和田アキ子の若い頃まとめ!不良でヤンキー?生い立ちからデビューまで!伝説などのエピソードは?

和田アキ子さんの若い頃は不良で、数々の伝説を残していると言われています。本記事では、元ヤンキーと言われている和田アキ子さんの生い立ちや若い頃の経歴、不良時代に残したという数々の伝説をご紹介します。和田アキ子さん本人が披露しているエピソードも大調査しました。

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目次

  1. 1和田アキ子のプロフィール
  2. 2和田アキ子の生い立ちからデビューまで
  3. 3和田アキ子の若い頃の経歴
  4. 4和田アキ子の若い頃のヤンキー伝説
  5. 5和田アキ子が若い頃に受けていたいじめとは
  6. 6若い頃の和田アキ子は大阪で有名な女番長だった

和田アキ子のプロフィール

・愛称:アッコさん
・本名:飯塚 現子(旧姓:和田)
・生年月日:1950年4月10日
・年齢:69歳(2020年4月1日現在)
・出身地:大阪府大阪市
・血液型:O型
・身長:174cm
・体重:非公開
・活動内容:歌手・タレント・実業家
・所属グループ:無し
・事務所:ホリプロ
・家族構成:夫

和田アキ子の経歴

和田アキ子さんの生い立ち、若い頃の和田アキ子さんが不良だったという説や伝説に迫る前に、まずは和田アキ子さんの経歴からチェックしていきましょう。小学5年生の頃に洋楽が好きになった和田アキ子さんは、中学生の頃からジャズ喫茶などで歌声を披露するようになったそうです。

その後、1968年10月に歌手デビューを果たした和田アキ子さんは、パワフルな歌声で多くのファンを獲得し『NHK紅白歌合戦』の常連になるほどの人気歌手になりました。現在の和田アキ子さんは、歌手やタレント業の他に居酒屋「わだ家」を監修する実業家としても活躍中です。和田アキ子さんの生い立ちや若い頃の経歴は、この後詳しくご紹介します。

芸名にまつわるエピソード

プロフィール欄でご紹介しているように、和田アキ子さんの本名は「現子(あきこ)」ですので、「和田アキ子」という名は芸名です。和田アキ子さんは、デビュー前に芸名を決める段階では「マーガレット和田」という名が候補に挙がったものの、自身のイメージに合わないため現在の芸名になった、という面白いエピソードを明かしています。

和田アキ子の生い立ちからデビューまで

和田アキ子さんは若い頃のヤンキー伝説だけでなく、生い立ちが話題になることも多いようです。現在は芸能界の大御所、そしてご意見番としての地位を確立している和田アキ子さんですが、どんな生い立ちを持っているのでしょうか?和田アキ子さんの生い立ちからデビューまでの軌跡をたどっていきましょう。

生い立ち①在日韓国人2世として誕生

日本では数多くの在日韓国人が生活していて、幼い頃の和田アキ子さんもその一人でした。済州島出身の父親と、朝鮮半島出身の母親の間に誕生した和田アキ子さんは、いわゆる在日韓国人2世なのです。和田アキ子さんは自身の生い立ちを隠しておらず、出生時の本名が「金福子」だったことも明かしています。

生い立ち②幼少期は父親から虐待を受ける生活

和田アキ子さんの生い立ちが話題になる理由には、在日韓国人2世として誕生したことだけでなく、幼少期の辛い生活も深く関係しています。柔道の道場を開いていた父親の影響で、幼い頃から柔道を習っていた和田アキ子さんは、中学1年生の頃には柔道初段の腕前だったそうです。

和田アキ子さんの父親は、柔道の師範ということもあってか、子供の躾や礼儀作法に厳しかったのだとか。そのため、和田アキ子さんは幼少期から躾という名目で父親から暴力を受け続けていたそうです。また、父親の前では正座をし、敬語で話さなければいけなかったと、幼少期の辛い生い立ちを明かしています。

生い立ち③中学生から不良行為を繰り返すように

幼少期から日常的に父親から殴る・蹴るの暴力を受けていた和田アキ子さんは、成長するにつれて父親のことが憎くなっていったそうです。そして、中学1年生の時には家出をするようになった和田アキ子さんは、飲酒や喫煙といった不良行為を繰り返すようになりました。

生い立ち④高校は3日で退学

私立の城星学園中学校を卒業した和田アキ子さんは、そのまま城星学園高校に進学しています。しかし、父親が勝手に退学届けを出してしまったことで、当時の和田アキ子さんは入学からわずか3日で自主退学することになってしまったそうです。

ホリプロの社長からスカウトされデビュー

和田アキ子さんが芸能界デビューするきっかけを作った人物は、当時ホリプロの社長だった堀威夫さんです。ある日、ジャズ喫茶で歌を歌っていた和田アキ子さんのもとにやってきたホリプロの社員が、”社長に会って欲しい”と告げました。

後日、東京からやってきた堀威夫さんから直接スカウトを受けた和田アキ子さんは、芸能界入りを決意。現在の芸名である「和田アキ子」は、堀威夫さんが名付け親だそうです。そして、和田アキ子さんは1968年10月に「星空の孤独」というレコードを発売し、歌手デビューを果たしています。

デビュー後に日本に帰化

在日韓国人2世として誕生した和田アキ子さんは、「金海福子」という通名で生活していました。しかし、和田アキ子さんが芸能界デビューを果たす際に、在日韓国人2世だということが世間に知られてはいけないと考えた父親が、すでに日本に帰化していた和田姓の叔父の養子にし、同時に名前を「現子」と改名。

そして、和田アキ子さんは芸能界デビューを果たした約3年後の1971年7月に日本に帰化しています。その後、自身が在日韓国人2世として誕生し日本に帰化していることを明かした和田アキ子さんは、雑誌のインタビューを受けた際に、”中学生の時に、自分が在日韓国人2世ということを知った”と語っています。

和田アキ子の若い頃の経歴

和田アキ子さんの生い立ちや帰化に関するエピソードを押さえたところで、続いては和田アキ子さんの若い頃の経歴をチェックしていきましょう。父親から暴力を受けるなど、辛い幼少期を送っていた和田アキ子さんですが、芸能界デビュー後は輝かしい人生を送られています。若い頃の和田アキ子さんの経歴を、順を追ってご紹介します。

1969年:2枚目のレコードが大ヒットを記録

1968年10月に見事歌手デビューを果たした和田アキ子さんですが、デビュー曲の「星空の孤独」はオリコンランキングの最高順位が70位と、ヒットはしませんでした。

しかし、翌年の1969年4月に発売された2枚目のレコード「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚の売り上げを記録。和田アキ子さんはデビュー2年目にして人気歌手の仲間入りを果たしたのです。

1970年:紅白歌合戦に初出場

和田アキ子さんは、1970年に公開された映画『女番長・野良猫ロック』に出演し、女優デビューも果たしています。また、同年3月には4枚目のシングル「笑って許して」が発売され、約20万枚の売り上げを記録しました。

そして、和田アキ子さんは同曲で『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場。その後、2015年の『第66回NHK紅白歌合戦』まで30年連続出場という偉業を達成されています。

1972年:日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞

デビュー2年後に『NHK紅白歌合戦』に初出場するなど、順調な滑り出しを見せていた和田アキ子さんは、1972年3月に「あの鐘を鳴らすのはあなた」を発売。そして、1972年12月31日に帝国劇場で開催された第14回日本レコード大賞において、最優秀歌唱賞を受賞しています。

受賞を発表された際、和田アキ子さんは嬉しさのあまり涙を流した状態で同曲を歌唱し、メイクが落ちて黒い涙を流したそうです。「あの鐘を鳴らすのはあなた」は和田アキ子さんの代表曲の一つとなったほか、2015年3月からはJR西日本大阪環状線の天王寺駅の発車メロディとしても使用されています。

1977年:マネージャーと結婚

実は、和田アキ子さんは結婚を2回されています。1回目の結婚をされたのは1977年のことで、お相手は当時のマネージャーだった小林甫さんという方です。和田アキ子さんと小林甫さんは、5年間の同棲を経て結婚されました。

1年未満で離婚

マネージャーと歌手という関係から恋人関係になり、5年間の同棲を経て結婚された和田アキ子さんと小林甫さんですが、結婚生活はわずか8か月で終了となりました。離婚理由は、結婚後に小林甫さんが和田アキ子さんのマネージャーを外れたことで、生活がすれ違うようになったことだそうです。

1981年:カメラマンと再婚

小林甫さんと離婚して約3年後の1980年、和田アキ子さんは『ひまわり戦争』というドラマに出演し、撮影現場でカメラマンの飯塚浩司さんと出会います。

どうしたら出演者を綺麗に撮影できるのか、日々研究を重ねていた飯塚浩司さんの姿を見た和田アキ子さんは、飯塚浩司さんが自分に好意を持っていると勘違いし自分からアプローチした、という微笑ましいエピソードがあるそうです。

その後、二人きりで食事に行くうちに恋人関係に発展した和田アキ子さんと飯塚浩司さんは、1981年に結婚。和田アキ子さんは夫・飯塚浩司さんの籍に入ったため、現在の本名は「飯塚現子」となっています。

1985年:「アッコにおまかせ!」がスタート

デビュー2年目には人気歌手の仲間入りを果たし、女優やタレントとして活躍していた若い頃の和田アキ子さんをさらに有名にしたのが、『アッコにおまかせ!』です。『アッコにおまかせ!』は和田アキ子さんの毒舌な発言や、出演者のトークが注目を集める生放送のバラエティ番組です。

1985年10月にスタートした『アッコにおまかせ!』は、2020年4月現在も放送中で、峰竜太さんが和田アキ子さんと共に総合司会を務めています。同番組は、ホリプロタレントスカウトキャラバンのグランプリ受賞者のお披露目の場としても知られています。

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和田アキ子の若い頃のヤンキー伝説

中学生の頃から不良行為を繰り返すようになったという若い頃の和田アキ子さんは、芸能界デビュー前に数々のヤンキー伝説を残していると言われています。芸能人の中には若い頃は不良で、やんちゃな行いをしてきた方も多いですが、和田アキ子さんのヤンキー伝説はその中でも群を抜いていると話題です。

では、若い頃の和田アキ子さんはどんなヤンキー伝説を残したのでしょうか?語り継がれている数々の伝説の中から、インパクトの強いエピソードを含んだヤンキー伝説を3つご紹介します。

ヤンキー伝説①中学2年生で女番長になった

和田アキ子さんのヤンキー伝説は、中学生の頃から始まります。父親に反発し、中学1年生の頃から家出や喫煙、飲酒といった不良行為を繰り返すようになった和田アキ子さんは、中学2年生の頃には女番長となり、大阪の不良を従えていたそうです。

大阪のミナミを縄張りにしていた当時の和田アキ子さんは、「ミナミのアコ」と呼ばれ、地元の不良に恐れられていた、というエピソードも有名です。

ヤンキー伝説②喧嘩相手を橋から落としていた

2017年4月、バラエティ番組『ダウンタウンDX』に出演した和田アキ子さんは、不良時代のエピソードをいくつか披露しています。まず1つ目の不良時代のエピソードは、”喧嘩相手を橋の上から落としていた”というものです。

笑いながら不良時代のエピソードを披露する和田アキ子さんの姿は話題となり、ネット上では”和田アキ子さんの不良時代が怖すぎる”といった声が続出。また、和田アキ子さんは”相手からピストルを向けられた際の対処法を考えながら喧嘩をしていた”という不良時代のエピソードも披露しています。

ヤンキー伝説③極道入りも覚悟していた

和田アキ子さんは、2019年8月に『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演した際にも、不良時代の喧嘩エピソードを披露。当時は極道入りを覚悟しながら生活していたことも告白しています。スカウトをしてくれた堀威夫さんと出会っていなければ、和田アキ子さんは全く別の人生を歩んでいた可能性もあったのです。

和田アキ子が若い頃に受けていたいじめとは

不良時代に数々のヤンキー伝説を残している和田アキ子さんですが、芸能界デビュー後にいじめを受けていたという噂がある模様です。女番長だった和田アキ子さんは、本当にいじめられていたのでしょうか?若い頃の和田アキ子さんが受けていたいじめについて、徹底調査しました。

若い頃にいじめられていたことを暴露

いじめについて調査したところ、2018年5月に放送された『徹子の部屋』に出演した和田アキ子さんが、デビューしたばかりの頃に先輩からいじめられていたことを暴露していたことが判明しました。引き続き、若い頃の和田アキ子さんが受けていたいじめについて迫っていきましょう。

若い頃に受けていたいじめの内容とは

和田アキ子さんは、若い頃に受けていたいじめの内容も暴露している模様です。数々の不良と喧嘩をしてきた和田アキ子さんは、先輩や関係者からどんないじめを受けていたのでしょうか?

いじめ①白い菊の花を贈られる

まず1つ目のいじめエピソードは、1972年に日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した和田アキ子さんに対し、白い菊の花が贈られたというものです。本来であれば祝福を意味する花で作られている花束が、白い菊の花にすり替わっていたのです。『日本レコード大賞』は生放送のため、花束をすり替えられるのは出演者や関係者のみだと考えられます。

いじめ②男呼ばわりされる

身長が174cmと高い和田アキ子さんは、デビュー直後に先輩歌手から「男とは一緒に着替えられない」などと、男呼ばわりされていたことも明かしています。精神的ないじめを受けていた若い頃の和田アキ子さんは、一人で泣くことも多かったそうです。

いじめ③私物に落書きをされる

和田アキ子さんをいじめていた先輩の中には、靴などの私物に「男」などと落書きをする人も居たそうです。和田アキ子さんは、先輩からのいじめにショックを受けていた反面、”殴ってやろうか”などと思っていたことも明かしています。

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若い頃の和田アキ子は大阪で有名な女番長だった

今回は和田アキ子さんにスポットを当て、生い立ちや若い頃の経歴、不良時代のヤンキー伝説などをご紹介しました。中学1年生の頃に不良行為に走るようになった和田アキ子さんは、中学2年生の頃には女番長として有名だったようです。現在は芸能界のご意見番として活躍中の和田アキ子さん。今後も色々なエピソードを披露してくれることでしょう。

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