山根明の息子の名前や経歴は?仕事はボクシング関係で親孝行もすごい?

日本ボクシング連盟の会長を除名された山根明氏のことは多くの人が知っているでしょう。今回は、山根明氏と同時に連盟を除名された、最初の嫁との間の息子について、名前や経歴、主な仕事などについてまとめました。山根明氏の息子は実は親孝行な人物でした。

山根明の息子の名前や経歴は?仕事はボクシング関係で親孝行もすごい?のイメージ

目次

  1. 1山根明のプロフィール
  2. 2山根明騒動にも深くかかわっている息子
  3. 3山根明の息子はオリンピック決勝で批判の嵐?
  4. 4山根明の息子とは
  5. 5山根明の息子は親孝行すぎる?
  6. 6山根明は息子もすごい!

山根明のプロフィール

・愛称:不明
・本名:山根明(出生名:文甲明 、ムン・ガムミョン)
・生年月日:1939年10月12日
・年齢:79歳(2019年6月現在)
・出身地:大阪府堺市
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:ボクシング指導者、タレント
・所属グループ:元日本ボクシング連盟
・事務所:所属なし
・家族構成:智巳(嫁)、昌守(息子)、娘(名前不明)、ゆい(孫)、さき(孫)、ゆうか(ひ孫)

山根明の経歴

山根明氏の息子について掘り下げる前に、山根明氏本人の経歴を簡単に紹介いたします。
山根明氏は1939年に大阪府堺市で生まれましたが、母親の出身地である韓国・釜山に渡っています。出生時には韓国の名前である「文甲明 (ムン・ガムミョン)」を名乗っていました。

日本へは10歳で密入国し、そのまま27歳まで無国籍だったという、異色の経歴の持ち主です。1980年に正式に日本国籍を取得してからは、ボクシング指導者として数々の仕事をしてきました。

山根明氏の活動前はボクシングが盛んではなかった奈良県を「ボクシング王国」に育て、オリンピック選手まで輩出しました。近畿圏にある大学ではボクシングチームのコーチや監督をしていた経験があり、2000年のシドニーオリンピックのボクシング日本選手団の監督に就任しました。

日本ボクシング連盟では理事、副会長、会長のポストを歴任し、2012年には終身会長にまでなりましたが、その後の不正告発などのスキャンダルを受け、現在は日本ボクシング連盟を除名されています。

山根明氏は2018年に日本ボクシング連盟を除名されて以降、タレントとしてテレビ出演や自伝出版などの仕事をしています。2019年2月には4度目の結婚で山根明氏の嫁となった智巳さんがTwitterを開設し、YouTubeチャンネルと合わせて情報発信をしています。

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山根明騒動にも深くかかわっている息子

一時は世界アマチュアボクシング連盟で常務理事を務めるまでであった山根明氏が、2018年に日本ボクシング連盟を除名された原因は、関係者たち333名からの不正告発でした。試合で不正判定をおこなうよう介入したことや、助成金の不正流用などがその内容です。

日本ボクシング連盟は、山根明氏の除名処分と同時に、元理事である実の息子も除名処分としました。親子ともに不正に関わっていたのでは、とされています。

息子は日本ボクシング連盟の副会長

山根明氏が日本ボクシング連盟の会長であった当時、息子は副会長のポストに就いていました。息子は2011年から同連盟で役職者となっており、山根明氏の当時の権力をうかがい知ることができます。

山根明氏の息子は、同連盟で副会長以外の役職も経験しており、「アンダージュニア委員会・委員長」「専門委員会 特別強化執行役・役員」というものでした。

山根明の入院中には専務理事代理を務めたことも

2018年の不正告発騒動の際、まるで報道陣や関係者から逃げるようなタイミングで、山根明氏は検査入院していた時期がありました。その入院中、日本ボクシング連盟では息子が専務理事代理を務めていたようです。

山根明氏の不在を埋めるのが実の息子ということで、騒動の渦中にあっても権力を手放さない山根明氏の執念を感じる采配でした。

2012年ロンドンオリンピックからボクシングのチームリーダーに

山根明氏が2011年に日本ボクシング連盟の会長に就任した翌年、2012年にはロンドンオリンピックが開催され、日本からもボクシングの選手団が出場しました。そのチームリーダーを務めたのが、山根明氏の息子でした。

会長である山根明氏の計らいによって、息子が選手たちにとって重要な大会であるオリンピックのチームリーダーに抜擢されたのかもしれません。

息子はボクシングの経験も経歴もゼロだった?

2012年のロンドンオリンピックでボクシングチームのリーダーに抜擢されるなら、さぞ指導者として経験が豊富なのだろう、と思った人も多いでしょう。しかし実際は、山根明氏の息子はボクシングに関わったことがなかったようです。

山根明氏の息子は、ロンドンオリンピックでの抜擢以前には、ボクシング選手としての経験も、指導者やトレーナーとしての経歴もなかったとされています。そのような経歴でも重いポジションに就いたことに、やはり山根明氏の影響力が感じられます。

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山根明の息子はオリンピック決勝で批判の嵐?

ロンドンオリンピックで日本ボクシング選手団のチームリーダーに就任した山根明氏の息子ですが、そのオリンピックの最中に物議を醸す出来事がありました。テレビなどでも大きく報道されたので、覚えている人もいるでしょう。

山根明氏の息子が、決勝戦で急きょセコンドとして村田諒太選手に付いたのです。山根明氏の息子はボクシングの経験がないにも関わらず、重要な試合のセコンドに付いたことは、ファンや関係者の強い批判を受けました。

村田諒太の五輪決勝で山根明の息子がセコンドへ

ロンドンオリンピックでは、村田諒太選手が第2シードから出場し、試合を勝ち進んでついに金メダルを獲得しました。日本人のボクシング選手がオリンピックで金メダルを獲得するのは、1964年の東京オリンピック以来で、まさに快挙でした。

その金メダルが懸かった大一番である村田諒太選手の決勝戦で突然、セコンドが山根明氏の息子に交代したので、観戦していたファンは非常に驚いたのではないでしょうか。

村田諒太とは

村田諒太選手は、1986年に奈良県で生まれ、中学3年生ごろからボクシングを始めました。数多くの大会に出場してきました。世界大会ではミドル級で4つのメダルを獲得しており、スポーツ選手としての受賞歴も豊富です。

ロンドンオリンピックで金メダルを獲得して以降は、アマチュアからプロへ転向し、2017年にはWBA世界ミドル級タイトルマッチに見事勝利し、ミドル級の世界王者となりました。

有名企業のスポンサーをもつ村田諒太選手は、テレビに出演したり広告でイメージキャラクターに起用されたりもしているので、ボクシングファン以外にもよく知られた人物です。

決勝戦でいきなりセコンドについた山根明の息子

準々決勝と準決勝は逆転勝ちをおさめた村田諒太選手ですが、その2戦は選手団の監督がセコンドに付いていました。圧勝とはいえないまでも善戦していたため、決勝戦にも大きな期待が寄せられていました。

そんなときに、村田諒太選手のセコンドが決勝戦になってなぜか交代されたのです。初戦からそれまでは、経験豊富な日本ボクシング選手団の監督がセコンドを務めていましたが、山根明氏の指示で、チームリーダーである山根明氏の息子に交代したようです。

村田諒太のセコンドは山根明の政治的な配慮?

ボクシング経験のない自分の息子を、日本中の期待を集めるオリンピックの決勝戦で、セコンドとしてリングへ送った指示について、山根明氏はその後の取材で問われた際、「政治的な力だ」と明言しました。

真意は定かではありませんが、自分の実の息子がセコンドに付いたことで判定を有利にしようとしたのかと憶測を呼び、激しい批判を浴びることになりました。

ボクシングに無知なばかりか安眠妨害まで?

ボクシングの経験も指導者としての経歴もない山根明氏の息子は、セコンドとしてあるべき知識を持っていなかったと言われています。しかし選手団のチームリーダーやセコンドとして不十分であったこと以外にも、村田諒太選手のコンディションを妨げたとも取れる行為をしていたと報道されました。

というのも、村田諒太選手の試合の前日、宿泊先で村田諒太選手が休んでいる隣の部屋で、宴会かなにかをしていたようです。村田諒太選手は隣室から騒ぎ声や壁を蹴るような音が聞こえるために安眠できず、あげく山根明氏の息子が村田諒太選手の部屋にビールを取りにきたそうです。

試合中に村田諒太のペースを乱しイラつかせた?

前日にしっかり休息を取れず、集中力を高められないような環境で眠らされた村田諒太選手ですが、決勝戦の最中にも、山根明氏の息子に自分のペースを乱されるような指示をされたようで、試合中に怒りが湧いたと語っています。

たとえば、村田諒太選手自身は口をすすぐ回数をいつも1回にしているのに、セコンドとして付いた山根明氏の息子に、2回すすぐように指示される、といった具合です。スポーツ選手なら、ルーティンを崩されることの意味がわかるはずです。

山根明の息子とは

ここまで、山根明氏の経歴と、その実の息子が関わった大きな出来事について紹介してきました。では、その息子はどのような人物なのでしょうか。山根明氏の息子本人の名前や仕事などについて、詳しく紹介します。

山根明の息子の名前は山根昌守

山根明氏自身の本名は韓国名ですが、息子の名前は山根昌守といい、日本の名前になっています。ロンドンオリンピックで役職を務めていましたから、オリンピックのWebサイトに名前と顔写真が掲載されています。

名前と顔写真だけでなく、出身や最終学歴、所属などの経歴も一緒に掲載されているので、気になる方は日本オリンピック委員会のWebサイトでロンドンオリンピックの選手団をご覧になってみてください。

山根明の最初の嫁との間に生まれた

山根昌守氏は、1964年に山根明氏の最初の嫁との間に生まれた息子です。山根明氏は、25歳のときに大阪で最初の嫁と結婚し、6年間の結婚生活の間に山根昌守氏が生まれたようです。

山根昌守氏が5歳のときに、山根明氏は息子の母親である最初の嫁と離婚したようで、嫁の実家で暮らしていた山根明氏と山根昌守氏は、家をなくし車の中で寝泊まりしていたとのエピソードもあります。

山根明はバツ3?

最初の嫁とは結婚6年で離婚しており、その後ほどなくして2人目の嫁と結婚したそうです。その2人目の嫁とは20年前後の結婚生活を送りましたが、最終的には嫁が愛想を尽かし離婚に至ります。

3人目の女性は、入籍はしていなかったようですが長い期間ともに暮らしており、事実婚の嫁と言えるでしょう。この3人目の嫁とも20年ほどの事実婚状態にありましたが、別れてしまったようです。

事実婚の関係にあった3人目の嫁を含めれば、山根明氏はバツ3ということになります。現在では山根智巳という名前の韓国人女性と4度目の結婚生活を送っており、大阪で暮らしているようです。

山根昌守の経歴は自動車販売業

山根昌守氏は、山根明氏が最初の嫁と離婚した際、父側に引き取られ、山根明氏のもとで成長しました。大阪の十三中学校を卒業した後、17歳で親元を離れたそうです。

成人した山根昌守氏は、「アティックオート株式会社」という名前の自動車販売業の会社を自身の手で立ち上げ、ロンドンオリンピックの選手団に帯同した2012年にも、その会社の所属となっています。

主な仕事は外車専門の中古車販売

山根昌守氏がアティックオート株式会社を設立したのは20代のころだったそうで、設立以来、山根昌守氏の主な仕事は、その会社での中古車販売でした。アメリカ産の車を専門に販売する仕事をしていたようです。

2017年に、当時取締役を務めていた人物のトラブルを機に中古車販売店を閉店したようです。2018年には、当時日本ボクシング連盟会長だった山根明氏への不正告発のために、山根昌守氏も同連盟を除名処分されていますが、その後の仕事や経歴はあまり語られていません。

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山根明の息子は親孝行すぎる?

山根明氏の計らいによって日本ボクシング連盟の役職に就き仕事をしていたとされる山根昌守氏ですが、実は大変な親孝行な息子であるとも噂されています。

山根明氏自身も息子に親孝行されたエピソードを語っているので、山根昌守氏が親孝行を重ねてきているというのは本当のようです。

山根明のアマチュアボクシング時代を支えた息子

山根明氏は、ボクシングジムを経営していた父親の影響で、12歳ごろからボクシングを始めましたが、本格的にアマチュアボクシングに関わったのは、最初の嫁と離婚した前後くらいの時期だったともいわれています。

アマチュアボクシングに打ち込んでいた山根明氏は、2人目の嫁と結婚してからも活動を続けていましたが、そのために嫁が稼いだお金がなくなってしまうので、嫁は山根明氏にボクシングを辞めるよう頼んだことがあるそうです。

しかしそんな父親と2番目の嫁を見ていた息子の山根昌守氏は、「自分が面倒をすべて見るから父親のやりたいようにやらせてあげてほしい」と2番目の嫁に申し出たそうです。

その会話があった頃は山根昌守氏も10代か20代前半だったと推測されますので、若くして親孝行な息子だったことがわかります。結局2番目の嫁は去ってしまいましたが、それでも山根昌守氏は20代で中古車販売の仕事を始め、稼げるようになりました。

サラ金からの2億円の借金も息子が返済?

山根明氏は、2番目の嫁と別れた後、3番目の入籍していない嫁と暮らしていた期間には、息子の山根昌守氏から金銭的な支援を受けながら、アマチュアボクシングを続けていたようです。父の夢もしくは道楽のために、その借金を代わりに返済したというのです。

その山根明氏の借金というのが、サラ金から2億円という莫大なものでした。親孝行な息子だと言っても、並大抵の覚悟では返済できない金額です。山根昌守氏は本当に父親想いだったのでしょう。

生活費に加え小遣いも息子持ち?

山根昌守氏は、外車専門中古車販売の会社を設立し、そこで長く代表として仕事を続けてきた経歴の持ち主です。山根昌守氏の収入がどれくらいだったのか推測するのは難しいですが、そこそこ大きな割合を山根明氏のために使ったのではないでしょうか。

サラ金からの借金2億円を片付けただけでなく、山根明氏やその嫁の毎月の生活費もいつからか山根昌守氏が出していたそうで、合計数十万を山根明氏とその嫁に毎月渡していたともいわれています。

一軒家に高級車に高級時計などのプレゼントも

山根昌守さんが重ねてきた親孝行は、父・山根明氏の、アマチュアボクシングに全てを注いでいた時代を支えるまでにとどまりません。山根明氏自身が日本ボクシング連盟で会長に就任し、名実ともに権力者となった山根明氏に対し、山根昌守氏は高価なプレゼントを贈っていました。

すでに収入もある程度あったはずの山根明氏に、まるで功績をたたえるようにプレゼントを贈る山根昌守氏は、本物の親孝行息子だといえます。

山根明氏自身も、息子が親孝行をしてくれたことをテレビやインタビューで明かしています。日本ボクシング連盟では上下関係にあり、絶対的な権力を持っていたと思われる山根明氏の息子として、政治的にも利用されていたかもしれない山根昌守氏ですが、このように色々な親孝行をしてきています。

家庭内での強権発動などなく、山根昌守氏が本心から父親の幸せを思っての親孝行であることを信じたいです。

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山根明は息子もすごい!

山根明氏の実の息子である山根昌守氏について紹介してきましたが、父親思いで親孝行な息子であることがわかりました。ロンドンオリンピックの件などでは批判を浴び、山根明氏の騒動で日本ボクシング連盟を除名されていますが、本人は義理堅い人物なのかもしれません。

除名処分以降の仕事などについてはあまり公に出ていませんが、山根昌守氏の半生は父親とともにあったことがよくわかりました。今後ボクシングの仕事に就くのかどうかなど、注目が集まります。

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この記事のライター
つるが あさぎ

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