身の名前の一字がこめられたものになっています。鈴木ヒロミツさんにとって、家族がとても大切なものだったということがしのばれます。

鈴木ヒロミツさんの死因は肝細胞ガン

鈴木ヒロミツさんの死因ですが、肝細胞ガンだったそうです。ガンは早期発見されれば助かるものも多いですが、鈴木ヒロミツさんの場合は医師の診察を受けたときにはかなり病状が進行している状態だったようです。

積極的治療をしてもあまりその効果が得られない場合、医師から緩和治療をすすめられることもあるようですが、おそらく鈴木ヒロミツさんも緩和治療を選択したものと考えられます。

死因の「肝細胞ガン」とは

鈴木ヒロミツさんの死因となった肝細胞ガンですが、肝臓から発生するガンのうちの90%が肝細胞ガンだと言われています。肝細胞ガンは初期の頃にはほとんど症状がなく、症状が出る頃にはすでに手遅れということも少なくないようです。

肝臓は沈黙の臓器とも言われ、ガンの中でももっとも発見が難しいとされています。また、肝細胞ガンは再発率の高さも際立つガンで、予後もあまり良くないと言われています。

食通や酒豪が肝細胞癌の原因?

肝臓といえば、お酒の影響も考えられますが、お酒の飲み過ぎなども肝細胞ガンの原因となるのでしょうか?

調べてみたところ、肝細胞ガンの約80%は、B型肝炎やC型肝炎といった肝炎ウイルスが原因なのだそうです。ただ、やはり肝臓の病気なので、アルコールや脂肪肝のような生活習慣から肝機能障害が起こり、肝細胞ガンとなる場合もあるそうです。

死後に著書「余命三カ月のラブレター」を出版

余命を宣告され、自身の命の時間を知った鈴木ヒロミツさんは、生前に戒名を始め、さまざまな死後の準備をしていました。その中には死後に出版する著書の準備もあったようです。

鈴木ヒロミツさんの死後、「余命三カ月のラブレター」という本が出版されました。これは、妻や息子にあて、病床で書いた手紙や、死去の1週間前に行われた鈴木ヒロミツさんへのインタビューなどが収録されています。

死後に映画「歌謡曲だよ人生は」の公開も話題に

鈴木ヒロミツさんの死の2ヶ月後には、オムニバス映画「歌謡曲だよ人生は」が公開されて話題になりました。実はこの映画で鈴木ヒロミツさんは、ヒロインの死病を告知する医師と同窓会の8ミリフィルム上映で小学生時代を回顧する初老男性の2役で出演していたのです。

話題になったのはヒロインの死を告知する役のほうですが、この映画の撮影は、鈴木ヒロミツさんが肝細胞ガンの告知を受ける前のことだったそうです。

鈴木ヒロミツさんには息子や弟がいる?

鈴木ヒロミツさんの家族やその経歴についても詳しく見ていきましょう。鈴木ヒロミツさんには妻と息子、さらには弟がいることでも知られています。鈴木ヒロミツさんの妻や息子、弟について紹介します。

妻・美恵子さんとの間に息子・雄大さんが誕生

鈴木ヒロミツさんの妻の名前は美恵子さんというそうです。鈴木ヒロミツさんは結婚前から妻にぞっこんだったと言われています。病気が判明してからも何枚もラブレターを書き、妻の美恵子さんから「最高の旦那」と評されています。

そんな二人の間には、息子が一人います。この息子の名前は雄大さんといい、父が亡くなったときには20歳だったそうです。

生前にはホリプロ社長に「息子を頼む」の言葉も

鈴木ヒロミツさんはこの息子のことも非常に可愛がっていたようで、自身が余命宣告された後、所属するホリプロの社長に「息子を頼む」という言葉も残していたそうです。

鈴木ヒロミツさんの息子は音楽に興味を持っていたということで、ホリプロの社長に後を託したものと考えられます。ちなみに雄大さんと同じ名前のシンガーソングライターがいるそうですが、これは別人だということです。

弟は「チェックメイツ」ドラム担当・鈴木幹治さん

鈴木ヒロミツさんの弟はもともとは「ザ・モップス」で兄と一緒に活動していましたが、その前身のバンドである「チェックメイツ」でもドラムスとして活躍していた経歴があることでも知られています。

「ザ・モップス」解散後、弟の鈴木幹治さんは、所属事務所だったホリプロでマネージャーをしていた経歴もあるそうです。

鈴木ヒロミツさんの家族の現在

鈴木ヒロミツさんが亡くなられてから12年が経ちますが、家族は現在どのように日々を過ごしているのでしょうか?鈴木ヒロミツさんの息子や弟の現在について調査してみました。

息子・雄大さんの現在の活動は?

鈴木ヒロミツさんの息子の雄大さんですが、現在は32歳前後になっているとみられます。ですので、大学なども卒業し、どこかに就職している可能性も高いでしょう。

ただ、芸能界の仕事をしているわけではなさそうですので、その詳細な情報までは判明しませんでした。鈴木ヒロミツさんがホリプロの社長に「息子を頼む」と言い残していることもあり、社長の紹介で音楽関係の裏方の仕事をしている可能性はありそうです。

弟の現在は浜田省吾さんのプロデューサーに

鈴木ヒロミツさんの弟の現在ですが、浜田省吾さんのプロデューサーをしているという情報があります。浜田省吾さんは1983年までホリプロに所属しており、浜田省吾さんのマネージャーをしていた経歴もあるのだそうです。

そのマネージャーだった時期に、浜田省吾さんの楽曲のプロデュースを行ったこともあるのだとか。現在弟は、プロデューサー業に専念しているようです。

浜田省吾さんとは

現在、鈴木ヒロミツさんの弟がプロデューサーをしているという浜田省吾さんのプロフィールや経歴についても簡単に説明しましょう。

浜田省吾さんは1952年12月29日生まれで現在は66歳です。シンガーソングライターとして山口百恵さんや和田アキ子さんなど大物歌手に楽曲を提供する一方、自身も歌手として積極的に楽曲のリリースやライブ活動を行っています。

浜田省吾さん「I am a father」には弟の娘も参加

鈴木ヒロミツさんの弟の鈴木幹治さんは既婚者ですが、娘がいるそうです。実はこの娘も音楽に関わる仕事の経歴があるのだとか。

浜田省吾さんの2005年に発売された36枚目のシングル「I am a father」には、鈴木幹治さんの娘も参加しているのだそうです。この楽曲のプロモーションビデオには、時任三郎さんや吹越満さん、田中要次さんなどが出演されたそうです。

鈴木ヒロミツさんのCMなど懐かしい動画

鈴木ヒロミツさんの生前のCMなどの懐かしい動画も紹介していきましょう。また、ザ・モップス時代の鈴木ヒロミツさんの動画も併せて紹介します。

CMでも活躍した鈴木ヒロミツさん

鈴木ヒロミツさんといえば、ザ・モップスで活躍後は、俳優やタレント、司会者などとしてもマルチに活躍していましたが、CMにもいくつか出演されています。

鈴木ヒロミツさんが出演されたCMで有名なのは「モービル石油」のCMですが、他にも福岡県の銘菓である「ひよ子」のCM、さらには「アメリカンファミリー生命保険会社」のCM、大阪のふぐ料理の店の「づぼらや」のCMなどに出演されていたようです。

懐かしい動画①CM「モービル石油」

こちらが鈴木ヒロミツさんが出演して話題になった「モービル石油」のCM動画です。このCMはガス欠になったクラシックカーを藤竜也さんと一緒に手で押して歩くというものです。このCMは昭和の名CMのひとつとも言われています。

車をのんびりと押して歩く二人の映像とともに、「のんびり行こうよ」と語りかけるような曲が流れています。この曲の「のんびり行こうよ」というフレーズが大流行し、流行語にもなったのだそうです。

懐かしい動画②ザ・モップス編

こちらは鈴木ヒロミツさんがボーカルをつとめた「ザ・モップス」の動画になります。「ザ・モップス」の音楽はサイケデリック・ロックというジャンルに分類されるもので、そのジャンルでは「ザ・モップス」は草分け的な存在だったのだとか。

「ザ・モップス」はアーティスト志向の強いバンドだったようで、当初所属していたレコード会社からアイドルのカバーをやるように指示があった時にはそれに反抗し、レコード会社をクビになったということもあったそうです。

懐かしい動画③「たどりついたらいつも雨降り」ライブ編

「ザ・モップス」は当時はやっていたグループサウンズのグループなどとは一線を画す存在で、グループサウンズなどが衣装を統一してライブを行うのに対し、「ザ・モップス」は衣装も全員がバラバラという出で立ちだったのだそうです。

ドラムセットを客席に対して横向きにして、ステージには楽器を縦並びに置いて目隠しをしながら演奏するなど、衣装だけではなく、その演奏スタイルも独特のものがありました。今では「ザ・モップス」は伝説のバンドとして語り継がれています。

鈴木ヒロミツさんの死因は肝細胞癌だった

60歳という若さで亡くなられた鈴木ヒロミツさんについて紹介してきました。俳優やミュージシャンとして活躍した鈴木ヒロミツさんですが、その死因は肝細胞ガンだったそうです。

鈴木ヒロミツさんは家族愛が強かったことでも知られ、肝細胞ガンの告知を受けてからは積極的治療を行わず、家族との時間を大切にしたのだそうです。鈴木ヒロミツさんのご冥福をお祈りします。

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この記事のライター
春日つぼね

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