【山形マット死事件】概要や犯人逮捕までの経緯!加害者の現在は公務員?遺族のその後も調査
1993年に山形県で起きた「山形マット死事件」は、中学生のいじめ事件として現在も話題になることが多い事件です。そこで今回は山形マット死事件の概要や経緯について、裁判や判決、また遺族や加害者のその後なども調査しました。加害者の現在は公務員との噂も見てみましょう。
目次
【山形マット死事件】の概要
では「山形マット死事件」の概要について紹介しましょう。山形マット死事件とは、いじめが生んだ事件として未だ注目されています。そんな山形マット死事件が起きた場所や、被害者、加害者犯人など事件の概要を見てみましょう。
1993年に山形県の中学校で起こった死亡事件
山形マット死事件は、今から約27年前の1993年1月13日に山形県新庄市の中学校で起こった死亡事件です。他に「マット事件」「マット死事件」「明倫中事件」とも呼ばれています。
この事件の概要からは、中学校の体育館用具室で男子中学生の遺体が発見され、その遺体がマットの中に包まれていたことから「山形マット死事件」と言われているようです。
事件現場は「新庄市立明倫中学校」
山形マット死事件の概要を調査したところ、山形マット死事件が起きた事件現場は、山形県新庄市にある公立中学校の「新庄市立明倫中学校」であることが判明しました。被害者はこの中学に通う1年生の男子生徒であり、また加害者も全員この中学校に通う生徒でした。
児玉有平さん(当時13歳)がいじめにより殺害
山形マット死事件の被害者となった生徒は、中学1年生で当時13歳だった児玉有平さんでした。児玉有平さんの家庭はとても裕福でした。両親が15年前に山形県新庄市に引っ越してきてから生まれたため、児玉有平さんは生まれも育ちも新庄市なのですが、両親の影響で方言ではなく標準語を喋っていたそうです。
加害者犯人は男子生徒7人で名前は?
山形マット死事件の加害者犯人は、被害者の児玉有平さんと同じ中学に通っている男性生徒7人です。3人は当時14歳の上級生、そして残り4人は被害者と同じ中学1年生でした。加害者犯人の名前を調査したところ、加害者犯人はみな未成年であり、少年法により名前は公表されていませんでした。
ここまでは、山形マット死事件の概要を大まかですが紹介しました。次は山形マット死事件が起きてしまったことから、犯人逮捕までの経緯を詳しく説明しましょう。
山形マット死事件の犯人逮捕までの経緯
では、山形マット死事件の概要について、犯人逮捕までの経緯を調査しました。1993年1月に山形県新庄市で起きた悲惨ないじめ事件・山形マット死事件は、どのようにして起きてしまったのでしょうか?また犯人逮捕についても見てみましょう。
1993年1月13日に児玉有平さんが帰宅せず両親が学校に連絡
事件が起きた1993年1月13日、帰宅時間になっても児玉有平さんが帰宅しないため不審に思った両親が、当時児玉有平さんが所属していた卓球部の顧問に連絡をいれました。この日は帰宅後に英語塾に行く予定が入っていたため、両親はすぐに不審に思ったそうです。
そして両親や卓球部顧問が一通り探し回りましたが見つからず、何かの事件に巻き込まれたのかもしれないと心配になり、その後両親は学校に息子が帰ってこないと連絡しました。
その後は卓球部顧問や教師などと共に捜索開始
そして両親や卓球部顧問、他の教師や隣接する小学校の生徒が中心となったバドミントンの少年団の生徒たちで、児玉有平さんの捜索を開始しました。明倫中学校をはじめ、その近辺などあらゆるところを捜索したそうです。
新庄市立明倫中学校の体育館のマットの中から遺体発見
大勢で児玉有平さんを捜索している中で、児玉有平さんが通う新庄市立明倫中学校の体育館用具室の中で児玉有平さんを発見しました。児玉有平さんは体育館用具室の中の縦に置かれたマットに巻かれており、しかも逆さに吊るされた状態でした。
児玉有平さんはマットの中に顔をうずめられ、最悪なことに遺体となって発見されました。児玉有平さんの遺体を最初に発見したのは、卓球部の顧問だったそうです。
児玉有平さんの死因は胸部圧迫による窒息死
無残にも遺体となって発見された児玉有平さん。マットに包まれて、逆さに吊るされた状態だったことで、児玉有平さんの死因は「胸部圧迫による窒息死」であることが判明しました。
遺体で発見された時の児玉有平さんの身体は逆さになっていたことから、顔はうっ血した状態で赤紫色に変色しており、さらに通常の顔の2倍も腫れ上がっていたそうです。しかし顔には擦過傷などの痕跡はなかったそうです。
遺体発見直後の被害者の父親の行動とは
マットの中で悲惨な状態の遺体で発見された児玉有平さん。遺体発見直後にすぐに駆けつけた児玉有平さんの父親は、変わり果てた自分の息子を見てかなりとり乱したそうです。父親は近くにいた教師に掴みかかり、「誰がやったんだ!お前がやったんだろう!」と感情的になったそうです。
同中学校の上級生3人と同級生4人を逮捕
遺体となって発見された児玉有平さん。その後自殺ではなく殺害事件として、同中学校では警察の捜査が始まりました。聞き込み調査などから、児玉有平さんが数人からいじめを受けていたことはわかっていたようで、すぐさま犯人の予想はついたそうです。そして事件が起きた数日後、被害者と同じ中学校の上級生3人と、同級生の4人を逮捕しました。
加害者逮捕後の供述から判明した事とは
1993年1月13日に起きた山形マット死事件の被害者・児玉有平さんを殺害した加害者犯人は、同中学校に通う上級生3人と同級生4人の計7人であることがわかりました。この中には主犯格となっていた生徒もいます。
また加害者逮捕後には、加害者犯人たちの供述により山形マット死事件がどうして起きたのかなど、いじめの概要や経緯が明らかにされました。児玉有平さんはなぜ殺されてしまったのでしょうか?
犯行動機は児玉有平さんがお金持ちだから?
山形マット死事件の加害者犯人の1人とも言われている主犯格の少年Aは、標準語で喋りお金持ちで裕福な家庭に育った児玉有平さんが気に食わなかったのか、その妬みから目を付けたそうです。この少年Aは、児玉有平さんの上級生の生徒でした。
1992年秋頃からいじめが始まりエスカレート
そして少年Aやその他の加害者たちは、事件が起きる4ヶ月前の1992年9月頃から被害者に対しいじめをするようになります。いじめの内容としては、少年Aたち複数人で被害者を囲み殴る・蹴るなどの暴行をしました。それが日に日にエスカレートしていったそうです。
日常的なマット用具室での暴行
日頃から体育館用具室は、加害者犯人たちの遊び場になっていました。そのため被害者を体育館用具室に呼び出し、殴ったり蹴ったりの暴行を加えていました。1992年11月には加害者犯人の仲間で、被害者を体育館用具室の中に押し込み暴行を加えたそうです。
児玉有平さんが一発芸の要求を拒否し集団暴行に
また加害者犯人たちは、被害者・児玉有平さんに対し殴る・蹴るの暴行の他に「一発芸を披露しろ!」と命令をしていたそうです。最初の頃の児玉有平さんは、理不尽ないじめに対し抵抗したり、教師や親に助けを求めるようなことはしなかったそうです。
被害者のその態度につけあがった加害者犯人たちは、面白がって一発芸を要求したり、その要求を少しでも拒否したら集団で殴る・蹴るの暴行を続けたそうです。
日常的に暴行などのいじめをしていた体育館用具室は、体育館の端にあり外から見えない場所でした。また日頃から加害者犯人たちが集まっていたことで、他の生徒は寄り付こうとはしていませんでした。この他にも加害者犯人たちは、体育館用具室の中だけではなく昇降口ホールや階段などでも被害者に対して日常的にいじめをしていたと証言されています。
事件当日のいじめ目撃者は?
学校内で起こった山形マット死事件。学校では部活動が行われていたりと人気はあったはずですが、事件当日のいじめを目撃していた人物はいなかったそうです。この日被害者は、部活中に加害者犯人たちから呼び出しされて体育館用具室へ行っています。
部活が始まる前だったのか、被害者が所属する卓球部の部活動には顔を出していなかったそうです。また当日は運悪く、顧問の先生も部活動には顔を出していなかったそうです。
遺体発見者が警察ではない不可解な点も
両親から「息子が帰宅しない」と連絡を受けた学校は、警察にも連絡をいれ、顧問や教師など大勢で被害者を探しました。そして被害者の遺体を発見したのですが、遺体発見者は警察ではなくて卓球部の顧問でした。
この事件では、「なぜ警察ではなく顧問が遺体を発見したのか?」「もしかしたら日頃から体育館用具室でいじめを受けていたことを知っていたから?」など不可解な点も注目されたようです。
学校側は児玉有平さんに対するいじめに気付いていた?
日頃から複数からいじめを受けていた被害者の児玉有平さん。学校側はこのいじめに気付いていなかったのでしょうか?いじめをしていた生徒は、体育館用具室の中など人目につかない場所で暴行などのいじめをしていました。
そのため直接教師たちがいじめを目撃することはなかったのかもしれません。しかしこの事件が起きる以前、集団宿泊研修から帰宅した児玉有平さんが、顔を腫らして帰ってきたことから家族が学校に「いじめを受けていないか?」と相談したことがあったそうです。
その時は児玉有平さんがいじめられていることを認めなかったので、家族や学校は放置してしまったそうです。しかし学校側の対応としては、一度でもこのような連絡が来ているのであれば、いくら本人が否定したとしても放置せずに何かしら対応をするべきでしょう。
そしてこの時に学校側がもっといじめに対して敏感に動いてくれていれば、このような山形マット死事件という無残な事件が起きず、いじめ解決となっていたかもしれません。
児玉家は当時幼稚園経営で裕福な一家
被害者の児玉有平さんの実家は、山形マット死事件が起きる15年程前にこの地に引っ越してきたそうです。当時、父親は幼稚園を経営しており、とても裕福な家庭だったことから、被害者家族は周囲の住民にからは常に「よそ者」という風に見られていたそうです。
よそ者扱いされ兄もいじめられていた?
また被害者の児玉有平さんには2歳年上のお兄さんがいます。お兄さんもまた両親の影響で標準語を話しており、学校などでもよそ者扱いされていじめを受けたことがあったそうです。
そんなお兄さんは、部活動でいじめに遭ったことがある経験から、弟・児玉有平さんに対しても「部活でいじめられてないか?」と心配する様子もあったようです。しかし弟は「いじめられてもギャクを言って切り抜けるから大丈夫」と言っていたそうです。
山形県は村八分が多い?
被害者一家が「よそ者」扱いを受けていたことについて調査していると、山形県は村八分が多いことが原因だったとの噂もあることがわかりました。被害者一家は、家族全員が標準語で喋り、また家が裕福だったことで近所から何かと妬まれていたようです。
そのため、山形マット死事件が起きた後も被害者一家に対して誹謗中傷の言葉や嫌がらせ行為などがあったそうです。普通なら遺族に対して批判的な言葉や心無い言葉をかけることはないのですが、この事件の遺族にはそれがあったと言われています。
また被害者の遺族が受けた嫌がらせは、家の外壁に「殺してやる」というイタズラ書きだったり、「この家の子だから仕方ない」「いじめられるのには理由がある」などと信じられない嫌がらせ行為があったそうです。
また被害者の児玉有平さんの兄が外を歩いていると、「お前、弟が殺されたのによく平気で外を歩けるな」「殺されて嬉しいか?」などとかなり酷い声を掛けられたそうです。
村八分とは
山形マット死事件の被害者がいじめられた理由として、被害者一家がよそ者扱いされていたことが原因の1つだったと言われています。村八分とは、その村の住民が結束して村の掟を破った人などをのけ者にすることを言います。
山形マット死事件の裁判と判決
続いては山形マット死事件の裁判と判決の概要を見てみましょう。山形マット死事件では、被害者と同じ中学校に通う上級生3人と同級生4人の計7人が犯人として逮捕されています。犯人7人が全員この事件の容疑を認めたことで逮捕されているのですが、その後供述が一変したようです。
逮捕当時は犯行を認めるもその後は供述を撤回
山形マット死事件の犯人逮捕当時に行われた山形県警の事情聴取では、逮捕された少年ら7人は全員犯行を認めていたと言います。しかしその後、犯人たちは弁護士と接見するようになると、供述が一変して犯行を認めたことを撤回したそうです。
事件当時のアリバイを主張し始めたり、中には被害者である児玉有平さんのことを見たことがないから知らないとの声もあったそうです。これももしかすると村八分が関係してのことだったのかもしれません。
裁判では事故死を主張
山形マット死事件の裁判では、加害者犯人の弁護士が「児玉有平さんの死は、被害者自らマットに顔を誤ってもぐり、事故により死亡したもの」と、殺害ではなく事故死であることを主張しました。
それらの主張に対し、山形家庭裁判所は主犯格である上級生3人には監護措置の末に不処分の決定が下され、事実上の無実が言い渡されたそうです。しかしその一方では同級生の3人は無実は認められず、少年院送りや教護院送致などの処分が下されました。
事故死とは思えない殴られた形跡?
しかし被害者・児玉有平さんはこの事件が起きる前からもずっと暴行などのいじめを受けていました。被害者の身体には事故死とは思えないほどの殴られた形跡も残っていたそうです。それでも被告少年側は、被害者は事故死であるという主張を曲げませんでした。
判決は有罪に相当する保護処分
そしてその後の裁判の判決では、加害者犯人7人全員に、有罪に相当する保護処分が下りました。この判決が下ったのに、少年側の弁護士は被害者の事故死を主張して山形高等裁判所に提訴したと言われています。
しかし被害者の両親が、加害者犯人7人の少年らと新庄市に1億9400万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしたことで、少年側は有罪判決を受けることにしたようです。
山形マット死事件の加害者の現在
続いては山形マット死事件の加害者の現在について調査しました。1993年に起きた山形マット死事件では、被害者・加害者犯人ともに中学生の未成年でした。いくら未成年であっても加害者の名前やその後の情報を知りたい声は多くあがっています。
現在でも忘れ去られることがない山形マット死事件では、加害者犯人の名前やその後の情報について話題となっています。その中に加害者が公務員との噂もあるようです。本当に加害者の少年は現在公務員として働いているのでしょうか?
加害者の名前は?
山形マット死事件の加害者犯人は全部で7人います。被害者の名前はすぐさま報道されていましたが、加害者犯人の名前については明かされていません。山形マット死事件は被害者が当時中学1年生であり、加害者犯人は中学1年生と中学2年生の未成年が起こした事件になります。そのため、加害者犯人の少年たちの名前は公表しないことになっています。
しかしこの山形マット死事件は、少年たちのいじめがエスカレートした無残な殺人事件であることから、事件から27年経った現在でも加害者犯人たちの名前などが漏れていないか検索する人がいるようです。
現在ではネット社会ということもあり、犯罪者の名前などの情報はたとえ未成年であってもすぐにわかってしまいます。この事件当時も加害者犯人の名前を特定して、ネットに載せようとする人もいたようですが、実際に加害者犯人の名前はわかっていません。
現在は加害者のほとんどが結婚し子供持ち
山形マット死事件から約27年経った現在、この事件の加害者犯人である少年らはどのような生活をされているのでしょうか?名前の情報はほとんど出回っていないようですが、加害者犯人の現在は公務員などといった情報はあるようです。
加害者犯人の現在の情報を調査したところ、7人の加害者犯人のうち5人はすでに結婚されていることが判明しています。そしてそのうちの3人には子供もいることと言われています。
加害者の中には現在公務員もいるとの噂
山形マット死事件の加害者犯人の中には、現在地元の山形で公務員をされている犯人もいるとの噂があります。いくら未成年であっても、いじめによる犯罪を起こしている人物が、公務員として地域に貢献する職業についていることのは驚く方が多いでしょう。
加害者犯人の名前もわかっていないのに、このように公務員になっている犯人がいるとの情報があることは謎です。しかし山形マット死事件では加害者犯人を擁護する声も多かったので、現在公務員として働いている犯人がいる可能性もなくはないでしょう。
事件が発生した地元で公務員?
山形マット死事件の犯人の1人が、現在は公務員として働いているという噂があります。さらには事件が起きた地元で公務員をされているとの驚きの噂が飛び交っているようです。
公務員は、国家公務員と地方公務員に別れられますが、この事件の加害者犯人は公務員の職種の中でもどんな仕事をされているのかの詳しい情報はわかっていません。
加害者は無罪との声は現在もある?
驚いたことに、山形マット死事件の加害者犯人に対して、現在も無罪であるとの声があるようです。実際に裁判で下った判決は、犯人のうち3人は無罪で残りの4人には有罪判決が下っています。しかし損害賠償金の支払いに未だ応じない加害者犯人がいるようです。
山形マット死事件の被害者の遺族のその後
続いては、山形マット死事件の被害者・児玉有平さんの家族のその後を見てみましょう。山形マット死事件の被害者遺族は、裁判で加害者犯人に向けて賠償金の請求をされています。愛する息子が理不尽な方法で殺害された親の悲しみは、賠償金では解決できることではないのですが、被害者遺族は現在も賠償金請求を求めているようです。
被害者の遺族はその後損害賠償訴訟を起こす
山形マット死事件の被害者の遺族は、有罪判決などが下ったその後、加害者犯人の7人に対して損害賠償金5760万円を支払うことの訴訟を起こしています。加害者犯人はこの損害賠償金控訴に対して上告を申請しましたが、2005年には上告を取り下げています。
加害者7人に賠償金支払いを命じるも未払い?
今朝の山形新聞より。新庄マット死事件から23年。最高裁は有罪としているのにね。遺族が気の毒で仕方ない。 pic.twitter.com/XKPwCqCFso
— きくちいま (@imappage) February 8, 2016
被害者の遺族により、2005年9月には加害者犯人7人に対し賠償金の支払いを命じ、不法行為認定が確定しています。しかしその後も加害者7人が損害賠償金を支払ったものはいません。
賠償金未払いで差し押さえの手段も不可?
そして2015年9月時点でも、加害者犯人の賠償金未払いが続いていたため、7人の犯人のうち4人に対しては債権の差し押さえ措置が取られることになりました。加害者犯人の7人は、未だ賠償金を払っておらず、さらに被害者遺族に対して謝罪の言葉もないようです。
遺族はそんな加害者犯人に対して反省の色を一切感じ取れず、現在では弁護士を通して加害者に督促状を送ってもらったり、勤務先がわかった加害者犯人には給料の差し押さえという強行措置をとっているそうです。
それでも未だ被害者遺族に賠償金を支払っていない加害者犯人たち。被害者遺族は加害者犯人の損害賠償金未払いについて、「事件当時はまだ若いから判決を受けても罪の意識は低いかもしれない。しかし結婚して子供を持つ父親になれば、愛する子供を失った悲しみを理解してくれるだろうと思う」と語っていました。
続けて遺族は「でも加害者犯人たちは、事件から10年も経とうとしているのに謝罪どころか損害賠償金を払う素振りすら見せません」と、加害者犯人たちのその後の対応に関しても怒りを露わにしています。
山形マット死事件が世間に与えた影響
最後は山形マット死事件が世間に与えた影響を見てみましょう。1993年に起きたいじめによる殺害事件は、当時かなり注目されましたが、事件後27年も経った現在もずっと忘れらてはならない事件として知られています。そんな山形マット死事件の概要が明らかになったことで、世間にどのような影響を与えたのでしょうか?
事件が起きた山形県はマット県と呼ばれるほどに
1993年に起きた山形マット死事件後は、山形県を「マット県」と呼ぶ人が多くなったようです。山形マット死事件では、加害者犯人の少年たちに対して擁護する声が多かったことや、村八分の地域の行いがあったことから、山形県はあまり良い印象ではなくなってしまいました。
被害者の人権軽視に対する社会問題にも
山形マット死事件では最終的には判決が確定していますが、裁判での判決が無罪か有罪かで揺れ動くような事態でした。加害者の人種を重視するあまりに、被害者の人権や遺族の心情を軽視する内容として社会問題にもなったと言われています。
学校側がいじめ隠ぺいの噂も浮上
山形マット死事件の概要を調査していると、この事件では学校側がいじめを隠ぺいしていた可能性があるとの噂も浮上しています。被害者の児玉有平さんに対するいじめは、日常的に学校内で行われていたので、学校側が隠ぺいしていると言われても仕方ない事でしょう。
朝日新聞山形支局が著書『マット死事件-見えない“いじめ”の構図』を出版
山形マット死事件が起きた後には、「マット死事件-見えない”いじめ”の構図」という著書が朝日新聞山形支局により発売されています。いじめをテーマにした書籍となっており、山形マット死事件の概要を知りたい方はこの著書を読んでいみるとわかりやすいでしょう。
山形マット死事件に類似した事件も多い
山形マット死事件以外にも、いじめが関係した事件は後を絶えず起きています。「大津市中2いじめ自殺事件」や「桐生市小学生いじめ自殺事件」「滝川高校いじめ自殺事件」「福岡中2いじめ事件」など、多くの山形マット死事件に類似した事件があるようです。
山形マット死事件は被害者や遺族にとって無念の判決
以上、山形マット死事件の概要についてや、被害者・加害者の名前、また事件の裁判判決、賠償金未払いなどを紹介しました。山形マット死事件は、いじめがエスカレートした結果に起きた無残な殺害事件であったことがわかりました。
また、この事件の加害者犯人の中には、現在地元で公務員をしているとの噂もあることにも驚いたことでしょう。未成年のいじめ問題は、事件後から現在もずっと問題視されています。この山形マット死事件の概要がもっと知れ渡り、今後このようないじめで命を落とす学生が出ないことを願いましょう。