【幸福の科学】与国秀行(谷山秀行)の伝説!不良から宗教家へ!失明とは

与国秀行(谷山秀行)はかつて東京最強の不良として伝説を残しており、関東連合のメンバーからも一目置かれる存在でした。しかし現在は宗教家・幸福の科学の職員としてYouTubeなどで活動をしています。また与国秀行は失明しているのですが、その経緯なども調べていきます。

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目次

  1. 1与国秀行のプロフィール
  2. 2与国秀行の肩書
  3. 3与国秀行は東京最強の不良と呼ばれた谷山秀行
  4. 4与国秀行(谷山秀行)の関東連合との関係は?
  5. 5与国秀行が不良を辞めた理由
  6. 6与国秀行が失明した?
  7. 7宗教家・与国秀行は数多くの伝説を持つ元不良

与国秀行のプロフィール

・本名:与国秀行(旧姓:谷山秀行)
・生年月日:1976年6月6日
・年齢:42歳(2019年5月現在)
・出身地:東京都杉並区
・血液型:不明
・身長:173㎝
・体重:73キロ
・活動内容:作家、YouTube動画出演
・所属グループ:幸福実現党、幸福の科学
・家族構成:妻

与国秀行の経歴

与国秀行はかつて「東京最強の不良」と呼ばれておりました。特に「ステゴロ」つまりバットやナイフなどの武器を使わない「素手のケンカ」では負け知らずだった、という伝説が残っています。

1990年代に東京を中心とした関東ではチーマーと呼ばれる不良グループが流行していました。その時代に与国秀行は地元・杉並で頭角を現し、渋谷、府中、三鷹、中野、江東のチームの頭を次々と倒して、東京中に名を轟かせていました。

与国秀行の肩書

かつては伝説の不良として恐れられた与国秀行ですが、現在は宗教家としてYouTubeやイベントに登場するなど様々な活動をしており、複数の肩書きを持っているようです。ここで与国秀行の肩書きを見ていきます。

 

与国秀行は幸福の科学の職員で宗教家

与国秀行はかつて伝説の不良として東京中の不良に名を知られている存在でした。しかし、とある出会いをきっかけに不良の世界から足を洗い、現在は宗教団体・幸福の科学の職員となっています。

そして現在の与国秀行は、宗教家としてYouTube動画やイベントなどで宗教や政治に関する啓蒙活動を積極的に行い、支持を集めています。いまや暴力の世界からは完全に身を引き、真面目に世界をよくしていこうという姿勢が見えてきます。

幸福の科学とは

幸福の科学とは1986年に設立された日本発の宗教団体です。創始者は大川隆法で、キリスト教やイスラム教の神、仏陀などのさらに上位に位置するとされる地球神「エル・カンターレ」を信仰しています。

宗教上の特色としては、創始者であり総裁である大川隆法の体に、歴史上の偉人や現世の有名人たちの守護霊を「降霊」させ、降霊した守護霊が大川隆法の体を使って語る「チャネリング」というものがあります。


「幸福の科学」という団体名称は仏教僧・日蓮の霊言集にある「幸福科学」という言葉から由来しており、「幸福の科学」もまた仏法の教えを基礎としています。ただし通常の仏教と違い入信することを「出家」とは呼ばず、入会した後「職員」と呼ばれるようになります。

また、幸福の科学は日本国内に留まらず、世界各地で講演を行って布教活動をしており、大川隆法の著作に関しても世界31言語に翻訳され、総数2,500点を超える書物を刊行しています。

伝説の不良と言われた与国秀行

与国秀行は不良時代、東京で数々の武勇伝を残し、「伝説の不良」と呼ばれ恐れられていました。特にタイマンのケンカでは右に出るものはなく、「ステゴロ(素手でのケンカ)最強」とも呼ばれていました。

与国秀行は関東連合と関わりがあったことも有名ですが、実際には関東連合のリーダーだったことはなく、むしろ群れるのを徹底して嫌っており、一匹狼的な性格としてもよく知られていました。

2009年には衆議院選にも出馬

与国秀行は幸福の科学の職員として活動していましたが、2009年には幸福実現党から衆議院選にも出馬しています。東京12区(板橋区、北区、豊島区、足立区など)から立候補しましたが、あえなく落選してしまいました。

落選後も選挙があるたびに他の候補者の応援演説に駆けつけるなど、政治活動は現在も積極的に継続しており、幸福実現党の中でも比較的名前が知られた主力メンバーとして活躍しているようです。

2016年からは作家活動も

与国秀行は現在幸福の科学の職員として活動するかたわら、作家として執筆活動を続けています。2016年に与国秀行は「武士道を行く」というタイトルの武士道に関する作品を発表しています。

「武士道を行く」の内容は、吉田松陰や「武士道とは死ぬこと」と述べた山本常朝らの思想を紹介しつつ、現代の日本に武士道を蘇らせようとする啓蒙書であり、与国秀行の現在の価値観が色濃く反映されている内容となっています。

2018年には一般社団法人を設立

与国秀行は「武士道を行く」を出版後、武士道をさらに世に広めるべく、2018年に一般社団法人「武士道」を設立します。現在、与国秀行の妻が代表理事を務めており、与国秀行自身は特別顧問となってYouTubeなどの動画でともに出演し活動しています。

一般社団法人武士道の公式ホームページには現在「世の中の無関心と戦い、天下泰平のために尽力する武士を目覚めさせる啓蒙団体です」とあり、与国秀行は幸福の科学の教えとはまた別の独立した主張を行っているようです。

現在はYouTube動画配信やトークライブも

与国秀行は現在、幸福の科学の職員としての活動の他にも、YouTubeで政治や武士道を教え広めたり、陰謀論の検証動画を配信したりと、宗教だけにとどまらない活動を展開しつつあります。

なお、YouTube動画に関しては現在に到るまで2度に渡りYouTubeのアカウント停止(BAN)をされています。説明の為に引用した動画が著作権に抵触したのが原因のようですが、ニュース解説の都合上どうしても使わないといけなかったと説明しています。

現在のところ与国秀行はYouTubeに何度BANされてもアップし直すと宣言しております。また、イベントなどを通じてすでにじかに交流が広がっているために、YouTubeのアカウントがBANされたとしても大きな影響はないとのことです。

与国秀行のフォロワー達からは「名誉のBANだ」「何度消されても見に来ます!」と支持されています。また「テレビ番組をYouTubeに違法アップしているのは取り締まらず、引用を取り締まるのはなんらかの組織が動いている」と陰謀論を唱えている人もいるようです。

与国秀行は東京最強の不良と呼ばれた谷山秀行

与国秀行は現在宗教家、作家、YouTubeでの動画投稿といった活動をしていますが、かつては東京最強の不良と呼ばれ、周囲から恐れられる存在でした。そんな与国秀行(谷山秀行)の伝説を調べていきます。

小学生からケンカに明け暮れ警察のお世話に

与国秀行(谷山秀行)の伝説はなんと小学生時代にまで遡ることができます。小学生時代から与国秀行(谷山秀行)はケンカに明け暮れており、そのたびに何度も警察沙汰になっていたようです。

与国秀行が当時を振り返って語ったインタビューでは、普通中学生になってから犯すような犯罪を、小学生の内からやっていたとも言っており、子供のときからかなりやんちゃな性格だったようです。

タイマンでは負け知らず

「与国秀行はタイマンのケンカで負けたことがない」という伝説があります。不良時代、各地域のトップとタイマンでケンカする機会がかなり多かったようです。そして渋谷、府中、三鷹、中野、江東のチーマーの頭とケンカしてすべて勝ったとも言われています。

あるときは荻窪から40人以上もの大軍で杉並に乗り込んで来た不良集団を、5人しかいなかった与国秀行(谷山秀行)グループが撃退したとも言われ、ケンカの強さは折り紙つきだったようです。

 

与国秀行(谷山秀行)の伝説

与国秀行(谷山秀行)に関しては数々の伝説が残っています。しかし与国秀行自身はみずから武勇伝を語るようなことはあまりしなかったようです。そういった器の大きな部分がまた不良達の間で「かっこいい」と評価されていたところもあるようです。

また、あるときはケンカが終わった後、ケンカをした相手と一緒に焼肉を食べに行ったこともあるそうです。しかも与国秀行(谷山秀行)がおごっていたようで、そういった後腐れのないさっぱりした行動が「男気のある人物」として評価を高めることにつながったようです。

病気の女の子を守り相撲レスラーを倒す

与国秀行の高校時代、病気によって余命1年とされていた少女がおり、少女を励ますため花見に誘って出かけたところ、相撲レスラーが絡んで来てケンカになったことがあったそうです。

相撲レスラーは腕っぷしがどうのと意味不明のことを言いながら絡んできたようですが、与国秀行は女の子をかばいつつも、相撲レスラーを倒し退けたという伝説が残っています。

顎を砕かれた不良のリーダーが更生し慶応に合格

中野区の頭とタイマンを張った際、与国秀行(谷山秀行)はパンチ一発で相手の顎の骨を砕いて倒したと言われています。その後、中野区の頭だった男は真面目になってなんと慶應大学に進学したということです。

のちに与国秀行と再会した際にはその人物から「お前のおかげで更生できた」と言われたようです。与国秀行の器の大きさが伺えるようなエピソードです。

湘南乃風・若旦那の人生を変えた

音楽グループ湘南乃風の若旦那は不良時代にたまたま与国秀行(谷山秀行)のケンカの現場に出くわしたことがあるようです。その際に与国秀行(谷山秀行)の圧倒的な強さと戦いっぷりを目の当たりにしてショックを受けたようです。

若旦那に「谷山が番長で構わない」とまで思わせたということですので、かなり圧倒的だったのでしょうか。その後、若旦那は自伝的漫画「センター 〜渋谷不良同盟〜」の原作を書きますが、与国秀行(谷山秀行)をモデルにして書いたとも言われております。

総合格闘技大会THE OUTSIDERにも出場

与国秀行は自身の主張をより広くアピールするために、あえて宗教活動とは真逆とも思える格闘技の大会に出ることにします。そしてプロレスラー前田日明が主催していたセミプロとアマチュアのための総合格闘技大会「THE OUTSIDER」に出場します。

「THE OUTSIDER」の試合の様子は現在YouTubeでも見ることができます。このとき与国秀行は元暴走族総長の加藤友弥と対戦しましたが、結果は敗北となりました。その後も別の格闘技大会にも出場していますが、そちらも残念ながら敗北となっています。

与国秀行(谷山秀行)の関東連合との関係は?

与国秀行(谷山秀行)自身はどちらかというと集団を形成するというよりは一匹狼的なポジションを好んでいたようです。またバットやナイフといった武器を使ったケンカや集団でのリンチを嫌い、徹底してタイマンを張っていたようです。

しかしながら、当時不良達の間で勢力を取り戻し復活しつつあった関東連合のメンバー達との交流もあったようで、かなり関係が深いようです。与国秀行(谷山秀行)と関東連合との関係を追っていきます。

関東連合のリーダーと同級生?

与国秀行(谷山秀行)は一時、関東連合のグループのひとつ「宮前愚連隊」に属していたものの、すぐに脱退しています。その後関東連合に属してはいませんでしたが、関東連合のメンバーと深い関わりがあったと言われております。

与国秀行(谷山秀行)は当時関東連合総長だった加藤伸雄と同級生で、特に仲が良かったようです。またのちに指定暴力団住吉会系幹部となる田丸大とも仲がよく、池袋のタイマン合戦に一緒に参戦したというエピソードが残っています。

 

また、与国秀行(谷山秀行)の1つ上の世代には関東連合の面倒見だった金村剛弘、2つ下には見立真一、松嶋重といった後の関東連合の主要メンバーが勢ぞろいしており、それぞれに関わり合いがあるようです。

与国秀行(谷山秀行)は見立真一に関して特にかわいがっていたようで、ケンカ以外でも公園やグラウンドなどによくたむろしていたようです。

重要人物とも友達?

与国秀行(谷山秀行)と関東連合のリーダーの見立真一とは同じ中学の出身で後輩にあたります。しかも同じ放送委員だったようで、当時の見立の印象を「勉強できるメガネかけた真面目なヤツ」と語っております。

見立真一はのちに六本木クラブ殺人事件に関与したとされ指名手配され、現在は海外へ逃亡しているとされていますが、そうした関東連合の主要メンバーともかつては関わり合いがあったということになります。

あまりの強さに関東連合メンバーが憧れていた?

与国秀行(谷山秀行)の強さは当時勢力を拡大しつつあった関東連合の間でもとかく有名であり、特にタイマンの強さと、ケンカが終わった後の後腐れない態度や振る舞いに評価は高かったようです。

特に関東連合の主要メンバーだった見立真一、柴田大輔、松嶋重の3人は与国秀行(谷山秀行)の通っていたボクシングジムに通うなど、与国秀行(谷山秀行)の強さに憧れていたとさえ言われています。

関東連合の面倒見がタイマンからビビって逃げた?

与国秀行の伝説はまだまだあります。関東連合の面倒見・金村剛弘は与国秀行(谷山秀行)を呼び出し、後輩とタイマンを張らせたそうです。しかし、あまりの強さを目の当たりにしてビビッてしまい、金村剛弘は逃げ出してしまったということです。

金村剛弘は小柄ながら格闘家のような体を持ち、関東連合の中でも有数のケンカの実力を備えていたとされていますが、そんな金村剛弘でさえ与国秀行(谷山秀行)の強さには驚かされたようです。

与国秀行が不良を辞めた理由

不良時代にケンカの道をひたすら突き進んでいた与国秀行でしたが、あるときを境に不良の世界からきっぱりと身を引くことになります。何が理由で不良を辞めることになったのでしょうか?

ケンカに明け暮れる日々にふと疑問を感じた

与国秀行は東京で街の不良達相手にケンカに明け暮れる日々を過ごしていましたが、ある時から抗争が抗争を呼ぶ状況を呼び、争う毎日にだんだんと疑問を持ち始めるようになったといいます。

そして与国秀行は「自分が人を殺したり、自分が人に殺されるような世界は嫌だ」と感じるようになり、徐々に不良の世界から抜けることを考え始めるようになったと言われています。この時すでに報復の連鎖が続く不良の世界にうんざりしていたのかもしれません。

高校卒業と同時に自分探しの旅へ

与国秀行は高校卒業後、自分探しの旅に出て日本中を旅行します。その直後、父親が経営していた飲食店が潰れたことなどが重なり、与国秀行の持っているお金はほとんどなくなっていき、ホームレスのような生活になっていたようです。

与国秀行はしかたなく沖縄でスキューバーダイビングのインストラクターやリゾートホテルなどで働いたりしながら旅を続けていたようです。

旅の途中で幸福の科学の本「太陽の法」と出会う

与国秀行は全国を放浪しながら、宗教や哲学に関する様々な本を読み漁っていたそうです。特に興味があったキリスト教の聖書や仏教の宗教書、日本の文学などを中心に読んでいたようです。

しかしある日宮古島に滞在していた際に、たまたま図書館にあった幸福の科学の創始者・大川隆法の著書「太陽の法」に触れ、深い感銘を受けたと語っています。

幸福の科学の本に感銘を受け真面目になると決意

不良時代ひたすらケンカに明け暮れていた与国秀行ですが、実はもともと本を読むのが好きな人間で、作家になる願望もあったといいます。与国秀行は放浪時代、図書館の仏教書コーナーで宗教や哲学の本を読み漁っていたようです。

そしてその本の中からたまたま幸福の科学グループ総裁・大川隆法の著書「太陽の法」を手にし、今までにない感銘を受け、与国秀行は不良集団の中で抗争に明け暮れるような生活では駄目だ、そういう世界から足を洗おうと決心したといいます。

かつてタイマンを張った関東連合のメンバーの死も影響

2008年3月16日にはかつてタイマンを張った相手の関東連合・金村剛弘が西新宿の路上で襲われる事件が起きました。この事件により金村剛弘は死亡しました。この事件を見て与国秀行は堅気に戻ろうと強く決意したといわれています。

また、金村剛弘の葬儀に集まった関東連合のメンバーにも堅気に戻ろうと呼びかけたようですが、関東連合のメンバーには「空気の読めないヤツ」と思われたようで、与国秀行の説得が聞き入れられること残念ながらありませんでした。

過去の自分と決別のために改名

与国秀行は当時既に幸福の科学にかなり傾倒していたでようで、それまでの争いが争いを呼ぶような状況から抜け出そうと周囲の人間を説得していたようです。しかしそうした方向転換をした与国秀行とそれまでの仲間たちはだんだん話が噛み合わなくなります。

この頃から与国秀行は思うように他人を説得できない無力さを感じていたといいます。そして結婚を機に「谷山秀行」から「与国秀行」へと名前を改め、過去の自分と決別し現在に至っております。

与国秀行が失明した?

与国秀行は不良から脱却し宗教家として再出発を始めました。しかしあるとき暴漢に襲われ、そのときの怪我がもとで現在左目を失明しているようです。なぜ失明するようなことになったのでしょうか?

左目が失明している与国秀行

与国秀行の左目は実は半失明状態にあると言われております。しかし与国秀行はブログで「こんなものかすり傷にすぎない」と語っており、むしろ失明したことにより色々なものが見えるようになったとさえ言ってのけました。

与国秀行が失明した経緯

与国秀行が失明した経緯ですが、与国秀行が幸福実現党で衆院選に出馬し、選挙が終わった直後突如としてバットを持った暴漢に襲われました。そしてその襲撃の際に負った怪我により左目を失明したようです。

その後関東連合OBの田丸大が見舞いに駆けつけ、与国秀行に犯人に仕返しすることを提案したようですが、与国秀行は意に介さず、逆に田丸大へ争いの世界から脱却するよう諭したといわれています。

2009年に出馬した衆議院選挙へ立候補

与国秀行は2009年に当時設立されたばかりの政党だった「幸福実現党」から衆議院選挙へ立候補しています。精力的に街頭演説に立ち、一定数の支持は得たものの、結果はむなしく惨敗となります。

選挙後突如暴漢に襲われる

衆院選後、与国秀行は妻と食事に出かけた帰りに赤羽の路上で突如バットを持った暴漢に襲われたといいます。また、このときの怪我が元で与国秀行は左目が半失明状態となっております。

しかし、失明するほどの重傷を負ったにもかかわらず、与国秀行は警察に被害届も出さず、犯人を探すこともなかったようです。

一緒にいた妻をかばって失明?

与国秀行は襲撃された際「妻だけは手を出さないでくれ」と懇願してかばったそうです。そして自身は地面にどっしりと座り込み、無抵抗で殴られ続けたそうです。それどころか「お前らも正しく生きろ」と言って諭したとも言われております。

与国秀行は左目を失明する怪我を負ったのですが、襲って来たグループに対して反撃するどころか無抵抗で殴られ続け、なおかつ更生を促すなど、与国秀行の強固な信念が垣間見えるような出来事となりました。
 

犯人や動機は不明

この与国秀行襲撃事件が起きた原因や犯人の正体は未だわかっていません。真っ先に関わりの深かった関東連合の関与が疑われたものの、関東連合との間に遺恨となるような出来事はなく、謎のままとなっています。

また一部には敵対する宗教団体や政治団体の犯行を指摘されましたが、しかし結局現在に至るまで犯人や犯行の動機は全く不明となっています。

宗教家・与国秀行は数多くの伝説を持つ元不良

幸福の科学の宗教家・与国秀行は衆議院選挙にも出馬し、ホームページやYouTubeでも宗教活動や政治活動に励んでいますが、かつては無数ともいえるほどの数の伝説を残した不良の一人でした。

現在は与国秀行は不良時代の自分を反省し、人々が政治や宗教に興味を持つように啓蒙活動に励んでいるようです。左目を失明しても「こんなものカスリ傷に過ぎない」と言い放ち、宗教活動に邁進する与国秀行の姿に感動する人もまた多いようです。

すでに与国秀行のYouTubeチャンネルは2回もYouTubeアカウントの停止措置をくらっていますが、今後もめげずに動画をアップして、政治や宗教の啓蒙活動に励んでいくものと思われます。

幸福の科学は宗教団体の中では比較的多様性のある活動や意見を認める団体ですので、与国秀行のようなアウトロー出身の人間でも受け入れる土壌があったのが幸いしているようです。今後の与国秀行の動向に注目していきたいと思います。

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この記事のライター
ゆすやん
漫画・アニメ・映画大好きの元CGクリエイター・デザイナーです。声優・アイドルなどサブカル全般詳しいです。

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