【埼玉少女監禁事件】寺内樺風の生い立ちから現在!判決やその後は

2016年に発覚した埼玉少女監禁事件。誘拐・監禁容疑で逮捕された寺内樺風は現在どうなっているのでしょうか。寺内樺風の生い立ちから少女監禁事件を起こすまでを追ってみました。また裁判で出た判決結果や、判決のその後についてもまとめてみました。

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目次

  1. 1寺内樺風とは
  2. 2寺内樺風の生い立ちについて
  3. 3寺内樺風が起こした寺内樺風の概要
  4. 4埼玉少女監禁事件の被害者や生活とは
  5. 5埼玉少女監禁事件の裁判と判決
  6. 6寺内樺風と被害者のその後や現在
  7. 7寺内樺風の逮捕後も埼玉少女監禁事件の謎は深い

寺内樺風とは

寺内樺風という名前を覚えている人も多いのではないでしょうか。寺内樺風という名前は2016年に発覚した埼玉少女監禁事件で有名になりました。この事件の中心人物、寺内樺風とは一体どのような人物なのでしょうか。寺内樺風の人物像について掘り下げていきたいと思います。

寺内樺風は埼玉少女監禁事件の犯人

寺内樺風は2016年に発覚した埼玉少女監禁事件の犯人として逮捕された人物です。2014年3月10日朝霧私立朝霧第三中学校1年生の少女が下校後に行方不明になるという事件が発生しました。心配した母親が埼玉県警に通報。

当時は少女の失踪事件として扱われていましたが、のちに寺内樺風による誘拐・監禁事件だったことが判明し、寺内樺風は逮捕となりました。

寺内樺風の名前「樺風」にも注目が

少女誘拐・監禁事件は少女が寺内樺風の隙を突いて逃げ出し母親に連絡を入れたことから発覚します。警察の捜査により寺内樺風が逮捕されると、2年間にも及ぶ少女監禁事件に関心が集まると共に、犯人の寺内樺風(かぶ)という名前にも注目が集まりました。

寺内樺風が逮捕されたのち取材に答えた友人は、”手配されている名前を見た時に血の気が引いた”と言い、”まさか誘拐・監禁などするはずがないと思う一方でとても珍しい名前なので彼のことなのだと悟った”と語っています。

寺内樺風の生い立ちについて

埼玉少女監禁事件の犯人として逮捕された寺内樺風は、少女を2年間も自宅に監禁しながら素知らぬ顔で大学に通っていたのです。なぜそのようなおぞましい行為が出来たのでしょうか。なぜ誘拐事件を起こしてしまったのでしょうか。

このような事件を起こす犯人は生い立ちが複雑であることが多いのですが、寺内樺風の生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。ここからは寺内樺風の生い立ちや家族について紹介していきたいと思います。

実家は大阪府池田市との噂

寺内樺風の生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。寺内樺風の実家は現在も大阪府池田市にあると言われています。寺内樺風は裕福な実家で育ったと噂されていますが、寺内樺風の親はどのような仕事をしていたのでしょうか。また寺内樺風の家族中はどうだったのでしょうか。

両親と妹がいる4人家族

寺内樺風の生い立ちですが、家族は4人で、両親と妹がいる環境で育ったようです。寺内樺風は妹と、とても仲が良く、一緒に一泊の温泉旅行に出掛けることもあったとか。寺内樺風は、13歳の少女を誘拐するという事件を起こしている事からシスコン気質があるのではないかという噂も広まりました。

父親は池田市内で会社経営

寺内樺風の実家は裕福な家庭であるとの報道がありましたが、父親が大阪府の池田市内で防犯関連の会社を経営しているのだそうです。また寺内樺風の祖父は大学教授をしているようで、家族には高学歴者も多いのだとか。寺内樺風の生い立ちは普通の人よりも恵まれたものだったようです。そのような裕福な家族の元で育った寺内樺風がなぜ誘拐事件を起こす事になったのか疑問が残ります。

少年時代は年下の子達のリーダー的存在

恵まれた生い立ちを持つ寺内樺風ですが、少年時代は年下の子達のリーダー的存在だった寺内樺風。寺内樺風には妹がおり兄として大変可愛がっていたといいます。そのような家族環境から面倒見がいい少年になっていたのかも知れません。

高校まで実家で親と共に暮らす

寺内樺風は高校を卒業するまでは大阪府にある実家で家族と一緒に暮らしていました。会社を経営している父親と家族4人で何不自由なく学生生活を送り、大学生になって実家を出ることになったようです。

中学は名門校で頭も良い

寺内樺風は生い立ちも良く、幼少期からかなり頭が良かったようで、中学校は全国でも有名な名門校に通っていたといいます。寺内樺風はどちらかというと大人しいタイプの人間だったようで、少人数の友達と関係を築いていたようです。

高校時代に彼女と交際するも破局

寺内樺風は、高校生の時には初めての彼女も出来て順調に交際をしていたようですが、破局してしまいます。しかし初恋の相手と破局してしまうのは珍しいことではありませんね。彼女と破局してしまったことが誘拐事件に繋がった訳ではないでしょう。

口下手だが好きな事に関してはお喋りな性格?

寺内樺風は大人しい性格で、目立つことが好きではありませんでした。口数も多い方ではなく、周りの人からは無口な人間と思われていた寺内樺風ですが、自身が好きな事や興味のある事に関しては人が変わったようにお喋りになるという性格だったようです。

千葉大学入学で実家を出る

高校を卒業した寺内樺風は千葉大学へ進学するため、実家を出る事になります。家族と離れ、実家を出たことが寺内樺風が誘拐・監禁事件を起こす引き金になったと言えるでしょう。

寺内樺風は千葉大学のすぐそばにアパートを借ります。このアパートこそが少女を2年間に渡って監禁していた場所なのです。このように人よりも恵まれた生い立ちを持つ寺内樺風がなぜ誘拐事件を起こすことになったのでしょうか。

カリフォルニア州のパイロット養成学校に留学も

寺内樺風は千葉大学に通っていた間に、カリフォルニア州のパイロット養成学校に留学しています。パイロットになるという夢があったのでしょうか。寺内樺風は養成学校で、念願の自家用免許を取得しました。

寺内樺風はこの養成所でも真面目に勉強に取り組む生徒だったようで、とても誘拐事件の犯人になるような人間には思えなかったと言われているようです。

事件前には防犯関連の会社への就職も内定

寺内樺風は千葉大学に通いながら少女を自宅アパートに監禁していました。寺内樺風は少女を誘拐し、監禁する生活を送りながら、真面目に就職活動も行っているのです。就職活動の結果、寺内樺風は防犯関連の会社への内定が決まっていました。寺内樺風の父親も防犯関連の会社を経営しているので、親の影響があったもかもしれませんね。

千葉大学を卒業後はこの防犯関連の会社に勤めることになっていた寺内樺風ですが、寺内樺風が大学を卒業した直後に監禁事件が発覚するのです。この事件を受けて内定は取り消され、大学の卒業資格もはく奪されています。

寺内樺風が起こした寺内樺風の概要

寺内樺風は千葉大学に通いながら少女を誘拐・監禁していました。家柄も良く、家族中も良好で生い立ちも良い人間が起こしたこの誘拐事件。

2016年に発覚したこの誘拐・監禁事件ですが、寺内樺風はどのような思いでこのような事件を起こしたのでしょうか。また逮捕された寺内樺風の現在はどうなっているのでしょうか。事件の概要を時系列で解明していきたいと思います。

少女監禁の入念な計画と準備

埼玉少女監禁事件は寺内樺風の入念な計画と準備により遂行されました。寺内樺風には中学生の頃から少女を誘拐したいという願望があったようです。少女を誘拐・監禁してずっと観察していたいという歪んだ欲望があり、中学生の頃から誘拐に関する本を読んでいました。家族や親は寺内樺風のおぞましい欲望に気づくことが出来なかったのでしょうか。

被害者誘拐の手口とは

寺内樺風は自分の欲望を叶えるため、まず誘拐の場所を選ぶことから始めました。少女を誘拐しやすい場所とは、自宅から遠すぎず近すぎず、都会過ぎず田舎過ぎない場所。その条件に合う場所を探します。そして見つけた場所が誘拐された少女の実家がある場所だったのです。

寺内樺風は何度も現場に足を運びます。入念に下見をしていたのでしょう。そこで1人の少女に目を付けました。少女が実家を学校を往復するところを確認し、少女の行動パターンを読んでいたようです。

寺内樺風は少女に狙いを定め、誘拐を実行します。しかし相手は中学生の女の子です。いきなり知らない人に声を掛けられ付いて行ってしまう年齢とは考えにくいでしょう。寺内樺風の誘拐の手口とは一体どのようなものだったのでしょうか。

寺内樺風は少女に近づきこう声を掛けました。「両親が離婚する。弁護士のところへ連れて行く。」この嘘を信じてしまった少女は車に乗ってしまうのです。そして車の中で目隠しをされ寺内樺風の自宅へ連れて行かれるのでした。

2年の凄まじい監禁生活

寺内樺風に誘拐された少女はその後2年に渡って監禁生活を送ることになるのです。寺内樺風は自宅玄関の外にかんぬき錠を掛けるなどして少女が逃げないように監禁。「君は家族から見放されている」「両親は君を探していない」などと繰り返し被害者を精神的に追い込み、洗脳していました。

こうして被害者の少女を、逃げ出しても意味がない、両親は自分のことを待っていないと思わせ逃げ出すのを防ぎました。また時間が経つと常に監視することはなくなり、被害者が一人で家にいることも多かったのですが、洗脳された被害者は2年もの間脱出を試みなかったのです。

寺内樺風が大学卒業後に被害者を東中野駅で保護

少女を2年に渡り監禁していた寺内樺風ですが、その2年の間に寺内樺風は引っ越しまでしているのです。被害者を監禁している状態で引っ越しが出来るというのは不可解なことですが、寺内樺風は千葉大学を卒業後すぐに東京都中野区のアパートに引っ越ししていたようです。

2016年3月27日、寺内樺風が外出した隙を狙って被害者は脱出を試みました。その日はいつも外から掛けられている鍵が掛けられていなかったのです。そして東中野駅の公衆電話から母親に電話を掛けました。

実家で電話を取った母親は、電話の相手が自分の子供であることを確認し、すぐに警察に連絡するよう促します。そして被害者の少女は警察に無事に保護されました。被害者の両親はマスコミに向けてコメントを発表。

「本日都内で娘が無事に保護されました。本当にすごくホっとしています。」と安堵し、「今後は娘との2年間の空白の時間を取り戻すべく、ゆっくりと時間を掛けて娘との時間を過ごしていきたいと思います。」とコメントしました。現在少女は家族と共に過ごしているようです。

寺内樺風を指名手配

被害者の少女が保護されたことが報じられると、寺内樺風は逃走を図ります。行方が分からなくなった寺内樺風は指名手配されることとなりました。監禁事件の犯人とされる寺内樺風の生い立ちや素性が報じられると寺内樺風の実家や家族にもマスコミが殺到しました。

静岡県伊東市にて血まみれ状態で逮捕

被害者の少女が保護された翌日2016年3月28日未明のことでした。静岡県伊東市にて近所の住人からの通報で警察が駆けつけたところ、血まみれで歩いている寺内樺風を発見。寺内樺風の身柄を拘束し、少女誘拐・監禁の容疑で逮捕しました。

寺内樺風は指名手配されて自殺を試みたものの、死にきれず血まみれになって放心状態で歩いていたようです。

新潟少女監禁事件を思わせる事件と言われる事も

寺内樺風が起こした埼玉少女監禁事件は、1990年11月13日に起きた新潟少女監禁事件を連想させる事件と言われています。新潟少女監禁事件では、9歳の少女が誘拐されその後9年に渡り監禁されました。この事件では被害者は犯人から日常的に暴力を受けていた上、脅迫的な文言を浴びせられ、両手両足を縛るなど物理的にも精神的にも脱出意欲を無くすように仕向けられていました。

また新潟少女監禁事件の犯人の男は、母親と同居しており、長らく引きこもりの生活を送っていました。母親は9年もの間自宅2階で少女を監禁している事に気づかなかったとされています。

またオーストラリアで起きた監禁事件に酷似していると話す捜査関係者もいます。オーストラリアで当時10歳の少女が監禁され8年後に脱出に成功しました。

当初の監禁生活では地下室に閉じ込められていた少女ですが、犯人の男に服従する事でラジオを聴くことを許可されたり、新聞を読むことを許されたりと徐々に”アメ”が増え、飼い慣らされていったのです。少女を洗脳し脱出意欲を失わせていたのは今回の事件と共通する所があるのでしょう。

埼玉少女監禁事件の被害者や生活とは

埼玉少女監禁事件の被害者の少女は2年に渡り監禁生活を送っていました。被害者の家族は行方不明の少女を必死に探していたようですが、当初は誘拐事件と認識されずに、少女が自らの意志で実家を飛び出したのではないかという推測もあったのです。

なぜ誘拐事件として捜査されることが無かったのでしょうか。その訳は少女が書いたとされる手紙にあったのです。埼玉少女監禁事件の被害者の少女の生活についてみていきましょう。

被害者の名前は斎藤杏花

寺内樺風が監禁していた被害者の名前は斎藤杏花さん。斎藤杏花さんの詳しい生い立ちは不明ですが、寺内樺風に誘拐されたのは彼女が13歳の時でした。そして2年間に渡り寺内樺風に監禁されていた斎藤杏花さんは、保護された時は15歳になっていました。

10代の多感な時期に実家に戻ることが出来ず、寺内樺風という犯罪者と生活を共にしなければならなかった被害者の心情は計り知ることが出来ません。

監禁生活中の両親へ手紙とは

被害者の少女は寺内樺風に監禁されていた2年間の間に家族に宛てた手紙を出しているのです。しかし家族に宛てたこの手紙は寺内樺風が被害者に書かせたもので、寺内樺風は被害者が自らの意志で家出したと思わせるように仕向けていたのです。

被害者が行方不明になった時は、実家のポストに「家も学校もちょっと休みたい。しばらく友達の家です。探さないでください」という内容の手紙が投函されていました。また行方不明から9日後の2014年3月19日には「元気に過ごしている。迷惑を掛けてごめんなさい。しばらくは帰らない」という内容の手紙が届いています。

実家に送られてきた手紙の筆跡は被害者のものと酷似しており、被害者の家族に対して、少女自らの意志で実家に帰らないと思わせるための寺内樺風の思惑だったのです。しかし被害者の家族は少女が家出などするはずがないと思い、必死に行方を捜していました。

寺内樺風の洗脳により逃亡出来ずの状態

寺内樺風によって監禁されていた少女は、洗脳状態にあったとされています。寺内樺風はアサガオの種から合成麻薬LSDに似た作用を持つ成分を抽出してドラッグを作り出し、少女に与える食事に混ぜて体調不良にさせたこともありました。

また少女は玄関に鍵が掛かっていない日があったため、外に出て近所の公園に行き、近くにいる人に助けを求めようと思ったが、誰も話を聞こうとせず、ショックを受けたこともあったようです。寺内樺風の”誰も助けてくれない”という言葉が本当なのではと思い、絶望し、寺内樺風の家に戻ったのです。

千葉県稲毛区3階建てアパート最上階で監禁生活

少女は千葉県稲毛区にある3階建てのアパートで監禁されていました。この場所は寺内樺風が通う千葉大学のそばで、学校に通学するのに便利な場所として借りていたアパートです。

食料品はインターネット購入メイン

少女は千葉県のアパートでどのような監禁生活を送っていたのでしょうか。2年間も周りの人に気付かれずに監禁生活を送ることは可能なのでしょうか。

寺内樺風が少女に与える食事などは主にインターネットで購入していたようです。現在はネットで何でも調達出来る時代です。現在は近所付き合いなどもほぼ無くなってきていますので、周囲にバレずに監禁生活を送る事が可能だったのでしょう。

被害者のパソコン使用を機に脱出

寺内樺風に洗脳され脱出意欲が失われていく中で、少女を救ったのはパソコンで検索した自分の情報でした。インターネットで検索した情報の中に、自分の両親の「味方だよ、ずっと待っているよ」というメッセージを発見し、その時に”涙が出た、絶対逃げたいと思った”と、監禁生活から逃げ出すことを決心するのです。

埼玉少女監禁事件の裁判と判決

少女誘拐・監禁容疑で逮捕された寺内樺風の判決公判が行われ、どのような判決が出たのでしょうか。少女の2年間を奪い、家族にも精神的ダメージを与えた監禁事件。重い判決が下されるべき事件ではないでしょうか。埼玉少女監禁事件の裁判と判決について調べてみました。

裁判では反省の姿を見せず

裁判が行われ判決が下された埼玉少女監禁事件。判決公判では誘拐した事実を認める一方で、少女を家に置いて外出したりアルバイト先に出勤していたと述べ、監禁については一部を否認しています。

判決公判で監禁生活の実態を聞かれた寺内樺風は、2年に渡り監視したつもりはないとよどみなく答え、玄関に掛けていたかんぬき鍵も強度が非常に弱く、簡単に取り外せると述べました。裁判では全く反省の色は見えなかったようです。

寺内樺風が裁判で精神病患者の演技も

埼玉少女監禁事件で逮捕された寺内樺風の判決公判が行われましたが、寺内樺風は奇声をあげながら入廷。「私はオオタニケンジでございます」と話し、着席した後も「職業は森の妖精です」「私はお腹が空いています。今なら1個からあげクン増量中」と訳の分からない発言を繰り返しました。

「ずっとこの調子なんですか?」という裁判長の質問に弁護人は「今朝からこの調子です」と答えています。寺内樺風は精神病のフリをして刑を軽くしようと考えていたようです。

裁判の判決は懲役9年

判決公判の結果責任能力があると判断され、裁判長は「被害者は心身とも成長する上で貴重な期間が失われ、大切な思春期を過ごす機会を失った」と述べ、寺内樺風に懲役9年の判決を言い渡しました。

判決が軽すぎると批判の声も

この判決結果は妥当なのでしょうか。世間からは刑が軽すぎると批判の声も上がっています。検察側は懲役15年を求刑していましたが、2年間の間に暴力行為が無かったということにより懲役9年という結果になりました。

寺内樺風と被害者のその後や現在

懲役9年の判決が下った寺内樺風は、現在どうなっているのでしょうか。また被害者の少女はその後どのような生活をしているのでしょうか。寺内樺風の現在と被害者の現在についてまとめてみました。

寺内樺風は千葉大学卒業取消処分

寺内樺風は少女を監禁していた当時、千葉大学工学部の情報画像学科に在籍していました。事件が発覚する直前に大学を無事に卒業していましたが、事件が明るみになり、千葉大学は現在寺内樺風の卒業認定・学位授与の取り消しをしています。

父親が自身の会社ホームページで謝罪

寺内樺風の逮捕を受けて父親は自身の会社のホームページに謝罪文を掲載しました。「事件の詳細につきましては現在警察にて捜査中でございますが、弊社ではこのような事態を招いた責任を重く受け止め、当面の営業を自粛させていただきます」と発表。

また「社会の防犯に務める立場にある組織として、関係者の皆さまには大変申し訳なく深くお詫びを申し上げる次第でございます」と謝罪しました。

寺内樺風が捜査関係者へ女子誘拐の願望供述?

寺内樺風は「女子中学生か女子高校生を誘拐、監禁して社会から隔離し、その変化を観察したい」と考えるようになり、過去の誘拐事件、監禁事件や洗脳に関する記事や書籍を読み、犯行のイメージを膨らませていったと供述しています。

被害者のその後は?

事件の被害者は現在どのような生活を送っているのでしょうか。現在被害者の少女と家族は元の生活に戻り始めているようです。事件を乗り越えようと家族皆で支えあっているのでしょう。

現在もPTSDに悩まされる日々との噂も

家族は元通りになりましたが、少女の心の傷は現在も癒えていないようです。事件を思い出させるような言動や行動をするとパニックになるというPTSDの症状に悩んでいるという噂もあります。2年間の恐怖と苦しみはそう簡単には癒えないでしょう。

寺内樺風の逮捕後も埼玉少女監禁事件の謎は深い

2016年に発覚した埼玉少女監禁事件についてまとめてみました。寺内樺風の生い立ちを辿ってもなぜこのような事件を起こしてしまったのか謎は深まるばかりです。懲役9年という短い期間で再び社会に紛れることになる寺内樺風ですが、自身の欲望で同じような犯罪を二度と犯さないようにしっかりと更生してほしいですね。

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vivichan0430

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