高橋恵子の若い頃の人気や経歴は?愛の逃避行で失踪事件?内容や真相も調査

高橋惠子の若い頃の人気や経歴について紹介します。女優として多くのドラマや映画に出演している高橋惠子ですが、若い頃の人気や経歴、そして愛の逃避行について解説。また、ストレスが原因で休業するなど、高橋惠子の若い頃からの激動の人生についてまとめています。

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目次

  1. 1高橋恵子のプロフィール
  2. 2高橋恵子の若い頃の人気を調査
  3. 3高橋恵子の若い頃の経歴をおさらい
  4. 4高橋恵子が若い頃に愛の逃避行で失踪事件?
  5. 5高橋恵子以外の若い頃に色々あった女優陣
  6. 6高橋恵子の若い頃は愛と女優の狭間で波乱万丈だった

高橋恵子のプロフィール

・愛称:???
・本名:高橋惠子(たかはしけいこ)旧姓は関根
・生年月日:1955年1月22日
・年齢:66歳(2021年4月現在)
・出身地:北海道川上郡標茶町字磯分内熊牛原野
・血液型:AB型
・身長:162cm
・体重:???
・活動内容:女優
・所属グループ:なし
・事務所:ブロウアップ
・家族構成:夫(高橋伴明)、息子、娘(秋山佑奈)

高橋恵子の経歴

高橋惠子は北海道出身の女優です。実家は小さな牧場を営んでいましたが、牛が死んでしまったことで経営難に。父親は保険外交員に転職し、母親は住み込みの宿泊業をするようになったそうです。

そのため、何度も転校や引っ越しを経験したとのこと。そういった生活をしていた中で、昔に歌手を目指していた父親が「娘を東京で育てたい」と宣言したのです。東京で様々な文化に触れながら、娘の可能性を広げたいという思いがあったのでしょう。

こういった経緯があり、高橋惠子は小学校6年生のときに東京都の府中に引っ越しました。中学時代に鳴ると大人びた容姿から注目を集め、高橋惠子は芸能スカウトにたびたび声をかけられたのです。

高橋惠子は大映のスチールカメラマンにスカウトされた際、父親からとても喜ばれたのだとか。それは父親が浅草などの興行に慣れ親しんでおり、憧れの存在だったからなのです。そして、高橋惠子は中学を卒業するまでの1年間、レッスンを受けています。

1970年に中学卒業と同時に大映に入社。高校には進学しない道を選んだのです。同年に映画「高校生ブルース」で主演デビュー。女子高生で妊娠するという役柄であり、ヌードやアンダーヘアまで披露するなど、大胆な演技が注目を集めました。

同年に映画「おさな妻」でゴールデンアロー賞新人賞を受賞しています。1971年11月に大映が倒産し、東宝に移籍。高橋惠子は1972年にドラマ「新・だいこんの花」にレギュラー出演し、続けてドラマ「太陽にほえろ!」のヒロインを演じたことで、人気女優の仲間入りを果たしたのです。

高橋惠子は1973年に太陽にほえろで共演した松田の劇団「F企画」に参加。旗揚げ公演「みやもと武蔵」で舞台デビューを経験しています。しかし、高橋惠子は女優として活動する中で、実際の自分とメディアに作られたイメージの違いから、ストレスを抱えることになりました。

1977年に睡眠薬を大量に服用し、自殺未遂。その後に女優業を休業し、岐阜県の山村で生活していたことが明かされています。高橋惠子は1979年に女優業を復帰したものの、恐怖心からタイのバンコクに逃亡するなど、すぐには以前のように活動ができませんでした。

高橋惠子は1982年ににっかつロマンポルノ「ラブレター」がロマンポルノ史上最高の興行収入になっています。以降は小規模な事務所に所属し、少しずつ以前のような落ち着きを取り戻したとのこと。現在も多くのドラマや映画に出演しており、その演技力が高く評価されています。

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高橋恵子の若い頃の人気を調査

このように高橋惠子の経歴の中では、若い頃から女優として大活躍だったことがうかがえます。そんな若い頃の高橋惠子についてさらに調査したので、その経歴を確認していきましょう。

高橋惠子の若い頃が話題に

高橋惠子の経歴では、若い頃から波乱万丈だったことがうかがえます。冒頭の経歴で紹介したように、幼少期に家業が倒産し、転校や引っ越しを何度も経験していたことがわかっています。若い頃から苦労が多かったようですが、その美しさは凄かったようです。

若い頃の顔が娘に似てるとの声も

現在の高橋惠子は結婚しており、1児に恵まれています。そして、娘の秋山佑奈は女優として活動しており、母親のマネージャーも務めているのです。また、娘も結婚して1人の息子と4人の娘がいて、両親と4世代8人で暮らしていることを明かしていました。

そんな高橋惠子と娘の秋山佑奈ですが、とても顔が似ているのだとか。娘の顔は若い頃の高橋惠子に似ているという声もあり、2009年には「徹子の部屋」で親子共演も果たしています。

若い頃の人気①「関根恵子」名義で活動

若い頃からとても人気があったという高橋惠子ですが、当初は本名である「関根恵子」名義で活動を行っていました。

最初は映画「おさな妻」でデビューする予定でしたが、映画「高校生ブルース」に主演する予定だった南美川洋子が降板を申し出たため、急遽代役として抜擢されたのです。

南美川洋子が本作の台本を見たところ、全裸シーンや男優との絡みがあることにショックを受けて、直接大映本社に断りに来たという経緯がありました。代役として出演することになった高橋惠子ですが、台本の変更などはなく、その衝撃的な内容を演じています。

若い頃の人気②大人びた演技の魅力

当時15歳だった高橋惠子ですが、その大人びた演技は非常に魅力的だと評判でした。続けて出演したおさな妻を含め、大胆なシーンが多く、マスコミは彼女を奔放な不良少女とイメージ付けてしまったのです。

それだけ当時の高橋惠子が、実年齢よりも大人びて魅力的な存在だったのかもしれません。とはいえ、デビュー当初から過激な作品に出演した高橋惠子の決意も相当な覚悟があったといえるでしょう。

若い頃の人気③ドラマ『太陽にほえろ!』シンコ役

高橋惠子の経歴の中で、ドラマ「太陽にほえろ!」のシンコ役は非常に重要なものとなりました。大映が倒産し、東宝に移籍した時期であり、彼女にとって大きな転換期だったからです。

まだ、芸名は関根恵子名義の時期でした。シリーズに2年ほど出演しており、最初は七曲署の少年課に所属する父兄でした。そこから捜査一係配属になり、最期はジーパン刑事こと柴田淳と結婚するために退職しています。

ジーパン刑事を演じたのがあの松田優作。ジーパン刑事と結婚して退職するという形で、本作から卒業していますが、彼とはその後も交流を続けています。それが後の舞台デビューに繋がることになったのです。

高橋恵子の若い頃の経歴をおさらい

高橋惠子の若い頃の経歴の中で、重要な転換期となったエピソードを解説していきます。若い頃から女優として活動していた高橋惠子ですが、その道程は平坦なものではありませんでした。

若い頃の経歴:大映の研修所でのレッスン

大映のスチールカメラマンにスカウトされたことで、芸能界入りした高橋惠子。最初は大映の研修所で演技のレッスンを受けています。

若い頃の経歴:デビュー作品は映画『高校生ブルース』

デビュー作は1970年に公開された映画「高校生ブルース」です。先ほど紹介したように南美川洋子の代役として主演を務めています。

若い頃の経歴:映画『遊び』出演を機に引退を撤回

若い頃から過激な作品に出演していたこともあり、本来の高橋惠子とは違ったイメージがマスコミに作られてしまいました。そういったこともあり、女優業を続けることを悩んで引退を考えたことがあったそうです。

1971年に引退作のつもりで挑んだのが、映画「遊び」でした。本作は増村保造監督による作品で、彼の情熱に感動したことから、引退を撤回することになりました。

本作は増村保造にとって大映で撮影した最後の作品になっており、すでに会社は倒産直前の状況だったのです。それだけに増村保造にとって強い気持ちで撮影を行っており、高橋惠子も大きな影響を受けて、引退撤回に繋がったのでしょう。

若い頃の経歴:東宝へ移籍

所属していた大映が倒産したことから、東宝に移籍。当時大映などの映画会社5社が行っていた五社協定という、引き抜き禁止の決まりが自然消滅したこともあり、高橋惠子は東宝に所属することになったのです。

東宝に所属してからも人気は変わらず、ドラマ「新・だいこんの花」に出演するなど順調な仕事ぶりをみせていました。

若い頃の経歴:映画『朝やけの詩』で主演

高橋惠子は1973年に熊井啓監督の映画「朝やけの詩」で主演。映画の冒頭で、全裸で湖を泳ぐシーンを披露しています。

高橋恵子が若い頃に愛の逃避行で失踪事件?

高橋惠子の若い頃の経歴の中では、失踪事件は非常に注目の点といえるかもしれません。一部では失踪事件の理由が、愛の逃避行だったという見方も。高橋惠子の失踪事件について解説します。

若い頃に起きた失踪事件の真相

太陽にほえろや朝やけの詩などを好演、また松田優作の劇団「F企画」にも挑戦していた高橋惠子。そういった経験から数年後の1977年に、高橋惠子は失踪事件を起こしたのです。

失踪前には自殺未遂

失踪事件を起こす前に、高橋惠子は大量の睡眠薬を服用して自殺未遂。女優業を休業することになります。

自殺未遂後は山奥での生活

女優業を休業した高橋惠子は、岐阜県の山村でにぎやかな都会から離れて生活を始めました。以前からマスコミに様々な記事を書かれており、そういったことが高橋惠子の心を傷つけた原因といわれています。

河村季里(作家)と一緒に暮らしていた?

実はこの岐阜県での山奥暮らしですが、愛の逃避行だったという見方も。失踪するかの如く都会を離れると同時に交際相手と暮らしていたそうです。

お相手は作家の河村季里。当時31歳だった河村季里と20歳の高橋惠子は、山奥で2人で愛の逃避行を続けていたと記事にされています。そして、そのときの週刊誌には「結婚」という文字も出ていましたが、実際は交際止まりだったことが確認されていました。

当時の愛の逃避行と失踪の内容とは

約2年の休業を経て復帰した高橋惠子。しかし、再び失踪して愛の逃避行を続けることになったのです。

失踪事件と舞台『ドラキュラ』降板劇

復帰後すぐの1979年7月21日に舞台「ドラキュラ」に出演する予定でした。高橋惠子はルーシー役を演じる予定だったものの、演技に対する恐怖心を感じ、同年7月20に突如失踪しています。

失踪事件後の帰国と謝罪会見

失踪後、高橋惠子はタイのバンコクにいることが確認され、さきほどの河村季里も一緒だったのです。高橋惠子は当時のことについて「毎日、舞台の夢を見ました」、「ストレスで腎盂炎になっていた」とコメントしていました。

また、タイに逃げても日本のメディアは彼女に付きまとっており、気持ちが休まることはなかったそうです。また、この失踪事件中にタイだけでなく、シンガポール、インドネシア、トルコ、ギリシャ、マレーシアなどに訪れていたことも告白しています。

そして、彼女は生命を絶つことも考えていたのだとか。高橋惠子がこういった気持ちの中で帰国することを決断したのは、トルコで出会った日本人登山家の存在でした。

日本人登山家の占術によって日本への帰国を決断。改めて芸能界復帰を宣言して謝罪会見を行いましたが、メディアのバッシングは強烈なものだったのです。

同時に舞台直前で失踪した賠償金なども支払ったと言われており、約1年間干された状態に近い時期を過ごしています。この時期、一部の俳優から共演NGを出されるなど、風当たりは強かったとのこと。それでも、「すべては自分が悪い」と謝罪を続けることになりました。

その後は高橋惠子に改名し女優復帰

1982年に映画監督の高橋伴明と結婚。彼が監督を務めた映画「TATTOO<刺青>あり」に出演したことがきっかけでした。

結婚を機に、関根恵子から高橋惠子に改名。以降は、以前のようなヌードになる作品とは決別し、大人の落ち着きのある役柄をこなすようになりました。高橋惠子によれば、夫との新婚旅行中に海を見ながら「関根恵子は死んだ」と感じたそうです。

高橋恵子以外の若い頃に色々あった女優陣

高橋惠子の若い頃の愛の逃避行に驚いた人も多いかもしれません。愛の逃避行を経て、バッシングに耐えながら謝罪会見を行い、見事復活を遂げた高橋惠子。実は高橋惠子だけでなく、他の女優陣も若い頃はいろいろあったのです。

若い頃に色々あった女優【宮沢りえ】

子役としてブレイクし、現在も女優として活動している宮沢りえ。彼女は「りえママ」と呼ばれた母親の元、天才子役として活躍しました。

同時に様々な騒動も起こしています。1991年に篠山紀信による写真集「Santa Fe」を発売し、その内容がヌード写真集だったことが大きなニュースとなりました。また、その1年後には貴花田との婚約を発表。芸能界引退の噂も流れたのです。

しかし、突如の婚約破棄。婚約解消は花田家側の意向と噂されています。そして、1994年には撮影で滞在していた京都のホテルで自殺未遂。一部では、中村勘九郎(後の中村勘三郎)と不倫の末の行動だったと推測されています。

このことに続いて、宮沢りえは拒食症で激ヤセ状態になったと報じられたのです。しかし、一連の騒動には不審な点も多く、宮沢りえ側による狂言説も。宮沢りえはその後も多くの騒動を起こすことになりました。

若い頃に色々あった女優【加賀まりこ】

元祖「魔性の女」とも言われるのが、女優の加賀まりこ。時代を先取りしたようなコケティッシュな容姿は多くの男性を虜にしました。また、本人の小悪魔的な性格は布施明、石坂浩二などを翻弄したと噂されているのです。

布施明、石坂浩二による三角関係が噂されていたとき、加賀まりこは未婚のまま女の子を出産することになりました。結果的に誰の子なのか不明だったこと、帝王切開で出産した子供はわずか7時間で他界するなど、複雑な結末となっています。

このようにプレイガールだった加賀まりこですが、現在も結婚していません。ただし、TBSの演出家とは事実婚関係と推測されており、お互いのプライベートを束縛しない関係を続けているとのことです。

若い頃に色々あった女優【オードリー・ヘップバーン】

映画「ローマの休日」を始め、様々な名作に出演し、世界的な人気を誇った女優のオードリー・ヘップバーン。彼女を射止めようと多くの男性が躍起になり、1人目の夫は彼女のために舞台脚本を作って送ったほどでした。

2人目のと夫は40歳のときに結婚。イタリア人心理学者だった人物だったようですが、相手の浮気が理由で離婚しています。晩年はオランダ人俳優と事実婚状態だったといわれています。

実はそんなオードリー・ヘップバーンも若い頃に不倫を経験していました。映画「麗しのサブリナ」で共演したウィリアム・ホールデンがお相手だったのです。

オードリー・ヘップバーンは彼との結婚を望んでいましたが、ウィリアム・ホールデンは病気のため精管を切除していたため、子供が望めないことから破局したと噂されています。

高橋恵子の若い頃は愛と女優の狭間で波乱万丈だった

高橋惠子の若い頃について紹介しました。若い頃の高橋惠子は芸能活動の休業、愛の逃避行や失踪事件など様々なトラブルを起こしていました。しかし、そういった愛の逃避行もメディアによる、彼女への一方的なイメージの押し付けが原因という見方もあるのです。

一時は干された時期もありましたが、その逆風に負けなかった高橋惠子は女優として再度花開くことに。現在も多くのドラマや映画に出演しており、落ち着いた大人な女性の雰囲気が魅力となっています。若い頃は波乱万丈の人生を送った高橋惠子ですが、様々な経験が現在の彼女の魅力繋がっているのでしょう。

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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