【池袋通り魔殺人事件】造田博の生い立ちや犯行理由と死刑判決後の現在は?

包丁と金槌で次々と通行人を襲い、死亡者2名、重軽傷者6名の被害者を出した池袋通り魔殺人事件。今回はこの事件の犯人である造田博の犯行動機や死刑判決後の現在の様子等をまとめてみました。造田博が犯行に及んだのは借金が原因か⁉また両親との関係は⁉

【池袋通り魔殺人事件】造田博の生い立ちや犯行理由と死刑判決後の現在は?のイメージ

目次

  1. 1造田博とは
  2. 2造田博の生い立ち
  3. 3池袋通り魔殺人事件の概要
  4. 4造田博の犯行理由
  5. 5造田博の死刑執行はいつ⁉現在の様子は⁉
  6. 6造田博の余りに身勝手な理由が多くの被害者を生んだ

造田博とは

池袋通り魔殺人事件を起こした凶悪犯

「造田博」とは、20年前の1999年9月8日に発生した池袋通り魔殺人事件を引き起こした犯人です。この池袋通り魔殺人事件は、白昼の人が賑わう繁華街で突如として発生した連続通り魔事件として、2008年に発生したあの秋葉原通り魔事件と共に今も多くの人々の記憶に焼き付いている凶悪事件です。

最高裁にて死刑判決を受けている

この事件の犯人として逮捕された造田博は、その後2002年1月18日に東京地裁で開かれた第一審にて死刑判決を受け、続く2003年9月29日に東京高裁で開かれた控訴審判決でも控訴棄却の判決が下り、そして2007年4月19日に開かれた最高裁判所での判決でも上告が棄却され、最終的に死刑判決が確定しています。

造田博の生い立ち

史上類を見ない凶悪事件である池袋通り魔殺人事件。この事件の犯行に及んだ造田博とは一体どの様な人物だったのでしょう?この様な凶悪犯罪を引き起こした犯人を一体両親はどの様に育ててきたのでしょうか?ここでは造田博の生い立ちを振り返りながら、彼が犯行を起こした要因は一体何だったのかを検証して行きたいと思います。

両親がギャンブラーで幼少期は貧困した生活を送る

造田博の両親はどうやら両者ともにギャンブル中毒者だった様です。元々はまともな両親だったのですが、ある日造田博の祖父が亡くなった事で遺産を相続し、大金を手にした事からこの両親の歯車は狂ってしまったのだそう。

これまでに持った事も無い様な大金を突如として手に入れた両親は、その金でギャンブルに明け暮れる様に成ります。最初は遊び程度だったギャンブルですが、いつの間にか両親はその魅力にどっぷりと浸かってしまい、気づけば遺産を使い果たした挙げ句に借金までしてギャンブルに注ぎ込むように成っていたのです。

当然そうなれば毎日の生活は非常に苦しいものと成ります。造田博は両親がギャンブル中毒者と成って以降、非常に困窮した生活を余儀なくされたそうです。生活費が少しでも有ればそれすらギャンブルに注ぎ込むと行った両親の姿を観る度、呆れて果てた彼は心の底に深い闇を抱えて行くのでした。

高校中退後に両親が借金を残して失踪

造田博は地元でも進学校として知られている県立倉敷天城高校に進学します。中学3年生に成ってから必死で勉強を頑張り、どうにかしてこの高校に合格することが出来ました。然しながらそんな彼の頑張りに水を差すかの如く、造田博の自宅には毎日のように借金取りが訪れる様に成ります。

両親がギャンブルで作った借金はこの頃には既に4千万円を越えていたとも言われており、自宅には様々な借金取りが取り立てに訪れていたそうです。そんな環境の中では到底彼もまともな学生生活が送れる筈もなく、やがて造田博は高校を中退します。

高校を中退した造田博は、日中お弁当屋さんでアルバイトを始めます。両親は借金取りから身を隠す為に日中は自宅から離れ、深夜になってから自宅へと帰宅する毎日という生活がやや暫く続きます。そして翌年1993年11月、アルバイトから帰った造田博が自宅で目にしたのは、家財道具が持ち出された後のサッパリとした部屋でした。

両親は借金と息子を残し失踪することを選んだのです。造田博は何一つ両親から知らされる事無く、突然1人何もない家に残される事と成りました。この時の喪失感はどれほどのものだったのでしょう?彼と両親はこれを境にプッツリと縁が切れています。

幸いな事に借金の返済を残された息子に迫る業者はいなかった様で(中には数社ほど凄んできた者も居たそうですが)、最初は執拗に両親が逃げた先を借金取りから尋ねられていた造田博でしたが、次第に借金取りも寄り付かなくなり、やがて彼は借金取りから開放される事に成りました。

そして造田博は1994年1月に、広島県福山市で生活していた当時大学生の兄の元へと身を寄せるようになりました。因みに造田博が後にした岡山県灘崎町の自宅は、1996年に競売に掛けられた後、彼等とは一切関わりのない人間の手に渡ったそうです。

職を転々する日々

兄のもとに身を寄せた造田博は、福山市内に有るパチンコ店で働き始める事に成りました。しかしここでの仕事が長続きせず、そこから数々の職を転々とする生活を送るように成ります。

弟の事を案じた兄は時には厳しい言葉で造田博の事を叱咤激励したそうですが、彼は仕事を辞める度に落ち込み、やがて自身の殻に閉じこもるように成ってしまったそうです。結局事件直前まで働いていた職場を含めると、造田博は判明しているだけで14回もの転職を繰り返していたそうです。

小学校時代の同級生をストーキング

そんな彼の人間性が壊れていくのは時間の問題だったのかも知れません。徐々に危うさを見せ始めた造田博は小学校時代の同級生に対しストーキング行為を行う様に成ります。造田博はこの同級生に対し5回ほど手紙を出し、自宅に電話したり押しかけたりと行った直接行為にも及んでいます。

造田博の供述によると、小学校自体にこの同級生から造田博は告白をされ、それに対して返事をしなかった事から「造田はダメだ」という噂が立つに成ったという事で、そのせいでショックを受けて不愉快に成った為に抗議の手紙を書いたと言うのですが、実際の手紙には「抗議」ではなく「好意」を記した内容が綴られていたと言います。

しかもこの同級生本人の話によれば、小学生時代も造田博とは親しい友人関係にはなく、告白した覚えもないとの事。つまりは造田博の一方的な妄想によってこの同級生はストーカー行為を受けていたという事に成ります。

自宅に押しかけた際にはこの同級生の父親から強く諭され、素直に帰って行ったという造田博ですが、その後も暫くはこうした行為が続いており、兄に対しても「大学生の彼女がいるので結婚資金を貯めたい」という妄想の話を口にしています。この時点で既に造田博の精神状態はかなり危険な状態に有ったのかも知れません。

海外渡航するも日本領事館に保護される

1998年6月24日、造田博は僅か200ドルの所持金を持って米オレゴン州のポートランドへと渡航します。造田博曰く1ヶ月前辺りから計画した上での渡米だったそうですが、本当に計画的な渡米であったのだとすれば、所持金僅か200ドルでアメリカに旅立つなんて事は到底考えられないところではあります。

アメリカに渡ったものの、知人も居なければ英会話も出来ない造田博がどうにか出来る筈がありません。職も見つからず、残金も底を尽きかけていた造田博ですが有ろう事かその状態で何とパスポートを破り捨てるという狂気染みた行動に出ます。
 

結局日本領事館によって保護された造田博は、斡旋されたジャパニーズ・パブテスト教会の援助で平静を取り戻し、その後日本へと帰国します。保護された段階での造田博は満足に人と対応することが出来ないような精神状態で、健康状態もかなり悪化していたと言います。

彼がアメリカに渡った理由ですが、どうやら例の同級生が4月からシアトルに移住していたらしく、恐らくはその同級生がアメリカに居るからという理由でなんとなく自分もアメリカに渡った物だと考えられます。既にこの頃の造田博は「壊れかけている」ではなく「壊れていた」のではないでしょうか。

犯行直前の仕事は新聞配達員だった

1999年4月24日、帰国後も各地を転々としていた造田博は足立区に有るある新聞販売所に電話を入れ、そこで新聞配達員として働く事に成ります。夕刊紙等では「住み込み・日払い可」といった内容で新聞配達員を募集する広告が常時打たれており、造田博はその広告を観てこの新聞販売所に電話を掛けてきたモノと思われます。

翌日からこの新聞販売所で配達員として仕事を開始した造田博は、販売所から徒歩5,6分のところにある木造アパートの一室を間借りします。所持品は殆ど無く、見かねた家主が布団一式を彼に提供したと言うことです。

勤務中はトラブルを起こさず真面目に働いていた

新聞配達員としての造田博の勤務態度は真面目だった様で、遅刻や無断欠勤もなく真っ当に働いていたようです。ただ、一度だけ遅刻をした事が有ったらしく、それがきっかけで所長より携帯電話を持つようにと薦められています。

警察や外務省等に支離滅裂な怪文書を送る

時系列はバラバラに成りますが、1997年の夏頃、造田博は支離滅裂な怪文書を外務省や警察庁といった公の機関宛に送りつけています。その怪文書には到底理解が不可能である文章が綴られており、造田博は自らを「大統領」と名乗り、この手紙を送りつけていたそうです。

池袋通り魔殺人事件の概要

ではここからは池袋通り魔殺人事件の概要と時系列について御説明していきたいと思います。造田博がこの日如何にしてこの事件を引き起こしたのか?当日の足取りを振り返ります。

豊島区東池袋の東急ハンズ前で事件が発生

1999年9月8日午前10時、数日前から毎日のように池袋を訪れていた造田博は、この日宿泊していた赤坂のカプセルホテルを後にします。その足で再び池袋に向かうとコインロッカーに荷物を預け、デイバックのみを持ち出してハンバーガーショップへ。其処で朝食を済ませた後にサンシャインシティへと向かいます。

午前11時35分、サンシャインシティの地下通路を通り東急ハンズの正面入り口前に現れた造田博は、デイパックの中から包丁と金づちを取り出すと、それを左右の手に持ち「ウオー!!」という声を上げて通りすがりの男女2人連れめがけて突進して行きました。

被害者8名のうち死者が2名

その後造田博は60階通りを池袋駅方面に向け、何人もの人々を刺したり斬りつけたりしながら進み続けます。そして池袋東口のロータリー付近で追いかけてきた通行人6〜7人によって取り押さえられる迄の間に、多くの無関係な人達が被害者と成りました。

この池袋通り魔殺人事件による被害者は8名、うち66歳の女性被害者と29歳の女性被害者がお亡くなりになっています。この昼間の繁華街で発生した信じられない様な事件は瞬く間に全国へと報道され、人々を恐怖と不安に陥れました。

当然ながら被害者は皆何の罪も無い人ばかりです。夫婦で買い物に訪れていた方や学校帰りに池袋に立ち寄っていた罪もない人々が、訳の分からない内に次々と事件の被害者と成っていったのです。

造田博容疑者を現行犯逮捕

通行人によって取り押さえられた造田博は、駆けつけた警察官により現行犯逮捕。警察署に身柄を移した後、本格的な取り調べが行われました。

造田博の犯行理由

造田博は何故この池袋通り魔殺人事件の犯行に及んだのでしょうか?彼が犯行に及んだ理由とされる3つのポイントについて検証します。

造田博の犯行理由①評価されない現実

1つ目の理由は「自身が評価されないという現実を悲観して」という理由によるものです。早い話が「承認欲求」であり、人間誰しもがこの承認欲求を持つと言われています。然しながら造田博の場合、この承認欲求が他者よりも強く、それが「誰も自分を認めてくれない」という事に繋がって行ったのではないかと考えられます。

造田博の承認欲求がそこまで高くなってしまったのは、結局の所両親によって捨てられた事に原因があるのでは無いでしょうか?この時点で「捨てられた=必要ない」という図式が成立し、彼は何処かで「誰からも必要とされていない」と、そう考えてしまったのかも知れません。

造田博の犯行理由②人生への絶望感

続いての理由は「人生への絶望感」です。造田博が人生そのものに絶望感を感じており、それを爆発させる形で犯行に及んだという事でしょうか?つまりは道連れ理論ですね。自殺は出来ないが、関係の無い幸せな人々の幸せを奪い去る事は出来るという余りにも身勝手な思考は、先日発生した川崎での無差別殺人と通じるものがあります。

造田博の犯行理由③職場仲間の無言電話

そして最後の理由が「職場仲間からの無言電話」です。池袋通り魔殺人事件の犯行に及んだ直接的な理由は、この無言電話にあると言われています。造田博は販売所の中に嫌悪していた人物がおり、その人物が造田博の携帯電話に無言電話を掛けてきたとして激怒していたのです。

この無言電話の後、造田博はある文章をレポート用紙に書き連ねて玄関の外ドアに貼り付け、その足でアパートを後にし池袋へと向かっています。よってこの無言電話が池袋通り魔殺人事件の引き金と成った事はほぼ間違いないでしょう。

造田博の死刑執行はいつ⁉現在の様子は⁉

最後に造田博の裁判と判決、そして現在の様子などについてまとめておきます。死刑判決が確定している現在、造田博は何処で何をしているのでしょうか?また被害者に対して造田博の両親は何かのアクションを起こしているのでしょうか?池袋通り魔殺人事件のその後に迫ります。

再審請求が破棄され死刑が確定

最高裁判決で死刑が確定した造田博ですが、死刑確定から2年後の2009年に再審請求を起こしています。この再審請求とは読んで字の如く「裁判のやり直し」を求める請求で、冤罪の可能性のある裁判等では稀にこの再審請求が行われる事があります。

再審請求が行われるとその間は刑の執行が行われません。という事はこの期間は絶対に死刑が執行されないという事に成ります。つまりは時間稼ぎが出来るという事に成るのです。非常に姑息な手段だと思いますが、冤罪を防ぐための制度である為この再審請求を廃止する事は出来ないのです。

被害者の遺族は現在もこの事件に苦しめられており、一日も早い死刑執行を望んでいる筈です。そんな中どんな手を使っても生き延びようとする彼の愚かな行動には、虫酸が走る次第です。因みに2015年に高裁迄の再審請求が棄却されており、2017年の段階では最高裁において係属中と成っている様です。

現在は東京拘置所に収監中

造田博は現在東京拘置所に収監中です。刑事裁判によって実刑判決を受けた者は刑務所へと移送されて刑の執行と成りますが、死刑判決の場合は刑の執行自体が「死刑」なので、刑務所には送られず拘置所にて刑の執行を待つことに成ります。

先程も申し上げた通り現在は未だ再審請求が行われている状態で有るため、少なくとも現在の段階では造田博の死刑が執行される事はありません。後は最高裁での判断が待たれる所です。

造田博の両親は事件後も名乗り出ず

事件発生から現在迄の間、造田博の両親は一度も名乗り出ておらず、当然ながら被害者に対しての謝罪も行われていないそうです。親としての責任は全て夜逃げした時に捨てたというのでしょうか?それとも現在既に彼の両親はこの世に存在して居ないのでしょうか?

造田博の余りに身勝手な理由が多くの被害者を生んだ

今回は池袋通り魔殺人事件の犯人である造田博についてまとめてみました。余りにも身勝手なその犯行理由によって、多くの人々が被害者と成った池袋通り魔殺人事件。この様な事件が今後二度と繰り返されない様に祈るばかりです。

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Windy編集部

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