【栃木実父殺し事件】逮捕までの経緯とは!弁護士や裁判のその後は?

「栃木実父殺し事件」の逮捕までの経緯を解説します。この事件は「尊属殺重罰規定」が争点となり、後の刑法改正にも繋がった事件なのです。壮絶な被害者の人生を確認するとともに、栃木実父殺し事件の裁判や報酬のじゃがいも、その後について紹介します。

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目次

  1. 1栃木実父殺し事件とは
  2. 2栃木実父殺し事件の逮捕までの経緯
  3. 3栃木実父殺し事件を担当した弁護士とは
  4. 4栃木実父殺し事件の裁判の判決は?
  5. 5栃木実父殺し事件のその後や現在も調査
  6. 6栃木実父殺し事件は前代未聞の判決を下した事件

栃木実父殺し事件とは

日本において「尊属殺」と言う言葉が一般に広く知られるようになったと言われているのが「栃木実父殺し事件」です。「親と子とは何なのか」ということを改めて考えさせられる本件について解説します。

1968年に栃木県矢板市で起きた尊属殺人

事件が起きたのは1968年10月5日のことでした。栃木県矢坂市で被告人の女性が実父を絞殺し、逮捕されました。この事件はいわゆる「親殺し」である尊属殺人であり、その事件の概要がセンセーショナルに報じられたのです。

尊属殺重罰規定違憲判決にも注目が

事件の内容はもちろんですが、その裁判も大きく注目されています。裁判において「尊属殺加重規定」を無効とした判決が下されており、法律を「違憲」と判断したからです。この事件以降は尊属加重規定は適用されておらず、1995年の改正刑法で正式に削除されることになります。

これは親殺しの場合、「通常の殺人よりも罪が重くなる」という「加重規定」が尊属殺に適用されていたことが大きく関係しているのです。そのことを念頭において事件に関して確認していきましょう。

当時29歳の娘が父親を殺害

「栃木実父殺し事件」は当時29歳の娘が父親を殺害しています。後ほど詳しく解説しますが、娘は15年に渡って、実父から強姦され続けていたのです。

娘の名前はサチ?

実父を殺害した娘の名前は「サチ」と言われています。事件の内容が実父から強姦を受けていたということもあり、個人の特定に繋がるような名前などの情報は隠されたのでしょう。

現在でも未成年による事件は名前が非公表となっています。ただし、現在ではSNSなどの普及から事件に関わった人たちの名前が流出することもあるのだとか。こういった名前を中心とした情報の秘匿に関する議論は現在も続いています。

名前は非公表だが仮名「浅川サチ」とメディアが掲載

娘の名前は非公表となっていますが、メディアにおける仮名は「浅川サチ」というものが使われていたとのこと。未成年の事件において名前が非公表になることは多いようですが、栃木実父殺し事件でもプライバシーを守ろうという配慮があったようです。

栃木実父殺し事件関連の漫画も話題に

世間で大きな話題となった事件が小説や漫画のネタに使われることは多いのだとか。栃木実父殺し事件も事件の内容が漫画化されていました。事件の内容をざっくりと知る上では、漫画でチェックするというのも一つの選択肢と言えるかもしれません。

栃木実父殺し事件を始め、世の中に影響を与えた事件は漫画化やドラマ化、映画やドキュメンタリーなどが製作されています。「吉展ちゃん誘拐殺人事件」や「大久保清連続殺人事件」などが代表的です。犯人を泉谷しげるやビートたけしが演じています。

漫画『殺人犯の正体』

栃木実父殺し事件を漫画化したのは「殺人犯の正体」という作品です。漫画は鍋島雅治と岩田和久によって9件の殺人事件の内容が記されています。現在は電子書籍化されているので、漫画を通して事件の内容を知りたい人はチェックしてみましょう。

漫画では栃木実父殺し事件だけでなく、他の有名な事件も分かりやすく描写されています。事件の名前は聞いたことがあっても中身までは詳しく知らない、という人にも漫画版がおすすめです。

栃木実父殺し事件の逮捕までの経緯

栃木実父殺し事件の逮捕までの経緯を解説します。サチ(仮名)はなぜ父親を殺害するに至ったのでしょうか?そこには15年に渡る筆舌に尽くしがたい出来事が行われていたのです。

サチ(仮名)逮捕までの経緯①父親による性的虐待

サチは市営住宅に両親と兄弟を合わせて9人で生活していました。そして14歳のときに父親に強姦され、性的虐待を受けています。これは一度どころか、週に2度3度行われており、15年間続いたとのことです。

サチ(仮名)逮捕までの経緯②相談するも母親が家出

約1年経ったある日、サチは母親に父親のことを相談しています。母親は激怒して父親とケンカになったものの、刃物を突きつけられたことから家出したとのこと。父親のもとに残されたのはサチと兄弟の中の妹1人でした。

サチ(仮名)逮捕までの経緯③父親の子供を妊娠&出産

妻が出ていったことで父親の性的虐待は加速。毎日のようにサチは性的虐待を受けて、17歳のときに妊娠と出産を経験しています。

サチ(仮名)逮捕までの経緯④中絶と出産の繰り返し

サチはその後、父親との間に5人の子供を出産。また、そのうちの2人は生後まもなく亡くなっています。サチは出産だけでなく中絶手術を5回行っており、6回目のときに医師から「これ以上は身体がボロボロになる」と告げられて、不妊手術が行われました。

サチ(仮名)逮捕までの経緯⑤同僚との恋と自宅軟禁状態

子供を育てるために、父親の反対を押し切って印刷工場で働きに出たサチ。友人も出来て、仕事は楽しかったそうです。そんなある日に、サチは職場の同僚と交際を始めました。彼氏はサチより7歳年下で温厚な人物、一緒に駅まで帰って喫茶店でデートをするような日々が続いたとのことです。

このときサチは29歳になっており、彼女にとっての初恋だったのです。サチ自身は父親から逃れられるとは思っておらず、結婚も叶わない夢だと感じていたのだとか。しかし、彼氏はサチに子供がいることを知っても結婚を申し込んできました。

彼氏はサチが父親から性的虐待を受けたことで子供が居るとは知らなかったのだとか。彼氏の「幸せにする」という言葉に希望を抱き、父親にプロポーズされたことを伝えたそうです。しかし、そのことを知った父親は彼氏を「殺す」と脅したため、サチは「仕事を辞めて家にいる」ことを条件に彼氏の安全を約束してもらいました。

サチ(仮名)逮捕までの経緯⑥父親殺害を実行

サチの前に現れた希望は父親によって壊されてしまったのです。彼氏はいきなり職場を辞めたサチを不審に思っていたところ、上司から家に居ることを知らされたとのこと。そして、サチも彼氏に会いに行くために、こっそりと外出しようとしたのですが、父親に見つかって会うことは叶いませんでした。

父親は彼氏だけでなく、サチが産んだ子供を人質状態にしていました。サチはついに「このままでは自分だけじゃなく、子供たちにも手を出される」と感じたそうです。そして、いつものようにサチの元に近寄ってくる父親の浴衣の紐を握って、絞殺してしまったのでした。また、父親は首を締められている間、無抵抗だったそうです。

栃木実父殺し事件を担当した弁護士とは

サチは栃木実父殺し事件の被告として裁判を受けることになります。この栃木実父殺し事件はサチだけでなく、彼女の弁護を担当した弁護士も重要な存在となっていくのです。栃木実父殺し事件を担当した弁護士は、どういった人物だったのでしょうか?

担当弁護士の名前は「大貫大八」

栃木実父殺し事件の担当弁護士の名前は「大貫大八」です。大貫大八は1903年6月1日生まれで1971年7月2日に亡くなりました。栃木実父殺し事件を大貫大八が担当したことで、後の判決に大きく関わったと考えられています。

弁護士は無報酬で栃木実父殺し事件を担当

サチは父親に軟禁状態だったことから十分な資金がなく、国選弁護士を予定していたと言われています。ところが、大貫大八は無報酬で栃木実父殺し事件の担当をすることを名乗り出たのです。

これはある女性が大貫大八の事務所を訪れて、栃木実父殺し事件の真相を語ったことが関係しているのだとか。実は当時、栃木実父殺し事件の内容として、サチが父親から度重なる性的虐待を受けていることは報道されていなかったのです。

事件の真相を知った大貫大八はサチの弁護士を務めることを決断。国選弁護士は各審の度に担当が変わるため、サチのサポート不足になると考えたことも関係しています。

サチ(仮名)の弁護士への報酬はじゃがいも?

大貫大八はサチの弁護を無報酬で担当しています。実際には先ほどの女性に事件の真相を知らされた際に弁護を依頼され、鞄一杯に詰まったじゃがいもを渡されたのだとか。これは女性が貧しく、弁護料を払えなかったため、なんとか代わりに用意したものが、じゃがいもだったのです。

鞄に詰めたじゃがいもを持参したのは母親

実は大貫大八に事件の真相を伝えに来たある女性というのは、サチの母親だったのです。夫に脅されたことで子供たちの一部を連れて家出した後も、サチのことを忘れたわけではなかったということなのでしょう。

サチのために何とか力になりたいと考え、お金を払えない代わりにじゃがいもを持ってきたのかもしれません。本来、弁護士への報酬は高額と言われるだけに、いくら鞄いっぱいのじゃがいもといえ、報酬としては割に合わなかったと言えるかもしれません。

それでも、大貫大八はじゃがいもを受け取って、栃木実父殺し事件の弁護を担当することを決断しています。栃木実父殺し事件は大貫大八の協力によって、サチは救われる事になっていくのです。

裁判中に担当弁護士がガンで入院

大貫大八は栃木実父殺し事件の被告であるサチを弁護していましたが、途中でガンを患って入院しています。栃木実父殺し事件の担当弁護士を続けられない状態になったのです。

その後は大貫大八の息子が担当弁護士に

そこでサチを弁護することになったのが、大貫大八の息子でした。息子も弁護士として活動しており、父親から事情を聞いたのか、サチの担当弁護士となって、最後まで彼女に寄り添うことになります。

サチの母親にお金の代わりに、じゃがいもを報酬として渡されたにもかかわらず、大貫親子は最後まで栃木実父殺し事件の弁護を担当してくれたのです。じゃがいもではとても弁護費用にはならなかったでしょうが、サチや母親の事情を踏まえて協力してくれたのかもしれません。

栃木実父殺し事件の裁判の判決は?

栃木実父殺し事件の裁判の判決はどのように下されたのでしょうか?栃木実父殺し事件の内容を踏まえながら、争点となった「尊属殺」に注目しましょう。栃木実父殺し事件の判決によって、尊属殺に関する規定も大きく変化していくことになります。

尊属殺重罰規定違憲判決の対象に

栃木実父殺し事件は「尊属殺重罰規定」というものが、重要な争点になりました。簡単に言うと通常の殺人よりも、子供が親を殺す場合のほうが「重罰に処される」というものなのです。基本的に尊属殺の場合は、死刑か無期懲役になっていたとのことです。

それだけでなく、通常の殺人罪であれば減刑によって執行猶予が付けられる場合があります。尊属殺の場合は実刑になるのが基本的でした。栃木実父殺し事件の担当弁護士である大貫大八は尊属殺重罰規定自体を「違憲」として主張し、争っていくことになりました。

裁判にて担当弁護士は正当防衛を主張

大貫大八は父親から長期間に渡る性的虐待を受けたサチは「心神喪失状態」であり、殺人も「正当防衛」だったと主張しました。しかし、栃木実父殺し事件において、サチは父親の浴衣の紐で首を締めており、この2つの主張が受け入れられない可能性が高かったそうです。

弁護士の主張が認められ無罪判決になるも破棄に

大貫大八は尊属殺の重罰規定を違憲という主張をメインにし、第一審で無罪判決を勝ち取っています。しかし、その後に第二審では判決が破棄されただけでなく、サチは父親を弄んでいたという風な判断が下されたのです。そのため、第二審は無罪どころか懲役3年6ヶ月の実刑判決が下されました。

サチ(仮名)への最終的な判決は?

栃木実父殺し事件の第二審が実刑となったものの、大貫大八弁護士は上告。体調を崩した大貫大八に変わって、息子が栃木実父殺し事件の担当弁護士を引き継いでいます。

裁判は栃木実父殺し事件だけでなく、同時期に起きた「秋田県姑殺し未遂事件」、「奈良県養父殺し事件」と合わせて審理が行われ、最高裁判所で違憲立法審査権というものが行使されました。

これは尊属殺人の刑罰を定めた刑法200条が憲法に適合しているかの審理を行うというものだったのです。結果的に刑法200条は違憲と判断され、サチは懲役2年6ヶ月、執行猶予3年という判決を下されました。

サチが起こした栃木実父殺し事件の裁判はこれで終わり、彼女は殺人に関わったものの、執行猶予付きの判決となったのです。つまり、サチが受けた性的虐待などを考慮した上で、正当防衛も認められたと言える判決だったと言えるでしょう。

栃木実父殺し事件のその後や現在も調査

栃木実父殺し事件のその後や現在について調査しました。事件を知った母親がじゃがいもで何とか弁護士に依頼し、最終的には尊属殺重罰規定を違憲とした事件。その後のサチはどうなったのでしょうか?

違憲判決その後のサチ(仮名)は旅館勤務

サチは栃木実父殺し事件において執行猶予の判決を受けたため、一般生活を続けることが出来ました。噂では旅館に勤務をして女中として働いたと言われています。また、3人の子供たちは様々な理由から施設で暮らすことになりましたが、サチとは週に1回会って一緒に過ごしていたとのことです。

栃木実父殺し事件ではサチが彼氏と結婚を決断したことが大きく関わっていますが、事件後は別の男性と結婚したとのこと。サチは印刷工場で勤務していたときもそうですが、周りの人からとても好かれていたそうです。それだけに、彼女の15年間における性的虐待は非常に辛く、社会との関わりを大きく阻害していたと言えるかもしれません。

栃木実父殺し事件のその後は刑法改正?

栃木実父殺し事件の判決を踏まえて、尊属殺重罰規定に関する刑法200条は見直されることになりました。しかし、すぐには刑法改正とはならず、長い期間をかけて議論が行われていったのです。

栃木実父殺し事件を機に刑法第200条を改正

現在、尊属殺重罰規定は1995年に刑法第200条が改正されました。栃木実父殺し事件が無ければ、現在も尊属殺重罰規定の内容は変わっていなかったかもしれません。

現在は弁護士への年賀状?

栃木実父殺し事件後、サチは毎年のように担当弁護士に年賀状を送っていたそうです。しかし、担当弁護士は年賀状出すことをやめるように伝えました。その理由は、年賀状を始めとして、手紙を送る度に事件を思い出してしまうだろうと考えたためでした。

そのことを伝えられたサチは、それ以降は弁護士に手紙や年賀状を送ってくることはなくなり、その後は連絡を絶っているとのこと。栃木実父殺し事件の担当弁護士は最後までサチのことを考えていたと言えそうです。

現在も親から子供への性的虐待問題は少なくない

栃木実父殺し事件の判決は1973年4月4日に行われました。そこから数十年が過ぎていますが、現在でも親から子供への性的虐待問題は存在するのだとか。昔に比べて現在は、SNSへの書き込みやスマホによる相談が行えるため、性的虐待は表沙汰になりやすいそうです。

それでも、子供たちが親から受けた性的虐待は消えるわけではなく、一生のトラウマになってしまうことも多いと言えるでしょう。また、性的虐待は決して女性だけでなく男性にも行われています。時には親は自分の行いを「しつけ」だと弁解することもあるのです。

栃木実父殺し事件は前代未聞の判決を下した事件

栃木実父殺し事件やその後について解説しました。サチは実父から受けた性的虐待の末に殺人を犯していました。また、家から逃げていた実母は弁護士に鞄いっぱいのじゃがいもを持って行き、弁護を依頼していたのも驚きかもしれません。

サチが受けた辛い出来事は消えるわけでは有りませんが、判決後は幸せな生活を送っていると言われています。同時に栃木実父殺し事件は憲法や刑法に対して違憲という判断を下した前代未聞の事件となったのです。今後もこういった性的虐待による被害者が現れないよう、漫画などの作品を通して事件を学び、親と子の関係を向き合ってみましょう。

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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