余貴美子の現在!若い頃からの経歴は?旦那や家族は?国籍も調査!

余貴美子さんの現在と過去と私生活に迫ります。若い頃から現在までの経歴や私生活にまつわる旦那さんや家族の話、そして中国籍だという噂の余貴美子さんの国籍などを調査した結果をまとめました。余貴美子さんが出演したドラマや映画、そしてCMの動画などもご紹介します。

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目次

  1. 1余貴美子のプロフィール
  2. 2余貴美子の現在
  3. 3余貴美子の若い頃からの経歴
  4. 4余貴美子の旦那や家族は?
  5. 5余貴美子の国籍も調査
  6. 6余貴美子は現在も女優として映画やドラマなどで活躍

余貴美子のプロフィール

・愛称:不明
・本名:同じ
・生年月日:1956年5月12日
・年齢:63歳(2019年7月現在)
・出身地:神奈川県横浜市
・血液型:B型
・身長:161cm
・体重:56kg
・活動内容:女優
・所属グループ:なし
・事務所:アルファエージェンシー
・家族構成:後述します

余貴美子の経歴

余貴美子さんは1956年5月12日に生まれました。神奈川県横浜市の出身で、若い頃は「ハマのキミちゃん」「ハマのマリア」という愛称で呼ばれていたそうです。あの美貌ときっぷの良さからついた愛称なのでしょう。

芸能活動を始めたのは年齢20歳の1976年で、1987年にスクリーンデビューした後はめざましい活躍ぶりを見せています。これまでに出演した作品数はすごい数になります。何と167本のドラマと111本の映画に出演してきたのです。

どの作品でも余貴美子さんだけの輝きで観る人を魅了し、2008年度と2009年度には2年連続で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を獲得するという快挙を成し遂げています。

日本アカデミー賞の2年連続最優秀賞受賞は、高倉健さん・役所広司さん・風間杜夫さん・竹中直人さん・松坂慶子さんに続く史上6人目の記録です。この2年連続受賞の他にも日本アカデミー賞を1998年度・2012年度・2013年度に受賞しました。

余貴美子の現在

女優になった20歳の頃から現在の年齢まで、ずっと休みなく活動を続けている余貴美子さんですが、現在はどんな内容の活動をしているのでしょうか?現在の余貴美子さんの活動をチェックしてみました。

2019年の誕生日で年齢63歳

余貴美子さんは2019年5月12日に年齢63歳の誕生日を迎えました。年齢を感じさせない美しさの現在の余貴美子さんを見ていると、還暦を過ぎた年齢だという事がピンとこないですね。

性格の良さも伝わるプライベートエピソードも話題に

ハマのマリアと呼ばれていた若い頃には周囲の人間に慕われていて、当時はハマのマリアのテーマソングまであったそう。余貴美子さんは女優になる前から美貌と人を惹きつける魅力を振り撒いていたのでした。

共演者やスタッフの評判も良く、プライベートでも居酒屋などで偶然遭遇した人が「雰囲気がいい、めっちゃいい人」とSNSなどで書き込む事から分かるように、公私の別なく好感度の高い人柄を発揮しています。

現在はドラマ「家政夫のミタゾノ」結頼子役が人気

余貴美子さんの最新作は、テレビ朝日系列の人気ドラマシリーズ「家政夫のミタゾノ」の第3期です。「家政夫のミタゾノ」は第1期が2016年10月から12月、第2期が2018年4月から6月、最新作の第3期が2019年4月から6月まで放映されました。

余貴美子さんが演じているのは、松岡昌宏さん演じる女装した家政夫ミタゾノが務める、むすび家政婦紹介所の所長の結頼子です。お金にがめついけれど、からっとした性格の結頼子の性格が余貴美子さんの個性にぴたっとハマって、大人気を博しているキャラクターです。

余貴美子の若い頃からの経歴

この章では余貴美子さんの若い頃からの経歴をご紹介します。若い頃にハマのマリアと呼ばれて親しまれていた時期の後のお話です。余貴美子さんのドラマと映画のデビュー作も見ていきましょう。

余貴美子は若い頃からお酒好き!

余貴美子さんは酒豪である事でも有名です。若い頃からお酒が好きで、現在まで二日酔いをした事がありません。旅先で誰も知らないようなスナックにふらっと入ってお酒を飲むのが好きなのだそうです。

若い頃からの経歴①オンシアター自由劇場に入団

余貴美子さんの若い頃からの経歴の1つ目は「オンシアター自由劇場に入団」です。余貴美子さんは高校卒業後は大学に進学せずにオンシアター自由劇場に入団しました。1976年、年齢は20歳になった頃の事です。

そしてこれが現在まで絶え間なく続く余貴美子さんの女優活動の始まりです。自由劇場時代の代表作は「上海バンスキング」のリリー役でした。

若い頃からの経歴②劇団「東京壱組」旗揚げ

余貴美子さんの若い頃からの経歴の2つ目は「劇団『東京壱組』旗揚げ」です。1976年に入団したオンシアター自由劇場を1985年に退団した余貴美子さんは、大谷亮介さんらと「東京壱組」を設立しました。

東京壱組は1996年に解散するまでに、原田宗典さんの戯曲を中心に14の舞台を公演しています。東京壱組の解散後、余貴美子さんはテレビと映画の世界に活動拠点を移しました。

若い頃からの経歴③「ちょうちん」で映画デビュー

余貴美子さんの若い頃からの経歴の3つ目は「『ちょうちん』で映画デビュー」です。余貴美子さんがスクリーンデビューを果たしたのは劇団東京壱組を解散した後ではなく、年齢が31歳となった1987年の事です。

映画「ちょうちん」は、1987年5月に東映配給で公開されたヤクザ映画です。主演は陣内孝則さんが務め、余貴美子さんは彼を取り巻くみちという女性を演じました。

余貴美子のドラマ出演経歴

続いて余貴美子さんのドラマ出演経歴をご紹介します。余貴美子さんは現在までに167本のドラマに出演していますが、その中から若い頃から現在の年齢までに出演した代表的な作品を3作ご紹介していきます。

ドラマ出演経歴①「春の波涛」

余貴美子さんのドラマ出演経歴の1作目は「春の波涛」です。「春の波涛」は1月6日から12月15日まで放映されたNHK大河ドラマでした。余貴美子さんはスクリーンデビューより2年早い1985年にドラマデビューを果たしたのです。

「春の波涛」は日本の女優第1号である川上貞奴をヒロインとして明治・大正期に生きた人々を描いた群像劇で、余貴美子さんは実在した 明治・大正期の小説家荒木郁子の役を演じています。

ドラマ出演経歴②「龍馬伝」

余貴美子さんのドラマ出演経歴の2作目は「龍馬伝」です。「龍馬伝」は2010年1月3日から同年11月28日まで放映されたNHK大河ドラマです。余貴美子さんの大河ドラマ出演作品としては3作目に当たります。

福山雅治さんが坂本龍馬を演じて話題を集めました。「龍馬伝」で余貴美子さんは龍馬を助ける豪商大浦慶に扮しています。

ドラマ出演経歴③「半分、青い。」

余貴美子さんのドラマ出演経歴の3作目は「半分、青い。」です。「半分、青い。」は2018年4月2日から9月29日まで放映されたNHK朝の連続テレビ小説です。余貴美子さんの朝の連続テレビ小説出演作品としては3作目に当たります。

余貴美子さんはヒロインの生まれ故郷の、町医者岡田医院の院長である女医岡田貴美香を演じました。豪快なキャラクターで視聴者の人気を集めています。
 

余貴美子の映画出演経歴

ドラマの出演経歴の次は、映画の出演経歴をご紹介します。余貴美子さんが現在までに出演した111本の映画の中から、若い頃から現在までの代表作品を3作ご紹介していきましょう。

映画出演経歴①「おくりびと」

余貴美子さんの映画出演経歴の1作目は「おくりびと」です。「おくりびと」は2008年9月13日に松竹配給で公開されました。納棺師の仕事に就いた主人公を描いた物語で、余貴美子さんは本木雅弘さん演じる主人公が務める納棺会社NKエージェントの事務員を演じています。

「おくりびと」は2009年2月23日にハリウッドで開催された第81回アカデミー賞において、日本映画で初めての外国語映画賞を受賞しました。授賞式には余貴美子さんも渡米して出席しています。

「おくりびと」では余貴美子さん個人も日本アカデミー賞最優秀助演女優賞と毎日映画コンクール田中絹代賞とヨコハマ映画祭助演女優賞を授与されています。
 

映画出演経歴②「あなたへ」

余貴美子さんの映画出演経歴の2作目は「あなたへ」です。「あなたへ」は2012年8月25日に東宝配給で公開されました。主演を務めた高倉健さんは2年後に亡くなり、この映画が遺作となりました。同じく2012年に亡くなった大滝秀治さんにとっても遺作になります。

亡くなった妻の遺言を読んで彼女の真意を確かめるために故郷へ旅立った刑務所の指導教官が主人公で、余貴美子さんは旅先で主人公に力を貸す女性の母親役を演じました。

映画出演経歴③「学校Ⅲ」

余貴美子さんの映画出演経歴の3作目は「学校Ⅲ」です。「学校Ⅲ」は1998年10月17日に松竹配給で公開されました。自閉症の息子と共に必死に生きる女性をめぐる物語で、余貴美子さんは大竹しのぶさん演じるヒロインを温かく支える友人の主婦役を好演しました。

この映画で余貴美子さんは初めての映画賞を受賞しています。日本アカデミー賞優秀助演女優賞とブルーリボン賞助演女優賞と、毎日映画コンクール女優助演賞です。

余貴美子の出演CMもチェック

ドラマと映画で輝かしい軌跡を描いてきた余貴美子さんですが、CMにも出演しています。余貴美子さんがこれまでに出演したCMの中で特に有名なCM3本をご紹介します。

出演CM①ライオン「デントヘルス」編

余貴美子さんの出演CMの1本目はライオンの「デントヘルス」です。青い衣装に身を包み、きびきびと商品の説明をする余貴美子さんが大好評でした。デントヘルスSPでもCMに起用されています。

出演CM②リアップ「リジェンヌ」編

余貴美子さんの出演CMの2本目は、大正製薬の「リアップリジェンヌ」です。長いウェーブのかかった髪をなびかせる余貴美子さんのCM効果は抜群でした。こんな風に年齢を重ねたいと話す若い女性もいました。

出演CM③日本生命「みらいのカタチ」編

余貴美子さんの出演CMの3本目は、日本生命の「みらいのカタチ」です。大筋は滝川クリステルさんによる商品説明なのですが、冒頭と終わりに挿入される余貴美子さんと池松壮亮さんの親子ぶりも視聴者の印象に残りました。
 

余貴美子の旦那や家族は?

余貴美子さんの若い頃からの経歴に続いて、余貴美子さんの私生活にまつわる情報をお伝えします。余貴美子さんは結婚しているのでしょうか?旦那さんはいるのでしょうか?そしてどんな家族構成なのでしょうか?

2006年に山下恒彦と結婚

余貴美子さんは2006年、年齢が50歳になる寸前に結婚しました。旦那さんとなったのは山下恒彦さんという男性です。山下恒彦さんは余貴美子さんより年齢が2歳年下でした。

旦那の山下恒彦はNHK美術スタッフ

旦那の山下恒彦さんは、当時NHKの美術スタッフをしていました。山下恒彦さんは現在もNHKでチーフプロデューサーを務めていますが、その他にも多摩美術大学の演劇部用デザイン科の教授をしています。

旦那との結婚の馴れ初めはドラマ「ちゅらさん」

余貴美子さんと旦那の山下恒彦さんとの馴れ初めは、2001年に放映されたNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」です。このドラマで出会って愛を育んだ余貴美子さんと旦那の山下恒彦さんは、5年後の2006年に夫婦となったのでした。

余貴美子の家族も調査

旦那さんに続いて、余貴美子さんと血がつながっている家族と親族について解説します。余貴美子さんの国籍に関わる情報もありますのでじっくりとご覧下さい。

家族①従姉は今は亡き范文雀

余貴美子さんの従姉は、2002年に亡くなった台湾出身の女優范文雀さんです。余貴美子さんの父親の姉が范文雀さんの母なのです。余貴美子さんが女優を目指したのは、范文雀さんに憧れたのがきっかけだとも言われています。

范文雀の元夫は寺尾聰

范文雀さんの元旦那は俳優で歌手の寺尾聰さんです。1973年にドラマ「2丁目3番地」で共演したのが馴れ初めで結婚しましたが、1年後に離婚してしまいました。

家族②台湾人の父と日本人の母

台湾人の范文雀さんが従姉である事から分かるように、余貴美子さんは台湾出身のお父さんと日本人のお母さんとの間に生まれたハーフです。余(よ)というのは台湾人のお父さんの名字なのです。

ジュディ・オングとの姉妹説も浮上

余貴美子さんと歌手のジュディ・オングさんが姉妹だという噂もあります。余貴美子さんが台湾人のハーフで、ジュディ・オングさんも同じく台湾人のハーフだという事で生まれた噂のようですが、調査の結果2人には全く血縁関係がない事が明らかになりました。

年齢の近い台湾人ハーフの美女という共通点があり、容貌も少し似ているので、こんな噂が生まれるのは至極当然かも知れません。ですが、あくまでもそれは噂で真実ではないのです。

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余貴美子の国籍も調査

前の章で余貴美子さんが台湾人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれたハーフである事をお伝えしました。お父さんが台湾人であるために余貴美子さんの国籍が日本ではないという噂は本当なのでしょうか?

余貴美子の国籍は中国

台湾人と日本人のハーフである余貴美子さんの国籍について調べた結果をご報告します。余貴美子さんの国籍は中国です。父方の国籍をそのまま引き継いでいるのです。

国籍は中国だが生まれは横浜市

余貴美子さんの国籍は中国ですが、生まれ育ったのは神奈川県横浜市です。余貴美子さんの実家は、余貴美子さんの両親と余貴美子さんの妹が暮らす他、父方の祖父母と叔父と叔母が同居している大家族でした。

この大家族は多い時で20人にまで膨れ上がっていたそうです。お母さんを除く全員が中国籍だったため飛び交う言語は中国語だったのですが、余貴美子さん自身は中国語については「勉強中」と話しています。両親と妹の家族での会話は日本語だったのでしょう。

国籍を中国とする理由は客家の祖先が関係

余貴美子さんが現在も中国籍である理由について余貴美子さんはこう語っています。「日本や台湾、中国というより、私は客家(はっか)。そんな風に思っています」と。客家というのは中国の漢民族の一部グループである独自の言語と慣習を持つ一族の事です。

ふとした事で父方の祖先である客家について考えた時に、それまで女優として色々な人物を演じてきた自分の中に初めて「芯」のようなものを感じたのだとか。そのために中国籍のまま生きてきたのです。

余貴美子は現在も女優として映画やドラマなどで活躍

ハマのマリアという名で地元の人気を集めていた少女は、日本を代表する大女優に成長を遂げました。日本最大の映画賞である日本アカデミー賞を5回も受賞している女優は中々いません。

大女優になっても気さくな性格は変わらず、仕事でも私生活でも周囲の人を和ませながら映画やドラマで活躍を続ける余貴美子さん。その輝きはこれから先も鈍る事はないでしょう。

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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