トニー谷まとめ!経歴やダンスは?性格なども調査!

戦後を代表する芸人であるトニー谷ですが、ピコ太郎との関係が注目されています。トニングリッシュやそろばん芸で人気を博したトニー谷について、ピコ太郎との繋がりだけでなく、経歴や性格、流行語にもなったざんす口調やダンスについてもまとめました。

トニー谷まとめ!経歴やダンスは?性格なども調査!のイメージ

目次

  1. 1トニー谷のプロフィール
  2. 2トニー谷とダンスの関係
  3. 3トニー谷の性格やピコ太郎との関係も調査
  4. 4トニー谷の長男誘拐事件や晩年について
  5. 5トニー谷は戦後を代表する舞台芸人

トニー谷のプロフィール

・愛称:トニー谷
・本名:大谷 正太郎(おおたに しょうたろう)
・生年月日:1917年10月14日
・年齢:69歳(1987年7月16日没)
・出身地:東京都中央区銀座
・血液型:不明
・身長:167cm
・体重:不明
・活動内容:芸人、歌手、俳優
・所属グループ:なし
・事務所:不明
・家族構成:谷かつみ(息子)、大谷正美(息子)

トニー谷の経歴

戦後を代表するヴォードヴィリアン、演劇芸人として知られているトニー谷ですが、まずはどのようにして彼という人物が出来上がっていったのか、その経歴を見ていきたいと思います。一風変わった経歴を持っている人間が多い芸人の中でも、異端と言ってもいい経歴の持ち主です。

経歴①薬屋や第一ホテル東京への就職

複雑な家庭事情で実の父母を両方10代の頃に失ったトニー谷は、義父からの虐待などが激しくなってから1935年、17歳の時に家を出て日本橋の薬屋に就職しました。当時日本は太平洋戦争へと向かっていく道の途中であり、1937年にはトニー谷も召集されることになりました。

1940年に除隊となったトニー谷は、第一ホテル東京に就職しました。その時の演芸会で司会をつとめ、その才能の片鱗を見せたといいます。1942年には結婚をしたものの、すぐにトニー谷は最召集され、その妻も1945年の東京大空襲で行方不明となってしまいました。

経歴②戦後に欧米的なネタを披露

トニー谷は終戦後に欧米的なネタを披露して、人気を博しました。「トニーイングリッシュ」と呼ばれる英語を交えた独特の英語や、マダムをイメージした「ざんす」という口調は流行しました。今でもトニー谷の影響がみられる作品も多くあります。

戦後代表する人気芸人にブレイク

トニー谷にとってのターニングポイントになったのは、戦後1949年の日米野球の司会でした。本来は他の人が務めるはずだったのですが、スケジュールの都合で出る事ができず、トニー谷に仕事が回ってきたものでした。

そこでトニー谷は、司会の代役を見事にこなし、場を沸かせて芸人としてのキャリアをスタートさせることになりました。様々な人の目に留まり、トニー谷の人気はうなぎのぼりで仕事も増えていくことになります。

タモリと比較されることも多い

トニー谷は、その風貌や芸風から「お笑いBIG3」に数えられるタモリとよく比較されます。実は1982年にトニー谷は若かりしタモリと共演しており、意気投合したのです。そのため「タモリはトニー谷の系譜を継ぐ者だ」と位置付けられる事もありました。

「さいざんす」などのトークが特徴的

トニー谷は日米野球の司会から一気に有名になりましたが、あえて日系アメリカ人をマネするという芸風を取り入れていきました。カタコトの外国人は当時の芸人としては珍しく、「さいざんす」などのセリフを皆がマネしていたようです。

トニー谷流の英語で受け入れられない事も

「トニーイングリッシュ」がウケる一方で、終戦後の日本で多くの人たちが家族を失っていたために、トニー谷を快く思わない人間も決して少なくない数いたようです。今でいう一発屋であると捉えられていたようです。

 

トニー谷のそろばんを奏でる姿も話題に

トニー谷は子供の頃に習っていたそろばんを楽器のように用いて鳴らすという、不思議な芸を持っていました。しかし、実はこのそろばんを使った芸は坊屋三郎のアイディアだったようで、芸を盗んだとして激怒されていたようです。

トニー谷とダンスの関係

トニー谷と音楽は切っても切れない関係にあると言っていいでしょう。ここではトニー谷とダンスがどのような関係があるのかを見ていきましょう。

トニー谷は宝塚会館へダンス通い

トニー谷は芸人デビューを果たした後、兵庫県宝塚市で新藝座に出演することになりました。その機会にトニー谷は宝塚会館へと足を運び、ダンスに通っていたそうです。

ダンス通いの後に「さいざんす」などざんす調が誕生

宝塚会館に通っていたトニー谷ですが、そこで知り合った有閑マダムと会話している際にあることを閃きました。これが「さいざんす」などのざんす口調の始まりであったと言われています。

大阪ミナミのダンスショーの楽屋に乱入の過去も

なんとトニー谷は、大阪のミナミにあるヌード劇場に乱入し、踊り子たちの風呂に乱入して勝手に裸体を撮影した事があるようです。フィルムを返却して事なきを得たようですが、今の世の中であれば完全に逮捕されている案件ですね。

トニー谷の性格やピコ太郎との関係も調査

ここからは、トニー谷の性格に関する話や、似ていると言われている「ピコ太郎」との関係を調べてまとめます。人気芸人であったトニー谷ですが、性格については様々な悪い噂があります。1つずつ見ていきましょう。

トニー谷の性格はキザ?

トニー谷は有名な芸人でありながら、共演している方々やお客さん、見てくれる人達など全てのものを小馬鹿にするような態度や言動が多く見られました。欧米的な芸風も加わってキザなイメージを誰もが持っていたようです。

イヤミな性格で「おそ松くん」のキャラにも

誰もが知っている名作「おそ松くん」には、なんとトニー谷がモチーフとなっているキャラクターが登場します。赤塚不二夫はそのキャラクターに対して一切の迷いなく、「イヤミ」と名付けたそうです。ざんす口調で喋る嫌味でキザな男、まさにトニー谷のようなキャラクターです。

トニー谷とピコ太郎の関係

「PPAP」というリズムネタで世界中で話題になったピコ太郎ですが、その風貌や芸風からトニー谷との関係を気になっている方も多いようです。ここではトニー谷とピコ太郎の関係について探っていこうと思います。

ピコ太郎とは

・愛称:ピコ太郎
・本名:古坂 和仁(こさか かずひと)
・生年月日:1973年7月17日
・年齢:45歳(2019年7月現在)
・出身地:青森県青森市
・血液型:A型
・身長:186㎝
・体重:不明
・活動内容:(タレント、女優、モデルなど、活動している職業を複数記載)
・所属グループ:(アーティスト、アイドルなどグループに所属している場合)
・事務所:M2カンパニー、フリー、エイベックス
・家族構成:安枝瞳(妻)

ピコ太郎の芸風がトニー谷に似てると話題に

トニー谷とピコ太郎の共通点は、「珍妙な英語の使い方」にあります。独特なリズムをとって不思議な呪文のような英語を唱えるピコ太郎を見て、トニー谷を思い出す人も多いようです。なんとあのビートたけしも、ピコ太郎を見て全盛期のトニー谷さんを思い出すと語っていたようです。

トニー谷の長男誘拐事件や晩年について

トニー谷の人生を語る上で欠かせないのが「長男誘拐事件」です。結果として、この事件をキッカケにトニー谷の人気は落ちてしまうことになります。ここではその事件の概要や、なぜトニー谷の人気が落ちていったのかを見ていきましょう。

1955年にはトニー谷長男誘拐事件が発生

1955年、人気の絶頂期の真っただ中にあったトニー谷をある事件が襲いました。7月15日にトニー谷の息子が誘拐されてしまったのです。この事件は大々的に報道され、世の中はその話題でもちきりになりました。

数日後に犯人逮捕で長男は無事救出

その数日後に犯人は逮捕され、長男も無事に帰ってきました。しかしそれで一件落着とはいきませんでした。犯人の動機が「トニー谷の人を小馬鹿にしたような芸風に腹が立った」というものだったからです。

息子が無事に帰ってきたということもあり、世間の目はトニー谷の芸風の是非へと移っていきました。マスコミもこれまで秘密にされてきたトニー谷の出自などを暴き、性格の悪さなども露呈しまったため、一気に人気が落ちていくことになってしまったのです。

その後は低迷期突入

被害者の立場でありながら人気が落ちてしまったトニー谷ですが、そこからは低迷期に入っていくことになりました。芸風が飽きられ、嫌味な性格もバレてしまったためトニー谷と仕事をしたいと思う人がおらず、ほとんど仕事が無い時期になりました。

トニー谷の晩年

低迷期に入ってしまったトニー谷ですが、番組終了などを機に1971年からハワイに土地を購入して数年の間過ごしました。ここでは1977年ごろに日本に帰ってきたトニー谷の晩年がどのようなものなのか見ていきたいと思います。

「ご同業対抗歌合戦」で司会担当

1982年にトニー谷は、オール阪神巨人とテレビ大阪の番組「ご同業対抗歌合戦」で司会をつとめました。既にトニー谷の性格は芸能界の内外に知れ渡っており、オール阪神巨人はうまく機嫌をとりながら最終回まで勤め上げたようです。

最後の出演番組は「爆笑おもしろ客席」

トニー谷の最後のテレビ出演は1986年のみのもんたが司会をつとめていたテレビ東京の番組「爆笑おもしろ寄席」でした。懐かしのそろばん芸を披露し、その姿は生中継されたようです。

トニー谷は戦後を代表する舞台芸人

トニー谷は波乱万丈な人生を送った、戦後を代表する舞台芸人です。戦後から現代まで影響されている芸人や作品も多く、よく名前を挙げられる人物です。

性格の悪さなどから世間に嫌われてしまい、晩年は人気も落ちてしまいましたが、最後まで芸人として生き、自分を貫き通したその姿に感銘を覚える人もいたようです。

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この記事のライター
まるすけ
1993年東京生まれ広島育ちの20代男。 基本的にドラマや映画、漫画などの娯楽に日常的に触れています。 特にア...

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