【尼崎事件】全貌や真相とその後!角田美代子の生い立ちや死因は?

2012年に発覚した尼崎事件。主犯格として逮捕された角田美代子には壮絶な生い立ちを経験しているという噂や、本名が韓国姓では?という噂もあります。尼崎事件の全貌を解明すると共に、角田美代子の生い立ちや性格、本名についても調べてみました。

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目次

  1. 1尼崎事件とは
  2. 2尼崎事件の全貌や真相
  3. 3尼崎事件主犯格の角田美代子の生い立ち
  4. 4尼崎事件の裁判と判決
  5. 5尼崎事件と角田美代子のその後
  6. 6尼崎事件は角田美代子の自殺で真相は闇のまま

尼崎事件とは

尼崎事件とは、2012年10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人死体遺棄事件。主犯格とされる角田美代子が長年に渡り複数の家族を乗っ取り、支配し、崩壊させました。また自ら手を下すことなく肉親同士や親族同士が暴力や殺人を犯すように洗脳し、複数の家族を壊滅させたというのが特徴的な事件です。

一人の中年女性にこれほどまでに多くの人の心を操る力があったというのでしょうか。事件には角田美代子の生い立ちや性格が関係しているのでしょうか。ここからは、なぜこの尼崎事件が起きてしまったのか、複雑すぎる事件の全貌を解明していきたいと思います。

2012年に起きた連続変死事件

尼崎事件が発覚したのは、2012年10月のことでした。ある一つの事件から連続変死事件が発覚するのですが、その発端となった事件とは40代女性の監禁事件でした。監禁状態にあった40代の女性は、2011年11月に監禁から抜け出し、警察に助けを求めます。

警察の捜査が入り、傷害容疑で逮捕されたのが角田美代子でした。その後の捜査で監禁されていた女性の母親の死亡事件が発覚します。

この死亡事件を受けてさらに警察が捜査を進めると、2012年10月に別件で逮捕されていた角田美代子の従犯者が全面的に犯行を自供し、長年に渡る一連の失踪事件や死亡事件が明るみになりました。

不審死や失踪の発覚

角田美代子の周辺では、1987年頃に角田美代子と同居していた女性の失踪を発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いでいました。しかし2012年10月に従犯者が自供するまでの間、一連の事件が明るみになる事は無かったのです。こうして連続変死事件が発覚し、警察の更なる捜査が始まります。

尼崎事件の主犯格は角田美代子

尼崎事件では、一連の不審死や失踪事件による逮捕・書類送検者は17名に及びました。その主犯格とされているのが角田美代子なのです。逮捕者の中には自らの意志ではなく、角田美代子の支配下にあり否応なく事件に加担させられていた者も多くいるようです。他に類を見ないこの凶悪な尼崎事件。事件の全貌や真相に迫ってみたいと思います。

尼崎事件の全貌や真相

2012年10月に発覚した尼崎事件。尼崎事件で主犯格として逮捕された角田美代子は2012年12月に留置所で自殺を図り死亡しています。犯人が死亡したことにより、事件の真相は闇の中となってしまいましたが、明かされている情報を元に、尼崎事件の全貌を詳しく解明していきたいと思います。

主犯格の角田美代子と複数人での監禁

角田美代子は、尼崎市で在日韓国人の内縁の夫と義理の妹と3人で暮らしていました。その後1980年代から”家族解体業”を始めるのです。角田美代子はターゲットにした家族を暴力で支配し、お金を巻き上げた上、自宅を乗っ取り家族を崩壊させていきます。

角田美代子は乗っ取った家族の中で優劣を付け、気に入った者を贔屓し憎悪を煽るなどして家族間でお互いを監視するように仕向けるのです。

血縁関係無しの人達で共同生活

角田美代子はターゲットにした家族を精神的に崩壊させ、共同生活を送る事で自分の支配下に置いていたのです。共同生活を送る中で次第に洗脳され自分の意志を失う者や、犯罪を助長する者が出る一方で、この監視生活から逃げ出す者もいました。しかし、逃げる者は容赦なく追跡され、死に追いやられるのです。

角田美代子の義理のいとこ李正則は、『角田美代子ファミリーの暴力装置』と呼ばれ、逃げた者や反抗する者を強い力でねじ伏せる役目を担っていたとされています。

食事や排泄制限のある環境

角田美代子ファミリーとの共同生活の中には、角田美代子の怒りに触れるとベランダの物置に監禁されるという罰があります。監禁となった者には『食事制限』や『排泄制限』があるのです。食事は基本一日茶碗一杯の卵かけごはん、カップラーメン、おかず一品で、一日に一回の時もあれば数日に一回という時もありました。

また時にはご飯をいっぱい食べさせ、排泄を我慢させるという遊びをしていたそうです。ギリギリまで我慢させ、その姿を見て角田美代子は笑っていたのだとか。

角田美代子のマンションで共同生活を送り、ベランダの物置に監禁されその後死亡した女性は、真冬にも関わらず半袖Tシャツに七分丈のパンツという姿でした。また角田美代子ファミリーの暴力装置と呼ばれていた李正則は、角田美代子からの指示で日常的に虐待をしていたと言い、洗濯バサミで身体を掴み引っ張り、痛がる姿を見て皆で笑っていたと供述しています。

物置には監視カメラが取り付けられており、リビングで常に監視出来る状態となっていました。また監禁された者は角田美代子の機嫌が直り、許すという合図が出た後にリビングに戻ることが出来るのだそう。角田美代子は日常的に監禁を強いていたようです。

警察の対応が遅れた理由は角田美代子の策略?

この尼崎事件は長年の間明るみになっていませんでした。なぜ何件もの不審死や失踪事件が相次いでいたのにも関わらず、長期間警察の捜査が行われなかったのでしょうか。それには警察の民事不介入という原則があったからだと言われています。

尼崎事件では金銭トラブルや失踪という事案が多かったため、警察の対応が遅れたという事実があります。少なくとも50回以上警察への相談があったと言われていますが、深い捜査に踏み切る事が出来なかったようです。警察が民事不介入という事を理解していた角田美代子の策略とも取れるでしょう。

尼崎事件主犯格の角田美代子の生い立ち

他に類を見ないこの凶悪な尼崎事件。主犯格の角田美代子は非力な中年女性でした。なぜ一人の中年女性が何人もの人の心を操り、支配することが出来たのでしょうか。このような凶悪な事件を起こすことになったのは、角田美代子の生い立ちや性格が関係しているのかも知れません。ここからは角田美代子の生い立ちや性格について探ってみたいと思います。

幼少期は裕福な生活で父親の影響が強い

凶悪な事件を起こした角田美代子の生い立ちや性格についてみていきましょう。角田美代子の生い立ちは複雑だったようです。尼崎市内で生まれた角田美代子は、幼少期に両親が離婚し、父親に引き取られ育てられました。しかし、凄腕の手配師だった父親のおかげで裕福に育ち、幼少期はお金に困ったことはありませんでした。

凄腕の手配師とは、全国から尼崎に集まった体力自慢で素性の分からない荒くれ者たちを自宅に住まわせ、手なずけるという仕事。正にその後の角田美代子を彷彿とさせる家庭環境があった訳です。

凄腕手配師の父親は、普段から睨みを利かせて圧倒的な圧力で彼らを抑え込み、恐怖心を植え付け、”この人には敵わない”と思わせていました。また労働者が汗水流して稼いだお金から、食事代や酒代など色々な名目で約4割のお金を奪い取る一方で、食事を与え時には酒を飲ませるなど、アメとムチを使い分けて彼らを手懐けていたのです。

ターゲットにした家族を奪い取り、アメとムチを使い分け、自分の支配下に置いていた角田美代子の行いは、正に父親のしていた事と同じなのです。幼少期から人の心を操り支配していた父親を見てきた角田美代子が、その後尼崎事件を起こすのは自然な流れだったと言えるのかも知れません。

こうした生い立ちが角田美代子のその後の人生に影響を与えたのでしょう。幼少期は泣き虫で気弱な性格だった角田美代子ですが、大人になるにつれ性格も変わっていったようです。

中学時代からボス的存在で身勝手な性格?

父親の異常な姿を見て育った角田美代子は中学生になると、「女ボス」や「一匹オオカミ」とあだ名が付けられるほど気の強い性格になっていたようです。学校にはほとんど登校せず、たまに姿を見せる時は仲間を引き連れ教室をウロウロして出ていくという様子だったとか。

また父親は遊邸に入り浸り、母親は放任主義で愛情のない家庭で育った角田美代子は、警察に補導されることもしばしばありましたが、両親は迎えにも行かなかったといいます。こうした生い立ちがその後の角田美代子の性格を変えるきっかけとなったのでしょう。

学生時代は男性関係も派手との声も

角田美代子は学生時代は男性関係も派手だったようで中学校を卒業後、高校を一学期で中退し、17歳の時には一度目の結婚をしているのです。相手は同級生の兄でした。しかし結婚からわずか1年も経たずして離婚。その後19歳でスナック経営を始め、16歳の女の子に売春をさせたとして警察に逮捕されています。

その後横浜の伊勢佐木町へ進出し、ラウンジ『A』を開店。雇った数人の女性の中に、その後角田美代子の義理の妹となり、尼崎事件を共謀することになる女性がいました。

角田美代子はこの女性を特に可愛がり、その後ママとして店の切り盛りを任せるようになります。若い頃は気弱で泣き虫な性格だった角田美代子は、スナック経営の時にヤクザと繋がりが出来て、人の心をコントロールする魅力に取り憑かれていったという話もあります。

角田美代子は生い立ちやその後の人生経験から凶悪な事件を起こす性格に変わっていったのかも知れません。

角田美代子は24歳の時に2度目の結婚をします。しかしこの結婚も長続きはしなかったようで、連日のように仲間を家に引き込んでは深夜まで騒いでいたため夫に出て行かれたようです。その後尼崎で育った在日韓国人の男性と内縁関係になりました。

この男性とスナック勤務をしていた義理の妹と3人暮らしを始めたのちに、”家族解体業”をスタートさせるのです。

角田美代子の本名や写真取り違えの謎とは

角田美代子が逮捕されてから連日メディアでは尼崎事件が報道されていましたが、メディアに出た角田美代子の顔写真が全くの別人であることが判明しました。なぜ別人の写真を取り違えてしまったのでしょうか。顔写真が使われてしまったのは尼崎市に住む54歳の女性で、角田美代子とは全く関係のない人物でした。

角田美代子の長男の同級生の母親から提供された写真で、角田美代子と確認した上で公開した写真だったようですが、曖昧な記憶で角田美代子と思い込んでしまっていたようです。

本名は韓国姓との噂も

角田美代子は日本人性を名乗っていますが本名は韓国姓との噂もあるようで、噂では角田美代子は在日韓国人で本名はリ・ユンヒであるとされています。角田美代子には李正則という義理のいとこがいることからも本名はリ・ユンヒである可能性は高いのではないでしょうか。

しかしメディアでは角田美代子の本名は報じられていません。本名がリ・ユンヒならばなぜ本名を使わずに生活していたのでしょうか。本名を隠し、別人になりきることで事件が表沙汰になるのを防いでいたというのでしょうか。

尼崎事件の裁判と判決

角田美代子が逮捕され、従犯者の証言を元に裁判が行われています。裁判による判決は一体どのようなものだったのでしょうか。尼崎事件の裁判についてまとめてみました。

角田美代子の内縁の夫や家族など6名が起訴

尼崎事件の裁判が行われ、角田美代子の在日韓国人の内縁の夫や、共同生活を送っていた家族など6名が起訴されました。

尼崎事件は裁判員制度を適用

尼崎事件の裁判では、裁判員制度を適用し公平な裁判が行われました。尼崎事件では複数の事件が重なり合い、複雑化してるのが特徴です。裁判員裁判では、事件ごとに争点を示し、角田美代子が支配した人間が複雑に絡み合う事件の構図を理解しやすいように工夫がなされたようです。

主犯格の角田美代子は無期懲役の判決

8人もの犠牲者を出した尼崎事件。尼崎事件の裁判が行われ、裁判の結果主犯格の角田美代子には無期懲役の判決が下されました。

尼崎事件と角田美代子のその後

2012年に発覚し、日本中が震撼した凶悪な尼崎事件。警察の捜査により、逮捕された角田美代子はその後どうなったのでしょうか。

尼崎事件により警察の相談体制強化は?

尼崎事件の初動捜査が遅れたことに、警察の民事不介入ということがありました。実際尼崎事件において、相談の数は50回を超えていたとされています。警察の捜査が早い段階で行われていたのなら防げた死もあったでしょう。尼崎事件のその後警察は相談体制を強化しているようです。

角田美代子は逮捕2ヶ月後に留置所で自殺

尼崎事件で主犯格として逮捕された角田美代子は、2012年12月12日に兵庫県警本部の留置所で、長袖Tシャツを首に巻き付け自殺を図ります。その後病院に搬送され死亡が確認されました。

犠牲者と加害者の父親と報道陣が接触

尼崎事件では、角田美代子の支配により家族間で暴力を振るい死に追いやる事態が起きていました。被害者と加害者両方の父親になってしまった男性に、事件後取材をしています。「加害者の娘も最初は被害者だった」と語り、家族を助けられなかった男性は自分を責め続ける一方で、「生き残った者としてやるべきことがある」とも話しています。

尼崎事件は角田美代子の自殺で真相は闇のまま

尼崎事件の全貌や、主犯格である角田美代子の生い立ちや本名について調べてみました。尼崎事件は複雑な事件の構図から、真相が解明されることが望まれていましたが、角田美代子の自殺で現在も真相は闇の中となっています。

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