高橋一生の弟(安部勇磨)はバンドマン!他にも父違いの弟が!家庭環境を調査

高橋一生さんには4人の弟がいることでも知られていますが、その弟の一人がバンドマンの安部勇磨さんです。高橋一生さんの家庭環境は複雑だったといいますが、父や母はどうしているのでしょうか。高橋一生さんの弟や家庭環境について画像を交えて紹介します。

高橋一生の弟(安部勇磨)はバンドマン!他にも父違いの弟が!家庭環境を調査のイメージ

目次

  1. 1高橋一生さんのプロフィール
  2. 2高橋一生さんの弟はバンドマンだった
  3. 3高橋一生さんは複雑な家庭環境だった
  4. 4高橋一生さんの母親と弟のエピソード
  5. 5安部勇磨さんのバンドは大人気
  6. 6高橋一生さんの弟はバンドで活躍していた

高橋一生さんのプロフィール

個性的な演技で人気を集める俳優の高橋一生さんですが、どのような人なのでしょうか。家庭環境が複雑だと噂の高橋一生さんはこれまでにどのような活躍をされてきたのでしょう。高橋一生さんのプロフィールについて画像を交えながら詳しく見ていきましょう。

高橋一生さんの経歴

・愛称:???
・本名:高橋一生
・生年月日:1980年12月9日
・現在年齢:38歳
・出身地:東京都
・血液型:O型
・身長:175cm
・体重:???
・活動内容:俳優
・所属グループ:なし
・事務所:舞プロモーション
・家族構成:弟4人(三男:安部勇磨)

高橋一生さんは幼少期から児童劇団に所属していたということもあり、子役時代から俳優として活躍していました。高橋一生さんの映画デビュー作品は1990年の「ほしをつぐもの」で、遠藤正平役で出演していました。

高橋一生さんはジブリの劇場アニメに声優として出演した経験もあり、1991年には「おもひでぽろぽろ」に出演されていたようです。

また、1995年には大ヒット作となった「耳をすませば」にヒロインの相手役の天沢聖司役で出演されています。この時、高橋一生さんは14歳で声変わり前でした。

高橋一生さんが俳優としてブレイクしたのは、2015年にテレビ朝日系列で放送された「民王」でした。このドラマで高橋一生さんは総理秘書役の貝原茂平役を好演し、その人気ぶりは貝原茂平のスピンオフ作品が作られるほどでした。

「民王」でブレイクした高橋一生さんは、数多くの人気ドラマに引っ張りだこの俳優になります。2017年にはNHKの大河ドラマ「おんな城主直虎」に小野但馬守政次役で出演し、直虎に密かに恋心を抱く家老の役を熱演して話題になりました。

映画にも高橋一生さんは数多く出演しており、大ヒットとなった「シン・ゴジラ」では文部科学省研究振興局の安田龍彦役を演じました。

高橋一生さんは今後公開予定の映画やドラマへの出演も多数決まっています。2019年公開予定の映画「九月の恋と出会うまで」は川口春奈さんとのダブル主演作品で、「引っ越し大名!」には鷹村源右衛門役で出演される予定です。

また、2019年1月放送予定のNHKの土曜ドラマ「みかづき」では永作博美さんとのダブル主演が決定しており、高橋一生さんは大島吾郎役を演じるそうです。

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高橋一生さんの弟はバンドマンだった

高橋一生さんの4人いるとされる弟の一人がバンドマンだとされています。高橋一生さんのバンドマンの弟はどのような人なのでしょうか。また、どのようなバンド活動をされているのでしょう。

弟の名前は安部勇磨さん

高橋一生さんの弟でバンドマンをしているのは安部勇磨さんです。安部勇磨さんはバンドでギターとボーカルを担当されているそうです。

かつて高橋一生さんがテレビ番組に出演した際、この弟の安部勇磨さんの話になり「本当に良い曲を作る」と褒めちぎっていたそうです。こちらの画像が弟の安部勇磨さんの画像になりますが、優しげな雰囲気は兄の高橋一生さんに少し似ているかもしれません。

実は安部勇磨さんの名前はすでに広く知られていて、高橋一生さんの弟であることが判明すると、そのことに驚くファンも多かったようです。

安部勇磨さんは1990年9月生まれですので、現在は28歳で、兄の高橋一生さんとは10歳ほど年齢が離れているようです。安部勇磨さんのバンド活動は、宅録から始まったと言いますが、どのようなバンドなのでしょうか。

「never young beach」というバンドのボーカル

高橋一生さんの弟の安部勇磨さんのバンドは「never young beach」という名前のバンドで、ファンたちからは「ネバヤン」と呼ばれているようです。

「never young beach」はギターボーカルの安部勇磨さんを中心に、ギターの阿南智史さん、ベースの巽啓伍さん、ドラムの鈴木健人さんによる4人組のバンドです。結成は2014年の春のことでした。

バンドの始まりは、2014年に高橋一生さんの弟の安部勇磨さんと、ギターの阿南智史さんが宅録ユニット結成したことがきっかけでした。

当初は作った曲をココナッツディスクで販売するなどしていましたが、自主企画のライブを開催するなどして、本格的にバンドとして活躍するようになったようです。活動当初から「never young beach」はその音楽性などから注目を集めるバンドだったようです。

苗字が違う理由は?

高橋一生さんと安部勇磨さんですが、兄弟なのに名字が違うのを不思議に感じた人も多かったかもしれません。実は弟なのに名字が違うのには、高橋一生さんと兄弟たちの置かれた複雑な家庭環境に理由がありました。

その家庭環境については後ほど詳しく紹介しますが、高橋一生さんと安部勇磨さんは、兄弟ではありますが、実は父の違う異父兄弟なのです。

高橋一生さんは複雑な家庭環境だった

高橋一生さんの家庭環境が複雑だということは、近年になって高橋一生さん自身の口から語られたようです。高橋一生さんの家庭環境はどのように複雑だったのでしょうか。高橋一生さんの家庭環境について紹介します。

父親は3人、弟は4人

高橋一生さんには4人の弟がいますが、そのほどんどが父の違う異父兄弟なのです。どういうことかというと、高橋一生さんの母が離婚と再婚を繰り返したことにより、高橋一生さんには3人の父親と4人の弟ができたのだそうです。

高橋一生さんがその複雑な家庭環境を語ったのは、テレビ番組「A-Studio」でのことでした。「父親が3人違います。母親が1人です」と高橋一生さんは切り出したそうです。

高橋一生さんの3人の父親ですが、そのうちの2人はすでに亡くなっているのだそうです。そして、高橋一生さんの実父についても、すでに亡くなっているという情報もあるようです。

そうしたことからも、高橋一生さんは、4人の弟たちの面倒を幼少期から見てきたという経緯があるそうです。高橋一生さんの母親は、高橋一生さんを18歳の時に生んだということからも、その複雑な家庭環境がうかがい知ることができます。

高橋一生さんや弟たちは子供の頃、近所の人や友人の親に、母親から指示されてお金の無心に行かされたそうです。高橋一生さんは学校を卒業すると家を出ますが、今度は弟たちが母に命じられて高橋一生さんにお金を無心に来ることもあったそうです。

しかし、高橋一生さんはそんな複雑な家庭環境を一切感じさせることなく、明るく人当たりの良い性格でも知られています。

他の弟の職業はデザイン系や寿司職人

高橋一生さんの弟たちも現在は多くが成人し、末弟が18歳、その上の弟が20歳になるようです。安部勇磨さんはその上の三男になります。

安部勇磨さん以外の成人した弟たちも、現在はデザイン系の仕事をしていたり、寿司職人になるなどされているようです。幼少期から弟たちの面倒を見てきた高橋一生さんとしては、弟たちの成長が何よりも嬉しいようです。

母親との仲は最悪だった

高橋一生さんは、自分と母親の関係は最悪だったということを、出演した「A-Studio」で語っておられました。高橋一生さんは10年ほど、母親と絶縁状態だたのだそうです。

「A-Studio」ではあまり多くは語らなかったものの、母親からお金の無心に行かされたと告白した弟の安部勇磨さんの話なども合わせると、母親との間にさまざまな確執があったのではないかということは想像ができます。

高橋一生さんは母親と同居している弟たちから母親の様子を聞いていたそうですが、会おうとはしなかったようです。

母親は高橋一生さんに対して、幼少期から「たいした顔をしてない」などということも平気で言われていたようです。さらに俳優を目指していた高橋一生さんに「隣のあんちゃんを目指しなさい、あんたなんか」などと言っていたようです。

高橋一生さんの母親と弟のエピソード

高橋一生さんが複雑な家庭環境だったということは分かりましたが、母親や弟とのエピソードはあるのでしょうか。高橋一生さんと母親や弟とのエピソードについて調べてみましたので、画像を交えて紹介します。

弟に向けてアドバイス

高橋一生さんは、父親の違う4人の弟たちに対して、さまざまなアドバイスも行っていたといいます。特に、4人の弟たち全員に家計簿をつけさせるなど、お金の管理に関しては厳しく指導するなどしていたようです。

おそらく、母親がお金に対して少しだらしのないところがあったので、弟たちは同じようにさせてはいけないと高橋一生さんは考えたのかもしれません。

弟たちの面倒は父親のようにみていた

高橋一生さんは4人の弟たちを、父親のように面倒を見ていたといいます。弟たちの幼少期にはおむつを替えたりもしていたそうで、おむつを替えるスピードがものすごく速くなったというエピソードもあるそうです。

父親のように、そして時には母親のように育ててくれた兄の高橋一生さんを、4人の弟たちはとても慕っているといいます。

ガンになった母親との再会

高橋一生さんは10年ほど母親と絶縁していたそうなのですが、母親の具合が悪いということは、弟の安部勇磨さんからも聞いていたそうです。母親はガンを患っていました。

ただ、高橋一生さんは、母親と会うのなら、もう死ぬ間際になってからと決めていたそうです。そうでなければ、また喧嘩をしたり憎み合ったりしてしまう可能性があると考えたからなのだそうです。

そして、高橋一生さんは母親が亡くなる一週間ほど前に10年ぶりの対面を果たしたのだそうです。その時に高橋一生さんは、母親にこれまでのことを謝罪されたといいます。

高橋一生さんは「弟たちのことは面倒を見る」と母親に約束し、「ゆっくり休んで」と伝えたそうです。それから一週間後に母親は亡くなりますが、高橋一生さんは看取ることができたのだそうです。

安部勇磨さんのバンドは大人気

高橋一生さんの弟の安部勇磨さんのバンド「never young beach」の現在の活動などについても見ていきましょう。現在、「never young beach」は大人気のバンドだといいます。安部勇磨さんのバンド「never young beach」について画像とともに紹介します。

フジロックに出演

こちらが「never young beach」のメンバーの画像になるようです。「never young beach」は2017年にはフジロックにも出演して話題になりました。

現在のメンバーは4人ですが、この頃には5人だったので、画像のメンバーは5人になっています。フジロックには多くの大物アーティストたちが出演することで知られていますが、その中でも「never young beach」は人気を集めていたようです。

こちらがフジロックでの「never young beach」の演奏になります。ギターを弾きながら歌っているのが安部勇磨さんです。

「never young beach」はフジロックの苗場食堂3日目の大トリとして登場したようでした。こちらの動画画像からも、かなり盛り上がっているのが分かります。

2017年にメジャーデビュー

「never young beach」は2014年の結成からインディーズでの活動を中心にされてきましたが、高橋一生さんは弟の安部勇磨さんに「インディーズではなくプロで勝負しろ」と助言したそうです。

そして「never young beach」は2017年にメジャーデビューを果たしました。インディーズ時代から注目されていたバンドだったので、鳴り物入りでのデビューだったようです。

こちらの動画画像が「never young beach」のメジャーデビュー第一弾シングルの「SURELY」の動画画像になります。

どこか南国を思わせる雰囲気の曲ですが、しっかりロックもしている不思議な雰囲気があります。「never young beach」は他に同じタイプ楽曲のバンドがいないという意味でも、今後さらに飛躍すると考えられています。

現在はツアーなども開催中

安部勇磨さんが音楽を始めたきっかけは、兄の高橋一生さんなのだそうです。実は高橋一生さんも中学生時代にはバンド活動をされていたそうです。そして、高橋一生さんも声がとても良いとうことでも知られています。

自主企画のライブを行うたびにソールドアウトを繰り返していた「never young beach」ですが、メジャーデビュー後は規模が大きくなったツアーも行われているようです。

「never young beach」は10月から全国ツアーをスタートさせ、12月7日にそのツアーも無事に終了したようです。「never young beach」の公式Twitterでも、ツアーの様子などが紹介されていました。

また、ツアーだけではなく、年末のさまざまな有名ロックなイベントにも「never young beach」は参加を予定しているようです。

高橋一生さんの弟はバンドで活躍していた

複雑な家庭環境で知られる高橋一生さんの弟について紹介しました。高橋一生さんの4人の弟のうちの一人が安部勇磨さんですが、現在「never young beach」のギター・ボーカルとして活躍していました。

兄の高橋一生さんの助言でメジャーデビューを果たした弟の安部勇磨さんのバンド「never young beach」ですが、今後ますますの活躍が期待されています。

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この記事のライター
春日つぼね

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