【宇都宮病院事件】リンチ殺人事件の概要と裁判などのその後も

1983年栃木県宇都宮市の精神病院で、リンチ殺人事件が起こりました。違法な行為が行われ、国会や国際機関でも大きな問題となりました。宇都宮病院事件についてご紹介します。宇都宮病院事件の概要や裁判、そして院長や病院のその後も合わせてご紹介していきます。

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目次

  1. 1宇都宮病院事件とは
  2. 2宇都宮病院事件の詳細
  3. 3宇都宮病院事件の背景
  4. 4石川院長とは
  5. 5宇都宮病院事件の裁判の判決
  6. 6宇都宮病院事件のその後
  7. 7宇都宮病院事件の関連書籍
  8. 8宇都宮病院事件は忘れてはならない悲惨な事件

宇都宮病院事件とは

宇都宮病院事件とは、1983年に栃木県宇都宮市にある精神科病院報徳会宇都宮病院で、看護職員らが患者2名を暴行によって殺害した事件です。

また以前から患者の虐待や死亡した患者を不正に解剖するなどの違法行為が行われていました。精神科病院でさらに閉鎖的な病院により、宇都宮病院事件は公になりませんでした。

しかし宇都宮病院事件の翌年、朝日新聞によって不正が報道され、日本全国で大きな注目を集めました。宇都宮病院事件以後、任意入院制度や開放病院を創設するなどといった、患者への処遇改善が図られました。

宇都宮病院事件の概要

宇都宮病院事件は、1983年に現役の看護職員が患者を暴力で殺害した事件です。本来患者を守るべき看護師が、殺人を殺害していたことに、日本だけでなく世界にも大きな衝撃を与えた事件となります。

宇都宮病院事件が明るみになる前から、病院内で看護師や院長による暴力や、様々な犯罪が横行していました。宇都宮病院事件は、30年以上も前の出来事になるため、現在宇都宮病院事件の不正を知っている人は少ないです。しかし絶対に忘れてはいけない事件の一つで、二度とこのような事件が起きない世の中にならなければなりません。

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宇都宮病院事件の詳細

昭和59年に朝日新聞が、栃木県宇都宮市にある報徳会宇都宮病院で、患者二人が看護師職員から暴力を受け死亡していたとスクープしたのが始まりです。死亡した二人は、看護師職員により鉄パイプなどを使い入院患者を暴力で殺害されており、宇都宮病院事件は日本だけでなく世界中に衝撃を与えました。

朝日新聞は、大勢の患者の前でこのような暴力が日常的に行われていると報じ、警察動くこととなりました。そして同年には、宇都宮病院事件の加害者であり、不正を働いた介護職員ら5人と、石川院長を傷害致死罪で逮捕しました。

2人の入院患者が死亡

宇都宮病院事件と呼ばれるものの中には、様々な犯罪があります。中でも最も大きなものが、現役看護師による不正な暴力殺人事件です。この暴力殺人事件をもって、宇都宮病院事件と呼ぶのが一般的となります。

宇都宮病院事件では、入院患者の二人が暴力で殺されたことがわかっています。暴力殺人事件が起きたのは、1983年4月です。当時宇都宮病院に措置入院させられていた患者が最初の被害者となりました。病院の待遇の酷さや、不正を知人に伝えたことが看護師にばれてしまし、暴力行為で殺害されてしまった患者もいたと報じられています。

犠牲者1人目

犠牲者の一人目は、統合失調症で入院していた32歳の方でした。事件のきっかけは、夕食に出された食事を食べたくないといい、夕食を残飯入れに捨ててしまったことでした。その行動に腹を立てた介護職員は、その方を数回殴打しました。

その方は抵抗しましたが、介護職員は小ホールへ連れていき、その他の看護師も暴力に加わりました。さらに鉄パイプを持ち出して、かわるがわるリンチを加えたそうです。

その結果、帰らぬ人となってしまいました。不正な暴力が原因での死亡でしたが、遺族にはてんかん発作による死亡だと説明していたそうです。

犠牲者2人目

アルコール中毒で入院していた、当時35歳の方が二人目の犠牲者でした。この方は、宇都宮病院の不正な対応に不安を感じており、常日頃から転院したいとお見舞いにきた友人に訴えていました。それを聞いていた看護職員は、なんと患者と共謀してその方を暴力にすることにしました。

その方は、パイプ椅子で殴られる等の暴力に遭い、静動脈が破裂し亡くなってしまいました。一人目の犠牲者同様、暴力が原因であったにもかかわらず、外傷が無かったため、病死したと遺族には不正な説明していたそうです。

問題点の多い病院体制

宇都宮病院は、昭和36年に開設された大規模な病院です。ベッド数は920床ほどあり、ベッド数では大学病院に匹敵する大きさでした。しかし、常勤医師は3人しかおらず、職員の定着率も4割と不正な状態でした。

そして看護師の数は、医療法で定められている適正基準の半分にも満たなかったことが判明しています。そのため比較的症状の軽い入院患者に白衣を着せ、食事介助や介護日報をつけさせたり、医療業務である注射や点滴までをさせていました。患者を管理する患者職員を作り、職員として無給で働かせていたのです。

犠牲者は2人だけではなかった

宇都宮病院事件として明るみに出たのは、紹介させていただいた2件だけです。しかし実際は、もっと多くの患者が殺されていたかもしれないという疑惑が残っています。宇都宮病院事件が明るみになる前の1981年から3年間で、220人もの患者が死亡していたのです。

3年の間で220人の死亡というのはあまりにも多く、疑問視されました。しかし、殺人を立証できることはできず、現在でも死亡の理由はわかっていません。そのため宇都宮病院事件同様多くの患者が暴行やリンチに遭い、死亡した可能性があるとされています。

事件発覚のきっかけ

宇都宮病院事件は当初、公になることはありませんでした。精神科病院の閉鎖性が強かったことが原因で、事件が闇に葬り去ろうとされていました。しかし宇都宮病院に不正収容されていた患者が、東大医学部附属病院を訪れ、宇都宮病院の不正を告発する意思を伝えたことから、事件が発覚していきます。

東大病院は弁護士や、日本社会党、朝日新聞などとも協力しながら病院の問題を追求しはじめることになりました。その後、東京大学医師連合が調査チームを結成し、1984年に朝日新聞の宇都宮病院事件記事により明るみになったのです。

宇都宮病院事件の背景

宇都宮病院事件は、精神科病院内での入院医療の実態が、外部から見えなかったことが大きな要因であるとされています。宇都宮病院では、入院患者の通信や面会は厳しく制限されており、患者が外部と接触するのは極めて困難な状況でした。

また宇都宮病院の入院患者の所持金を管理し、公衆電話からも電話できないようにするなど、徹底した外部との遮断をしていました。また当時行政による病院監査も不十分で、暴力や不正の実態の把握ができなかったことや、日本社会が精神科医療に理解が不足していたことも背景にあります。

精神病患者への隔離収容主義

戦後日本では1950年に、精神衛生法という国の精神医療と精神保健施策の基準となる法律が制定されました。しかしこの法律は、精神病院法による、精神患者の隔離収容主義をそのまま引き継いだ、ずさんなものでした。

精神病患者の方々は、行政の間違いによって長い期間「私宅監置」や「社会的入院」を余儀なくされてきました。精神病患者の隔離は劣悪な環境の例もあり、ほぼ暗室の状態に閉じ込められていたり、食事もほとんど与えられない状態もあったそうです。暴行によって不正に服従させていたこともわかっています。

精神科病床の急増

精神科診療は、一般診療と違って特殊なものと認識されていました。精神障害者を収容してもらえるように、精神科病院に対する国の財政的助成も制度化されてきました。そのため日本全国で私立の精神科病院が盛んに作られるようになり、精神科病床の急増に繋がりました。

昭和30年に4万床あった精神科病院は、昭和40年には、17万床になり、昭和44年には25万床まで急増しました。この多くの急増は私立の精神科病院の開院によるものでした。しかし、ただ精神患者を隔離するといった不正な対応だけが続いてきました。

特罰待遇による利益

宇都宮病院事件が起こった背景には、国の特罰待遇による利益も背景にあると考えられています。1958年に精神科の場合、一般診療科に対し医師数は約3分の1、看護師は3分の2を基準とする特例が認められました。

さらに当時の事情により、特例基準は満たさなくてもよいという、大変な特别扱いとなりました。そのため精神科医療は、一般診療を運営するよりも人件費が抑えられ、運営が有利になりました。また措置入院の国保負担率も5割から8割にまで引き上げられ、ますます精神科病院の経営が有利となっていったのです。

精神病患者の問題的な扱い

宇都宮病院事件が起こった背景には、精神病患者への問題的な扱いも指摘されています。精神障害といえば、かつて統合失調症と呼ばれ、不正な知識しか普及していませんでした。何を考えているかわからない、怖いなどのイメージを持たれ、長い間差別や偏見の対象となっていたのです。

そのため精神障害者を自宅の一室や敷地内の小屋に閉じ込め監禁してしまう、私宅監置や閉鎖病院への閉じ込めも日常的に行われていました。さらに暴力や虐待により服従させるような扱いもされており、日本は人権団体から非難を浴びたほどです。

①外部との接触を断つ

宇都宮病院事件が起こった背景には、徹底した外部との接触が遮断されていたことが挙げられます。病院内では、外部との連絡や、面会の自由もなく制限されていました。さらに家族でも面会を制限したり、面会の際にはかならず見張りの介護職員がついていました。

余計なことを口走ってしまうとリンチが待っており、入院延長などの処分もあったそうです。また宇都宮病院には公衆電話が設置されていましたが、病院が患者の所持金を管理しており、入院患者には10円硬貨さえ持たせることはありませんでした。

②頻繁に行っていた薬物療法

精神科病棟では、中枢神経に作用する薬が開発されてから、薬物療法での治療が可能となりました。薬物療法をすることにより、いままでお金がかかっていた人件費や設備費が抑えられ、利益を出しやすくなったのです。

宇都宮病院では、薬物療法で荒稼ぎをしていたことがわかっています。宇都宮病院では、薬物療法が必要のない患者にまで投薬を続け、薬漬けにされてしまった患者も多くいます。しかし、薬物療法で利益を出していたのは宇都宮病院に限らず、全国の精神科病院で薬物療法による不正な荒稼ぎが横行していました。

③無免許で検査や診察

宇都宮病院の石川院長は患者に対し作業療法だといい、無償で仕事をさせていました。その内容は、免許がないにもかかわらず、レントゲンの検査や脳波の測定、注射や点滴までさせていました。さらに宇都宮病院では、精神患者の中でも特異な症状を持つ患者の脳を欲しがりました。

その患者が死亡した後に看護師やケースワーカーといった、無免許者に脳の解剖をさせていたことがわかっています。その数は年10数体と言われており、収集した脳は研究のために東大に提供されていました。

石川院長とは

儲かる精神科診療に目をつけて、次々と患者を受け入れながら、報徳会グループを急成長させていった宇都宮病院の元院長です。

拝金主義者とも言われていますが、宇都宮病院事件はマスコミにより捏造されたものであり、元患者の妄想や妄言に騙されていると主張しています。病院事業を急拡大させていった実績はありますが、病院内での評判は決していいものではありませんでした。

宇都宮病院事件が発覚した時、常勤医師は、石川院長と二人の医師しかいませんでした。実質的には948人いた入院患者を石川院長一人で診ていたとされています。

石川院長の経歴

石川院長の本名は、石川文之進です。石川院長は昭和24年に大阪大学附属医学専門部を卒業し、翌年広瀬医院に勤務しています。そして石川院長は、昭和27年に石川医院を開院し、昭和33年には分院まで開設しています。

そして昭和36年には、宇都宮病院事件が発生する報徳会宇都宮病院を開院します。当時の石川院長には精神科医の経験は無かったものの、東大医学部の精神科研究生となり、東大医学部との窓口になっていきました。

宇都宮病院開院の翌年には、病院の理事長に就任し、昭和40年には精神衛生鑑定医の資格を取得しています。この年に解剖室が新設されているようです。昭和42年には、病床数375床となっています。

東大医学部と癒着

宇都宮病院は、東大医学部との癒着が判明しています。当時東大医学部の医師たちは、宇都宮病院と共同で研究をしていました。東大医学部は、宇都宮病院から謝礼や研究費用を受け取っており、謝礼を渡す代わりに非常勤講師の水増しをする事ができたと言われています。

宇都宮病院は東大というブランドで、病院の格上げを行うことができました。謝礼のため、東大医学部は宇都宮病院内で行われている暴行を把握していました。

症例検討会を録音したテープには、宇都宮病院での暴行について触れられている場面も確認されています。また東大医学部精神科の研修生になったことで、人脈が広がっていったそうです。

暴力的な立ち振る舞い

宇都宮病院の石川院長は、看護師職員の暴力行為を黙認していただけでなく、院長回診時にはゴルフクラブを持ち出して、病室を回っていました。患者に襲われないよう威圧するためにゴルフクラブを持っていたそうですが、ゴルフクラブで患者を殴りつける行為は日常茶飯事だったそうです。

また院長回診は週に1回程度しかなく、診察時間も一人あたり数秒にも満たなかったと言われています。密室による暴力行為が日常的に行われ、患者の死亡数も昭和56年からの3年間で、約222人と多かったそうです。

院長としてあるまじき行為

宇都宮病院の石川院長は、宇都宮病院事件後、院長としてあるまじき行為が次々と明るみになりました。院長本人もゴルフクラブを持ちながら、気に入らない患者には暴行を加えていました。

また患者には質素な食事しか与えず、患者たちの食費に手を出していたようです。患者達から預かった所持金等にも手を付け、私腹を肥やしていました。

さらには病院内のコスト削減として、症状の軽い患者を看護師にさせて無給で働かせる等、の違法行為も日常的でした。療養目的だと言い聞かせ、自宅の改修工事等も行わせていたこともわかっています。

①食費などを横領

宇都宮病院で出する患者への食事は、ちいさなおにぎりとたくあんのみだったそうです。患者達は食費を払っているにもかかわらず、低コストの食事を強いられていました。原因は、石川院長の横領です。


また患者への差し入れや、お小遣いにまで手を付けていたことも明るみになっています。宇都宮病院では、患者の通帳なども病院側が徹底的に管理していたため、不正にお金を引き出されていた例もあったそうです。それらのほとんどは石川院長が使ってしまっており、遺族に返金されることはありませんでした。

②所得などの不正経理

宇都宮病院では、不正経理も日常的に行われていたことがわかっています。病院内で患者は一切のお金を持つことを許されず、病院に預ける決まりとなっていました。患者から預かっていた現金を不正などんぶり勘定で処理しており、最終的に患者の現金は合計で約3300万円も不足していました。

生活保護患者の介護料等を不正請求し、1億円あまりをだまし取っていた、有印私文書偽造や詐欺の罪も犯しています。患者に対する差し入れやお小遣いも患者には一切わたさず、使ってしまっていたことも判明しています。

③脳の違法摘出

宇都宮病院には解剖室がありました。宇都宮病院では、死亡した患者の脳は違法摘出され、東大に送られていました。病院内では、死亡しても問題ない患者を集めて、人体実験をしていたことも明るみになっています。

特異な患者が宇都宮病院で死亡すると、届けも出されずに資格のない看護師やケースワーカーが解剖していたそうです。回収された脳はホルマリン漬けにされ、研究材料として東大に提供されていました。東大医学部との癒着があったためとされており、年間に数十体の脳の違法摘出が行われていました。

④患者に無償労働

石川院長は患者に対し作業療法だ、と称して自分の自宅や病院の増築、造園をさせていました。また同族企業である自動車学校や、スイミングスクールの用務員を無給でやらせてもいたそうです。さらには、病状の軽い患者を準職員扱いにさせ、病院業務を手伝わせていたこともわかっています。

症状の軽い患者は白衣を着せられ、食事の配膳や介護日誌だけでなく、注射や点滴などの介護、医療業務まで無償でやらせていました。患者が職員と同じように働き、患者がいなければ病院が機能しないとまで言われていました。

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宇都宮病院事件の裁判の判決

宇都宮病院事件の発覚後、土葬された遺体は発掘され、暴行の事実が裏付けられました。裁判で宇都宮地裁は、殺人事件として、元看護師に懲役4年の実刑判決を言い渡しました。

裁判後石川院長も逮捕され、最高裁判所での裁判では、懲役8ヶ月の実刑判決を受けました。さらに石川院長には、医道審議会から医業停止2年を言い渡されています。

また暴行の事実を知りながら黙認した東大の6人の医師に対しては、厳重注意の処分となっています。二人の命を奪い、日常的に患者を暴行していた患者や院長に対しては、軽度の判決となったと言われています。

元看護職員らには実刑判決

入院患者の殺害を主導したとして元看護職員Aには、裁判で傷害致死、暴行行為等処罰に関する罪で、懲役4年の実刑判決が下されました。また暴行に加担した他の元看護職員の二人には、同法律違反により執行猶予つきの懲役3年が裁判で言い渡されています。

裁判で被告側は、薬の副作用による影響が大きいと主張していますが認められず、暴行と患者の死には因果関係があると認定されました。しかし実刑判決が下ったとはいえ、看護職員には死刑や無期懲役といった判決にはならず、極めて軽い判決が下されています。

石川院長には8ヶ月の実刑判決

患者への暴行指示や暴行に加担した石川院長は、裁判で病院の管理に関する法律違反のみでしか裁かれませんでした。その結果裁判で石川院長へは、懲役1年の実刑判決が下されています。裁判所の判決にも不服を申したてた石川院長は、控訴しました。

最終的に最高裁判所は、実刑8ヶ月と極めて軽い実刑判決を言い渡しました。これとは別に、石川院長には医道審議会から、医業停止を2年間言い渡されています。裁判所の軽度な判決に、国民の多くは納得しなかったようです。裁判後に石川院長は、宇都宮病院院長を辞任する形となりました。

社会的貢献による減刑

病院内での暴力行為や、220名もの患者の不審死、金銭搾取が知られているにも関わらず、裁判では石川院長には極めて軽い判決が言い渡されました。裁判で減刑となった大きな理由の一つが、他の病院が受け入れない患者を積極的に受け入れたことが、社会貢献だと評価されたことです。

宇都宮病院では、どんなに難しい精神障害患者も受け入れていたため、社会貢献していると認められたそうです。実際に裁判で法に裁かれた内容としては、患者の食料管理法違反等や、病院の管理に関する法律違反のみだったと言われています。

東大医師には厳重処分のみ

宇都宮病院事件の発覚後、東大医学部は宇都宮病院と関係した医師6人を厳重注意の処分を行いました。人を助ける職業でもあるべき医師が、暴行の事実を認識していながら黙認という事実に対しては、極めて軽い処分だったと言えます。

精神神経学会においては、宇都宮病院に関連した論文を書いた医師たちの責任が追求されることとなりました。また宇都宮病院に最も関わっていたとされる武村氏は、東大の脳研を辞任しました。武村氏は事件と全く無関係ではないとされながら、一切の刑事責任を問われることはありませんでした。

宇都宮病院事件のその後

宇都宮病院事件が発覚し、裁判で石川院長は法に裁かれました。その後、病院や法で裁かれた看護師たちはどうなったのでしょうか?また宇都宮病院事件だけではなく、精神病院を取り巻く法整備について気になる方も多いでしょう。

こちらの項目では、宇都宮病院事件が落ち着いたその後についてご紹介します。また、宇都宮病院事件後の病院や法整備だけではなく、石川院長についても調査しました。こちらをご覧いただければ、これまでご紹介した宇都宮病院事件の悲惨さから、新しい希望の光を見つけることができるかもしれません。

現在も病院は通常稼働

宇都宮病院事件後、宇都宮病院の営業はどうなったのでしょうか?実は、宇都宮病院事件後も、宇都宮は通常通り稼働していました。大きな事件として、各社マスコミにも取り上げられた宇都宮病院事件ですが、宇都宮病院のホームページには、当時の宇都宮病院事件のことについては触れていません。

また、現在では宇都宮病院には、耳鼻科や眼科、整形外科といった多くの科が設けられ、総合病院として大きな力を保っているようです。宇都宮病院事件のことを知った方の中には、宇都宮病院には入りたくないと考える方も多いかもしれません。

現在の院長は?

宇都宮病院事件の裁判も終わり、石川院長は裁判所内で法に裁かれました。その後の宇都宮病院の院長の席は、石川院長の息子が受け持ったと言われています。しかし、現在では鈴木三夫という方が院長のポストに就かれています。

また、精神科の入院担当医には、石川元院長の名前があります。石川元院長は、現在でも精神医学に貢献している医師であることが伺えます。現在のホームページからは、宇都宮病院事件の悲惨な様子は一切伺うことができません。次に、宇都宮病院事件後の法改正についてご紹介します。

国際的な批判により法改正へ

宇都宮病院事件後、日本国内からだけではなく、海外からの批判も殺到しました。批判を受けたのは、宇都宮病院事件の関係者である石川院長や看護師だけではなく、宇都宮病院事件を起こしてしまうような状況を野放しにした日本政府にも向けられました。

宇都宮病院事件により国内外からの批判を受け、日本政府は、「現精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」として、精神保健法を成立させます。これまで、精神疾患を持っている方の意思はあまり尊重されずませんでした。しかし、こちらの法改正により法律の内容が変わることとなります。

精神保健法が成立

これまでの法律では、日本は病人に対し、どのような意思表示が合ったとしても、健康な人から遠ざけるという、隔離主義を貫いていました。

宇都宮病院事件をきっかけとした1987年の法改正によって成立した精神保健法は、家族や看護している方ではなく、精神疾患を持っている当人の意思をできるだけ尊重するといった条文が含まれて制定されることとなりました。これまでの人権を軽く見てしまうような、日本人の考え方が変えられた瞬間でもあったそうです。

宇都宮病院事件の関連書籍

こちらの項目では、宇都宮病院事件に関する関連書籍をご紹介します。宇都宮病院事件は、非常に悲惨な事件だったことを、こちらの記事でもご紹介してきました。戦争と同様に、宇都宮病院事件の悲惨さを忘れず、今ある権利や法整備をしっかりと守っていくために、多くの方が宇都宮病院事件に関する書籍を残しています。

こちらの記事では、残された宇都宮病院事件の書籍の中でも厳選した2つの書籍についてご紹介します。当時国内外から強い批判を受けた宇都宮病院事件ですが、当時の書籍にはどのようなことが書かれていたのでしょうか?

書籍①「東大病院精神科の30年」

宇都宮病院事件の関連書籍1つ目は、クリティーク叢書から出版された「東大病院精神科の30年」です。こちらの書籍のタイトルは、東大病院精神科の30年ですが、東大の精神科がメインではなく、宇都宮病院事件と宇都宮病院事件による法整備がメインの内容となっています。

こちらの書籍を執筆した富田氏は、精神医療改革運動と称し、患者の権利を尊重するように訴えるような運動を続けてきました。

運動30年目の節目に、こちらの書籍を執筆し、その中には宇都宮病院事件と東大精神科だけではなく、精神保健法の法改正にも触れています。

書籍②「新ルポ・精神病棟」

宇都宮病院事件の関連書籍2つ目は、朝日新聞社から出版された「新ルポ・精神病棟」です。こちらの書籍は、当時の宇都宮病院事件について詳細に記録されている書籍になります。

中には、診察時のテープなどから暴行の状況をまとめた記事なども含まれているようです。また記録だけではなく、今後の精神科病院のあり方や、精神科として遵守すべき病院内の構造など、建築の部分からもコメントしています。

現在の医療にも息づいている内容があるかもしれないので、宇都宮病院事件が気になる方はこちらの書籍も参照されることをおすすめします。

石川文之進自身も本を出版

宇都宮病院事件当時、東大との癒着が取り沙汰され、裁判で方の裁きに合った石川院長も本を出版しています。石川院長が出版したとされる書籍は、「アルコール症ー病院精神医学40年」や、「精神医学と俳句」「静塔文之進百物語」といった書籍になります。

また、こちらの書籍は2000年以降に出版された書籍となるため、比較的手に入りやすいのが特徴です。宇都宮病院事件後も、石川院長は精神医学に貢献し、現在の精神医学会の礎を築いてきました。石川院長の書籍が気になる方は、一度インターネットで検索されることをおすすめします。

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宇都宮病院事件は忘れてはならない悲惨な事件

こちらの記事では、悲惨な宇都宮病院事件についてご紹介しました。宇都宮病院事件では、多くの看護職員や、石川院長が関わり、その背景には、東大医学部との癒着も存在していました。宇都宮病院事件は非常に悲惨な事件でしたが、気になる方は、当時の情景を思い浮かべながら、多くの書籍をご覧いただくことをおすすめします。

宇都宮病院事件を良くない事件として捉えてしまう方も多かと思いますが、現在の人権を保護するような動きや、弱者を守ろうとする社会は、こちらの事件が起こったため、存在しているといっても過言ではありません。

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この記事のライター
村上 貴洋

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