タフィ・ローズの現在!資産は?現役選手時代の成績や経歴も!

近鉄バファローズ、読売巨人などで活躍したプロ野球助っ人外国人選手のタフィ・ローズ。現役時代は通算464本のホームランを打ちました。タフィ・ローズは現在いったいどこでなにをしているのでしょうか?現役時代の成績、経歴、資産なども調査していきます。

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目次

  1. 1タフィ・ローズのプロフィール
  2. 2タフィ・ローズの現在
  3. 3タフィ・ローズの現在の総資産は?
  4. 4タフィ・ローズの現役時代の成績
  5. 5タフィ・ローズの選手としての経歴
  6. 6タフィ・ローズの現在は音信不通

タフィ・ローズのプロフィール

・愛称:タフィ
・本名:Karl Derrick Rhodes(カール・デリック・ローズ)
・生年月日:1968年8月21日
・年齢:50歳
・出身地:アメリカ合衆国オハイオ州
・血液型:不明
・身長:182cm
・体重:100kg
・活動内容:プロ野球選手、コーチ
・所属グループ:過去、近鉄バファローズ・読売巨人・オリックスバファローズに在籍
・事務所:なし
・家族構成:父、妻、息子

タフィ・ローズの経歴

タフィ・ローズの経歴をご紹介します。タフィ・ローズは1986年メジャーリーグのドラフト3巡目でヒューストン・アストロズに入団しました。その後、シカゴ・カブス、ボストン・レッドソックスと移籍しましたが、目立った成績は残せなかったようです。

そして1996年、日本の球団・近鉄バファローズが獲得し、来日しました。近鉄バファローズでは本塁打を量産し、2001年には当時王貞治以が持っていたシーズン最多ホームラン記録55本に並ぶホームランを記録し、バファローズのパ・リーグ優勝に貢献しました。

その後、読売巨人、シンシナティ・レッズ(マイナー契約)、オリックスバファローズと複数の球団を渡り歩き、2009年に引退します。その後、2015年には日本の独立リーグであるBCリーグ・富山GRNサンダーバーズでプレーしました。

タフィ・ローズの現在

日本のプロ野球で大活躍し、華々しい経歴の持ち主のタフィ・ローズですが、2009年についに現役を引退しました。その後自宅があるアメリカ・ヒューストンに戻り、息子のいるバスケットボールチームのコーチなどをしていたようです。

NBAの試合を観戦している様子などがテレビなどで報じられましたが、その後、タフィ・ローズはどうしているのでしょうか?独立リーグでの活躍や怪我の情報など、現在の様子について詳しく調べてみました。

タフィーローズの現在は音信不通?

現役時代に素晴らしい成績を残したタフィー・ローズですが、2015年にBCリーグ・富山GRNサンダーバーズで1年間プレーした後、米国へ戻りそのまま来日せず、現在は音信不通となっております。

その後、メジャーやマイナーリーグ、日本の球団、韓国・台湾などのアジアのチーム、独立リーグ、クラブチームでもタフィー・ローズの姿を見た人はいないようです。

唯一の情報としては、アメリカの選挙登録簿に「Karl Derrick Rhodes」の本名で登録されており、オハイオ州ハミルトン郡での投票を指定されていたため、出身地のオハイオ州に戻っている可能性もあるということですが、詳細は全く不明です。

2015年頃までは独立リーグに所属

2015年には日本の独立リーグであるBCリーグ・富山GRNサンダーバーズに所属し、選手兼コーチとして41試合に出場しました。豪快なバッティングは健在で打率.315、ホームラン5本という好成績を残しました。日本プロ野球時代からの人気や知名度もあり、ファンからは温かい声援が送られる様子が確認されました。

現在はアメリカで怪我の療養中?

その年のシーズンオフに帰国したタフィ・ローズですが、翌シーズンになっても来日しませんでした。どうやらふくらはぎを痛め、ドクターストップが言い渡されて来日できなかったようです。

それでもタフィ・ローズの復帰を信じ、2016年シーズンまでは富山GRNサンダーバーズに選手登録されていましたが、来日することはなく、登録抹消となりました。

現役時代はホームラン連発の強打者

タフィー・ローズの現役時代、日本プロ野球に所属した外国人選手では最多となる通算464本のホームランを打ちました。そして4度の本塁打王と3度の打点王を獲得するなど、典型的なホームランバッターとしてさまざまなチームで打線の中軸を任されることになります。

タフィー・ローズに関するもっとも有名な出来事は、当時王貞治が持っていた日本プロ野球記録の1シーズン55本塁打に並んだことです。55本塁打に到達した後は相手チームから敬遠され、記録更新とはなりませんでしたが、タフィー・ローズの凄さを印象づけました。

またタフィ・ローズはホームランの通算記録だけではなく、2試合連続満塁ホームランや1試合3打席連続ホームランを記録するなど、「一度打ち出すと止まらない」タイプの強打者としても恐れられました。

タフィ・ローズの現在の総資産は?

タフィ・ローズの日本での経歴は日本プロ野球に来た外国人選手でもかなりの長期間になります。そしてその経歴にふさわしい高額の年棒をもらっていました。そんなタフィ・ローズの現在の総資産はどのくらいになるのでしょうか?

資産に関する情報は非常に少ない

タフィ・ローズの資産についてですが、海外の有名人やスポーツ選手などの経歴・実績から資産を推定するサイトで調べてみました。しかし、資産に関する項目は調査中や不明となっている場合が多く、非常に乏しい情報しかありません。

現在の総資産は約1600万ドル?

一部ネット上のうわさでは、タフィ・ローズの総資産は1600万ドル=約17億6千万円とも言われています。しかしこれは本人や税務署などから公式な発表があったわけではなく、正確なところはわかっていません。

ちなみにタフィ・ローズが豪邸を持っているとされるヒューストンは、アメリカで4番目の人口を誇る大都市で、その地域で「Mansion」と呼ばれる大きなサイズの1戸建ての家となると、最低でも1000万ドル=11億円くらいの資産価値があるといわれています。

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2009年までにタフィ・ローズが日本プロ野球で稼いだ年棒合計が約31億1800万(出来高除く)=約2800万ドルですから、税金や滞在費などを差し引けばそのくらいの総資産があってもおかしくはないでしょう。

また、日本のプロ野球で稼いだお金を元に事業などを始めた、という話もありませんので、現役時代の蓄えで現在は生活しているのではないかと思われます。

現役時代の最高年棒は?

なお、タフィ・ローズの現役時代の最高年棒は、2004年・2005年に読売巨人に在籍した時の5億5000万円とされています。2004年には史上2人目の両リーグホームラン王を獲得しています。

またこのシーズン、読売巨人もチームでのプロ野球新記録となるシーズン259本のホームランを放つなど、記録尽くしのシーズンとり、タフィ・ローズのチームへの貢献度の高さがうかがえます。

タフィ・ローズの現役時代の成績

タフィ・ローズと言えばその独特で豪快な打撃フォームとドレッドヘアで一躍日本の野球ファンに知られることとなりました。そして関西弁をマスターするなど、大の日本好きで有名でした。

一方で打撃面では素晴らしい記録を残しており、「記憶にも記録にも残る選手」と言えるでしょう。そんなタフィ・ローズの現役時代の成績を詳しく調べてみました。

現役時代の成績①近鉄

1996年に近鉄バファローズに加入したタフィ・ローズは、3度のサヨナラホームランを打ち、全試合に出場し、チーム三冠王になりました。1999年には40本のホームランと101打点を記録し、ホームラン王と打点王の2冠に輝きます。

さらに2001年には当時王貞治が持っていた日本タイ記録シーズン55本のホームランの記録にならび、近鉄バファローズのパ・リーグ優勝に貢献、MVPを獲得しました。

さらには2002年に打点王、2003年には3度目となるホームラン王になり、3年連続ベストナインに選出されました。名実ともに近鉄バファローズ、そしてパ・リーグを代表する打者となりました。

しかし、その頃球団経営が苦しくなっていた近鉄バファローズは、高額年棒の選手と契約することが難しい状況になっていました。タフィ・ローズも例外ではなく、2003年をもって近鉄バファローズを退団することとなりました。

現役時代の成績②巨人

タフィ・ローズは近鉄バファローズを退団後、まもなく巨人へ移籍しました。2004年シーズンではホームランバッターが並ぶ打線の中で134試合に出場し、打率.287・本塁打45本・打点99という成績をおさめています。

近鉄バファローズから引き続いて2年連続となるホームラン王となり、セ・パ両リーグでホームラン王となった初めての外国人選手となりました。

しかし、2005年は守備での緩慢なプレーが指摘されたり、肩の故障をするなどのアクシデントが相次ぎ、101試合出場にとどまりました。規定打席にも到達せず、打率.240・27本塁打・70打点と不振な成績で終わりました。

現役時代の成績③オリックス

2005年に巨人を退団したのち、一度米国へ帰国し、マイナーリーグで現役を続行したタフィ・ローズですが、2007年にその経歴を買われ、オリックスバファローズの入団テストを受けて日本のプロ野球界に復帰します。

その後タフィ・ローズは通算1000打点、通算1500安打、通算400本塁打など次々と記録を達成し、外国人通算最多安打の記録も更新しました。

2007年は本塁打王まで1本差の42本のホームランを放ち、長打率・出塁率・四死球数、三振数で1位を獲るなど、タフィ・ローズは完全に復活を果たします。さらに2008年には3度目となる打点王のタイトルを獲得しました。

タフィ・ローズの選手としての経歴

メジャーリーグ時代はパッとした成績を残せなかったタフィ・ローズですが、日本プロ野球での成績は素晴らしいものがあります。ここではタフィ・ローズの選手としての経歴を見ていきましょう。

近鉄時代から自慢の長打力で大活躍

タフィ・ローズの「タフィ」は「タフ」の意味です。幼少期からタフな子供として知られていたといい、そのまま愛称が「タフィ」となったとインタビューで答えています。そしてタフィ・ローズは日本に来てそのタフさを如何なく発揮します。

近鉄時代にはホームラン王3回、打点王2回と長打力に優れた打者で、当時から史上最強の外国人打者との呼び声も高かったようです。

タフィ・ローズは2001年にはシーズン55本塁打という当時のタイ記録となる本塁打数を記録し、近鉄バファローズのパ・リーグ優勝に大きく貢献しました。日本シリーズでも第2戦でホームランを放ち、敢闘選手賞を受賞します。

試合後のヒーローインタビューでは日本語で答えたりするなど、日本にすっかりなじんだタフィ・ローズは、中村紀洋らチームメイトとも仲良く、単なる「助っ人外国人」以上の存在だったようです。

巨人時代には3番打者としてプレー

巨人時代にはタフィ・ローズは主に3番打者として活躍しました。同時期のメンバーには高橋、阿部、仁志などの巨人生え抜きの選手に加えて、ペタジーニ、小久保、清原、江藤と各チームから集めた4番打者ばかりがおり、巨人史上最強の打線と評されていました。

しかし、タフィ・ローズが在籍した2年間、巨人は3位、5位と低迷し、タフィ・ローズも首脳陣と揉め「ジャイアンツなんて大嫌い」と発言するなど、自由奔放な性格と巨人のチームカラーとがマッチせず、必ずしもいい時代とは言えなかったのかもしれません。

オリックスでは中軸打者として活躍

オリックスで日本球界に復帰したとき、タフィ・ローズは39歳になっていましたが、そのパワーと打撃は衰えるところを知りませんでした。オリックスはヤクルトからラロッカ、西武からカブレラらを獲得し、「ビッグボーイズ打線」と呼ばれる強力打線を形成しました。

タフィ・ローズとカブレラは日本国内のFA権を獲得していたため外国人枠を外れており、翌年楽天からホセ・フェルナンデスが加入すると、4人同時に外国人が打線に名を連ねること可能になりました。

オープン戦では1試合で外国人打者4人ともホームランを打つなど、抜群の破壊力がある打線となり、大変期待されましたが、4人ともシーズン途中で骨折して戦線離脱、チームは最下位に低迷しました。

2015年には独立リーグでプレー

2015年にタフィ・ローズは日本の独立リーグ・BCリーグ富山GRNサンダーバーズに加入します。当時は近鉄時代のチームメイトだった吉岡雄二が監督を務めており、吉岡監督自らタフィ・ローズを選手兼コーチとして呼び寄せたと言われています。

富山GRNサンダーバーズでタフィ・ローズは41試合に出場し、打率.315・5本塁打・37打点という好成績を残しています。

タフィ・ローズの現在は音信不通

2016年に再来日する予定だったタフィ・ローズですが、ふくらはぎの負傷でドクターストップがかかり、来日することができませんでした。現在では所属していた富山GRNサンダーバーズの登録を外れています。

2017年にも復帰のうわさはありましたが実現せず、現在は音信不通となっているようです。あの「タフ」なタフィ・ローズでもやはり怪我と年齢には勝てなかったということなのでしょうか?

日本のプロ野球で数々の記録を残したタフィ・ローズは言うまでもなく素晴らしい経歴の持ち主です。また、それだけではなく、独特の打撃フォームと豪快なバッティングは多くのファンの心を捉えたと言えるでしょう。

選手として復帰は無理でも、コーチやスカウト、監督などで日本球界にいつかは復帰してほしいと願うファンは多いようです。

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この記事のライター
ゆすやん
漫画・アニメ・映画大好きの元CGクリエイター・デザイナーです。声優・アイドルなどサブカル全般詳しいです。

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